2016年6月8日水曜日

井戸端スポーツ会議 part 30「ドラゴンボールZ 復活のF」

昨年に公開された劇場版アニメ『ドラゴンボールZ復活のF』を,ひょんなことから昨日見ることができました.

え? 見た感想ですか?
エンターテイメントとしては「面白くなかった」ですよ.
ドラゴンボールファンとしては,ちょっと物足りないところがあるかもしれません.少なくとも私はそう思いました.

でも,これを「ドラゴンボールとして評価する」のであれば,私は非常に高評価します.
その理由がかなり込み入ったものですので,以下にそれをご説明します.

以前,
井戸端スポーツ会議 part6「スポーツとニーチェとドラゴンボール」
というのを書いたことがあります.
今回の話の前提となることを詳細に書いていますので,先にこちらを読んでもらったほうがいいかもしれません.

そうは言ってもかなり端折ってまとめると,
劇中のキャラクター,なかでも孫悟空やベジータといった「サイヤ人」に投影されているのは,ただひたすら強くなりたいという人間の本質を描いたものであり,それはニーチェが唱えた超人思想と類似し,この思想は「スポーツ」を尊ぶ人間の精神から惹起されているのではないか? というものでした.
つまり,ドラゴンボールは「超人思想」を語るものであり,「アスリートの魂」を語っているのです.
それに対し,ハリウッド版『ドラゴンボール』は上記の要素が皆無でした.
だからあれは明確に「ドラゴンボールではない」
というのが以前の記事の趣旨です.

さて,そういう観点からして今回の「復活のF」はどうだったか? というと,やっぱり鳥山明氏が脚本をしているため,本来のドラゴンボールでした.
それは前作である2013年の『ドラゴンボールZ 神と神』も同様です.

ドラゴンボールになければならない要素.
それは「ただ純粋に「強さ」を求める過酷な “トレーニング”」です.
アスリートと一緒です.
それがなければドラゴンボールではありません.

以前の記事■スポーツとニーチェとドラゴンボールを書いていた手前,昨年に「復活のF」が公開されるということで私なりに予想していた展開があります.
後出しジャンケンみたいで気分はよくありませんが,
「復活したフリーザは “トレーニング” をするはず」
というものです.
そうでなければ鳥山明のドラゴンボールではない,そう思います.

実際,フリーザは劇中でトレーニングをしてくれました.
トレーニングしなくても強かった自分.そんな「生まれながらに最強」だった自分を負かした孫悟空を倒すため,フリーザはプライドを捨ててトレーニングをして強くなったのです.

ですが,それでも結局は孫悟空やベジータには勝てない.そんなフリーザがとった行動はというと・・・,彼はスポーツマンではなかった.やっぱりアニメ界屈指の「Mr.悪役」だったのです.
フリーザはそうでなければいけない.

欲張りを言えば,トレーニングしたフリーザは死んでほしくなかったとも思います.
トレーニングをしても勝てなかった自分を省み,宇宙のどこか片隅で,永遠の「悪」としてひっそりと生き続ける.「いつかあなた方を殺しに帰ってきますよ.ホホホホ」などと笑いながら去って欲しかったところです.
古今東西,トレーニングとは自分と向き合う営みです.
トレーニングを経たフリーザは,それまでとは違う,ドラゴンボールらしい悪人になって欲しかったところです.

そして同時に,これがフリーザとベジータとの違いだとも思うのです.
今回,ベジータと戦うシーンが用意されているのは,その対比を象徴しているようにも思えてなりません.

ちなみに,前作である「神と神」では,これが別の形で表現されています.
クライマックスで孫悟空は,他の5人のサイヤ人の力を借りて「超サイヤ人ゴッド」に覚醒します.
それにより破壊神ビルスと互角に渡り合えるようになったのですが,孫悟空はそんな自分の力を「自分一人では来れなかった世界」だとして「不満だ」と言います.
トレーニングではなく,ドーピングのようなもので得た力に納得していない.
ここに描かれているのは真のサイヤ人,真のアスリートです.

「復活のF」は,残念ながらそんなに面白い作品ではありませんでした.
昔からドラゴンボールを見ている者としては,ややネタ切れかなと思うところがあります.
ですが,そこにあったのは紛れも無く「ドラゴンボール」だった.見る価値があった.
私はそのように納得しています.