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犀の角


まだいました.
猫です.

私のアパートは共同バスルームなのですが,そこの更衣室に誰かがほったらかしたジャージの上で奴は寝ていました.

こっち見て開口一番,「ニャー」

はいはい,おはようさん.とりあえずそこをどけ.俺が今から着替えるんだ.
本日最初の挨拶相手が猫.

「俺の着替えの上で寝るなよ」
と,他の住人に聞こえない程度に口頭による警告を与えといてバスルームへ.返事はよかったんだけど,でもあの顔,信用できない.
人がシャワー浴びてる時も仕切りの前で鳴いてるし,落ち着いてシャワー浴びれないっつーの.

通勤しようと自転車に乗るところまで付いてくるんだから執念深い奴.
さすがに自転車の足にはかなわないから追いかけてはきませんが.

ここまでくると呆れるというか,なんというか.
首輪がついているので誰かに飼われているんだろうけど,さっさとお家に帰ってください.
頼むからここに住まないでくれ.


佐々木閑 著『犀の角たち』を読みました.たしかに面白い本.内容の鋭さはもちろんなのですが,著者の科学と仏教学に対する情熱が伝わってくる力作.宮崎哲弥氏の紹介だけのことはあります.
仏教のことをある程度知っておかないとチンプンカンプンってことになるかもしれなかったので,玄侑宗久 監訳『マンガ 仏教入門』をあらかじめ読んでおきました.これも宮崎氏おススメの本.

科学と仏教は非常によく似ている.そういう視点から佐々木氏が語っていくのですが,これはたしかに納得しました.
仏教は,唯一絶対の真理があらかじめ存在し,その教義・戒律を守ることを信仰活動とする他の宗教(キリスト教,イスラム教など)とは大きく違います.端的に言えば,仏教は 「苦」 から解脱することを最大の目標として修行する信仰(厳密には信仰とは言えない)なのです.
これは,救いを求めて 「神」 を崇めるという活動とは似て非なるもの.

「仏教」とは,「この世の事は全て苦である (一切皆苦)」 というところから始まり,その苦をどのように取り除くのか,そのすべを各々が自らの力で見つけ出す作業なのだそうです.つまり,この世の真理を探し出す作業を延々と続けること,すなわち 「科学」 とその作業工程が同じなのです.

ブッダとは,その苦から解脱できた先験者のような存在.「神」 とは違うのです.そのブッダが入滅する(死ぬ)前に最後にして最大の教えとして残した言葉が,

自らを灯火とし 他を拠り所とするな
法を灯火とし 自らの道を行け

というもの.
これはそのまま科学の作業にも当てはまります.
科学的推論や論理に従って,得られたデーターを見て観察者が理解できる範疇でその事象を解釈する.それを繰り返すことで真理を得ようとする営みが科学です.

仏教とは 『人生を楽しく生きる方法を科学する』 ということを実践しているものに他なりません.

ちなみにブッダが辿り着いた真理は,

この世は常に変化する(諸行無常).
自身も常に変化する(諸法無我).
上記のことを理解できれば苦はなくなる(涅槃寂静).

不変な物・固定された物など一切存在しない.それが宇宙の真理なのだから,それに身を任せれば心は開放され苦はなくなる.ということ意味です.

今日のところは詳細については省きますが,諸行無常と諸法無我については,科学哲学として考察しても全く遜色ないものなのだそうです.

そんなこんな書いていたらまとまらなくなったので,最後に佐々木氏が贈るブッダの言葉を,

究極の真理へと到達するために奨励努力し、
心、怯むことなく、行い、怠ることなく、
足取り堅固に、体力、智力を身につけて、
犀の角の如くただ独り歩め