2018年7月11日水曜日

続・女子大に「体は男性、心は女性」の学生を受け入れられるか?

最近,こんなニュースが大学界を騒がせています.
「心は女性」の男性受け入れへ…お茶の水女子大(読売新聞 2018.7.3)
心と体の性不一致学生入学検討へ(NHK 2018.7.3)
いきなり出てきたものではなく,この話題はかなり以前から取り沙汰されていました.
私も1年くらい前に記事にしたことがありますし,仲間内でも「もしトランスジェンダーの学生が希望してきた,どうするんだろうね」などと話していたものです.
女子大に「体は男性、心は女性」の学生を受け入れられるか?
今回の記事は,その続きとします.

なお,この話題は日本に限ったものではありません.
【スミス大学】アメリカの名門女子大、トランスジェンダーの入学が可能に(ハフポスト 2015.5.4)
アメリカ・マサチューセッツ州にある名門女子大「スミス大学」が5月2日、トランスジェンダーの学生の入学を2015年秋入学から許可すると発表した。男性に生まれたが、女性としてのアイデンティティを持つ学生は入学の対象となる。一方で、女性に生まれた後に男性のアイデンティティを持つ学生の入学は許可されない。
過去記事でも書いているように,私は「どっちでもいい」と思っていますし,結局のところ「大学次第」だと考えています.
大学の教育方針に沿うのであれば,生物学的性差も社会学的性差も「こうでなければならない」という判断基準はないと思いますよ.

「この際,女子大の存在意義を見直したほうがいいのでは?」などと言い出す人もいますが,事はそんなに大げさにする必要はありません.
女子学生だけの環境で学びたいという要望が存在しており,女子だけで学ばせたほうが学習が円滑に進むという教育者たちの経験則と現実があるのですから,この上なにを論じる必要がありましょうか.
同じことが「男子校」にも言えるわけですから.

もし「女子大」とか「女子校」の存在意義を論じるとすれば,少なくとも日本の女子大学が誕生した理由である「女性の高等教育機会の提供」は既に達成されているものと考えていいでしょう.
かつて,日本の高等教育(大学)には女子は遠ざけられていましたので,それを補うものとして女子大学が設置された経緯がありました.
しかし,その差は非常に小さくなってきており,2017年の内閣府調査によれば,大学進学率は男子:55.6%に対し,女子:48.2%です.
また,男女ともに入学希望者が多い難関大学とされるいくつかの共学大学においても,入学者の割合は女子のほうが高いところもあります.

あと,女子大にどんな恨みがあるのか知りませんが,なんだか執拗に文句つけてくる人もいるんです.
例えば,「どうせ社会に出たら異性との交流があるのだから,大学は共学にすべきではないか」といった,それこそ男性的発想.
どうやら世の中には「女子大=閉じられた秘密の花園」というエロ漫画的妄想を抱いている方々がいるんですけど,落ち着いて考えてもらえれば,そんなわけないことに気づいてもらえるはずです.
詳しくは過去記事に書いているので,そちらをどうぞ.
女子大に「体は男性、心は女性」の学生を受け入れられるか?

とは言え,ここで簡単に説明すれば,教壇に立つ教員は私みたいな男性教員の方が比較的多いし,事務職員だって男性の方が多い.トイレの清掃に入ってくる用務員さんも男性だし,学生も門を出れば普通の社会で生活する一般人.クラブ活動やサークルで他大学の男子学生と交流することも多く,男性社会から断絶された空間などではないのです.

ただ,私が今回のニュースで驚いたのは,「体は男性」の学生を,日本の女子大が受け入れることを検討していることです.意外と早いペースで価値観の変化が起きているんですね.
逆なら普通にあり得るかなって思っていたので.つまり,「体は女性で,心が男性」の方.
まあ,そういう人は既に以前から女子大に入学していたのでしょうけど.

ここで私が再度問題にしたいのは,「体は男性,心も本当は男性」という学生をどのように判別するのか?ということです.
繰り返しますが,私はその女子大学がどのような教育をしたいのか? が最も重要な判断基準だと考えていますので,あんまり外野から意見するとおせっかいな話になることを承知の上です.
でも,内面を重視して外面を脇に置くような姿勢には,ちょっと違和感があります.
実際,お茶の水女子大学の説明では以下のような状況.
「心は女性」の学生、事前申告で確認 お茶の水女子大(日経新聞 2018.7.10)
受験前にトランスジェンダーであるとの事前申告があれば、大学が確認して受験を認めるという。(中略)トランスジェンダーの場合は事前に申し出てもらい、大学が資格に該当するか確認する。具体的な確認方法については未定。
つまり,現時点では「体は男性,心も本当は男性」という学生をどのように判別するのか未定のようなんですね.

私は,女子大であればこそ「本人の心が女性」であれば入学OKという基準には疑問があります.
というのも,大学教育というのは,人と人との交流によって成り立っていくものであり,本人の主観だけでなく,他者からの評価も重要な教育資源になります.相手が女性か男性かの判断にしても,決して無視できない基準です.

そもそも,女子大学は「女性への高等教育機会の提供」をその目的の一つとして誕生しています.
そしてそれは,女性という「戸籍」上の性の問題であり,女性らしい「外見」という性の問題でもあります.
つまり女子大学というのは,他者から「女性」として扱われている人間のために用意された高等教育機関であり,他者から「女性」として扱われている人間が集う大学という性質が強いところです.

お互いを「女性」として認識し合えている環境下にあって,女子大らしい教育が成り立つと言えますし,実際,私も女子大での授業のオリジナリティはそこにあると実感しています.
よって,本人が「私は女性」という認識を持っているからと言って女子大学に入学するのは無理があるように思うんですよ.
言い換えれば,本人が自分のことをどう思っているか,ということよりも,周囲の人間がその人をどのように思っているのかが大事なんです.
別に外見差別や性差別をしているわけではなくて,大学教育や学友との学びにはそういう側面があるっていうことです.
(そもそも,どちらかって言うと私は,女子大学に歴史的意義はあっても「将来的に女子大学は不要」と考えているタイプですし)

もちろん私も,「本当に心が女性」かどうかを判別できるのであれば,そうした人を女子大学に入学させるのは歓迎します.
けど,現時点では時期尚早だと思います.判別基準も曖昧なんだし.

「女子大入学の条件は外面だ」なんて受け取られるような事を言うと,「性の多様性が・・・」といった文句が出てきそうですし,実際にお茶の水女子大学の説明会ではそのような言葉が出たようです.
お茶の水女子大「性には多様性がある」 トランスジェンダーの女性を受け入れる理由を説明(ハフポスト 2018.7.10)
本人の主観を重視するのであれば,共学に入学するのが正統でしょう.
わざわざ女子大に入学する理由がないじゃないですか.「学習の機会」という意味においては,上述したように既に女性であることによるハンディキャップは無くなっています.

だからこそ,現在の女子大の存在意義とは,お互いを「女性」として捉え合う環境での学びの空間の存在です.その学習環境の意義は認めます.
逆に言えば,そうした学習環境の提供に疑問があるのであれば,それこそ女子大学であることについて疑問を呈する時期だと思うんです.