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なぜ右翼・保守的言動をする人にバカが多いのか

今月に入って,このタイトルにあるような記事を立て続けに書いています.
なので知人から,
「君,右だったはずだよね」
と心配されているのですが,別に私の利き手やスタンスが変わったわけではありません.
(ちなみに野球ではスイッチヒッターです)

どうも世の風潮がおかしいな,と思っているので声に出して(字にして)みている次第です.

代表的なものとして「ネトウヨ」と呼ばれることの多い「対象」と「現象」があるわけですが,そうした右翼・保守的な言動をしている人の声が煩くなってきて久しいと感じます.

このネトウヨと称される「対象」を定義することは難しいとされているのですが,そうした「現象」が捉えられていることは周知のことと思います.
ようするに,ネット上では愛国的で民族主義的な視点や観点から物事を論じられることが多く,そうした意見や批評といったものに一定の認知度があるわけです.

それが私にとっては「おかしいな」と感じさせる世の風潮の一つです.
何がおかしいのかというと,こうした「ネトウヨの声」とされるものからは,知性や身体性が感じられず,例えて言えば「「3手詰みの詰将棋」や「キーパーのいないPK戦」をやっているように映るのです.
(この比喩についての詳細は,また今度)





前々回の記事である,
なぜ教育者に右翼・保守が少ないのか
では,教育現場においては左翼よりも右翼の方が有害であることをお話しました.
もちろんキチ◯イ左翼教員も有害ですが,愛国・右翼教員はさらに輪をかけて有害であるというものでした.
他方で,教員現場に右翼・保守的な考え方の人材が “少ない” のは「右翼・保守的な言動をする人にバカが多いから」ということも取り上げていました.

なので今回は,そもそも,なぜ右翼・保守的な言動をする人に目も当てられないバカが多いのか? という点に絞ってお話してみよう思います.

まず,「右翼・左翼」「保守・革新」といった分け方は一般的ですし,その分け方で問題ないとは思うのですけど,一応この記事で言う「右」とか「左」というのは,政治経済,教育,社会,道徳といったものを論じる際の立場や思想のことを指します.
で,そのいずれにもバカ,つまり「ちゃんと物事を考えない人」というのがいます.

ここで重要なのは,右翼的なバカと左翼的なバカを比べた場合,どっちかと言うと「右」の方が酷いという点です.
なぜでしょうか?

その理由については,人間はもともと「右」のイデオロギーを持つことが普通なのだと捉え,これに基づいた経緯を考えていくと合点がいきます.

人間は,この世に生を受けて家族に囲まれ,地域社会に育まれて国家の有り難さを享受すれば,誰だって「右」になるものです
よくネトウヨは「日本には愛国心を育む教育が足りない.反日・自虐教育を廃せ」などと言いますが,まともな国なら教育しなくても愛国心は芽生えるものです.むしろ,愛国教育をしなければいけないような国の方が,残念な国だと私は思いますよ.

人間誰しも生まれ育った国に愛着を持つものですから,オリンピックやワールドカップがあれば「我が国」のチームを応援しますし,他国から自国民の偉業を讃えられたら誇りに思うでしょう.

しかし,そうした自国への誇りや愛着といった思想を強化することでは不都合が起きることがあります.
「戦争」や「差別」「迫害」といった形で現れるものがその典型例です.

だから人は「左」の思想に興味を覚えます.
「現在の日本人のほとんどがサヨク(左翼)だ」と言われることもありますが,そりゃそうだと思うのです.だって,日本の学校では左翼的な教育をしているのですから.私もそれについては否定はしません.

さて,ここからが問題です.
もともと人間(国民)というのは「右」になるものなのです.そこに学校教育やらなんやらで「左」が入ってきたりして,大人になるに従っていろいろな葛藤もありつつ各自のイデオロギーとして形作られるんだと思いますが・・.

その時,バランスがとれずに「右」または「左」のイデオロギーに「はまってしまう」人が出てきます.
具体的に言えば,
「国家や共同体なんて関係ない.性別や民族からも解き放たれることが大事なんだ」
という考えだったり,
「国家や民族が大事.これを守ることが国民としての努めだ」
という考えだったりするのでしょう.
そうした考え方 “だけ” に捕らわれてしまった人が,冒頭お話しした「バカ」です.

「バカ」という奴がバカだというのも聞きますから,もうちょっと抑えた言い方をすれば,
「いやぁ~,たしかに君の言うことも分からんじゃないんだけどねぇ.けど,そういう意見ってバカっぽいよ.だからさぁ,ねっ」
って言ってあげたい感じです.

おそらく,彼らは自分が述べている意見を自分で否定したことがありません.だからバカっぽいのです.
私も大学の授業や演習で学生に言うのですが,自分の考えや調査計画などをしっかり否定してみることが大事です.
とことん否定した結果,それでもそこに残ったものが,本当に大事なものです.

それが大学での重要な学びの一つだとも思っていますし,その社会のより多くの人間が身につけておくことが望ましい姿勢・態度だと考えています.

さて,おわかりでしょうか? 「左」の方が「右」よりまだマシだ,というのはこのためなのです.
繰り返しますが,もともと人間は「右」なんです.生きている限り,常に「右」であることへの誘惑があると言っても過言ではないでしょう.
しかし彼らは,「それでも左だ」という選択をしている場面が多いわけです.

つまり,ネトウヨと称される意見が「右」であるべくして「右」の意見を垂れ流しているのに対し,「左」は自分の意見を省みる機会が多いことになります.

一方で「右」はというと,人間誰しもが普通に生きていれば形作られる右翼・保守的なイデオロギーを,まるで自分の力で練り出したように扱います.
しかも,どうやら長い間この国は「左」のイデオロギーが支配的だったそうなので,「それに立ち向かう少数派」ということで気分を盛り上げてしまっています.ですが,繰り返しますが実のところ「右」は常に多数派なんです.

さらには,お気に入りの言論人や政治家の意見が「右」だからということで,それをそのままコピペして扱ったりします.コピペしたものなので,その意見の良し悪しや実生活との整合性なんて気にしない,という事態になるのは自明のことです.
(大学の論文指導における「コピペ禁止」というのと通底するが,今回は割愛する)
それが一部の言論人や政治家だけならマシだったのですが,最近はネットを媒介として,勘違いした「右」が猛威を振るい始めた,というところでしょうか.

長々と書いてきましたが,「右」であろうと「左」であろうと,自分が信じている考え方を,しっかりと自分自身の力で否定するという手順を追わずにいると,どうしてもバカっぽくなります.

それでも「右」が「左」よりも不気味で低脳に映るのは,そうした自分の考えを丁寧に否定する機会が比較的少ないからではないだろうか?
ネトウヨじみた右翼・保守系の人々が,あのように悲惨な醜態をさらしているのは,そういう経緯があるからではないかと思えてなりません.

 





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