2010年7月5日月曜日

半年が過ぎて

今年は長く感じます.
まだ7月です.

いろいろ盛りだくさんの2010年.
やり残している(仕事として)事があるんじゃないかと不安な時もありますが,そこらへんは適当に気分を落ち着けて日々を過ごすしかありません.

すでに後期,そして来年度の授業について想いを巡らし始めています.
もう前半の授業は今からどうこうできることではないし.
学生の反応を楽しみにできるようになっただけ慣れてきたのでしょう.


さて,先日話に出した体育の授業についてですが,自分なりの想いを(理想論が強いですが)述べたいと思います.
教員を目指している学生,特に児童・ジュニア教育に携わる学生には伝わってほしいところなのです.

とある学科・クラスの学生にはレポートも出しました.
レポート課題にしたのは以下の書籍.
荒神天我 著 『反体育論』と,
広瀬一郎 著 『スポーツマンシップを考える』
この2著の「はじめに」の部分を読んでもらってレポートを書いてもらうというもの.

中には「この続きが気になる」という学生もいました.
図書館に入れておいたので読んでもらえれば幸いです.

とりあえず両著の主張をまとめておくと,『反体育論』では「体育の授業は運動嫌いを生む温床.体育によって運動不足が解消されるとか,健全な精神が育まれるというのはウソ」というもの.
ウーーン.間違いありません.体育では運動不足は解消できないし,健全な精神は育ちませんよね.みんな分かってて誰も口にしないこと.
そもそも運動不足を解消するために体育をやっているわけじゃないし,よくある体育で健全な精神が育まれるなら,同じ教科の一つである数学や国語でも育まれるはず.
わざわざ体育を授業でやる意味ってなんでしょうね.

これについてヒントを与えてくれるのが『スポーツマンシップを考える』.「スポーツマンシップとはつまり “尊重の精神”.ルール,対戦相手,そして審判への尊重を忘れたスポーツは,もはやスポーツではない.きれいごとではなく,“本当に強くなるため” に必要なことはスポーツマンシップを知ること」というもの.

体育では教材としてスポーツを扱うことが多いので,当然スポーツをすることが多いことになります.

体育というと,どうしても集団行動や規律正しく動けるようになるための練習という印象が強く,スポーツ種目にしても技術や競技力を高めることに主眼が向かいがちです.

これに対し,「技術や競技力よりも,体育は楽しむことが重要」という意見もあったり,この意見にはさらに「まず技術や競技力めなければ面白くないのだ」という反論もあったりで.

でも,これらの意見は体育やスポーツの一面しか論じてないと思うのです.
スポーツはなぜ楽しいか?なぜ技術や競技力を高めたいと思うのか?というところです.
ここにスポーツの教育的価値があるのです.

自分と比較対象となる対戦相手がいる,互いをフェアにするためのルールがある,そして競う.
ヒトは争うことに興奮を覚えます.これがスポーツが楽しい簡単な理由です.

良く出来たルールとシステムで構成されたスポーツ種目(いわゆるメジャーな種目)は,その取り組みにも真剣になれます.
だから,より良いプレーをしたいと思うようになるから競技力を高めたくなります.

真剣に,本気で試合をするということは,「自分はこれだけ頑張っているのだから,これだけ練習してきたのだから」ということで対戦相手に勝ちたいという想いが強くなるわけです.
すると,勝ちたいという純粋なエゴが前面に出てきはじめます.
スポーツではこれをコントロールするするところに,その存在意義があるのです.

どんな状況であろうとフェアプレーの精神を守る.相手が偶発的に不利な状況になれば,そのギャップを埋めるような姿勢をみせる.
ルールを守り,その象徴である審判に判断をゆだねる.
無礼な態度はとらず,やるからにはフザけたマネはしない.
これらは映画などで目にするキザったらしい騎士道や武士道に通じる精神です.

でもこのキザったらしい精神を世界中の人類が共通で “善き精神” として認めているわけで,そしてスポーツ,つまり体育をすることはその精神を気づかせる絶好の機会なのです.

最近は,“真剣にやらないことがカッコいい” ,あげく “出来ないことがカッコいい” などと考える子どもが増えているとか(諏訪哲二 著 『オレ様化する子どもたち』).
そんなことだから,いい歳して“不良がカッコいい” みたく,ダラダラ出席目的だけに講義を受け,最後列でふてぶてしく座っているんです.

この “善き精神” を育てるには,各スポーツ種目の正規のルールや用具でやる必要なんてないと思います.
とりあえず真剣に試合ができるフェアなルールとシステムにしてしまえばOK.
長々と技術練習なんてやらなくてよいのです.体育の授業でプロスポーツを目指せますか?技術や蘊蓄なんて必要に応じて覚えていけばいいのです.

重要なのは,その授業一つ一つで騎士道・武士道精神を学生や子どもに落とし込めるかどうか.

試合はつまり “決闘” の代理です.神聖な行いです.
だから,いつもの友達付き合いの延長で試合中におしゃべりしたりフザけ半分にやっていたら周りの人たちにも失礼なのです.

「授業中は真剣に」などと怒られている学生がいますが,私からすればスポーツをする上でのマナーです.

こういったことは別にスポーツだけに通じる精神ではないと思います.
日頃の生活や社会生活においても重要な精神性です.
こうした姿勢を育てること,それが体育の授業をやる意義だと考えています.