2015年8月6日木曜日

大学における国旗国歌

この季節,「国家」とか「人間」だとか「世界」といったキーワードで政治的な話が展開されることが多いものです.
なので私のブログでも,こうしたことを意識的に何本か取り上げてみようと思います.

今回は「文部科学大臣が国立大学の式典で国旗国歌を取り入れる要請」の件です.

「国立大学は国立の大学なんだから,その式典では国旗掲揚,国歌斉唱くらいしましょうよ」
今年の4月にそんな話が持ち上がって,その後,6月16日に全国の国立大学の学長が集まる会議(国立大学法人学長・大学共同利用機関法人機構長等会議)で,実際に大臣の口からそのような要請があったそうです.

だいぶ昔の話題なのですが,大学とは何を目指した教育機関なのか,国旗国歌に関する教育といった事について私なりの見解を述べようと思います.

事の発端とされているのはコレ↓
首相「新教育基本法にのっとり実施されるべきではないか」国立大の国旗掲揚や国歌斉唱(産経新聞webニュース)
改正教育基本法では「国を愛する態度」を養うことなどが教育目標に掲げられている。次世代の党の松沢成文幹事長に対する答弁。
ということですが,教育基本法のどこをどう読めば「大学では国旗掲揚,国歌斉唱がされるべき」と読めるのか,ちょっと私には分かりません.
ちなみに教育基本法はこちら→教育基本法(平成18年改正)
この問題のことを考えてみたい人はそれを御一読ください.

さて,先ほどのニュース記事に戻りますと,
松沢氏は「国歌斉唱に至ってはほとんどの国立大学が実施していない。税金で賄われている以上、国旗掲揚や国歌斉唱は当たり前だ」と迫った。
ということだそうです.
この次世代の党の松沢氏に限らず,「税金で賄われているから国旗掲揚,国歌斉唱が当たり前」という理屈をこねる人は多いものです.
中には,「日本の大学であれば国旗掲揚,国歌斉唱は当たり前.国立大学に限らず,私立大学も取り組むべき.私立大学も税金が入ってるだろ」
という主張をされる人もいます.

これについては,「大学の自主性,自律性が守られるべきだ」という反論が多いですね.こうした政府からの要請というのは,大学に対する「圧力」になるのではないかという懸念があるからです.

「国旗国歌の要請が圧力なんかになるわけないだろ!」という突っ込みもあるのですけど,これについては文部科学大臣の記者会見での答弁が参考になると私は思っています.
以下は,文部科学省HP内にある記者会見録からの引用です.
記者)16日は大臣から口頭で、そういう御要請をされたのですか。
大臣)そうですね。それだけを申し上げるわけではないですけれども、今国立大学に関係する大学改革は、いろいろなスピード感で進んでおります。もちろん各国立大学もそれぞれの時代の変化の対応に危機意識を持って、いろいろな大学改革、学部改革を進めていることもたくさんありますが、そういう意味で、是非大学の先生方にも改めて、これからの時代がどうなるかということを共通認識を持つ中で、各大学がそれぞれ生き残りのために、どんな創意工夫が必要なのかということを、トータル的に文部科学省として考えていることについて、私の方からも説明をしていきます。それを実際に取捨選択なり、取り入れるかどうかは、それぞれの大学の判断でありますが、今の置かれている状況、それから文部科学省の考えている政策等について、説明をしていく予定であります。
いろいろ言っていますが,これってつまりは「圧力」ですよね.
「どこが?」って言われましても,そんなことダイレクトに発言するものじゃないのでそこは行間を読んでもらいたいのですが,特に濃度が高いのは以下の辺りです.
「これからの時代がどうなるかということを共通認識を持つ中で、各大学がそれぞれ生き残りのために、どんな創意工夫が必要なのかということを、トータル的に文部科学省として考えていることについて、私の方からも説明をしていきます」

上記を私なりに解釈すれば,
「生き残りをかけた競争をしてもらう時代になるので,生き残りたい大学は我々文部科学省の寵愛を受けられるようにしとけよ」
ということです.

スーパーグローバル大学にしてもそうなのですが,とにかく「私たちが思いついた教育方針を全国一律でやってもらえないのであれば,君らのところにはお金は出さないよ」という態度で大学教育を進めたい,そんな思惑が透けて見えるのです.

つまり,表向きは大学の自主自律を謳いながら,結局は世論が望む「大学」へと改革させることで,世論・大衆の支持を得たいということなのです.

大学は世論や大衆の支持を得て教育をしてはいけません.

逆に,大衆を一人の自律した教養人へと教育することが大学の使命だからです.
大衆からの支持を得る大学など,それはもはや大学ではない,そう言ってもいいでしょう.
それ故,大学には教育研究の「自主性」「自律性」が守られているのです.
決して,「自主的,自律的にやったほうが研究成果を上げやすい」とか「ユニークな卒業生を育てるには自主的,自律的な教育のほうがいい」などいう,損得勘定を元にした軽薄な理由ではないのです.

そういう大学教育の根幹に関わることが分かっている政治家であれば,どれだけ大衆から「もっと大学を改革してくれ!」という要望があろうと,それが票になろうと,倫理の観点から手を付けないはずです.
ところが,冒頭のニュース記事にあるように,いとも簡単にホイホイ取り組んでしまう.自分たちが何を言っているのか分からないか,それが正しいと信じているか.いずれにせよ世も末です.

実のところ教育基本法にのっとっていないのは,あなた達の方ではないか?
っていうか,教育基本法を読んだことあるのか? と,そういうことなのです.

こういう意見に納得してもらったとしても,今回の件については以下のような反論もあるでしょう.
「だからって,それは大学への国旗国歌の要請がダメだということとは別だ」「日本の大学なのだから,国旗国歌は当たり前ではないか」というものです.

私個人としては国旗掲揚,国歌斉唱に取り組むことに抵抗はありません.どちらかと言えば私は保守主義者的な側面があるようですので.
しかし,こと大学においては「日本の大学だから」「税金を使っているのだから」という理由をつけて大学に国旗国歌を要請することには抵抗します.
それこそ各大学の判断に任せればいいのです.

もっとも,これについては文部科学大臣も「そのつもり」というコメントが出ていますが,だったら最初から国旗国歌の要請などしなければいいのです.

「日本の大学なのだから,日本の国旗国歌を」という想いも分からんではありません.
私も過去記事では「日本の大学は,日本独自の学術性を紡ぐことを目指すべきだ」という事を何度も書いています.
ですが,日本の大学であることと,日本の国旗を掲揚し,国歌を斉唱させることとは別です.一緒である理由がありません.

学校において児童生徒に国旗掲揚,国歌斉唱をさせるための理屈は通ります.
日本人としての基礎知識,一般的行事としての振る舞い方,そして国際社会において「国旗国歌」がどのように扱われているのかを教えるためです.
ですが,大学はそういう場所ではありませんし,そういう場所になってはいけないとも思います.

ちょっと極端な話をしてみましょう.誤解無きよう,以下を冷静に読んでください.
一般的な大学における教育研究というのは,あらかじめ教えるべき内容が用意されていて,それを忠実に学習するといった場所ではありません.
さまざまな事柄について,その捉え方や考え方がまるで正反対である教員や研究者が集い,そこで学術的なモノの考え方と議論の方法を学習し,最終的には自律して学び続ける教養人になってもらうことを目指しています.

それ故,国旗国歌に関しても,教員や研究者によってその捉え方や考え方はいろいろあるわけです.
端的に言えば,現在の国旗国歌に異を唱えていたり,国旗掲揚や国歌斉唱をすることが日本にとって正しい行いとは考えていない教員や研究者が存在することが前提になっているのです.

こういうことを言うと,「そんなことだから国旗国歌を蔑む奴が多くなるんだ」とか「大学教員には左翼が多いんだろ」とか,果ては「国旗国歌は理屈抜きに大事なんだ」と熱り立ってしまう人もいるでしょう.
ですが,大学は「理屈」を考えるところです.その国の一般常識や方針を学ばせるところではありません.
さまざまなテーマについて学術的なルールや手順で議論させ,より良い理屈を探し続ける場所です.

そのようなわけで,国旗国歌の在り方にネガティブな考えを持つ教員や研究者もいて,そういう教育研究も許されてはいるのですが(その存在自体が気に入らないという人もいるでしょうけど).
しかし今のところは国旗国歌にポジティブな考えを持っている教員や研究者の意見の方が理屈として強いので,その結果,“現在の日本国民の国旗国歌に対する考え方” が形成されているというところでしょう.

さらに極端な話をすれば,今の日本や世界においては「国旗国歌」はこのような扱いを受けていますが,あと100年200年後には,現在はマイノリティである研究者の意見を参考にするような時代が来るかもしれないのです.
その時には日本独自の「国旗国歌」に関する学術的理論として注目されるのかもしれません.

最後に・・・,
これも誤解無きよう読んでほしいのですが,そもそも,教育現場で国旗国歌に触れる機会を増やす理由の一つが「愛国心を育てる」という事に疑問があります.

国旗国歌に理解があることと,愛国心があることとは別ですよね.
これって余りに当たり前な理屈だと思うのですが,それこそ「理屈」抜きに国旗国歌が大事だと訴える人の耳には入ってくれないようです.
それでもこの「国旗国歌への理解を深めれば,愛国心が育つ」という奇妙奇天烈な主張は一定の支持を得ているようです.不思議ですね.

例えば私の場合,君が代を歌うことなどほとんどありませんし,日の丸を掲げることなど皆無ですが,日本には強い愛着があります.私の今の仕事にしても,日本のためになるよう配慮したいと思っています.
むしろ,街中を日の丸を掲げて練り歩いている人や,なんでもない時に君が代を大声で歌っている人を見ると寒気がします.あれは本当に「愛国心」なのか? と疑問に思うものです.

日本人なのですから,自分の国の国旗国歌を知っておくことは大事です.
ですがこれは,何かにつけて「歌え」「掲げろ」と指示を出すようなものではないと思うのです.

そんなわけで,今回の「大学における国旗国歌」に対する私の違和感というのは,
1)国を思うことと国旗国歌には関連性が無いにも関わらず実施させようとしている
2)国旗国歌の是非や在り方そのものを議論する場に成り得る大学に注文をつけた
ということにあります.
特に2つ目については,一般の人なら勢い余ってやりかねない過ちですが,いくらなんでも首相や文科大臣がやっちゃだめでしょ,というものです.

別に国旗国歌を認めないなんて言ってるわけではありません.やってることが稚拙だと言っているのです.

あと,私基準の典型的な日本人としては,「国を愛する」なんて恥ずかしい言葉は嫌うのではないでしょうか.気味が悪いし.
日本人は,「I love you」は「月が綺麗ですね」と訳すものです.