2015年10月4日日曜日

なぜ教育者に右翼・保守が少ないのか

なぜ教育者に左翼が多いのか?
という疑問やテーマで論議されることは多いのですが,その逆,
なぜ教育者に右翼(保守)が少ないのか?
が問われることは意外と少ないものです.

私も高校生ぐらいの頃からずっと考えていたことではあるのですが,いまいち明確な答えが見つからないまま,いつしか自分が教育者になってしまったというところです.

では私は左か右かということが気になるのですけど.
ある人達は私のことを「保守だ」「右翼だ」と評しますし,たしかにそういう考え方をするところがあることは自覚もしています.
しかし,どうしても一般的に「保守派」とか「右翼」と呼ばれている有識者の意見を聞くと,それを飲み込もうとしても何か喉に引っかかって気持ち悪いという感覚が拭えませんでした.

これについての適切なアンケート調査や意識調査があるわけではないですが,私なりの皮膚感覚でこの件について書いてみようと思います.

なぜ教育者には右翼・保守系の考え方をする人がいないのか,まず最初に考えられることとしては,右翼・保守系の人にまともな教育観がある人が少ないということが挙げられます.
もっと突っ込んだ言い方をすれば,一般的に右翼・保守系だという立場を表明する人達の教育方針や主義主張の多くが,子供や青年の教育上害悪が多いということです.

害悪の多い教育方針を掲げる連中ですから,そんな人達を教育現場に立たせることは避けられやすくなります.
教育者に右翼・保守的な人が少ないのは,そんなような影響があるからではないかと考えられるのです.

どのような教育方針が嫌われやすいのかというと,例えば以下のようなものです.

1)やたらと愛国心教育を推進する
私だって別に愛国心が高まる教育を否定したいわけではありません.一部のキチ◯イじみた左翼教員を除いて,教育現場にいる圧倒的多くの教育者は愛国心を悪いものだと思っていないでしょうし,高めようという方針に反対するわけでもありません.

ところが,右翼・保守的な立場をとる人達は,愛国心を高めることが教育の重要な役割だと見做しています.はっきり言ってバカなのです.
具体的な典型例として,彼らは学校で国旗国歌を徹底しようとします.国旗国歌を徹底すれば,愛国心が高まって日本国への帰属意識が高まると言い出します.
どう考えてもそんなわけねぇーだろと思うのですが,なぜかそんな軽薄な持論を展開するのです.自分たちがどれほど非現実的なことを口走っているか恥ずかしく思わないほど思慮が浅いわけです.

考えてもみてください.ブラック企業に勤めていたとして,そこの社章・社訓・社歌の指導を徹底したからといって,その会社への忠誠心や帰属意識が高まることなどありません.
むしろ,そんなことで会社への忠誠心を高めようとすることは「悪」ではないでしょうか.それと同じことです.

愛国心を高めようとするのであれば,その国の国民として生きることに誇りを持ち,誇りを持ち続けられるほどの幸福感を享受できる国でなければなりません.
そうした国民を育てるためには「愛国心を高める指導」や「国旗国歌の指導」を否定的に扱うことも吝かではない,矛盾するように聞こえるでしょうが,そういう場面もありえます.

例えば,多くの人が持っている母校に対する愛着や帰属意識というのは,そこでどのような教科教育が展開されていたかとか,ましてや母校愛を高めるプログラムが展開されていたかではなく,教員や仲間と過ごした甘酸っぱくほろ苦い想い出が基になっているものです.昔は「こんな学校クソ食らえ」とか「授業なんてどうだっていいし」などと否定的,斜に構えていたとしても,いつしかそれこそが母校愛へとつながっていきます.
これは愛国心にしても同様でしょう.

国旗国歌は愛国心を高めるために教えるものではありません.教えなくたって愛国心は高まります.愛国心が芽生えれば勝手に国旗国歌への興味は湧いてくるものです.
因果関係を逆に捉えてはいけませんし,逆に捉えちゃってることが多い右翼・保守的な人は教育者としてふさわしくないのです.

2)連帯よりも競争を推進する
右翼・保守的な教育方針を掲げる人に典型なのが,「社会に出たら他者との競争になる」ということで「だから学校では競争させることを学ばなければいけない」などと言い出すことです.
まともな教育者なら背筋が凍りつくような発想・着想ですが,彼らはそれをおくびにも出さずに言い放ちます.当然,そんなバカが教育現場に立つことは避けられてしまいます.だから右翼・保守的な教育者が少ないのです.

いやもちろん,受験勉強やクラブ活動や文化行事等々で「競争」が発生することはたしかです.が,それは「競争になってしまう」のであって,「競争させる」のとはわけが違います.

より良い国民を育てるために多くの教育者が学校現場で粉骨砕身しているのは,お互いを尊重し合い,仲間同士連帯して事に取り組む態度を育てることです.そこで発生する競争は副次的なものであり,モチベーションの一つに過ぎません.
そりゃ完璧にできれば理想でしょうが,皆が皆うまくいくわけではありません.でも,そうなるように取り組んでいるのが学校現場なのです.

ところが,右翼・保守的な教育観を持っている人は,そうしたことは建前であって綺麗事だと考えている節があります.
「現実はそうではない.現実社会は競争社会だ.競争社会を勝ち抜くための力を学校では身に付けるのだ」と言って,それを煽る教育方法を推奨します.

そのくせ,場面が変われば「日本人は一致団結して事にあたることを得意とする」だとか「日本人は和をもって尊しとなす」などとドヤ顔をしたがります.
これはつまり,和を崩して一致団結を困難にする方針を進める一方で,都合よく和をもって一致団結しようと考えているのです.なんだかブラック企業みたいですね.もしかすると,右翼・保守的な教育観を持っている人はブラック企業の方針に親和するのかもしれません.
和をもって尊しとなす国民を育てたいのであれば,その教育方針が180度とは言わないにしても,90度以上は違うでしょう.
このことから分かるのは,彼らの知能は明らかに低いということです.そんな低能な人間が教育者として採用されることは少ないわけです.

3)大人のルールを学校や子供に適用させようとする
右翼・保守的な教育方針を推進する人の,最も典型なのがこれです.
もともと,近代における学校とは大人社会のルール,大人の論理から子供を守るために誕生したと言っても過言ではありません(詳しくは専門書を参照ください).
「大人のルール」とぼんやり表現しましたが,ようは市場原理的な考え方と言っていいでしょう.先ほどの「競争を重視する」というのと似ていますが.

当然のことながら,学校は大人社会に向かうためのステージの一つですし,そこでの振る舞いを学ぶことも重要です.が,それが最優先の目的になってはいけないのです.
考えてもみてください.学校の存在意義を「子供が大人社会に向かうための準備のため」だいうのであれば,学校なんて不要です.普通に大人社会に混じって大人社会のルールをその身に教え込めば済むはずです,っていうか,かつては大多数の人間がそうだった時代があったわけで.
それじゃダメだからってことで学校が存在するのです.

人間は地位や財を成すために生きているわけではない.地位や財を成すための駒として生きるわけでもない.それ以外にも人間らしい生き方というものがあるはずだ.という価値観を持つ人物を,一定数社会に輩出し続けることが学校の大事な存在意義の一つです.

ところが,彼らはそんな学校教育が誕生した経緯を考慮することもなく,「これまでの教育は大人になって役立つものが少なかった.より具体的に言うなら,これからの学校は社会に出て仕事をするための能力を重視するべきではないか」などと恥ずかしげもなく主張します.
さらには,「人間らしい生き方なんて理想論に過ぎない.そんなことよりも現実を見てみろ.職業能力を高めることがその人の幸せにつながるんだよ」といった荒んだ意見を隠さず言い放つ人もいます.

その煽りをモロに食らって致命傷気味なのが小学校であり,連鎖反応的にダメージを食らって困っているのが大学,特に文系大学です.文系大学ではそういう職業能力を高めにくいということから,統廃合を検討しろと言われています.
この流れの先にあるのは,この社会と民族のゆるやかな死です.

この国は今,いろんな分野の世界ランキング上位入賞を目指すために頑張るんだそうです.だからそのために,小学校の段階から国語よりも英語を重視するのだそうです.さっきまで愛国心を声高に唱えていたことは忘却の彼方です.
つまり彼らが言う愛国心ってのは,外国から褒めてもらえることであり,相手よりもお金を儲けることであり,高いステータスを獲得することを指すようです.
これって人間のクズですよね.誉められた人間ではありません.

そんなような教育方針が,時の政治・政策レベルで教育現場に押し込まれたとしても,このような考え方の人物を教育者として立たせることは避けられて当然でしょう.
だから右翼・保守的な人が教育者には少ないのです.


教育現場でよく問題視されるのが左翼系の教育者ですが,実はそれ以上に厄介な存在となり得るのが右翼・保守系とされる教育者なのです.
左翼系の教育者も有害な教育方針を薦めてきますが,右翼・保守系の教員の薦める教育方針は,それに輪をかけて有害です.
あまりに有害過ぎて優先的に避けられるから,そして,本人も結構バカだったりするので,それゆえ教育現場に採用・出没しにくいだけなのです.

もっとも,上述した「右翼・保守的な教育者にありがちな主張」として紹介したものにしても,本当の意味で右翼・保守的な主張なのかどうか明確に定義できるわけではありませんが.

他にもいろいろ思いつくところはありますが,長くなるのでとりあえず今回はこのへんで.


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