2009年7月1日水曜日

今年も半分終了


というわけで,どしゃ降りの自転車帰宅を避け,後輩でもある学生に自宅まで送ってもらったわけですけれども,そんなに激しく降る様子もなく,自転車で帰ってきた方がよかったのかもと 人の親切を踏みにじる感想をもっております.

せっかくですから,こうなりゃ 明日の朝がどしゃ降りであることを祈ります.
予報では大雨.
“悪い” という良い結果を望みます.

それにしても,「雨」という天気が「悪い」というのはどのような価値観からでしょうか.
考えてみれば不思議なことで,雨という天気を「崩れる」「悪くなる」「怪しくなる」などと表現することには何か意味があるのでしょう.

今回の私のように,濡れて帰らなければならない,という場合は「悪い」と表現されるわけでしょうが,雨が降らなければ渇水などの問題も起こるわけですし.それに 「濡れて帰る」 ということそのものが悪いことかと言えば,単純に考えたらそういうわけでもない.脱げば良いのですから.
“よそ行きの服(最近の若い人にはこの表現を知らない人が増えているそうである)” が台無しになることを避けるという経済的,それにともなう心理的な理由があるかもしれません.

スポーツやレジャー,子どもの外遊びという観点からは,雨天中止という部分がありますから,これは予定をくるわされるという点から「悪い」ということになるのでしょう.
念のために,雨が降ったらなぜ中止になるのかと考察してみると,それは衛生上の問題に行き着きます.体温の低下に伴う免疫力の低下,それによって風邪をひくだとか湿潤環境による感染症が発生するだとか.そんなところでしょう.

調べてみましたら,先進国を主とする温暖な(西岸海洋気候の)国々では「雨」を「悲」のイメージとして捉えることが多いそうで,アフリカや中東,中央アジアといった乾燥気候の国々では喜ばしいこととして捉えているようです.

日本はというと,これまた微妙というか流石というか.四季の移ろいを豊かに感じとる文化の真骨頂.良いイメージと悪いイメージを両方持っているんですね.
雨が生活に密着している国だからこその感覚だそうです.


平年なら7月中旬には梅雨明けですから,もう少しこの天気が続きます.

そんなこんなでこの記事を書いていましたら,外は大雨.
もしかしたらこの中を帰っていたかもしれないと思うと,やっぱり送ってくれた学生に感謝です.

もう7月,今年も半分を過ぎました.