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戦争の目的


何事も“目的意識”を持つことが重要であること.
これをここ数回(兵器開発,組織,教育)に渡ってメッセージの主題としてきました.
もう一つこれについて取り上げておきましょう.

“戦争の目的” について明快な説明をしたのが,クラウゼヴィッツ 著『戦争論』です.
最近では,小林よしのり 著『戦争論』というのが有名だったりしますけど,古典として有名なのがこっちでして,戦争の本質に迫った価値ある一冊です.

ややもすると戦争というのは,「権力者の道楽」とか「虐殺好きのカタルシスを満足させる行為」とか「なんかわかんないけどヒドい行為」などと単細胞的に片付けられてしまいます.

まじめに論理的に戦争の目的を考えないと,国際政治のやり取りが全く見えてきません.
では,クラウゼヴィッツは戦争の目的をどのように捉えているのかというと,
“我が意を強要させること” が戦争の目的だとしています.

つまり,こちらの交渉条件をどうしても呑んでほしい場合に執られる,一種の交渉手段であると述べています.
これが戦争論で述べられたクラウゼヴィッツの有名な一節である,
“戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない.政治的意図が常に目的であり,戦争はその手段に過ぎないからである.そして手段が目的なしにはとうてい考えられ得ない”
というものです.

また,クラウゼヴィッツはこうも言います.
“人道主義者達は「できることなら流血を伴わない戦争が良い戦争である」と考えるが,これは謬見である.戦争の粗野な要素を嫌悪することは,戦争の本性を無視しようとする無益で間違った考えである”

どういうことかというと,戦争の本性が「ヒドいことをする」ということに価値があるからです.
「戦争になったらヒドいことになる,だから条件を呑んでやろう」と考えさせたり,「ヒドいことになるけど,それだけの懸案なのだと思わせてやろう」と考えさせることこそが戦争の持つパワーなのです.
ヒドいことにならない戦争は戦争じゃありません.
虚しく,悲惨で,掛替えの無い命のやり取りがあるからこそ価値のあるものなのです.

右翼的な人たちは戦争を美化する傾向にありますが,私はこれも違うんじゃないかと考えています.
戦争の本性からすれば,正しい戦争,勇ましく正義のある戦争などないのです.
戦争が起きれば,どちらにも正義があり,どちらにも正しい価値観があります.

無情な惨事を起こすことで,これを早く解消させたいがために交渉が進展する.これが戦争の利用方法.
論議以外に手段がなければ,いつまで経っても議論が平行線になるでしょう.これは当たり前ですよね,お互い自分にとって好条件で手を打ちたいのですから.

できれば実際には戦争せずに外交できるのが理想ですが,交渉の過程で戦争をチラつかせることが,交渉をスムーズにさせるエッセンスです.
戦争をしてまで主張を通そうとするのは結構な覚悟がいりますから,どっかで落としどころが見つかるもんです.
その落としどころというのは,軍事力が強い側にとって有利になるようになっています.
“武力の無い外交など無力だ” と言われるのはこのためです.

クラウゼヴィッツの『戦争論』では戦略や兵の起用方法についても触れられていますが,そこらへんはあまり面白くありません.
序盤の「戦争とは何か」という命題について取り上げている部分がコアだと思います.