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井戸端スポーツ会議 part 24「映画:コーチ・カーターの感想」
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ブログ記事のネタに困ってしまったので,映画レビューをしてみようと思いました.
せっかくなのでスポーツ系&教育系の映画で.
今回はこちら.
映画:「コーチ・カーター」(wikipedia)
ネット配信されているものをなんとなく観てみたら,意外と考えさせられることが多くて素直に面白かったです.
この映画,リッチモンド高校におけるケン・カーター氏の実話に基づく物語とのこと.
ネタバレを含みつつ楽しみを奪わない程度にストーリーをなぞると,
せっかくなのでスポーツ系&教育系の映画で.
今回はこちら.
映画:「コーチ・カーター」(wikipedia)
ネット配信されているものをなんとなく観てみたら,意外と考えさせられることが多くて素直に面白かったです.
この映画,リッチモンド高校におけるケン・カーター氏の実話に基づく物語とのこと.
ネタバレを含みつつ楽しみを奪わない程度にストーリーをなぞると,
アメリカの教育困難校の一つであるリッチモンド高校のバスケットボール部の監督にケン・カーターが赴任する.
犯罪多発地域でもあるこの高校の生徒には問題を抱えた生徒が多く,バスケ部員もその例外ではない.
学力も低く,進路もままならないバスケ部員に対し,カーターは卓越した指導力で彼らを “とりあえず” 強豪チームに育て上げる.
しかし,カーターがバスケットボールのクラブ活動を通して彼らに伝えたかったのは「試合に勝つこと」だけではなく,より良い人間になるにはどうすればいいのかを考えさせることにあった.
試合後,勝利に沸きハメを外して怒られた部員の一人が言う.「監督,俺達は勝っただろ.それを望んでいたんじゃないのか?」
それを聞いたカーターはある行動に出る.それは保護者や市民からの苦情が殺到し,マスコミが押し寄せ,監督解任を迫る事態となってゆく.
というもの.
単純に学校スポーツにおけるサクセスストーリーというわけではなく,どちらかと言うとスポーツではなくて高校教育の方が主軸なんだろうと思います.
世間の(ネットの)映画評も「感動した」とか「考えさせられる」ということで概ね良好.
ただ,実話に基づくスポーツドラマですから,どうしてもクライマックスが「実話らしい結末」になるのは仕方ありません.・・というレビューも多いですね.
「スクール・ウォーズ」と「スライムダンク」を足して2で割ったようなこの映画,日本人の感性にも合うのではないでしょうか.
だからこそ,この映画を観て考えさせられたのは,アメリカの腐敗した学校(大学)スポーツ事情を立て直すには,カーター氏のような教育哲学を持った行動家が求められるのだろうな,という点です.
「スポーツを通した人間教育」
私たち日本人にとっては非常に親しみやすいスローガンですが,彼の国はそうではありません.
我々体育系の人間にとって「アメリカ」という国は,スポーツをビジネスとして活用できているモデル国のような存在です.
アメリカのようにスポーツでビジネスをしよう,高いエンターテイメント性を求めよう,効率良く競技力向上できるシステムを構築しよう.
そんな声が日本の体育・スポーツ界で大きかった時代もありました(今も大きめかもしれませんが).
ところが現実を見てみると,アメリカにおける学校・大学スポーツ界というのは華々しい表舞台とは裏腹に,ダークな部分も多くてですね.
それを今回紹介した映画と同じ「高校バスケットボール」で扱ったのが,
映画:「ラストゲーム」
です.お時間があればこちらもどうぞ.
強い選手をリクルートするため,より良い環境を作るため,そこではコネ,買収,賄賂なんて当たり前.勝ち残れなかった者に未来はなく,勝ち残った者は広告塔として利用される世界.
日本の高校野球で問題視されているような “不祥事” がカワイイと思えるような世界.それがアメリカンスポーツなのです.
「勉強ができない子供はスポーツで輝けばいい」
そんな言葉を無責任に言い放つ人もいますが,現実,そんなに甘くはありません.
というか,そんな教育を目指したアメリカがどんな国になっているか,そこを考えてほしいのです.
たしかに日本の学校スポーツでは,その教員が専門(得意)としているスポーツ種目以外の部活動を担当しなければいけない,という事情もあって,質の高い指導ができていない部分もあるかもしれません.
それができるのは,一部の恵まれた学校,私立学校だという指摘もありましょう.
ですが,そもそも学校で展開されているスポーツ活動は,一体何のために存在しているのでしょうか.
それはスポーツを通じた人間教育をするためです.
スポーツが教育現場に取り入れられるのは,スポーツという場の中に人間教育をするための材料がたくさんあるからです.
残念なことにアメリカの教育現場では,そして日本の少なくない教育現場では,スポーツがそのように扱われていない.自己顕示手段の一つとして,ビジネスコンテンツの一つとして扱われてしまっている危惧があるのです.
劇中,カーター氏は部員を集めてこう言います.
「私が嫌いなのは,君たちを落ちこぼれにするこのシステムだ」
勉強ができない子供はスポーツで・・・
こういう考え方は魅力的ですが,そのエネルギーの矛先を間違えると取り返しのつかないことになっています.
関連記事はこちら↓
■井戸端スポーツ会議 part 16「体育の授業で得てほしいこと(特に大学で)」
■井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」
単純に学校スポーツにおけるサクセスストーリーというわけではなく,どちらかと言うとスポーツではなくて高校教育の方が主軸なんだろうと思います.
世間の(ネットの)映画評も「感動した」とか「考えさせられる」ということで概ね良好.
ただ,実話に基づくスポーツドラマですから,どうしてもクライマックスが「実話らしい結末」になるのは仕方ありません.・・というレビューも多いですね.
「スクール・ウォーズ」と「スライムダンク」を足して2で割ったようなこの映画,日本人の感性にも合うのではないでしょうか.
だからこそ,この映画を観て考えさせられたのは,アメリカの腐敗した学校(大学)スポーツ事情を立て直すには,カーター氏のような教育哲学を持った行動家が求められるのだろうな,という点です.
「スポーツを通した人間教育」
私たち日本人にとっては非常に親しみやすいスローガンですが,彼の国はそうではありません.
我々体育系の人間にとって「アメリカ」という国は,スポーツをビジネスとして活用できているモデル国のような存在です.
アメリカのようにスポーツでビジネスをしよう,高いエンターテイメント性を求めよう,効率良く競技力向上できるシステムを構築しよう.
そんな声が日本の体育・スポーツ界で大きかった時代もありました(今も大きめかもしれませんが).
ところが現実を見てみると,アメリカにおける学校・大学スポーツ界というのは華々しい表舞台とは裏腹に,ダークな部分も多くてですね.
それを今回紹介した映画と同じ「高校バスケットボール」で扱ったのが,
映画:「ラストゲーム」
です.お時間があればこちらもどうぞ.
強い選手をリクルートするため,より良い環境を作るため,そこではコネ,買収,賄賂なんて当たり前.勝ち残れなかった者に未来はなく,勝ち残った者は広告塔として利用される世界.
日本の高校野球で問題視されているような “不祥事” がカワイイと思えるような世界.それがアメリカンスポーツなのです.
「勉強ができない子供はスポーツで輝けばいい」
そんな言葉を無責任に言い放つ人もいますが,現実,そんなに甘くはありません.
というか,そんな教育を目指したアメリカがどんな国になっているか,そこを考えてほしいのです.
たしかに日本の学校スポーツでは,その教員が専門(得意)としているスポーツ種目以外の部活動を担当しなければいけない,という事情もあって,質の高い指導ができていない部分もあるかもしれません.
それができるのは,一部の恵まれた学校,私立学校だという指摘もありましょう.
ですが,そもそも学校で展開されているスポーツ活動は,一体何のために存在しているのでしょうか.
それはスポーツを通じた人間教育をするためです.
スポーツが教育現場に取り入れられるのは,スポーツという場の中に人間教育をするための材料がたくさんあるからです.
残念なことにアメリカの教育現場では,そして日本の少なくない教育現場では,スポーツがそのように扱われていない.自己顕示手段の一つとして,ビジネスコンテンツの一つとして扱われてしまっている危惧があるのです.
劇中,カーター氏は部員を集めてこう言います.
「私が嫌いなのは,君たちを落ちこぼれにするこのシステムだ」
勉強ができない子供はスポーツで・・・
こういう考え方は魅力的ですが,そのエネルギーの矛先を間違えると取り返しのつかないことになっています.
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■井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」