2012年9月17日月曜日

反・大学改革論

大学人になって6年.学生時代も含めると10年以上の大学生活を営んできました.

昨日は恩師と神戸・三宮の居酒屋で「これからの◯大を考える」と題して,いろいろ議論したところでもあります.
別に私は◯大に勤めているわけじゃないのですけど,3年前までお世話になっていた母校でもありますので,少し気になるのも確かで.

一昨日は学会があって岐阜に行っていましたが,そこでも恒例の飲み会で似たような話が出ました.
やっぱり皆さんも,卒業生や院生として関わったからには,◯大には何かしらの思い入れがあるようです.

今日のテーマは,その「◯大の今後」という小さい話ではなくて,日本の大学の今後を取り上げたいと思います.

大学改革の話です.

ここ十数年,「腐った大学(言い過ぎ?)を叩き直すのだ!」と言わんばかりの勢いで,推し進められてきた感のある日本の大学改革.
以前,
でも大学改革の話をしましたが,
就任1年目の当時は,
「もしこのブログが学内の人にバレても大丈夫なように...」
という思惑が入った文章でしたので,すべてが私の本意とは言えないものでした.

それにですね,上記の記事で紹介した本が,諸星裕 著『消える大学残る大学』 だったんですけど,本学はその著者・諸星氏を学内講演会に招いたりしてる,改革路線まっしぐらの大学でもありまして.
少しヨイショしといた方がいいのかな,という日和見な部分もありました.

あれから2年.
言いたいことがだいぶ言えるようになってきましたので,その記事の改訂版をここに出そうという趣旨です.

言いたいことが言えるようになってきた,というより,むしろ,これは声を大にしなければいけないと思っています.

端的に言うと,
「大学改革をやめよう」
です.

2年前の大人しい従順な記事でも,私の想いが少し滲み出てしまっているところがありますが.
ここ十数年ほど狂ったように取り組まれてきた「大学改革」というのは “百害あって一利なし” だったと言わざるを得ません.

「一利なし」というのは言い過ぎかもしれませんが,圧倒的に害の方が多かったと言えます.

いやむしろ,「大学改革」は必要だったのです.
問題はその改革の方向性でして.
これまでの大学改革の問題点を一言で言うと,「学校教育みたいな大学教育」にしちゃったことです.
別の言い方をすれば,「学生・保護者をお客様としてみる大学」を目指してしまった,と言ったところでしょうか.

ではどんな改革の方向だったら良かったのか?というと,「昔の大学への回帰」です.
新たな大学像を創ったり追いかけたりといった,革新的な改革は必要はなかった,というのが私の見解です.

前回の大学改革の記事で私は,諸星氏の主張を取り上げ,こう書いています.

著者は「“大学は教育機関であり,最大の受益者は学生”というスタンスを持つことが重要」という主張です.
当たり前のようですが,意外とできていないのが大学という組織でもあります.

はっきり言いましょう.
「意外とできていないのが大学」でいいのです.
この「当たり前のようですが...」というのは,「世間じゃそう思われてるんだろうけど,実際は違うよ」というところでもあります.

なぜなら,大学は 「学生のため」 に存在していてはダメだからです.
もう少し柔らかく言うと,学生のため “にもなっている” のが大学なのです.

そんなこと言うと,
「俺らは金払って授業受けてんだぞ!その料金に見合ったものを出せよ!」
と怒られそうですが,「でもそんなの関係ねぇ」 ということで終わらせればよいのです.

私が諸星氏の主張と異にする点は,この “大学は教育機関であり,最大の受益者は学生” の解釈です.
そうは言っても,私も別に「その大学の最大の受益者が学生 “だった”」 という “結果”であれば構わないのですが,その学生の受益を最大にすることを “目的” にしてしまうと,大学教育が崩壊する可能性がありますよ,ということを言いたいのです.

たまたまA大学は「最大の受益者が学生だった」でいいのだし,それとは別にB大学の学生はブツクサ言ってる,というのでも良いのです.

なぜかというと,「大学教育」というのは「学校教育」のような,誰もが納得して喜ぶコンテンツを使った教育をしているわけではないからです.

大雑把に言うと,「最先端」,「常識はずれ」,そして「真理の追求」という,“研究(探求・科学)と教育を同時並行に行なっている教育レベルにある大学” という教育機関では,学生の受益(と一般的に捉えられている事)と大学(研究者である教員たち)の受益が重ならない部分がどうしても出てくるんです.

において少し触れたことでもありますが,大学は「王様は裸だ」と問い続けなければいけません.
学生がどう思おうと,どう感じようと,不満が出ようと,それが大学の使命です.


私もこうした考え方は学生になってから思い知らされたことですけど,それは,
「学外の人には正直にぶちまけられないけど,大学関係者ならみんな知ってる大学の本音」
だと,心の底から信じていました.
周りの友人もそんな感じで大学生活やっていましたし.
まともな学生なら,直ぐに感じ取ってたはずなんですよ.十数年前なら.

例えて言うなら,「店じまい売り尽くしセール」を頻繁にやってる紳士服の◯山の店員とかが,
「本当に閉店するわけじゃないし,ただの在庫処分なんだけどな.でも,このセールって客の側も仕組みを知ってるでしょ.別に客を騙してるわけじゃないんだよね」
と思うのと似ています.

これに,「店じまいセールだなんて嘘だったんじゃないか!」とくってかかる客は野暮ってもんです.

ところが,この「学生のための大学論」ってのは,大学人の中でもかなり常識化してきているようです.
新任として入ってきた2年前,落ち着いてき始めたゴールデンウィーク頃に事務員さんと,
「学生第一の大学なんて,やっちゃいけないですよね.お客様は神様です,みたいで気持ち悪い」
っていう話をしたら,結構な勢いでドン引きされました.

「え!?これって大学側の本音じゃないの!?」
ということで,私は浦島太郎になりました.
以降,この手の話をこの大学で話すのは危険だと察知して,沈黙を守っています.

この3年間,「学生のため」を第一にする大学ほど,大学らしい教育ができなくなっている現状を見てきました.
少子化と大学乱立の影響もあって,学生獲得競争も激しさを増してきた今日この頃.

「学生のため」を第一にして,しかもこれに大学間の市場競争が煽られるとどうなるか.
大学での学びが,「簡単で」「分かりやすく」「口当たり良くって」「すぐに役立つ」「面白い」ものになってしまうのです.

これを聞いて「良い事じゃないか」と言うあなたは,気持ちがいい程のバカです.
悪いことは言いません.ちゃんとした大学に通い直すか,教育問題には口を出さない方が賢明です.

いいですか.
「簡単で」「分かりやすく」「口当たり良くって」「すぐに役立つ」「面白い」教育という土俵で教育機関が競争すると,それはつまり大衆迎合な教育コンテンツになっちゃうんですよ.

クズみたいな授業が喜ばれるようになります.
それは一見,熱意のあるカッコいい授業ですが,自己啓発セミナーと見分けがつかなくなってきます.

社会や人類のためになる知識や哲学を授けない授業が増えちゃうんです.
本当に大事なことって,難しい,分かりにくいものでしょ.
大学で学生というのは,じっくり考え込む必要があるのです.

「そんな高尚な教育を大学には期待していない.大学は研究者養成機関じゃないんだぞ!」
という意見,結構多いんですが・・・.
いえ,もの凄く多いんです,教授陣の内部にも.

訴えたい想いは伝わってくるんですけど,別にこちらとしても学生全員を研究者にしようってわけじゃないし.
我々としては「つべこべ言わずに黙って学問やれよ」と言ってるだけなんですけどね.
結局,「大学改革」ってのは,大学の教育レベルを下げることに他ならなかったわけです.
それって大局的に見たら「学生のため」にはなっていないんです.

続きはこちら■反・大学改革論2(学生からの評価アンケート)