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「マジックキングダムで落ちぶれて」に見る,新しいライフスタイルの展望

『断絶への航海』の記事の続き


先日,ジェームズ・P・ホーガン 著『断絶への航海』というSF小説を下敷きにして,新しいライフスタイルについて考える記事を書きました.

要約すると,
生きていくために最低限必要な衣食住を,ロボット労働や人工知能などで確保できてしまえば,人間のライフスタイルは根本的な変化を求められる.
すなわち,徹底した合理的な生き方が実現することにより,戦争や社会的ステータス争いなどに価値を見出だせなくなり,自分の才能を活かすことを最優先とする人間社会が出来上がる.
というものです.
それを一言で言えば,
「必要なことを必要なときに必要なだけ」
のライフスタイルです.

将来設計だとか,出世争いだとか,社会的地位なんてものは「趣味」になります.
その世界における「仕事」とは,自分が没頭できる事であり,誰かから頼まれた事であり,自分にしか出来ない事です.
元来,人間の幸福や仕事の価値というのは,そこにこそ見出されるはずだ,とも言えますしね.

で,実際に現在の労働環境は,ロボット化やAI導入などが待ったなしの状態になっており,さらには経済政策面でも「ベーシックインカム」が検討されています.

ホーガンが『断絶への航海』で描いたことが,実現可能なものになっているのです.


そこで今回は,「こういう世界」をもっと別の視点から描いたSF小説です.
コリイ・ドクトロウ 著『マジックキングダムで落ちぶれて』.


この小説の概要をアマゾンの内容説明欄から引用しておきます.
未来の地球で人類は不老不死を達成した。すでに一世紀以上生きてきたジュールズは、ディズニー・ワールドのマジック・キングダムに住んで、スタッフとして働くという長年の夢をついに実現した。ともに働くガールフレンドのリルは、彼の15パーセントの歳で、ふたりは幸せな日々を送っている。だが、彼を思いもよらぬ事件が待ちうけていた…ディズニー・ワールドで働く不老不死のジュールズの冒険を描く、ユーモアSF。(Amazon内BOOKデータベースより)

この小説の面白さは,主人公の冒険ではありません.
世界設定です.

この小説の舞台となっている世界では,不老不死のテクノロジーが実現しているわけですけど,それにより人類は,
「膨大な暇な時間をどう過ごすか?」
という問題に直面しています.

これはつまり,『断絶への航海』で描かれている「生存に必要なインフラが整備された未来」と同義とも言えますよね.
『マジックキングダムで落ちぶれて』においても,こうした,「生存のためのインフラ」が高度に整備された社会で,人間はどのようなライフスタイルへと変化していくのか? を考えている小説なのです.

人類の歴史上においても,中世・近世の後,近代へと移行した際に起きたのが「産業革命」による労働の変化です.
蒸気機関などによる機械化が進み,人々の移動速度や工業化が進みました.

と同時に,それまでは「生きるために一日中働く」のが一般的な人間の生活でしたが,産業革命によって人間は,仕事をタイムスケジュールを基にして働くようになったのです.
つまり,現代に続く労働方式ですね.

それにより世界の人々は,「仕事の時間」以外で発生する,「膨大な暇な時間」を手に入れることになります.
これによって誕生したのが「近代スポーツ」であり,スポーツの産業化やオリンピックやワールドカップである...,というのが私たち体育系を専攻した大学生が授業で習うことでもあります.

「断絶への航海」や「マジックキングダムで落ちぶれて」などの世界設定というのは,そういう産業革命の次にくる世界だと言えます.
さらに膨大な暇な時間が発生したら,人間はどうするのだろうか,ということ.

それを簡単に言えば,その時人は,「スポーツ」しかしなくなるだろう,ということです.

ちなみに,「スポーツ」と言っても野球やサッカー,テニスやバスケなどを指すわけではありません.
それもスポーツではありますが,もっと広く捉えるものです.
詳しくはウィキペディアとかをご覧ください.
スポーツ(Wikipedia)
広義には,囲碁将棋やテレビゲームもスポーツですから.


例えば農家で言えば,このままロボット化やAI化が発展していけば,そう遠くないうちに農業は「国民が生存に必要とする最低限の主要食料を全自動で供給」できるようになります.
その時それは,たぶん国営農業になるでしょう.
国が直轄して運営する,食料安全保障事業です.

そうなると,一般の農家が農業に取り組む価値は「自分のこだわり」になってきます.
さらにベーシックインカムが導入された社会では,わざわざ「こだわりの農作物」を作るという仕事は,もはや「自分の生活費を稼ぐための生業」ではなくなりますよね.
それが「スポーツ化された農業」であり,趣味としての仕事です.

これは他の業界でも一緒です.
趣味で運送業をやり,趣味でスーパーマーケットをやり,趣味でレストランをやる時代がやってきます.

「そんなんじゃ,社会が成り立たなくなる!」
って心配する人もいるでしょうが,私はそうは思いません.
そりゃもちろん,今よりは不便になるでしょうが,それより,自分らしく楽しく生きられる社会の方を皆喜ぶんじゃないかと思うんです.

あと,当然のことながら,ここで言うベーシックインカムは完全型の共産主義・社会主義体制ではありませんので,仕事が成功すれば,ベーシックインカムによる所得保障以上の所得が追加されます.

それに,趣味で運送業やスーパーマーケットをやる人って,絶対に出てくるものなんです.
なぜなら,そういう活動が好きな人って必ずいるから.
その動機は,
「皆が喜んでくれるから」
「自分が社会に求められている感じがするから」
というものでしょう.

ベーシックインカムによって,仕事がどんなに失敗しても経済苦になることはありません.
あとは,「それ以上の何か」を得ることが,この時代の人間の欲求になるのです.


というわけで,「それ以上の何か」とは何か? を描いているのが『マジックキングダムで落ちぶれて』です.
この小説では「ウッフィー」と呼ばれている,他人からの高評価ポイントです.

これはちょうど,フェイスブックなどのSNSサイトに用意されている「いいね!」ポイントみたいなもの.
生存のためのインフラが高度に整備された社会において,人間は「いいね!」をひたすら欲しがるようになり,さらには,この「いいね!」が貨幣(お金)の機能を持つようになる,というのがドクトロウ氏が考える未来なのです.
小説中にこんな記述があります.
千回議論したところで結論は出ない.<ウッフィー>は貨幣の本質を取り戻したのだとぼくは彼に認めさせた.昔は無一文でも人に尊敬されていれば飢えることはなかった.一方,金持ちでも人から憎まれている人間は,いくら金を積んでも身の安全と心の平和を買うことはできなかった.貨幣が本来意味するもの――友人や隣人に対する個人資産――を測ることで,人はみずからの成功をより正確に見きわめられる.
ウッフィーというのは,最近よく見聞きする「評価経済社会」つながる考え方です.

「昔は無一文でも人に尊敬されていれば飢えることはなかった」という記述がありますが,これは,とある共同体の中だけで通用していたもの.
しかし,ウッフィーや「いいね!」のポイントが社会的評価として「共有」される技術が登場すると,これが貨幣として機能し始めるようになります.

多くの人々から「いいね!」を得ている人は,それだけ信用に値する人間であり,他者を幸福にする行いをしている人であることを意味します.

おそらく人間というのは,「所得(お金)」では得られない価値を,この「社会的評価」で埋めようとするのではないか? という話なのです.


これを農業で例示すれば,より美味しい果物や野菜を作って出荷すれば,その農家にウッフィーや「いいね!」が付くことになります.
ベーシックインカムによって最低所得が保障された社会では,この「いいね!」ポイントを頑張って獲得することに,農家は生き甲斐を見出すのです.

最低所得が保障された社会にあって,わざわざトラックを用意して荷物を運ぶ運送業をすれば,その人にもウッフィーが付きます.
同様に,スーパーマーケットやレストランを経営してもウッフィーが付くでしょう.

「生活費を稼ぐため」ではなく,純粋に「人や地域の役に立つため」の行動であれば,ウッフィーという評価経済の貨幣が手に入るのです.

「そんな社会的評価なんかいらない」って言う人は,ひきこもっていればいいんです.
現代は,そんな「ひきこもっていたい人」を無理やり労働社会に引っ張り出しているんです.
これでは,妬み嫉みのルサンチマンを抱えた人たちが跋扈するようになり,健康的な社会とは言えません.

そういう社会はちょっと不便になるところもありますが,今よりよっぽど生き心地は良いと思います.


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