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41:2013年2月18日

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2013年2月18日(月)9時45分

 学生課長の高石昇は、課員の鈴原美紀と一緒に藤堂道雄の研究室を訪ねる。
 軽めにノック。
 中から藤堂の声がした。

「すみません。高石ですぅ。すみません、お邪魔します」
「鈴原です、お邪魔しまーす」

「おおっ、高石さんか。鈴原ちゃんも。おーつかーれさーん。なんや、岸本がなんか言うてるんやて?」

「あっ、はい。岸本さんから提出されたテニス部の決算報告書なんですが、その中にちょっと不備と言いますか、確認不足のところがございまして。それで、岸本さんにその点を尋ねてみたんですが、どうも要領を得ないところがございまして。で、どうやら顧問で監督の藤堂先生に確認した方がいいかなと思いましてですね。はい」

 藤堂は腕組みをし、オフィスチェアに座って聞いていた。
「うん、うん、分かってるよ。さっき高石さんからのメールも見ました。で? どうしますか?」

「はい、こちらの備品購入リストのなかの一つなんですが。はい、このページです」
 そう言って高石は、持参した書類のコピーをペラペラとめくっている。
「そうです、このページのリストなんですが、この記述ですと、実際に購入した物の、現物確認が必要な金額と書き方になっていまして。はい。ですので、その現物確認をしたいということで」

 藤堂は、腕組みしている腕の位置をやや挙げた。
「高石さん、残念ながら、現物は無いよ」

「はい?」

「無いねん。もう」

「無いんですか?」

「せやねん。テニスのボールはな、あれは消耗品やねん。意外と知らん奴がおるんやけど、テニスボールはすぐに使えんようになんねん。せやから、無い」

「と申されましても、15万円分のボールですから、そうそう無くなるようなものではないかと思うんですが。私もテニスボールの単価を調べてみたんですけど、高級な物でも1球あたり300円です。500球のボールやケースがこの4ヶ月で1つも残ってないんですか? 通常の練習用ボールだと1球100円未満ですから、1500球から2000球以上ですよね。膨大な量になります」

「うん、無い」

「あと、ここに商品名や購入元が書かれていなんですが」

「せやねん。これは岸本に俺が指示を出したんや。こうやって書いといたらえぇからって」

「ですが、それだと書類不備になります。あのぉ、藤堂先生、毎年お願いしておりますように、こうした消耗品を、一回に一括で10万円以上購入する場合は、必ず事前に私どもの課外活動担当までご一報ください。買ってはいけないと申しているわけではございません。これは規定ですので。テニス部は先生が熱心にみておられますから大丈夫かもしれませんが、一応、念の為、学生にそのようにご指示いただき、確認の後、申請書にご記入をいただければと思います。今回の分は私どもで記入しておきますので、商品名と購入元をご教示いただければと」

「ちゃうねん。購入したところが特殊やねん。せやから書かれへんねん。けど、それが問題なんやって言うんやったら、来年からは直しとくよ。分かったわ」

「はいぃ・・・。では、こっちのトレーニング器具というのはどこにありますか? 20万円使っていますので、かなり高額ですので」

「無い」

「はい?」

「これも消耗品やねん」

「消耗品のトレーニング器具なんですか?」

「せやねん。無くなってしまうんよ」

「トレーニング器具が?」

「せやねん。無くなってしまうんよ」

「トレーニング器具が、ですか?」

「せやねん」

 高石の隣りにいた鈴原が聞く。
「先生、それ、どうやって無くなるんですか?」
 そう言って、ほんの僅かに笑った。

 藤堂はやや驚いた顔で鈴原を見る。
 そして高石の方を向き直して言う。
「学生がな、選手が使こうたんや。せやから消耗したんや」

 高石は額に手を当てて書類を見た。
「ということは、廃棄したということですか? それだと勝手に処分しているわけですから、規定違反になります。来年度の予算は出せなくなりますよ」

「ちゃうねん。消耗したんや。せやから無いねん」

「消耗するトレーニング器具なんですか?」

「せやねん。無くなってしまうんよ」

「あぁ、はいぃ。・・・・えぇーと、トレーニング器具ってどうやって無くなってしまうんでしょう?」

「使ってるうちに、消えていくんよ」

「すみません、藤堂先生、それはなんというトレーニング器具なんでしょうか? これも商品名や購入元が書かれていません。このままだと書類不備で、来年度の予算は出せないです」

「あのな、高石さん、その現物を俺も見たわけじゃないねん。選手にそのまま渡したんや。で、選手たちも気づかんうちに使ってたんや。せやから、誰も現物を知らんねん」

「すみません、藤堂先生、そんなことってあるんでしょうか?」

「高石さん、それは特殊なものやねん。だから、もうここには無いねん。これはな、俺が岸本に指示を出したんや。そうやって書けって。せやから、俺の責任でその書類が正しい、ということを言うてるわけや」

「ですが藤堂先生、たった今私は、それが正しいかどうかを確認しに来たんです。すみませんが、現物確認ができないのであれば、来年度のテニス部への予算執行はできないです」

「あのな、高石さん、俺が正しいって言うてるんや。学科長の俺が言うてんねん。これ、問題にしてもえぇんやで。テニス部はこの大学の顔や。今、この部活が立ち行かへんようになったら、大問題や。それ、高石さんが一人でやったということやで」

「先生、そんなこと言われましても、こっちはこっちで大問題ですから」


 そういう問答が30分ほど続いた。

 高石は諦めて帰ることにした。
 こんなところで膨大に無駄な時間を割いても仕方がないと思ってしまったからだ。
 それに、書類不備はこのテニス部だけではない。
 他にも類似したケースがある。
 ただ、このテニス部の場合は、金額が大きすぎるという点が気になっている。

 事務棟への帰り道。
 鈴原が言う。
「絶対ね、藤堂先生が懐に入れてますよ」

 高石は前を向いたまま「鈴原ちゃん、もういいよ。あとは僕がやっとくから」と言った。

 鈴原は口を尖らせてから言う。
「なんであんなバレバレのことするんだろう?」

「鈴原ちゃん、もういいから」

「またね、来年もおんなじことするんですよ。アイツ」

 高石は溜息をつく。
「そうだねぇ、藤堂先生について、やっぱり岩崎先生や理事長に相談しよう」