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大学入学共通テストは,計画当初の2014年からデタラメだった

「大学入学共通テスト見切り発車問題」有識だった有識者もいたらしい


大学入試改革(新しいセンター試験である)として位置づけられる,「大学入学共通テスト」がボロカスに言われている問題について,以下のようなニュースが入ってきました.

英語民間試験、9月に有識者ら「見切り発車」懸念…文科省押し切る(読売新聞 2019.11.14)
2020年度からの大学入学共通テストで導入予定だった英語民間試験について、文部科学省の有識者会議で今年9月、委員から「見切り発車でいいのか」などと導入に懸念を示す意見が相次いでいたことがわかった。文科省では今後、ほかの有識者会議についても議事録を公開し、民間試験の課題を直前まで解決できなかった経緯などを検証する方針だ。

とは言え「今年9月」の話だそうで.
そりゃちょっと遅過ぎやしないかとは思いますが,それでも「共通テスト」の杜撰な計画を指摘する有識者がいたことは事実のようです.

私としても,共通テストのデタラメな進行っぷりを論じようと,以前から文部科学省のホームページで会議の議事録を探していたんです.
でも,やっぱり肝心な部分は非公開だったようで,今回ようやく「公開」することになったとのこと.
どうりで見つからないわけです.


もっと言えば,計画段階での議事録が欲しいくらい.
一体誰がこんなブッ飛んだテストを考えたのか?
一体どんな経緯で進行してきたのか?

以前の記事でも指摘したように,大学業界ではずっと以前から,
「英検とかTOEICの成績で点数をつけるらしい」
「記述式テストをやるらしい」
といった噂に対し,
「いや無理でしょ,バカじゃねーの」
と言っていました.


それに,知り合いの先生たちとも,この「センター試験が新しく改革される」ということについては,
「どうせ文科省における,教育業界の利権と天下りの事案でしょ?」
ということで冷めた見方をしていたところです.

今年の8月に書いた,
大学改革の宿悪|大学入試改革となって溢れ出しました
でも指摘したように,この話の発端は,2014年からです.

そもそも,このブログでは幾度となく述べているように,教育業界に自民党が関わると碌なことがありません.
さらに,今回はベネッセが中心になりました.

ベネッセの名前を出すのは,あまりに危ないと思って,2014年当時に書いた記事では,茶化して伏せ気味にしていましたね.


現在,ネット上では「自民=文科=ベネッセ」のトリオ関係が形成されていることが白日の下に晒されました.
分かったところで,何かの自浄作用があるとは思えないけど.




当初から,この入試改革はデタラメでした


最初期である2014年の段階で,我々大学教員がそのヤバさを指摘していたことは本当です.

嘘だと思うなら,私が2014年当時に書いた記事があるので,こちらを御覧ください.
センター試験の廃止について述べておく

この記事,今自分で読んでみても「なんて的確な指摘なんだろう」と激しく同意する記事なのですが,当時は読まれませんでした.

あの段階では,
「この大学入試改革は極めて問題だ」
なんて言っても,誰も気にもとめなかったのです.

むしろ,記事中にもあるように,
「これからの大学は,学生たちの能力をもっと多面的に評価するべきだ」
などと対岸の火事を高みの見物するが如く評論していたはずです.

それがどうして.
つい最近になって大騒ぎになりました.


このブログを読んでいるのは教育関係者が多いようですが,この場を借りて,それ以外の業界の皆様に向かって訴えたいことがあります.

私はなにも,テストを民間企業に主導させるのが悪いと言っているわけでも,記述式問題が悪いと言っているわけでもありません.

センター試験の廃止について述べておく
の記事でも指摘しているように,2014年に打ち出された改革の方針そのものがデタラメなんです.
当時の私は感極まって,この入試改革を「キチ◯イじみた話」と書いていました.少し反省しています.

改革のための思想や目的が間違っているから,自動的に手段も間違ったものになってしまいます.


こうやって問題点が浮き彫りになってくると,多くの場合「テストの実施方法」という手段に目が向きがちですが,そんなものは些末な話です.

この「共通テスト問題」の根源は,その発端となる,この文部科学省資料の中に垣間見ることができます.
新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号)(文部科学省 2014.12.22)

つまりは,この段階で目標にしたことを実現するために考案されたのが,現在問題視されている「大学入学共通テスト」ということ.
具体的に挙げれば,グローバルとか,イノベーションとか,主体性とか,表現力とか,多様性だとか.
こういう摩訶不思議なものを「テスト・評価」しようと企んでいたのです.

そんな調子でスタートを切っているプロジェクトですから,まともなテスト方法に改革されるわけがない.

あとは無理やりこじつけたようなテスト方法が考案されるだけです.

いえ,百歩譲って,それらをテストすることを許可したとしましょう.
ならせめて,それらをその「テスト」によって「評価」できていることの根拠を出してほしい.

そういう根拠もなしに,どこぞの誰かが思いついたテストを出してきても,そりゃトラブルと混乱が起きるに決まっているし,多くの国民を納得させることはできません.

その根拠を示すために,10年20年かかったっていいじゃないですか.
試験問題と学術能力の相関性を調査・研究する機会を国として設けましょうよ.
「新しい時代の高等教育」と大見得を切って展開するなら,国家プロジェクトとしてきちんとやるべきです.

今回の入試改革は,莫大な税金をかけた,壮大なやっつけ仕事でしかありません.


だからあれほど言ったのに・・・.
そんな気持ちになることが多い今日このごろ.
最近私が提言とか忠告していることも,きっと5年10年経ったら現実のものとなりますよ.
嬉しくないことですが,時代の先読みに自信がついてきた今日このごろでもあります.


ところで・・・,5年も経ってしまうと,「グローバル」も「イノベーション」も「主体性」だとかも,もはや時代遅れのバズワードになってしまった感があります.
そう言えば,猫も杓子も「イノベーション」だった時代がありましたね.
今となっては恥ずかしい言葉です.


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