2009年9月24日木曜日

越後の龍


この記事のタイトルにたいした意味はありません.
昨日のタイトルにかぶせてみただけです.

“越後の龍” っていうのは知る人ぞ知る戦国武将・上杉謙信のことで,“甲斐の虎” こと武田信玄と何度も 「川中島の合戦」 で相対した名将です.
今 NHK・大河ドラマでやってる直江兼続の主君でもあった人ですね.

この直江兼続ですが,私はドラマを定期的に見ていないんで,どんな描かれ方をしているか判らないんですけど戦上手とは言えない人でして(1000名で守る城を相手に2万で落とせなかった等),どちらかと言えば政治で上杉家を支えた武将だったようです.

大河ドラマなんかでは色々脚色しますので,偏見を捨ててよーく調べてみればイメージと違う戦国武将が見えてきます.

ちなみに,兼続の「愛」の兜にしても,ドラマでは “仁愛” の「愛」としてテーマにもしていますが,本当は「愛染明王」という軍神の「愛」をとっているものです.
主君である謙信は「毘沙門天」という軍神を信仰しており「毘」の旗印を掲げていましたので,それに影響を受けたのだと考えられています.
心理学で言うところの典型的な「同一化」ですね.

織田信長なんかは,対今川義元の桶狭間の合戦という奇襲作戦が有名ですけど,信長がこういった奇襲作戦をしたのは後にも先にもこの一戦のみ.
確実に勝てる状況で,確実な戦法で堅実に戦うのが信長流.負け戦が濃厚だった対今川戦のために捻り出した異例中の異例なんだそうです.

長篠の戦いにしても,最近は三段撃ちによる一斉掃射は疑われており,普通に一斉掃射しただけではないかと言われています.が,ここで論点にしたいのはそういうことではなく,信長を語る上で 「最新兵器であった鉄砲に目を付けた最初の武将」 というのが実は誇張であるということ.

鉄砲はそれよりだいぶ以前から合戦に使われており,良い戦績を挙げることも知られていました.
鉄砲伝来が1543年で,長篠の戦いが1575年ですから,30年以上が経過しています.雑賀衆などが合戦で鉄砲を大量に用い始めたのが1550年頃からですから,実に20年の運用年数が経っているのです.
その間,信長は鉄砲の能力を十分に検討し,利用価値とその運用方法を精査した上で使用に踏み切ったのです.決して最新技術を長篠で披露したわけではありません.
慎重・堅実派の信長らしい合戦だったというわけですね.

上杉謙信にしても武田信玄にしても騎馬部隊が有名ですが,実は他の足軽部隊や鉄砲部隊にも結構力を入れていて,戦力配分比では他の勢力と変わらなかったようです.
つまり,オーソドックスな戦力,信頼できる戦力を,いかに運営するかが勝負の分かれ目なんです.

だいたいが,勇猛果敢に突進するような武将に先はありません.最新技術に簡単に手を出すような武将も末は見えています.先に紹介した最新の鉄砲を重用した雑賀衆も,一時は華を咲かせるかに思えましたが結局むなしく散って行きました.
慎重で冷静な行動をとれる男こそが天下に近い武将なのです.


これはスポーツにも言い換える事ができるのではないでしょうか?
最新のトレーニングほど怪しくて効果が期待できないものはありませんし,奇策なんてものは,勝てる見込みの無いチームや選手が使うものでしょう?

足利事件で有名になった当時としては最新のDNA鑑定が,実際は信頼できない方法であったという報告からも,最新技術や最新のメソッドこそが一番怪しいという教訓があります.

ある程度の冒険が必要であることはたしかですが,信頼できるトレーニングや練習を積み重ねた上で,最終的にどようにして相手の裏をかくか.そこがポイントだと思います.

確実な効果が期待できるものをいかに集められるか.
「最新のもの」 を安易に信頼せず, “確実に効果が期待できる部分” とはどのようなものか,を精査しながら利用価値や方法を考える必要があるのでしょう.