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鳥無き島の蝙蝠たち(14)古代四国人2

9月の更新頻度が落ちていたのは忙しかったからというのもありますが,実は以前から始めた「古代四国伝説」について,妄想を膨らませるためのネタを仕入れていたというところもあります.

その過去記事はこちら↓
鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人
鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト)
波多国:七星剣が置かれた国

古代四国にまつわる疑問に,なんとなく口を出してみたら,意外と面白いじゃないかと思い始めて半年近く.
古代史に全く興味なかったはずの私がなぜか,古代史小説や神話解釈に関する書籍を買い漁り,挙句,

などという本格的な図書まで買って調べてしまうほど「古代四国」にハマってしまいました.
あぁ,これが古代史とその謎を解くことが好きな人たちの気持ちなんだなと.

上記記事で繰り広げた古代四国ファンタジー,案外いい線いっているのではないかと自信も出てきた今日此頃です.
なので,この私の古代四国ファンタジーを,もうちょっと補足する記事を書いていくことにします.

おさらいしておきますと,私が考えている古代日本伝説とは...
古代日本(西日本)を統一に導いた “きっかけ” や “立役者” は四国人であり,それを匂わせる記述が『古事記』『日本書紀』に散らばっており,それを裏付けるような遺跡や歴史がたくさんある.
というもの.

過去記事である■鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人では,四国人なら誰もが気になる
神武東征伝説:なんで神武軍は四国をスルーしたの?」について,
「それはね,実は四国が神武東征の拠点だったからだよ」というファンタジーをご紹介しました.
で,私はそれが結構「真相」だったんじゃないかと,ちょっと本気に考えておるのです.

松本直樹 著『神話で読みとく古代日本』という興味深い本があります.

これがかなり面白い.一読をオススメします.
松本氏いわく,その「神話」が全くの創作であれば神話としての説得力を持つことはできず,広く民衆に語り継がれている古の事実の欠片を集めたものが「神話」になるはず,というのです.

つまり,古事記や日本書紀で述べられている神話には,そのモデルとなった出来事が実際にあった可能性が非常に強いということです.

もちろん,『古事記』や『日本書紀』は政治的な意図をもって編纂されたものですから,為政者にとって都合の良いものとして書かれているはずです.が,それが神話として力を持つためには,完全な創作にはできないということですから,行間を読んでいくことで真相を垣間見ることができるのではないかと思うわけです.

『神武東征伝説』も然り.
これは,九州南東部から安芸(広島),吉備(岡山),そして近畿地方を制圧し,今に至る「日本」の礎を築いた軍団の伝説を掲載したものと考えられます.

私はこの伝説の「軍団」の正体が四国連合軍ではないかと考えているのです.
これを裏付ける考古学的な知見がいくつかあります.

その典型が高地性集落
弥生時代中・後期(BC100年〜AD200年)における謎の集落群.大人数が住むには適さない山上に集落を築いたもののことですが,この集落を作った目的は,おそらく外敵から身を守りやすくするためであろうとされています.
ちょうどこの頃は邪馬台国が中国・魏と外交していた時代でもあり,そこで大規模な戦争(倭国大乱?)が繰り広げられていると記録されているので,これと関連があると考えられています.

この高地性集落ですが,時代によって作られている場所が違います.
ですから,どの時代のどこの地域に高地性集落が作られているのか確認することで,当時の倭国大乱の様子が見えてくると考えられます.
そして,そこから「神武東征伝説」が読み解ける可能性があるのです.

縄文と古代文明を探求しようというサイトに,防衛的高地性集落の時代別分布図が掲載されています.まるっきりコピーするのは良くないので,同じような図を作成しました.

まずは弥生Ⅲ期(BC100年〜0年)の分布です.高地性集落が築かれ始めた時期になります.
ちなみに,私の考えでは「邪馬台国」は九州北部に,「ヤマト朝廷の前身となる国」が畿内にあったと考えています.その他の各地域を含め,以下のように名称をあてました.

この時代,瀬戸内海に暗雲が立ち込めてきたものと考えられます.
おそらく,船で軍団を移動させる技術が高まり,海を越えてその地域を襲うことができるようになったのではないでしょうか.
それに対処するため,各地では見渡しの良い高所に定住する者を用意し,海を渡ってくる敵を常時監視するようになったものと考えられます.

ちなみにこの高地性集落,それが作られている地域が「防衛する側(攻め込まれることが多い地域)」だと考えられます.

弥生時代Ⅳ期(AD0年〜200年頃)になると,以下のようになります.

四国が真っ赤です.
この時代はちょうど「邪馬台国」がブイブイいわせていた頃と重なります.
また,魏志倭人伝にも「我々邪馬台国に従わない国(狗奴国)が南方にある」と記録されています.この狗奴国とは,四国のことではないでしょうか.
え? 四国は九州の南ではなく,東じゃないかって?
実は当時の中国では,日本の地域は北を東,東を南,南を西,西を北.つまり各方位を90度時計回りにした状態で理解していたとされています.それに,もし邪馬台国が九州北部にあれば,そこから四国へ向かうには関門海峡あたりから船で「南下」する位置関係にありますよね.四国を南方にある国と考えていた可能性は高い.

邪馬台国が台頭していたこの時期は,四国はひたすら守りに入っていた時期のようです.
おそらくは周辺国である安芸,吉備,近畿からも攻撃を受けていて,だから四国沿岸部はその防衛のため,おびただしい数の高地性集落を築いたものと考えられます.

ところで,防戦一方の四国は各地で連携していたのでしょうか?
実は,上述した松原弘宣 著『古代四国の諸様相』によれば,考古学的にも愛媛地域と香川地域は同じ文化・宗教を持っていたとされており,連合国を形成していた可能性が高いのです.
まさに瀬戸内海こそが倭国大乱の主戦場であり,そこで四国は共同戦線による徹底抗戦の構えを見せていたことが窺えます.

ところが,弥生時代Ⅴ期(AD200年〜300年頃)になると以下のようになります.


それまでとは打って変わって,四国の高地性集落は減り,その代わりに中国,近畿の側に高地性集落が激増します.
さらには,高地性集落がほとんど見られないとされている九州地域にも,この時期にたくさん現れるのですが.
実は,この現れ方が「神武東征伝説:四国拠点説」を裏打ちする可能性があります.

鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト)でもお話したように,神武東征に先立ち,四国連合軍は九州南東部を制圧したものと考えられます.
この「四国連合軍の九州南東部制圧物語」が「邇邇芸命の天孫降臨伝説」として語られたと私は考えています.
つまり,こういうこと↓

もう一度高地性集落の場所をご覧ください.そうした出来事を物語るかのように,四国・佐多岬半島から豊予海峡を渡った先にある大分市に高地性集落が築かれており,その後南下して「高千穂峰に降り立った」ことを裏付けるように宮崎県南部にも高地性集落が築かれているわけです.

詳細はその記事に譲るとして,四国が邪馬台国に勝てた理由は「邪馬台国の急所が,九州東部地域だから」だと思われます.
九州東部が邪馬台国の急所」.これを唱えているのは歴史作家である関裕二氏です.九州は東部,なかでも大分県日田市が要衝だと考えられていて,ここは東側からは守りにくいのに,西側からは攻めにくい土地.
しかも「周辺国と仲が良くない」ため「女王・卑弥呼の妖術でもってなんとか統一できている」とされる邪馬台国は,女王亡き後,九州東部陥落をみて四国勢との和睦に持ち込んだ可能性があります.

神武東征で述べられている宇佐や筑紫・岡田宮での出来事は,四国が邪馬台国との和睦会談に至るまでの流れを象徴している話なのかもしれません.

その後,四国は広島・安芸攻めを行ないます.
1世紀から3世紀頃とは打って変わって,安芸地域におびただしい数の防衛的高地性集落が築かれており,「四国が神武東征の拠点」だとすれば,これがどういう状態だったのか容易に察することができます.

次は吉備攻めですが,この吉備地域には高地性集落が築かれていません.その割に神武東征では吉備制圧には8年もの歳月をかけています.もともと吉備はこの時代を通して防衛的高地性集落が築かれていない地域でもありますから,こうしたことは同時代において吉備が軍事大国であったことを意味するのかもしれませんね.
いろいろと謎の多い吉備ですが,前述した歴史作家の関氏も興味深い考察をしています.日本神話を深読みする必要がある話だと思いますが,ひとまずここでは割愛しておきます.

最後に近畿攻め.これも四国側からの攻撃が苛烈であったことを物語っています.
徳島地域には高地性集落がみられないのに,この時期の近畿地域は徹底防衛の構えです.

ちなみに,かつての近畿・大阪地域は■「昔は海が近かった」を確認できる「Flood Map」でもご紹介したように,海が広がっていました.
こんな感じに↓

だから近畿の内陸部に高地性集落があるのは自然なのです.

神武東征するためには四国が拠点にならなければいけない理由として,当時の船の航行能力もあげられます.
この時代の船は,一度に進める距離は20kmほどだとされています.
しかも,沿岸部に休息や食料を安全に調達できる友好的な地域がなければまともに航行できないと考えられています.
そんなことが長野正孝 著『古代史の謎は「海路」で解ける』とか茂在寅男 著『古代日本の航海術』に紹介されていました.

そうなると安芸,吉備,近畿といった地域を攻めるためには瀬戸内海の島々を抑えるだけではダメで,安定的に食料や水,居住地を確保できる四国を手中に入れておかなければ「神武東征」は不可能なのです.
これはつまり,そもそも「四国」が神武東征の拠点であることを類推させるものであり,四国が瀬戸内海沿岸部を制圧していった物語を「神武東征伝説」として神話にしたことを伺わせるのです.

ではなぜ日本神話から「四国」がすっぽり抜け落ちた形になっているのか?
それも私なりに解釈したものを追ってご紹介したいと思います.


で,その続きがこちら
鳥無き島の蝙蝠たち(15)月読尊(ツクヨミ)

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