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人間は『身体』を通して理解する「ガンダムW編」
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人間は身体を通して理解する,ということについて「ガンダムで言うと」シリーズの第3弾です.
以下の2編もよかったらどうぞ.
■「ファーストガンダム編」
■「Zガンダム編」
もともとの記事は,体育・スポーツの記事である.
■人間は『身体』を通して理解する
ですので,そちらもどうぞ.
さて,第3弾では『新機動戦記ガンダムW』を取り上げてみようと思います.
この『ガンダムW』のストーリーは,「人間は身体を通して理解する」ということについて,SFロボット作品としてある意味忠実に「解説」した作品だと見ることができます.
つまり,非常に分かりやすく描かているんです.
その最たる例,象徴的な登場キャラクターがトレーズ・クシュリナーダです.
彼の発言や思想を追っていけば,おのずと「SFロボット作品とは,人間は身体を通して理解するということに依っている」に行き着くかと思います.
典型的なのが,彼の戦闘スタイルや美学,彼自身が決戦用として設計したモビルスーツ(ロボット兵器)の武装です.
彼の戦闘スタイルと美学とは,ひとえに「格闘戦」,可能であれば生身の身体での格闘戦,できれば1対1の格闘戦なのです.それが騎士道精神などでエレガントに装飾されて描かれています.
細かいところは作品を見てもらうとして,これはしつこいくらい強調されており.
「閣下,いくらなんでもそれはエレガント過ぎです」とツッコミを入れたくなるほどです.
彼の格闘戦の美学は,ロボット同士での戦いであるモビルスーツ戦にも持ち込まれます.
普通,マシン兵器を使った「格闘戦」というと,例えば現代の戦闘機でいうところのドッグファイトのようなものですよね.機関銃やミサイルの打ち合いです.
ところが,彼の格闘戦はロボット同士が剣を交える格闘戦,つまり生身の身体での格闘戦の延長なのです.
それは彼自身が設計したロボット兵器にも反映されていて,彼が決戦用として作った「ガンダムエピオン」は,なんと火砲兵器が一切取り付けられていません.武装と言えるものは巨大なビームで出来た剣と,発熱するムチのような兵器だけです.
これも「閣下,いくらなんでもそれは戦術上極めて不利です」と言うところですが,まぁそれくらいの描き方で表現したいほどにトレーズ・クシュリナーダという人物の思想・哲学が,この作品において重要な位置づけになっていると見ることができます.
すなわち,「戦争は人と人とが対峙して行うべきである」ということです.
彼のセリフである「礼節を忘れた戦争は殺戮しか産まない」とか,「人間に必要なのは絶対的な勝利ではなく,戦う姿,その姿勢」といったように,「姿・形」にこだわりがあるわけでして,そしてこの姿形を象徴するのが「ロボット同士であっても格闘戦」なのです.
なぜなら,ロボット同士での剣を交えた格闘戦であれば,パイロットが何かをしようとすれば,おのずとそのロボットの姿形から読み解くことができます.この時ロボットは,パイロットの「身体」の延長として機能しているのです.ロボットという「身体」の動きによって,パイロットの意志が見えるわけですね.
トレーズは,パイロットの意志が外から見える戦いこそが重要だと考えていると言えるでしょう.
これを彼はさらに発展させ,戦争そのものにも「身体性」を求めているようです.
つまり,姿形(身体性)が失われた戦いには,勝利も敗北もないということです.
彼いわく,その時「(勝者にも敗者にも)神は手を差し伸べてはくれない」のです.
「姿形へのこだわり」,それがガンダムWというSFロボット作品においてトレーズが(そして制作者が)「ロボット(モビルスーツ)」によって表現しているものではないか,と思えるんです.
それだけに,だからこそ彼は,味方陣営が開発した「無人ロボット兵器」である「モビルドール・システム」に頑なに反対します.
これについて誤解を恐れずに言えば,人の意志が通っていないロボットがSFロボット作品に登場してはいけない.ということではないでしょうか.
それをダイレクトに,かつエレガントに批判したのがトレーズです.
人の意志が通っていない「人型のモノ」を見ても,誰も感動しない.ましてや,そんなモノがSFアニメで「戦争」をすることがあってはならない.ということです.
『ガンダムW』というSFロボット作品において,トレーズ・クシュリナーダが言わんとするものとは,人型ロボットであるからには「人の意志」が入っているべきであり,人の姿・形をしたモノ,つまり身体によってこそ人間は理解できるということなのです.
ところで・・・,
彼はこう言います.「かつて,ボタンひとつで全ての戦いに決着がつく時代があった.その忌まわしい精神の根源がモビルドール(無人兵器)だ」と.
きっと「核兵器での睨み合い」とか「ハイテク兵器での一方的な戦争」といったものを指しているのだと捉えられます.
これをトレーズ・クシュリナーダの思想・哲学から読み解けば,
姿形,つまり身体性(人の形)を失った戦争をしてはいけないし,それには誰も感動しない.
もっと言うなら,人の形がない戦争とは,まさに「誰も見ることができない戦争」なのだ,ということではないでしょうか.
そこでは,勝者にも敗者にも神は手を差し伸べてくれない.
現代の戦争に照らしてみると,なんとも痛烈な皮肉ではないでしょうか.
参考記事
■井戸端スポーツ会議 part 11「人間は『身体』を通して理解する」
■人間は身体を通して理解する「ファーストガンダム編」
■人間は身体を通して理解する「Zガンダム編」
以下の2編もよかったらどうぞ.
■「ファーストガンダム編」
■「Zガンダム編」
もともとの記事は,体育・スポーツの記事である.
■人間は『身体』を通して理解する
ですので,そちらもどうぞ.
さて,第3弾では『新機動戦記ガンダムW』を取り上げてみようと思います.
この『ガンダムW』のストーリーは,「人間は身体を通して理解する」ということについて,SFロボット作品としてある意味忠実に「解説」した作品だと見ることができます.
つまり,非常に分かりやすく描かているんです.
その最たる例,象徴的な登場キャラクターがトレーズ・クシュリナーダです.
彼の発言や思想を追っていけば,おのずと「SFロボット作品とは,人間は身体を通して理解するということに依っている」に行き着くかと思います.
典型的なのが,彼の戦闘スタイルや美学,彼自身が決戦用として設計したモビルスーツ(ロボット兵器)の武装です.
彼の戦闘スタイルと美学とは,ひとえに「格闘戦」,可能であれば生身の身体での格闘戦,できれば1対1の格闘戦なのです.それが騎士道精神などでエレガントに装飾されて描かれています.
細かいところは作品を見てもらうとして,これはしつこいくらい強調されており.
「閣下,いくらなんでもそれはエレガント過ぎです」とツッコミを入れたくなるほどです.
彼の格闘戦の美学は,ロボット同士での戦いであるモビルスーツ戦にも持ち込まれます.
普通,マシン兵器を使った「格闘戦」というと,例えば現代の戦闘機でいうところのドッグファイトのようなものですよね.機関銃やミサイルの打ち合いです.
ところが,彼の格闘戦はロボット同士が剣を交える格闘戦,つまり生身の身体での格闘戦の延長なのです.
それは彼自身が設計したロボット兵器にも反映されていて,彼が決戦用として作った「ガンダムエピオン」は,なんと火砲兵器が一切取り付けられていません.武装と言えるものは巨大なビームで出来た剣と,発熱するムチのような兵器だけです.
これも「閣下,いくらなんでもそれは戦術上極めて不利です」と言うところですが,まぁそれくらいの描き方で表現したいほどにトレーズ・クシュリナーダという人物の思想・哲学が,この作品において重要な位置づけになっていると見ることができます.
すなわち,「戦争は人と人とが対峙して行うべきである」ということです.
彼のセリフである「礼節を忘れた戦争は殺戮しか産まない」とか,「人間に必要なのは絶対的な勝利ではなく,戦う姿,その姿勢」といったように,「姿・形」にこだわりがあるわけでして,そしてこの姿形を象徴するのが「ロボット同士であっても格闘戦」なのです.
なぜなら,ロボット同士での剣を交えた格闘戦であれば,パイロットが何かをしようとすれば,おのずとそのロボットの姿形から読み解くことができます.この時ロボットは,パイロットの「身体」の延長として機能しているのです.ロボットという「身体」の動きによって,パイロットの意志が見えるわけですね.
トレーズは,パイロットの意志が外から見える戦いこそが重要だと考えていると言えるでしょう.
これを彼はさらに発展させ,戦争そのものにも「身体性」を求めているようです.
つまり,姿形(身体性)が失われた戦いには,勝利も敗北もないということです.
彼いわく,その時「(勝者にも敗者にも)神は手を差し伸べてはくれない」のです.
「姿形へのこだわり」,それがガンダムWというSFロボット作品においてトレーズが(そして制作者が)「ロボット(モビルスーツ)」によって表現しているものではないか,と思えるんです.
それだけに,だからこそ彼は,味方陣営が開発した「無人ロボット兵器」である「モビルドール・システム」に頑なに反対します.
これについて誤解を恐れずに言えば,人の意志が通っていないロボットがSFロボット作品に登場してはいけない.ということではないでしょうか.
それをダイレクトに,かつエレガントに批判したのがトレーズです.
人の意志が通っていない「人型のモノ」を見ても,誰も感動しない.ましてや,そんなモノがSFアニメで「戦争」をすることがあってはならない.ということです.
『ガンダムW』というSFロボット作品において,トレーズ・クシュリナーダが言わんとするものとは,人型ロボットであるからには「人の意志」が入っているべきであり,人の姿・形をしたモノ,つまり身体によってこそ人間は理解できるということなのです.
ところで・・・,
彼はこう言います.「かつて,ボタンひとつで全ての戦いに決着がつく時代があった.その忌まわしい精神の根源がモビルドール(無人兵器)だ」と.
きっと「核兵器での睨み合い」とか「ハイテク兵器での一方的な戦争」といったものを指しているのだと捉えられます.
これをトレーズ・クシュリナーダの思想・哲学から読み解けば,
姿形,つまり身体性(人の形)を失った戦争をしてはいけないし,それには誰も感動しない.
もっと言うなら,人の形がない戦争とは,まさに「誰も見ることができない戦争」なのだ,ということではないでしょうか.
そこでは,勝者にも敗者にも神は手を差し伸べてくれない.
現代の戦争に照らしてみると,なんとも痛烈な皮肉ではないでしょうか.
参考記事
■井戸端スポーツ会議 part 11「人間は『身体』を通して理解する」
■人間は身体を通して理解する「ファーストガンダム編」
■人間は身体を通して理解する「Zガンダム編」