2016年6月11日土曜日

鳥無き島の蝙蝠たち(1)古代四国人

「統計」「教育&大学改革」「危ない大学」「スポーツ」に続くシリーズ物として位置づけようと思います.
四国の偉人をご紹介するシリーズ,今回はその第1回.

このシリーズはブログ開設当初から考えていたもので,どのような話の展開にするか迷いながら,結局7年が経過してしまいました.
考えるのも面倒になってきたので,見切り発車しようと思います.
ボチボチ読んでいってください.

もともとは私の地元である「高知」だけでシリーズ化しようと思っていたのですが,歴史的人物も扱うことになるので,高知に限らず「四国」という島単位で考えたほうがしっくりくるかなと.

ちなみに,「鳥無き島の蝙蝠(コウモリ)」というのは,戦国時代の四国の覇者である長宗我部元親に対する織田信長の皮肉です.
有力大名(鳥)がいない島・四国を制したところで,それは「鳥(有力大名)」ではなくて「コウモリ」だ.という意味.

「鳥無き島の蝙蝠」
私はこの言葉が好きです.実は四国の人々のことをよく表しているからです.
この言葉を違った見方をすれば,世間の評判よりも独自の価値基準で生きている人が多い,そんなふうに捉えることもできます.
あともう一つ.四国は日本の歴史の闇に隠れることが多い.そんな歴史の闇で音もなく羽ばたく姿は,蝙蝠と称されてもよいかと思うのです.

そんな四国人列伝の第1回を飾るのは,
「古代四国人」
です.
歴史の闇を羽ばたく四国人を扱うこのシリーズの第1回にふさわしいかと思います.

時は古代日本.3〜4世紀頃.古事記,日本書紀で語られるお話です.
学校の授業で「神武東征」を習った時,四国の者であればみんな疑問に思うのが,
「なぜカムヤマトイワレビコ(以降,「神武軍」)は四国を通って東征しなかったのか?」
ということです.
下図のように,豊後水道や瀬戸内海を渡っていつでも四国に入れそうなものを,一切触れずに橿原まで向かっているのです.


そんな質問・回答がYahoo!知恵袋にあります.
神武東征は、なぜ四国をスルーしているのですか
それへの回答は1件だけ,
人間が殆ど住んでいない【未開の地】だからねw(runa_1_jpさん)
というものですが,これはおそらく間違いです.

当時,もし四国が未開の地だったとすれば,なおさら四国をスルーする理由がありません.
神武東征の趣旨が,一般に知られている,
「大和(近畿)を征服して大きな王国を作った物語」
だとすると,わざわざ中国地方を転戦して苦労する必要が無いのです.

もし神武東征が一世代ないし数世代という短期間での領土拡大を狙った戦争なのであれば,宿敵・大和を制圧するためには,“未開の地” 四国を通るのが常識的判断です.
にもかかわらず,神武軍は頑として四国に上陸しなかった.

さらに,wikipediaの神武東征とか,このHP「神武東征伝説」でも取り上げられているように,当時の船の航行能力では非常に危険な「関門海峡」をわざわざ選んで進んでいることは不自然です.日向・宮崎出発ならなおのこと,普通なら豊後水道を通るはずです(下図).


その後は,松山→今治と進んで広島に上陸するか,新居浜を経由して丸亀か高松あたりで岡山へ向かうか,そのまま東進して淡路島を経由するか.
これが当時の渡航技術での一般的な侵攻ルートだと想像されます(下図).


ではなぜこのルートを通らなかったのか?
そして,なぜ神武軍は四国に一切上陸しなかったのか?

考えられることは一つしかありません.通らなかったのではなく,通れなかったのです.
それはつまり,四国は「未開の地」ではなかったからです.

豊後水道を通って四国上陸をしてみたが,この地域(愛媛)の部族が思いのほか強くて返り討ちにあった.だから危険を承知で関門海峡まで北上してここを渡り,四国を避けるように中国地方を転戦しながら大和まで進んだ.と考えられなくもない.

実際,考古学的にも古代四国には強力な軍団がいた可能性があるのです.
四国からも鉄器や青銅器,それらの武器が出土しています.
土佐の青銅器(高知県文化財団埋蔵文化財センター)
平成12年時点での弥生時代鉄器出土状況
弥生・古墳時代の鉄器文化
「いやいや,九州・中国地方と比べると少ないじゃないか」と思われるかもしれませんが,それを言い出したら四国と近畿は同レベルです.

逆説的に言えば,鉄器・鉄剣が「出土する」ということは,その都市集落が何らかの理由で凋落したということを意味します.反対に,その都市集落における生活の連続性が保たれれば,そこから「弥生時代」の遺跡や遺物は出ません.
つまり,弥生時代以降も社会が安定した地域ほど,人々のその土地での生活が続くわけですから遺跡・遺物が出にくくなると考えられます.

例えば,廃村になったところの家屋からは「白黒テレビ」や「二槽式洗濯機」がゴロゴロ出てきますが,私達が生活している環境からこれらは出てきません.これをもって今私達が住んでいる場所に「かつて白黒テレビや二槽式洗濯機がなかった」ということにはならないことは理解していただけるかと思います.

弥生時代,鉄器は自前で製造することができず,朝鮮半島から輸入していたとされています.そんな貴重な輸入品をポイっと捨てたり埋めたりすることはないでしょう.

神武東征を,弥生時代に起きた一世代ないし数世代での遠征物語ではなく,何百年にもわたった九州勢と近畿勢の抗争を下敷きにした物語だと考えることもできますが,それだとなおさら四国が登場しないことがおかしい.

やはり「神武軍は四国を攻略できなかった」と考えることが妥当です.
自国の偉大な歴史です.そこに「四国を攻略できなかった」と格好悪い内容として伝承するのは避けられたのかもしれません.

もっと言うと,巷ではさらにぶっ飛んだ神武東征伝説があるのだそうです.
その名も,「四国拠点説」.
実は神武東征とは,
「四国にいる部族が,西は九州・日向から東は近畿・大和までを順番に攻略していった戦争が下敷きになっている物語ではないか?」
というものです.

「いくらなんでも無茶苦茶じゃないか」と思われるでしょう.私もそう思っていますが,なんせ浪漫がある話だし,しかもその話をよくよく聞いてみるとまんざらでもない

例えばこんなサイトで紹介されています.
東征の嘘(個人サイト)
神話の中の四国(ビジネス香川)
つまりはこういうこと↓


もはや遠征ではありません.和製ヴァイキングですね.
この説に乗れば,神武東征とは四国を拠点とした軍団が豊後水道から侵略を始め,宮崎・日向,九州北部を攻略,今治あたりから広島・安芸を攻め,丸亀あたりから岡山・吉備を陥落させ,最後に徳島あたりから近畿の大和を制圧した,という伝説です.

四国が神武東征ルートから完全に無視されているのは,ようするに戦争の主役となる軍団の本拠地が四国だったから.
その後,なんらかの政治的理由によって四国を歴史の表舞台には出せなくなり,代わりに「神武東征」という歴史で伝承することにした.と考えられています.

この時代については遺跡発掘以外に検証するすべがないため,これらは想像の世界となってしまいます.
それだけにこの説の強みは,上述してきた話やその他の日本の伝承などを鑑みた上で,当時の戦争計画としても現実味があることです.

話の発端としては,おそらく四国には瀬戸内海沿岸部から徳島を中心として大きな国,連合国があったことが考えられます.
このサイト→■四国が伊予之二名島と呼ばれる理由とは?でも紹介されているように,四国の各地域は豊穣で国力の高い意味を持つ名前がつけられています.

一例として,高知県あたりは「建依別(たけよりわけ)」と呼ばれており,ここから考えられるのは,この地域には伝統的に強力な兵士集団がいた可能性があるのです.
もしかすると,ここには傭兵を生業とした人々が住んでいたのかもしれませんね(その後この地では,長宗我部元親が運用した「一領具足」と呼ばれる用兵法が誕生するのですが,その下地がここにあった可能性もあります).

そして,この四国連合は近畿の大和と対立関係にあった.
大和を攻めたいのだけれど,その一方で周辺国からもきな臭いものが感じられる.そこで四国連合は,大和と対決する前に西日本の有力国を制圧しておこうと考えたわけです.

特に注意すべきは九州.
邪馬台国九州説があったり,先に話したように九州北部から鉄器が多数出土していることから想像できるように,当時から九州は油断ならない地域だった.
場合によっては大和・九州両大国との挟み撃ちになる危険性を避けたい四国連合は,豊後水道を渡って九州攻めをしたのです.

広島・安芸と岡山・吉備には手こずったようです.古事記によれば,安芸に7年,吉備に8年かかったと考えられます.
遠征中の軍団を長期間駐留させることは容易ではありません.土地勘のある現地部族に奇襲をかけられて壊滅するのがオチです.このように長期間の戦争ができたのも,軍団の本拠地が四国であったことの証左ではないでしょうか.

背後の心配をしなくてもよくなった四国連合は,いよいよ近畿を攻めます.
古事記にあるように,最初は正面突破を試みるものの失敗したのでしょう.そこで次は熊野から山中を北上させる別働隊を加えて挟撃したのではないでしょうか.
そうして橿原を制圧したものと考えられます.

地図を見てもわかるように,四国は西日本を制覇する上で絶好の地理的条件です.
現代においてはその平地の少なさや,本州とは微妙に遠く海を隔てていることから開発スピードは遅いものの,古代においては他の地域と遜色ない条件です.
大きな河川が多数存在するので水源確保も容易.しかも気候も温暖で山河に入れば一年中何かしらの食料が手に入るこの地域は,都市の初期成長には大きなアドバンテージがあります.

それに,四国は日本神話において重要な位置づけになっています.
伊邪那美命と伊邪那美命による国産み神話はご存知でしょう.
国産み(wikipedia)では二神によって産み出された島はどのような順番だったか?
1.淡路島(あはぢのほのさわけのしま)
2.四国(いよのふたなのしま)
3.隠岐島(おきのみつごのしま)
4.九州(つくしのしま)
5.壱岐島(いきのしま)
6.対馬(つしま)
7.佐渡島(さどのしま)
8.本州(おほやまととよあきつしま)
実は,四国は淡路島に続く2番目に誕生した島なのです.

さらにこれに続けて,四国周辺の島々が生まれます.
1.児島(きびのこじま)※現在の岡山・児島半島
2.小豆島(あづきじま)※瀬戸内海の小豆島
3.周防大島(おほしま)※瀬戸内海の周防大島
4.姫島(ひめじま)※豊後水道の姫島
5.五島列島(ちかのしま)
6.男女群島(ふたごのしま)

それを地図上に示してみます.


上述した四国連合が各地方を侵略する地図を再度ご覧ください.この「西日本統一戦争」に関連する島々だと考えるのが妥当です.
ですから,こう考えられなくはないでしょうか?
四国人が九州・近畿を制圧して日本を作ったとすると,その足がかりとなった重要な場所から順番に「国産み神話」にしたのです.

四国を最初にもってくるのはあからさま過ぎて憚られたため,最終決戦である近畿攻めの際に重要だった淡路島が最初に産まれます.
で,次に四国ということ.

八島を産み終わったあとの6島のうちの最初の4島(児島,小豆島,周防大島,姫島)は,もしかすると各地方を制圧する際に役立った島々かもしれませんね.

あと,豊後水道へと四国から長く伸びた佐多岬半島(佐多岬)も上図に載せましたが.
実は,佐多岬の名前の由来は「猿田彦命(サルタヒコ)」です.
サルタヒコは「天孫降臨の際に、天照大神に遣わされた瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を道案内した国津神。 (wikipedia)」です.
ウィキペディアのニニギノミコトの天孫降臨の説明にはこうあります.
「この降臨の経路の解釈ついては、日向国の高千穂峰に降り吾田国(現在の鹿児島県南さつま市)の長屋の笠狭碕に到達したとする説のほか諸説ある。」

高千穂峰というのはあの坂本龍馬の新婚旅行でも知られる天逆鉾が刺さってる山ですが,ここが神武東征の出発点だとする説があります
「天孫降臨」の焼き直しが「神武東征」だと考えられる節もあることから,両者の関係性は強いと思われます.

つまりこういうこと.
「ニニギノミコト(四国連合軍)はサルタヒコに導かれて(佐多岬を通って)日向の高千穂峰に降り立ち(日向を制圧し),ここから葦原中国の統治を始めた(西日本統一を開始した)」

もっと言えば,佐多岬の先,豊後水道を渡ったその地(九州東部)も「豊日別(とよひわけ)」と呼ばれており,そしてこの豊日別はサルタヒコと同一神とされているのです.
豊日別(wikipedia)

以上,このように考えると神武東征が,実は「四国を本拠地とした軍団による西日本沿岸部の制圧物語だった」というのも有り得なくもないのでは?

最後に,なぜ四国が歴史の表舞台に出なくなってしまったのか? という疑問が残ります.
これについては全く不明ですが,いろいろと政治的な力学が働いたのかもしれませんね.

日本のルーツが四国にあると考えるだけでも,四国人としては浪漫があるのではないでしょうか.


続きはこちら↓
鳥無き島の蝙蝠たち(11)邇邇芸命(ニニギノミコト)
鳥無き島の蝙蝠たち(14)古代四国人2
鳥無き島の蝙蝠たち(15)月読尊(ツクヨミ)