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31:2012年12月21日

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2012年12月21日(金)14時05分

 東郷洋二は、青葉大学の近くにあるインターチェンジから降りてすぐそばの、打ちっぱなしゴルフ練習場にいる。
 東郷はゴルフの経験はほとんどない。
 若い頃に友人たちに誘われて、打ちっぱなしゴルフに行ったことがあるくらいだ。

「これからは理事長のグループと一緒に、ゴルフに出かけることになるかもしれません。だから一緒に練習に行きましょう。授業が始まってすぐですから、皆には内緒でね」と誘われて来たわけである。

 東郷は学生時代にテニスの経験があるが、運動神経が良いとは言えない。
 どちらかと言うと、テニス以外のスポーツには尻込みする。
 この練習場に来てからも、自分が場違いではないかという雰囲気を感じていた。

 待ち合わせの時間である午後2時を、5分ほど過ぎている。

 東郷は、受付前に設置されているテーブル群の一つに座って、自動販売機で購入した温かいコーンポタージュを飲んでいた。

「ああっ、東郷先生。すみませんっ。お待たせしております。申しわけない!」

 そう言いながら、青葉大学学長代行の岩崎貴将が、ゴルフバッグを担いでエントランスホールに入ってくる。
 東郷に向かって頭を下げながら近づいてきた。

 東郷はいつものすっとぼけた顔だ。
「あ、岩崎先生。いえいえ、全然。まだ5分しか過ぎてませんよ。あのぉ、私は用具のレンタルはどうすればいいですかね。あの受付に行けばいいですか?」

 岩崎は「はい、そうです。今日のところはドライバーとアイアンを2つくらいでいいと思いますよ。私も受付では聞きたいことがあるので、一緒に行きましょう」と言い、東郷と岩崎は受付に向かう。

 2階部分の左端の打席を2つ指定し、そこに向かった。
 今日は比較的空いているようである。
 途中、「東郷先生は左じゃないですよね。左打ちは別の所に行かないといけないので」と岩崎が聞いたが、東郷は「右です」と答えた。

 プリペイドカードを各打席に備え付けられた機器に通すと、ボールが打席脇から出てくる仕組みになっている。
 岩崎は「では早速」と言ってドライバーをバッグから取り出し、5球ほど打ってみた。
 予想以上に大きく豪快な音がする。

「東郷先生も、どうぞ」

「えぇ、分かりました」

 東郷もプリペイドカードを機器に通し、ボールを出した。

「手始めに」と言って、4番アイアンを選んで打ってみた。
 3球。空振りせずに、ボールは前に飛んだ。

「おぉー、東郷先生、結構いけますなぁ。いやいや、普段から打っていない人が、ここまでやれるのは凄いですよ」
 そう言って岩崎は笑う。

 岩崎と東郷は、そのまま最初に出したボールを打ち切るまで続けた。

 そして、二人はベンチに座る。
 まだ疲れているわけではない。

「東郷先生、いやこれまたお見事でしたよ、今回の一件は」

「いやいや、それほどでもありません。私もあの人は嫌いだったので」

「いやぁ~、見事にハマってくれましたよねぇ。ホント、あの人は私達の予想通りの動きをしてくれました。全くもって単純といいますか。まあ、だいたい、大学の先生ってのは、そういう人が多いのかもしれませんね」
 そう言って岩崎は大きく笑う。

 東郷はレンタルした9番アイアンを握っている。
 そのヘッドを見つめながら言う。
「岩崎先生のおかげです。私も結構ドキドキしながらやってたんですよ。たしか私の研究室に岩崎先生が来られたんでしたっけ。最初、教育シンポジウムの担当者に立候補しませんか? って言われた時は、耳を疑いました。私がそんなこと出来るわけないって。たしか、私もかなり強い口調で断ってましたよね」

「えぇ、そうでした」

「けど、それに裏がある、ということで。その計画を聞かされた時も、かなり驚きました。えっと・・、岩崎先生が教授会の議題にシンポジウムの担当者のことを差し込んでくれたんですよね。学科会議をすっ飛ばしての決定ですから、あのまま問題なく通るか不安でしたけど」

 岩崎はスポーツドリンクを口にした。
「えぇ、河内先生にお願いしましてね。実は私もあれはダメモトでやったんですよ。そのまま通りましたからね。良かったです。でも、もしあの決定に物言いがついたとしても、今度は学科会議でなんとかしようと考えてはいましたよ」

「そうでしたか。ただ、その後の計画が本当にうまくいくかどうかも心配でした。でも、やることは簡単でしたよね。普通にしておけば、私のことが嫌いなあの人が、そのうちちょっかいを出すようになる、と」

「えぇ、そうです。とにかく、東郷先生が何か目立つイベントの担当者をすれば、きっとあの人が動くはずなんです。あとは東郷先生には普通にしておいてもらえればOK。そういう作戦です。この作戦はパワハラ行為の証拠を押さえるところにありましたから」

「本当にちょっかいを出してきたのでビックリしました。でも、岩崎先生は、それでいい、と。そのうち、もっとキツい言い方をしてくるはずだから、研究室にボイスレコーダーを常に用意しておくと。・・あのボイスレコーダー、どこで買ってきたんですか? あんなのを普通に売ってるの、私知りませんでした。まるで探偵の道具ですから」

「いやぁ、ごくごく普通に売ってますよ。どこの電気屋でも通販でも。というか、携帯電話にもそんな機能はついてるんですよ。やっぱり音質が悪いし操作が面倒ですけどね」

「私としては、その日が来るのを、今か今かと待つ日々でしたからね。ボイスレコーダーを押す練習もしてましたよ。こうやって・・、サッと、ササッと押す練習です。気付かれないようにしなければいけませんから。本当に上手くいって良かったです。キチッと録れたあの時は、本当に嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。あの人が研究室を出て行っても、笑いをこらえるのが大変で」

「いやぁ~、本当に東郷先生の録音技術のおかげです。あの人は東郷先生のことが嫌いで嫌いでたまらないんですよ。東郷先生がやることは、なにもかもが嫌なんです。昔からそうでしょう。東郷先生としては頑張ってやってるのに、それを全然認めようとしない。それで学長っていうんですから。ホント、フザケてますよ」

「えぇ、私としては岩崎先生のような方が学長をやって頂いた方が良いと思います。大学全体のことを考えていらっしゃいますから」

「ここだけの話。私、次の学長になることが濃厚です。内緒ですよ。はい」

「え! そうですか。それじゃ、全てが上手くいきましたねぇ。全て計画通りになったということですね。いやぁ~凄い。さすが岩崎先生は違いますね」

「いや、これもそれも全て東郷先生のおかげです。東郷先生が頑張って頂いたことによるものです。感謝しております。約束通り、私が学長になりましたら、東郷先生に名誉ある役職を用意しておきますので、はい。・・いやいや、もちろん、実際に動くのは事務職員さん達だという職を用意しますから。東郷先生は何もしなくても構わないんですよ。役職に就ければ、役職手当が入りますし、教員評価ポイントが非常に高くなりますからね。とにかく楽しみにしておいてください」

「ホント、それは嬉しいかぎりです。私みたいな教員は、到底、役職なんかには就けないですからね普通。・・・、岩崎先生、ありがとうございます」
 そう言って東郷は、岩崎に向かって正対してお辞儀をしてみせた。

「あぁー、いえいえ、やめてください。私は頑張っている先生を応援したいだけなんです。学生が喜ぶ大学、学生が輝く大学、そういうものを目指していきましょう」

「はい。楽しみですね、先生」

 岩崎はドリンクが入ったボトルをベンチに置いた。
「でも東郷先生、今回の一件、絶対に内緒ですよ。これは理事長グループと私による、東郷先生を昇進させる秘密のプロデュースなんですから」

 東郷は笑顔で頷いている。

 岩崎はすくっと立ち上がり、ドリンクボトルをゴミ箱に放り込む。
「さっ、もっと練習していきましょう。これからは東郷先生にも理事長の仕事を頑張ってもらわないといけませんからねぇ。そうなるとゴルフに行くことも増えるでしょう。その時に一緒にホールを回れるといいですから」

 岩崎はゴルフバッグからウッドを取り出し、打席に向かう。

 東郷も握っていた9番アイアンを持って打席に向かった。

「はい。楽しみです。頑張ります。・・・、ところで、私みたいな教員が、理事長の仕事が出来るんですか? 実のところ、理事長も私のことを嫌ってるんじゃないかと思うところもありまして」

 岩崎は1球打った。
「いえ、それは勘違いでしょう。理事長も東郷先生を高く買っていますよ」
 もう1球打った。

「そうですか。ありがたいことです。まずはこの調子で、明日の教育研究シンポジウムを成功させなければいけませんね」
 東郷はアイアンで打ち始める。

「えぇ、東郷先生、頑張ってください。前も言いましたけど、私が東郷先生にシンポジウムの担当者をお願いしたのは、あの人をハメるためだけじゃないんですよ。先生の独特な発想、先進的なアイデア、そういったものを私は高く買っているんです。でも、あの人はそういう東郷先生を嫌っている。嫌い、という理由だけで大学の運営をされたら、たまったもんじゃないですよ。ねぇ、東郷先生」
 スイング。
 ウッドから弾かれたボールが勢い良く飛んで行く。

「ありがとうございます。その一言で私も、シンポジウムの担当者をやる気になったんですよ。学生第一の大学、一緒にやっていきましょう。私もいろいろなアイデアを提供しますよ」
 スイング。
 両手を離れたアイアンが勢い良く飛んで行く。




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