2015年7月16日木曜日

いじめ問題を解決する?

前回の記事が,
「問題解決能力」を高めることの危険性
というものでしたので,このブログでもたびたび取り上げている「いじめ問題」とからめてみたいと思います.
また最近いじめ問題がニュースになっていたということもありますので.

その前に,前回の記事を簡単にまとめますと,
「問題解決能力」がもてはやされるようになると,そこで起きている問題は解決できるはずだ,解決されなければならないと考える風潮が強くなる.
しかし,人間社会に存在する「問題」の多くは,すっきりとした解決を期待できるものではないし,そもそもそこで問題としていることは本当に「問題」なのかどうか怪しいものもある.安易に問題解決に飛びつく前に,そこで問題としていることの本質を深く掘り下げることが大事.
といったところです.
さらに言えば,解決策を講じたとしても,その解決策が原因となって新たな問題が発生したり,より困難な問題を生んだりすることもあるでしょう.

このことに注意しなければいけない事例のひとつが「いじめ問題」だと思います.

さまざまなニュースや,そこで議論されている「いじめ問題を解決する」という趣旨のものには,いくらなんでもそりゃ無茶だろうというものがあります.

それは大きく分ければ次の2つ,
「いじめの撲滅(防止)」と「いじめの加害者の厳罰(排除)」です.

前者は「いじめ防止対策推進法」という形で法律にまでなっちゃいましたし,後者はネットで口汚く議論されております.

これら2つに共通する考え方は「いじめ」という存在を学校からなくそうとしていることです.
でも,これは教育現場や不特定多数の人がいる会社・組織に勤めている人からすれば,「無理」であろうことは容易に察することができるはずです.

なぜなら「いじめ(大人社会だと「ハラスメント」と呼ばるだろう)」は無くせるようなものではないからです.
人間社会があれば,そこには必ず何かの軋轢があります.
今我々が知っているいじめやハラスメントは,その存在を無理にでも無くしたとしても,それまでとは違った形で「いじめ的なもの」「ハラスメント的なもの」が手を変え品を変えて存在し続けます.むしろ,それまでなんでもなかった事が「いじめ的なもの」「ハラスメント的なもの」として誇張されて息苦しさが増えるかもしれません.

ざっくり言うなら,「いじめ(ハラスメント)」というのは,その認識や評価が個々人によってグレー過ぎる行為や現象であり,且つ,誰もが「問題だ」と認識・評価するに至った時,既にそれは「いじめ(ハラスメント)」と呼称するものではなくなっている,というものなのです.

そうしたものを無くそうとしても,結果は見えています.
徒労感にさいなまれるのです.
その時我々は,何かの指標データを分析して眺め,「いじめが減った」,「ハラスメントが減った」という自己暗示に似た何かをかけているかもしれませんが,その代わりに別の形での「いじめ的なもの」や「ハラスメント的なもの」が学校や組織に誕生するだけです.

別に私はいじめやハラスメントを推進しているわけではありません.発生しても無視しろと言うわけでもありません.
無くせいないと言っているのです.
無くせないものを無くそうと解決策を講じても,それは解決策にならない,だけで済めばいいですが,もっと別のトラブルを引き起こす可能性があります.っていうか,既に危険信号が灯りだしているという風の便りがあります.

「だったらどうすればいいんだ!それじゃ今この時いじめられている人が可哀想だ!」
ということで,だから法律まで作ったのでしょうが,これこそが問題解決を優先してしまって実際に起きているその「問題」を掘り下げずに取り組んだ典型なのです.


じゃあどうすればいいんだ...
「いじめ問題」という枠を作って解決しようとしないこと.一言で言えばそれだと思うんですが.
詳細については以下の過去記事をどうぞ.
他には,