2016年8月18日木曜日

井戸端スポーツ会議 part 37「のうが悪い(土佐弁・幡多弁)」

高知・幡多の話題をもう少し.
今回は「スポーツ」とは関係なさそうで実はある,土佐弁と幡多弁についての雑談をひとつ.

日本各地の方言のなかには「標準語に直訳できない」というものがあります.
土佐弁や幡多弁も同様.その代表的なものがこれ.

「のうが悪い」

「のおがわるい」と読みます.
一般的には,
「不便だ」「具合が悪い」
という意味として紹介されています.
例えば以下のサイト.
のうがわるい(高知新聞)
のうが悪い(Web高知)
ちなみに,「のうがええ(具合が良い)」という表現もあります.

しかし,ネイティブ・スピーカーである私としては,この説明では些か不十分だと思うのです.
必ずしも「のうが悪い」イコール「具合が悪い(全般)」を指すわけではありません.
実は結構奥深い方言なので,ここはひとつお暇でしたら読んでいって下さい.

例えば,ハサミの使い勝手が悪いことを指して「のうが悪い」とは言いますが,
スマホ等のアプリの使い勝手が悪いことを指して「のうが悪い」とは言いません.
でも,タッチパネルの使い勝手が悪いことは「のうが悪い」と言います.

同様に,ハサミにしてみても「切れ味の悪さ」を指して「のうが悪い」とは言いません.
ハサミのグリップや軸の緩みなどの悪さを指して「のうが悪い」と言うのです.
同じような「使い勝手」であっても,「性能」を指しているのではなく,「操作性」を指しているのです.

つまり,「のうが悪い」という土佐弁・幡多弁は,一言で言うなら,
身体との合一性を評価する言葉.
評価対象が,自分の体の一部になり切っていないもどかしさ.それが「のうが悪い」なのです.

ですから,そのモノの「性能」が低いことに起因する使い勝手の悪さに対して「のうが悪い」とは言いません.意のままに操れないことに起因するものを「のうが悪い」と言うのです.
これは見方を変えれば,高知の人は「身体感覚」や「随意的な操作性」から物事を評価する言葉を持っているとも言えます.

これについての標準語としては,「しっくりこない/くる」というのが最も近い訳だと思いますが,「しっくり・・」というよりも,もっと明確な「身体操作性・動作追従性」を評価しているのが「のう」です.

ちなみに,この「のう」が何を指しているのかは謎です.「のう」を「能」と書いているのも目にしますね.
さきほどは「のう」のことを「身体操作性」「動作追従性」と言いましたが,より直感的には「乗り移り(憑依)」のことを指しているように私は感じます(あくまで私見ですが).

そう言えば能楽も「能(のう)」と呼ばれますね.これも語源は不明なんだそうです.
もしかすると,「のう」という言葉には,何かに憑依して身体を操ることを指す意味があるのかもしれません.
それが日本を代表する「陸の孤島」の言葉,土佐弁と幡多弁として残った可能性もある.

それを象徴するように,特に高知の高齢者のなかには「のうが悪い」を以下のように使う人もたくさんいるんです.
例えば,お正月の鏡餅のてっぺんに橙(みかん)を置きますよね.その橙の座り具合が良くないことも「のうが悪い」と評します.
これは私もよく分かります.今にも橙が落ちそうだ,バランスが悪くて偏りがある,そのまま置いておくと橙が疲れてしまいそう.こういう状況にも「のうが悪い」を使うんです.
これはつまり,鏡餅と橙を自分の身体に置き換えて評しているのです.

ですから,絵画や写真といったものの「構成」にも使います.
以前,私の父がTVに映っていた現代アートのモニュメントを見て気に入らなかったのか,「こりゃいかん,のうが悪い」と評したことがあります.
単なる「バランス」とか「偏り」,「出力」や「脆弱性」といった測定可能な事象を指すわけではありません.ここらへんがとても微妙なところ.

以前,こういう記事を書いたことがあります.
井戸端スポーツ会議 part 11「人間は『身体』を通して理解する」
人間は身体というモノを依代として物事を理解しようとする
というお話でした.

土佐弁・幡多弁の「のうが悪い」は,まさにこの「身体を通した理解」を色濃く残した方言ではないかと思うのです.


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