2009年2月5日木曜日

ニュースは恐い

要するにスポーツに焦点を当てたメディアリテラシーを説いたものです.とても読み応えがありました.

森田浩之 著『スポーツニュースは恐い』.長くスポーツ・体育に携わっている身になると,いわゆる “一般人視点” のスポーツに違和感を覚えるようになってくるものでして,氏はその “違和感” の正体が何なのかをスポーツニュースにまつわる具体例を示しながら説明しています.

多くのメディアリテラシーを説いた本や,先日取り上げた数学の本などでも示される例としては,どうしても政治・経済が多くなってしまいますが,これはスポーツという視点からメディア報道への批判を繰り広げています.

スポーツはそんなに特殊な営みではない,スポーツ選手も特殊な人種ではない.という,当たり前の視点でスポーツニュースを見てみるとおかしなことばかり.

メディアリテラシーという視点を離れても,スポーツでは報じることをタブーとするものもあります.
例えば,スポーツ選手が, “スポーツ選手” を演じているという点.
よく目にするものとしてはサッカー選手が試合終了のホイッスルが鳴った瞬間にピッチにうずくまり,うなだれるシーン.あんなこと普通ならやらないでしょう?

負ける → うなだれる選手に駆け寄る仲間 → 手を差し伸べ起き上がる → とぼとぼとセンターサークルに集まり礼をする.

お決まりの 「負けたチーム」 を皆で演じているわけです.
視聴者・観客もそれを薄々気づいているはず.「いくら重要な試合でも,そんなにあからさまな “ガッカリ” な態度とらんだろう」 と.
でもそれを誰も指摘しません.そうしてほしい,と期待しているのです.そういう “態度” を,そういう “しぐさ” を演じてほしいのです.
スポーツ選手だってそれを期待されていることを感づいている(視聴者側だった時に期待していた)わけで,知らず知らずにそのような行動をとるのでしょう.

それをスポーツニュースはホントのことのように報じます.
はっきり言ってどうでもいいことを感動の出来事のように報じるわけで,それが商売なわけで.
政治・経済では 「んなこたぁあるめ~」 と一蹴されるようなことでもニュースにします.

体力測定していないのに「アフリカ系選手は身体能力が高い」と報じてみたり,深く取材していないのに「固い師弟関係に結ばれている」とぶちあげてみたり.
デタラメだと,適当な情報源だと感づいているはずなのに,スポーツニュースだとそれを追求されません.

スポーツニュースも他のニュースと同様,いえ,それ以上にバイアスがかかった情報なのです.
これだけ適当,デタラメ,ウソ,捏造がまかり通るわけですが,「スポーツニュースってそんなもん」 と思われている節もあるのではないでしょうか?
報じる側にとって,ステレオタイプが気持ちよく当てはめられる媒体,それがスポーツニュースであることが考えられます.
それはつまり,受け取る側のほうがステレオタイプであってほしい媒体とも言え,さらにはアスリートもステレオタイプを演じる衝動にかられる媒体.それがスポーツニュースなのです.
すべて “わかっている” はずなのに.わかっている上で,それぞれの建前と思惑が交錯しながらも,絶妙のバランスで成り立っているスポーツと報道.

そのくせスポーツに教育的価値があると本気で信じている人がいるわけですから,まったくスポーツっていうものの正体がわかりません.
それだけに人類にとっての現代スポーツという営みの深さを感じます.