注目の投稿

あたしただ奪う側にまわろうと思っただけよ

今こそ見るべき,映画『バトル・ロワイアル』


先日より柴咲コウさんに関する話が続いていますが,ついでにこれも取り上げておこうと思いました.
映画『バトル・ロワイアル』(2000)です.


もう20年前の映画になりました.
今では中堅どころの役者さん達が,まだ10代だった頃のもの.
みんな私と同世代でもあります.


この映画,実は私にとってかなり思い入れのある作品.
「少年処女が無差別に殺し合うゲームを展開する」という内容が,当時非常に話題となっていたので興味はありましたが,映画館から物理的に遠い私は見れず.
大学生になってからレンタルビデオで見たんです.

大学生の時,映画を大量にレンタルして見まくったんですが,なかでも,その後の私の映画を見る目を変えた作品として3本の指に入ります.
他は,シルヴェスター・スタローン主演の『ランボー』(1982),スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)です.

映画って,CMやトイレ休憩をはさみつつ,スナック片手にボーッと見るんじゃなく,きちんと正座して見れば(実際に正座はしないけど),物凄く奥が深いものなんだなと.
大袈裟じゃなく,大学の勉強にも影響を与えたと思います.
逆に,大学での勉強内容が映画を見る視座にもなりました.
そんな作品です.


さて,このバトル・ロワイアルですが,映画レビューとして低評価のものに,
「設定が非現実的」
「殺し合う動機が浅くて雑」
というものがよく見られます.

リアリティを追求する映画が好きなのであれば,そういう批評も良いのですが,この映画『バトル・ロワイアル』はそのような評価を受ける作品ではありません.

「原作のほうが良い」というレビューもあります.
私は原作を見てませんが,映画だけでも十分完成していると思いますよ.

評価としては,特に欧米の映画評論家からの支持が高い傾向にあります.
ウィキペディア上にも作品評価があり,そこではこのように述べられています.
(英語記事からの直訳気味な文章ですが,これはウィキペディアの原文ママです)
批評家は、映画が20世紀の終わりの日本社会の問題を反映した社会的主張であるという意見をしばしば発表した。一部の視聴者は、『バトル・ロワイアル』を日本経済の失われた10年への風刺であるとみなしている。他の人は、日本の景気減速の結果として、エリート主義に非常に有利な非常に競争的な日本の雇用市場の為の学生の準備の失敗など、日本の教育制度への批判と見なしている。他に校内暴力や若者と老人との社会的、政治的、経済的分裂を生み出している日本のジェネレーションギャップの問題が含まれている、といった解釈もなされている.■バトル・ロワイアル(Wikipedia)
全くもって同感です.

なかでも,私が初めて見て衝撃だったのは柴咲コウ演じる「相馬光子」です.
はっきり言って,当時の私は相馬光子への感情移入が半端なかった.
柴咲コウさんの演技も,尋常じゃ無いくらいハマっています.

というか,私たちの世代には,「相馬光子」が掃いて捨てるほどたくさんいると思います.
いわゆる「就職氷河期世代」「ロスト・ジェネレーション世代」です.

相馬光子のモノローグ,
「あたしただ奪う側にまわろうと思っただけよ」
の発言には,鳥肌が立ちました.
これがロスト・ジェネレーション世代に通底している「社会の捉え方」なんです.

この世の中には搾取する側と搾取される側がいて,自分だけはそうはなるまいと藻掻く.

さらに,人間としての評価は定量化,明瞭化され,そして固定化されると考えます.
最近,ロスジェネ世代に対する補助政策が取り沙汰されていますが,あんなことしてもこの世代には響きません.

なぜなら,ロスジェネ世代には,
「誰かを追い落とすことこそが成功」
「限りあるパイを奪えたことが勝利」
という思考パターンが形成されていますので,パイの総数を増やそうという発想が乏しく,自分が貧困に喘いでいる敗者のくせに,それでも下には下がいるぞと安心して,競争社会の継続を望みたがります.


ですから,この映画ではそのことを自覚させてもらい,そこから脱するためにはどうすればいいかを考えさせられました.
言い過ぎでもなんでもなく,「あたしただ奪う側にまわろうと思っただけよ」という柴咲コウの声は,この20年間,常に私の頭の中で反響し続けているんです.


他にも,日本社会と教育・子供との向き合い方を考えさせられるシーンはたくさんあります.
大学教員として学生と接するようになってからは,ビートたけし演じる教師キタノの振る舞いが,気味が悪いくらいの実感をもって理解できるようなりました.

子供の頃にこの映画を見ていて,その後,教員になったという人は再視聴を強く推奨します.
教員になる前と後で,見え方が全く違ってきますから.


この『バトル・ロワイアル』には「特別編」というものがあって,こちらは通常版よりもメッセージや解釈が分かりやすくなっています.
特に,ラストである「夢の中」のシーンで,教師キタノが放つ最後のセリフにはしびれました.
あのセリフ,誰が考えたんだろう.



さらに,案の定というか,この特別編には相馬光子に関する重要なシーンがいろいろと追加されています.
やっぱりこの映画って相馬光子が最重要なキャラクターです.


たぶん,深作欣二監督もそういう視点で製作したんだと思います.

どうして中学生同士が殺し合いをしなければならないのか?

そんなことにリアリティのある設定や背景はいらない.

むしろ,あまりにもバカげた設定や背景によって,「日本の子供」が殺し合いをしなければならない状態に放り込まれている,この日本社会を風刺していると言っていいでしょう.

実際,深作欣二監督自身,子供の頃にそういう体験があるとされています.
これもウィキペディアに掲載されています.
深作は本作品を制作するに至ったきっかけを問われ、太平洋戦争中に学徒動員によりひたちなか市の軍需工場で従事していた中学3年生当時(旧制中学校の教育課程制度下であるが、学齢は現制度での中学3年生と同じ)、米軍の艦砲射撃により友人が犠牲になり、散乱した死体の一部をかき集めていた際に生じた「国家への不信」や「大人への憎しみ」が人格形成の根底にあったこと、今日の少年犯罪の加害者少年の心情を思うと他人事でないという感情を抱いてきたことから、いつか「中学三年生」を映画の主題に取り上げたいと考えていたところに、深作の長男で助監督だった深作健太がすすめた原作本の帯にあった「中学生42人皆殺し」のキャッチコピーを見て、「あ、こりゃいけるわ」と思い立ったと答えている。■バトル・ロワイアル(Wikipedia)



冗談抜きで「バトル・ロワイアル」になる現代日本社会


さて,今どき失業者が増えたり,教育を受けたがらない子供が増えたり,国家が国民をろくに支援しなかったり,といった「バカげた設定」は,なんと20年の時を越え,この2020年に現実のものとなりそうです.

まさに「バトル・ロワイアル」の様相を呈してきた日本社会.
そのうち,映画を超えた「設定」になるんじゃないかと思うくらい.

早めに日本をあきらめておかないと,被害が甚大になってしまいます.

コメント