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32:2013年1月18日

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2013年1月18日(金)12時35分

 年が明けた青葉大学は、明日のセンター試験会場の準備でピリピリとした空気が流れている。
 しかしその空気も、学生や一部の教員には感じ取れない。

 その昼休み。
 河内寛の研究室。

 午後からは入試委員会の最終打ち合わせが入っていた。
 河内は忙しくパソコンのキーボードを叩いている。

 さらに期末ということもあり、授業に関する雑務もたまっている。
 昼ご飯はまともに食べられない。
 そうした焦りに追い打ちをかけるように、研究室のドアがノックされる。

「はぁーい。どうぞぉ」
 河内はパソコンのディスプレイを見ながら返事をする。

 ドアが少しだけ開けられ、「せんせーい、どうーもぉ」と河内ゼミの3年生の女子学生が顔を覗かせる。

「おぉ、どうした」
 河内は手を止め、腰を上げた。

「先生、ちょっとご相談したいことがありまして。さっき学生課に行ったら、そこの人に河内先生のところと、ハラスメント防止委員会に行けって言われたんで・・・」

「どうした? 何があったの?」

 学生は全部で3人入ってくる。
 3人とも女子学生だった。
 彼女らはドアの近くに立って言う。
「清水先生のことです」

「ん? 清水先生?・・、まあ、そこに座りなさい」
 そう言って、応接用のテーブルの一角に学生3人を導いた。

 その中の一人が話し始める。
「先生、知ってますか? 清水先生、ねぇ・・」
 そう言って隣の学生と目を合わせる。

「この前の土曜日、12日のことです。清水先生たちと一緒に、新入生オリエンテーション合宿のための下見に行ったんです。けど、あの先生、ヤバいですよ。めっちゃ気持ち悪いんです」

 このゼミ生3人は、青葉大学が毎年4月の初めに全新入生を対象に行なう、オリエンテーション合宿に参加する学生スタッフのメンバーである。
 年末に急遽、下見メンバーとして河内が指名した学生たちである。

 新入生オリエンテーション合宿では、そこで企画されるアイスブレイクや催し物を在学生が考えている。
 サポート役として旅行会社を入れているが、なるべく学生が中心となって企画するようにしている。
 その下見を担当することになったのが、実行委員長である清水明史と、この河内ゼミの学生たちだ。

 下見は例年、旅行会社が手配した大型ワンボックスカーで行われる。
 今回もそうだった。
 清水と学生は、旅行会社の担当者と共に、合宿中に使用する宿舎や施設を確認した。

 河内は学生たちの正面の位置に座って聞く。
「何? 清水先生がどうしたの? 気持ち悪いって、そんなぶっきらぼうな言い方、良くないなぁ。理由をちゃんと言いなさい」

「気持ち悪いですよ。あれ、セクハラですよ。ねぇ先生、知ってます? うちらの間じゃ、清水先生って、昔からヘンタイ先生って言われてるんですよ。ねぇ・・、マジきっしょい」

「うん、知ってるよ」
 河内はそう言いたかった。

 隣に座っているもう一人が言う。
「ねぇ河内先生、もうどうにかしてくださいよぉ。なんで今年の担当が清水先生なんですか? だって最初、下見に行くのは別の先生じゃなかったですか?」

 河内は答える。
「ああ、たしかに別の先生の予定だったけど、最終的に決定したのは清水先生なんだよ。皆で一致団結して、企画を頑張ろうよ。どうしたんだ、セクハラって、只事じゃないなぁ。何があったんだい?」

 学生は互いに目を合わせながら話しだす。
「だって・・、ほら、車で移動してる時にも、私が清水先生の前に座ってて、でぇ、私に話しかける度に、いちいち清水先生って後ろから私の肩を叩くんですよ」

 それに隣の学生が答える。
「あぁーそうそう、それそれ。っていうか。私とか、もっと凄いよ」
 河内の方を向いて言う。
「私は清水先生の隣に座ってたんですけど、車が目的地に着いて、さあ降りるぞって時に、毎回、私の膝を叩くんですよ」

 それに別の学生が続ける。
「そう、だってあんた、あの日かなり短いスカート履いてたからじゃない? っていうか、触りたかったからあんたの隣に座ったんだよ、きっと」

「そう、そんな君たちだから行ってもらったんだよ」と河内は言いたいのを我慢する。
 頭を掻きながら、「そんなこと言ってもねぇ。それだけだったら、先生も君たちにやってるかもしれないよ」と言って笑ってみせた。

 学生3人は河内の方を向く。
「先生はそんな事しないじゃないですか。っていうか、次元が違いますよ。あれってセクハラっていうか、わいせつ罪じゃない?」

「そうそう。私、ずっと、やめてくださいって言ってたのに。そんな格好してるからだって言うし、それ、言い訳になってないし。これファッションだし」
 その学生は今日も、季節に似合わず胸と腿の露出が高い。

「ほんと、話す内容もいちいちキモいし。なにが男性経験が多そうだね、とか言って、あのバカ、あのエロオヤジ。・・ねぇ先生、私ら、嘘言ってるわけじゃないですよ、だって、旅行会社のあの女性も聞いてますから。あの人とも先生ヤバイねぇって言ってくれてましたもん」

 河内は腕組みをしたまま少し天井を仰ぎ見た。
「んー、じゃあ、ちょっと福祉の学科長の鈴木先生のところに一緒に行こうか。先生だけが聞いたんじゃあ、ちゃんとした報告ができないからねぇ。君たち、時間ある?」

「え? 鈴木先生ですか?  鈴木って、男の先生でしょ?」と言って3人は顔を見合わせる。

「いやかい?」

「まぁ、いいんですけどぉ、でも、学生課の人が、セクハラのときは女性の人も一緒に付き添ってもらったほうがいいよって」

「じゃあ、同じ福祉の、山崎先生はどう? ね、女の先生も一緒にいた状態で、それで話そう」

 河内は同じ棟内で1階上にある、山崎祥子の研究室をノックした。
 昼食を中断されて、嫌な顔を露骨に出す山崎に苛立ちを覚えながらも、学科長の鈴木利信の研究室に一緒に同行するよう依頼した。

 鈴木の研究室は山崎の隣だ。
 そしてドアをノック。
 学生3人と教員2人がドアの前にいることに鈴木は驚くが、「全員が入ると狭いですね」と言いながら5人を招き入れた。


 鈴木は終始、目を閉じて眉間にシワを寄せて聞いていた。

「たしかにセクハラではありますけどね。じゃあ・・、清水先生に私からも注意をして、それで皆さんに謝罪をしてもらって、それで皆さんが納得してもらえるようであれば」
 鈴木は学生たち3人に、諭すように話しかけている。

 河内が話しだす。
「でもねぇ、今、学生たちから聞いたところによると、以前からずっとセクハラがあったようなんですよ。これはさすがに、学内のハラスメント防止委員会で審議した方が・・・」

 鈴木は困惑した表情をする。
「けどね。今回のお話ですと、まあ・・」

 鈴木としては、学生の前で話をするのは避けたい表現をしなければいけなかった。
 だから口を閉じた。

 学生が言う。
「そのハラスメント防止委員会っていうのには、私たちが勝手に訴えることができるんですか?」

 鈴木は「まあ、そうなんだけど」と返す。

「でも、なんか面倒じゃない?」と学生たちは互いに顔を合わせる。

 沈黙が少し続いたように感じた頃、河内が話しだす。
「では、こうしましょう。君たちの話を、ここでこの3人の先生が聞いたということで、私が代表して、清水先生の件を解決に向けて、そして再発防止のための処置を講ずるということで。ね、この大学の教授会議長の私が言うんだから、心配しなくていいよ。ね、鈴木先生、山崎先生も、いいですね?」

 学生たちは一様に笑顔を見せた。

 鈴木はテーブルに肘をつき額に手を当て、一度強く目を閉じて開いた。
 そして顔を上げて河内を見ると、静かに小さく頷いた。




33:2012年1月21日