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「昔は海が近かった」を確認できる「Flood Map」

ここ最近,古代日本・四国ファンタジーを取り上げていたので,
鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人
鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト)
そのネタ集めの途中に出たったのが,「Flood Map」というサイト.
Flood Map
グーグルマップの海抜高度情報を用いた海面水位シミュレートができるものです.

古代日本(に限らず,世界)は今より3〜5メートルほど海面水位が高かったようでして,その状況を確認するためのものとして有用です.
この海面水位が高かった時代が日本では縄文時代のあたりだったので,「縄文海進」と呼びます.
縄文海進(wikipedia)
もともとは,丘の上にあった遺跡から海産物の遺物(貝塚)が出てきたりしたので,「もしかしたら昔は海が近かったのではないか」というところから始まったのだそうです.
その後,世界的に約1800年前までは地球は温暖であり,地球の海面水位が高いことが判明しました.地球温暖化の影響を語る際によく引き合いに出されるやつです.

Flood Mapを使って古代の海面水位をシミュレートしてみると,「昔,この地域は海が近かった」というのがよく分かります.
もちろん地盤沈下・隆起,人工的な開発などの影響もあるのでしょうが,だいたいの状況を察するに十分なものが得られます.
以下,いずれも海面水位を「+5メートル」にして見てみました.


まずは,水没で有名なの関東平野
今でこそ開発などによって地図上では海抜が高くなっている部分も多いのですが,かつてはその大部分が海の底でした.
しかも,江戸を作るまでは利根川が東京湾に流れ込んでいて一面湿地帯だったようで,人が住めるような場所ではなかったのだそうです.



遺跡として最大級の規模である「吉野ヶ里遺跡」.
今ではここは佐賀県の内陸部ですが,古代の海面水位をシミュレートすると,ここが浜辺の街であったことが分かります.貝塚が出るのも当然です.
逆に,佐賀県と福岡県南部の大部分が水没していたようです.



大阪です.
遠い昔,門真から東大阪,八尾にかけて内海があったというのはどうやら本当のようです.
かつてはそれを「難波津」と呼んでいたのではないかとされています.
難波津(wikipedia)
関東平野と同様,ここも湿地帯が広がっており,古代のテクノロジーでは開拓しようがなく.それゆえ,海抜の高い奈良・飛鳥のあたりから栄えたのではないかと考えられています.



名古屋と「熱田神宮」です.
熱田神宮(wikipedia)
ウィキペディアでも紹介されていますが,当初,熱田神宮は「岬の先に建てられていた」とされています.
シミュレートしてみたらその通りでした.たしかに岬の先になる.
あと,ここも現在大都会として発展しているところは海の底です.



海辺に建てられていた神社をもう一つ.「出雲大社」です.
私も何度か足を運んでいるところなんですが,出雲大社の歴史博物館に古代のイメージ図がありまして,そこには「浜辺に建てられた社」として描かれているんです.今とぜんぜん違うじゃないかと思っていたのですけど,こうしてシミュレートすると実際に出雲大社が海の直ぐ近くに建てられていたことが分かりますね.



岡山県の吉備児島です.
今では児島半島となっていますが,かつては島であり,海面低下&干拓事業によって人工的に半島になったところです.
古事記と日本書紀にも登場する由緒ある場所で,神武東征の吉備攻めで重要な地となったのではないかと私は考えています.



そこから南下して香川・徳島
過去記事で「古代・四国王国」ファンタジーをお話してきましたが,それを裏打ちするものです.
例えば香川・讃岐国をご覧ください.ほとんど今と変わりません.
讃岐国を指す神様の名は「飯依比古(イイヨリヒコ)」と言います.肥沃な土地を意味する神様で,ここが古代において国力の高い場所であったことを物語ります.
徳島・阿波国は吉野川河口付近で水没していますが,長大な吉野川の川辺に田畑が用意できた土地であることが分かります.
ちなみに,阿波国を指す神様の名は「大宜都比売(オオゲツヒメ)」.五穀豊穣を意味します.



愛媛・伊予国はどうでしょうか.
実はここも大部分が水没しません.平地に河川も豊富な場所ですので,古代のテクノロジー水準でも開墾が容易だったのではないでしょうか.
しかも平野部の真ん中に「温泉(道後温泉)」があります.古代においては神秘的な場所として都市の発展を促進した可能性がありますね.
実際,伊予国を指す神様は「愛比売(エヒメ)」と呼ばれ,美しい地域を意味する名前です.



高知・土佐国.
高知は・・・.もともと小さいのでなんとも言えませんが.比較的平野部が残る地域であることはたしか.
なお,「とさ」の語源は「遠狭(遠くて狭い場所)」だとされることが多いのですが,実のところは分かっていません.
ご覧のように,浦戸湾から内海が出来てますよね(図中央部).その内海に入るところが狭いから「門狭(とさ)」とされていたとも言われます.
ちなみに,土佐国は古代においては東部の「都佐国」と,西部の「波多国」に分かれていました.
そして,図で示している地域・都佐国は比較的遅くに発展した場所です.



こちらが都佐国に先んじて重要な土地とされていた,高知県西部の「波多国」です.
今となんにも変わらない.
現在は日本屈指の「陸の孤島」とされています.最近やっと高速道路の敷設工事が始まりました(開通するのは遠い将来ですが).
こんな地域が我が国において重要な地だとは思われないかもしれませんが,実は波多国にはいろいろ意味深なものが眠っています.そのうち記事にします.
(例えば,皇族だけが持てるはずの聖剣「七星剣」が納められてたりします)


都佐国にせよ波多国にせよ,この地は食料生産と人口による国力を誇っていたわけではないことが推察できます.
で,ここでやっぱり土佐国を指す神様の名前が大事です.
この地は「建依別(タケヨリワケ)」と呼ばれます.武力を持った地域という意味です.
こういう食料生産に難のある地域や国が大きくなってしまうと,世界的にみても「略奪」と「傭兵」をするのが歴史の常です.たぶん,土佐国はそうして生計を立てていたのでしょう.だからそんな名前がついた.

そんな地域では伝統的に「戦闘民族」のメンタリティが人々のなかに存在し,戦国武将・長宗我部国親が始めた農民兼兵士である「一領具足」へと受け継がれたのではないかと妄想したくなります.
一領具足などという「血に飢えた兵役システム」に同意できる気質が領民になければ,運営できないわけですからね.
一領具足(wikipedia)


古代日本を考えながらFlood Mapを眺めていますと,いろいろと思いを巡らすことができます.
ぜひ興味のある場所を「水没」させてみてください.
面白い発見があるかもしれません.


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