2016年7月22日金曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト)

ニニギ(wikipedia)
このシリーズ第一回の「古代四国人」の続き,壮大な四国ファンタジーとして読んでください.
今回はズバリ,
古代四国人の一人が「邇邇芸命(ニニギノミコト)」ではないか
という話です.
これはつまり,天皇の祖先は朝鮮王族でも卑弥呼でもなく,鳥無き島の蝙蝠の一人だということを意味します.
ニニギ(wikipedia)

例の記事を書いたあとも古代日本における四国を調べてまわったのですが,ネットだけでもなかなか面白い話が落ちていました.
「邪馬台国は九州でも近畿でもなく,四国にあった」などという説をブチ上げる人もいるようで,それなりに説得力もある.
邪馬台国四国説(wikipedia)
本当の邪馬台国(youtube)

以前の記事で私は,
「神武東征で四国が出てこないのは,神武軍の拠点が四国だったから」
そしてむしろ,
「四国が九州〜近畿を制圧した物語が『神武東征』として語り継がれたのではないか」
という説をご紹介しました.

その記事を書いた後,いろいろな日本神話を読んでみますと,実は「四国が古代日本統一のルーツではないか」と解釈できる話であることに気づいたのです.
そして,「四国が古代史に登場しない理由が “これ” ではないか」と推察される点もありました.
(「登場しない」のではなく,常に登場しているとも言えるし,「書けない」のです)
もちろん私の勝手な妄想ではありますが,お暇つぶしにご覧ください.
けど,妄想設定としては案外いい線いってると思うんです.

(1)九州,近畿,四国の三国戦争
まず前提ですが,私は「古代日本」は以下のような状況だったと考えます.
九州北部=邪馬台国.魏志倭人伝に出てくる国です.邪馬台国は九州北部が最も現実的で信頼できると思います.
近畿=ヤマト王権につながる大国(仮称:ヤマト国).神武東征の目的地です.
四国=狗奴国(くなこく).魏志倭人伝に出てくる邪馬台国に対立している国のことです.

おそらく古代日本では九州,近畿,四国の3大国による権力争いが起きていたものと思います.
で,結果的には四国勢が瀬戸内を平定することで終息.
最終的には近畿地方に政治拠点を移して現在(古事記編纂当時)に至る,と.
細かい話は■鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人をご覧ください.

(2)古事記が編纂された目的
次に重要なのが,「古事記」と「日本書紀」が編纂された目的と,それらの記述.
ここに書かれている神話を,「日本統一のルーツは四国」という一見トンデモな前提で読んでいくと,それこそ非常によく ”親和” してしまう.

なかでも古事記は,天皇が日本を統治している理由を国内向けに解説したものです.
古事記(wikipedia)
古事記と日本書紀はどう違うか(個人サイト)
西日本全体を平定したとは言え,この時代の日本は,まだまだ各地域の人々に独自のアイデンティティが残っていて,「日本」という一つの国である意識は小さかったでしょう.イギリスみたいなもんです.
ですから,国内向けに編纂する歴史や神話も,各地域のアイデンティティを配慮したものでなければなりません.ようするに「皆さんのお陰です」ということを述べ,過去,権力争いをしてきた九州,近畿,四国それぞれの陣営が一応納得できる歴史物語にする配慮が必要になってくるのです.
この「配慮」がされているかどうかが,古事記と日本書紀の違いではないかと私は考えます.

しかし,そもそも古事記の編纂目的は「天皇が日本を統治すべき理由を国内に示す」ことですから,そこんところをしっかり押すことも大事になってきます.
こうした古事記編纂目的を念頭に,それぞれの神話を読んでいくことで,当時の事情と編纂した理由が読めるのではないでしょうか.

結論から言えば,権力を掌握した近畿(ヤマト国)が,「我々のルーツは九州や四国にあるんですよ」ということを,やんわりぼかして神話と歴史にしたのです.それが古事記.
そうした「配慮」を深読みすると,天孫降臨から神武東征までの記述からは,以下のようなものが見えてきます.
1)天孫降臨:四国が九州を制圧したことを示す物語
2)神武東征:四国九州連合が中国・近畿地方を制圧したことを示す物語

(3)天孫降臨は,四国勢が九州・邪馬台国を制圧した物語
「天孫降臨」とは,天照大御神の命令を受けたニニギノミコトが,高天原より高千穂峰に降り立ち,日本を統治するというお話です.
以前もお話したように,この神話は四国勢が九州を攻撃した戦史が元ネタではないかと思われます.

ニニギが高天原から高千穂峰に向かうまでに,その道案内をした者がいます.「猿田彦:サルタヒコ」です.
サルタヒコ(wikipedia)
その神話と符号するように,四国から日向国・高千穂に至るまでの海峡にあるのは,ニニギを高千穂峰まで導いた神様「サルタヒコ」に名称由来を持つ土地です.
「佐多岬半島」と「豊日別」がそれでして,それぞれサルタヒコを示すものだそうです.
猿田彦の起源(個人サイト)
豊日別(wikipedia)

佐多岬半島というのは,四国西部にある九州まで伸びた細長い半島のこと.豊日別は九州東部のことです.
見てくださいよこの位置関係.そしてこの地形.
どこぞのRPGにありそうな「作ったかに思えるような地形」.
古代人からすれば,細く長い半島を辿って海を渡り,その先を攻め落とすことができたなら,それはまるで,神が自分たちに与えてくれた勝利の道のように感じたでしょう.
きっと四国人はこの土地に名前をつけたはずです.この地には,勝利まで導く道案内の神が宿っていたのだと.

つまり,ニニギ(四国軍)はサルタヒコ(佐多岬半島と豊日別)に導かれて高千穂峰に降り立った(九州東部を制圧した)のです.

ニニギはその後,コノハナサクヤヒメと結婚します.
日本神話屈指の “美人すぎる” この女神は,古事記では本名を神阿多都比売(カムアタツヒメ)と言い,薩摩国・阿多郷の出身とされています.おそらく,ニニギはこの地の権力者の娘と結婚したのではないかと思われます.

で,ニニギとコノハナサクヤヒメの曾孫にあたる人物が,以降の『神武東征』の主人公である神武天皇ということはご案内のとおりです.

(4)神武東征は,四国を拠点とした西日本制圧の物語
なぜそうなるのか? についての詳細は,以前書いた,
鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人
をご覧ください.

天孫降臨の話を終え,ここから湧いてくる疑問は以下のこと.
(1) ということは,天孫降臨を命じた天照大御神も四国にいたのか?
(2) もしかして「邪馬台国=四国」なのか?
そういう可能性もありますが,私は違うと妄想します.
これは同時に,
「なぜ征服者・ニニギが四国から来たと明記していないのか?」
ということとも関係します.

それは,九州北部にあったであろう邪馬台国勢への配慮と四国勢へのヨイショ,そして,自分たち天皇の神聖化のためです.
古事記編纂当時は,「四国勢が九州を制圧したのち,近畿も手中に入れた」という物語は民間伝承として知られていたことと思われます.
だから,明確に「記述する」必要などなかったのです.
皆が常識的に知っている経緯を,わざわざ記述する必要などありません.
(逆に言えば,それを明文化せずに古事記を正史として伝えたために,こうした民間伝承は消えてしまった)

「ニニギがサルタヒコに導かれて高千穂峰に降り立った」という話を聞けば,当時の人たちは皆「これは四国人のことだ」と解釈していたはずです.
そして四国人からすれば,先祖であるニニギが高天原から降りて統治した,なんていうストーリーを日本の正史として入れてくれたら,そりゃあ喜ぶでしょう.
編纂者としては天皇を神聖化できるし,四国勢の機嫌もとれる.一石二鳥です.

でも,なぜそれが九州・邪馬台国への配慮になるのか.
実はこのストーリー展開,古事記全体を通してみれば一石三鳥だからなんです.

日本の最高神とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)は,卑弥呼に代表される邪馬台国女王のことを指しているとされています.それを唱える研究者は多い.
それを暗示するかのように,九州である筑紫島の神々にはいずれも「太陽(日:ヒ)」を表す名前が付いています.
筑紫=白日別(シラヒワケ)
豊日=豊日別(トヨヒワケ)
肥国=建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)
熊襲=建日別(タケヒワケ)
おそらく九州勢は,太陽神を崇めていたものと推察されています.
卑弥呼にしても,ヒミコ=日御子(日巫女)ではないかと言われています.
卑弥呼(wikipedia)
これも明文化されていないだけで,当時の常識からすれば「天照大御神ゆかりの地は九州だ」と容易に解釈できたのかもしれません.

その上で,神武東征の物語を推察してみるに,四国勢と邪馬台国との間に大規模な戦争があったとは思えません.そんなことを匂わす記述がないからです.
おそらく,四国勢の九州東部平定をみた邪馬台国は,全面対決をせずに和睦か友好国関係を築いたものと思われます.

「邪馬台国って大国だったんでしょ? なんで四国なんかに負けちゃったの?」って思われるかもしれませんが,魏志倭人伝にあるように,邪馬台国はその周辺諸国とは不仲でした.卑弥呼はそれをなんとか取り持っていた存在だったのです.
魏志倭人伝(wikipedia)
卑弥呼がいなくなった邪馬台国とすれば,下手に抵抗すれば周辺諸国が裏切って攻め込んでくると考えるのは必至.和睦が最も安全なのです.

そして,四国勢の軍門に下った日から,邪馬台国は中国大陸との外交も滞った.中国の歴史において,邪馬台国が3世紀半ば〜5世紀(約150年)まで謎の空白期間を作ったのはこうした事情ではないでしょうか.
魏志倭人伝の用語を使えば,つまり,邪馬台国は狗奴国(四国勢)に制圧され,外交や政治の権限を握られたものと考えられます.
(その代わり,この期間の日本は朝鮮半島を略奪していたようです.いかにも海賊・四国勢らしい戦略ではないですか)
好太王碑(wikipedia)

そんな九州・邪馬台国勢ですが,彼らの顔を立てるためには以下のような物語がちょうどいいと思いませんか?
「邪馬台国を制圧したかに見える四国勢(ニニギ)というのは,この地(邪馬台国,そして日本)を治めるために天照大御神(つまり邪馬台国女王)が遣わした,新たなる指導者なのだ」
というものです.

つまり,ニニギを中津国(日本)に派遣したのは天照大御神たる邪馬台国女王なのだ.ということ.ニニギのさらに上位の存在として,邪馬台国女王=天照大御神をおいたわけですね.
こういう神話と歴史にしておくことで,九州も四国も互いにメンツが保てます.

おいおい,そんな無茶な話がまかり通るのか? と思うなかれ.
これと似た物語を信じたのが,第二次世界大戦後の日本ではないですか.
占領軍司令官ダグラス・マッカーサーを新しい天皇(もしくは大国主命とかニニギ)と崇め,間違った道を歩んでいた日本を滅ぼしくれた上に,自由と民主主義の正しい道を示してくれたのが盟友アメリカだというプロパガンダを,今も多くの日本人が信じています.原爆を落とし,民間人を絨毯爆撃した張本人であることは忘却の彼方です.
事実,「愛国保守」と自称する奴ほどアメリカが好き.

神武東征後半,その後の中国攻めと近畿攻めは以前の記事をご参照ください.
ざっとまとめますと,
1)愛媛・今治地域を拠点として広島・安芸地方を攻撃,7年かけて制圧.
2)次に香川・高松地域を拠点として岡山・吉備地方を攻撃,8年かけて制圧.
3)最後に,徳島・淡路島を経由して近畿地方のヤマト国を攻撃,奈良・橿原地域を制圧.
どれも,軍事拠点が四国でなければできない戦略です.
たぶん,四国九州連合として転戦したものと考えるのが自然でしょうけど,そんな軍事拠点「四国」が一切神武東征の記述に出てこないのは,書く必要が無いから.
古事記を読む当時の日本人としては,四国が軍事拠点であることは暗黙の了解だったのです.

ところで,四国と本州・九州とをつなぐルートですが,いずれも四国が各地へと攻め入ったルートと同じであることは運命的なものを感じます.
瀬戸大橋(香川〜岡山)
大鳴門橋&明石海峡大橋(徳島〜近畿)
しまなみ海道(愛媛〜広島)

残されたのは図らずも「天孫降臨ルート」.
この豊予海峡を結べば,何か縁起の良い事がありそうですね.
「四国の新幹線実現を目指して」より
四国の新幹線実現を目指して(四国鉄道活性化促進期成会)

(5)伊予之二名島に隠された意味
さて,ここまで読んでもらいましたが,気になる点もたくさんあるかと思います.
例えば,四国のような辺境の地が,どうして九州攻めとか近畿攻めといった軍事大国のようなことができるのか?とか.

土木建築が進んだ現在の日本の国土と,古代日本の「農業」を同じものとして捉えることはできません.
典型的なのが関東平野です.この地域は400年前まで沼地であり,農業はおろか人が住めるような場所ではありませんでした.それを当時最新の土木技術を用いた灌漑,そして利根川東遷事業によって人が住める関東平野にしたことはご案内の通りかと思います.

例えば以下の調査論文にあるように,平安時代の四国は土地や領有地が小さい割に九州の一国並の農地を持っていました.
日本古代における農業生産と経済成長
土木技術が低かった古代においては尚の事,「平地の多さ」よりも田畑の耕作に適する重要なファクターがあった可能性が高いのです.これについては私も農家の息子だから分かります.

事実,古事記の最初「国産み」に出てくる四国「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」の四神の名前が豪華絢爛すぎるではありませんか.
愛媛・伊予=愛比売(エヒメ):美しい女,雅な地域という意味
香川・讃岐=飯依比古(イイヨリヒコ):食べ物がたくさんある男,肥沃な地域という意味
徳島・阿波=大宜都比売(オオゲツヒメ):穀物をたくさん生む女,五穀豊穣な地域という意味
高知・土佐=建依別(タケヨリワケ):雄々しい男,武力を持った地域という意味

品格・農地・豊穣・武力
四神が揃えば無敵になります.

九州・筑紫島やその他の地域よりも,国力の高い地域であることが明確に示されている神々なのです.
どう考えても四国が特別扱いされているとしか思えませんし,もっと言うならニニギノミコトは「ホノニニギ」とも呼ばれており,「稲穂(イナホ)が賑々(ニギニギ)しく実っている」ことを示す神です.食べ物の神が宿る四国から渡ってきた神としか考えられません.

それでいて四国に関する記述が古事記に不思議なほどに見当たらないのは,
「もうこのことをもって十分察することが出来るでしょ?」
という,編纂当時の感覚があったと考えるのが自然ではないでしょうか.

そしてこれは,未だ謎とされている「伊予之二名島」の意味も,そうした当時の常識を妄想することによって類推することができます.

古来,四国は「伊予之二名島」もしくは単に「伊予(伊豫)」と言われていたそうです.
四国が伊予之二名島と呼ばれる理由とは?(個人サイト)

古事記に「伊予を愛比売といひ」との記述があることからも,「伊予」はエヒメ=愛媛地域のことを指します.
率直に考えて,四国を統一していたのはエヒメであり,その地が四国の中心地だったのです.だから「伊予之島」.

じゃあ「二名島」とは何か?
四国にはその他にも神様(地域)の名前は3つあります.でもこれでは2つじゃなくて4つになりますから,「四国には2つの神様や地方がある」という意味ではない.
では,なにがどうして「二名島」なんて名称をつけたのだ? そう疑問に思うでしょう.

素直に考えてみれば,「『伊予』という名前以外に,もう一つありますよ」ということを意味することになります.
おそらく,伊予之二名島という名称は古事記が初出で,古事記によってつけられたと思うんです.
これまでの話をまとめると,伊予之二名島の謎は,おそらくこういうことではないでしょうか.

四国は日本統一神話のルーツである.
その始まりは豊後水道を通って進軍した九州攻めにあった.
この戦いは佐多岬半島と豊予海峡がある「伊予」が中心となっていた.
四国勢は伊予=エヒメが取り仕切っていた,もしくは四国勢そのものが「伊予」だったと思われる.
だから四国は「伊予之島」であり,そしてこの地にはもう一つの名前がある.
その名は畏れ多く,政治的影響力も強いから明記はせず,ぼかした.
そこはニニギの出身地.
古事記を読めばそれは容易に察することが出来る名前
だからここを「伊予之二名島」と呼ぶことにする.

そういう意味ではないかと思うのです.
北朝鮮から放たれたミサイルを,頑なに「飛翔体」と称する人がいるのと同じように,皆知っているけど文字にはできない理由ってのがあるのです.

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