2010年10月25日月曜日

夢があることと,語れること


自分ところの学生と話をしていると,就職云々の前に,そもそも「勉強するとはどういうことか?」が固まっていない人が多いような気がするんですね.
明確な正解がある問いでは無いのですが,少なくとも「私はXXだと思っている」と答えられるようになってほしいものです.

こうした問いについて,最近おもしろい本を見つけた(今日読んだ)ので取り上げます.
以前紹介した本の続編でもある喜多川泰 著『「手紙屋」蛍雪篇』です.以前の『手紙屋』は就職活動版だったのですが,今回のは受験勉強版ということになっています.

なぜ勉強しなければいけないのか?勉強するとどんな良いことがあるのか?
といったことについて,主人公が悩み,それに “手紙屋” が応えていく形式で物語が進んでいきます.

ボリュームが少ないわけではないのですが,アッという間に読み終えることができます.
ストーリーはサクサク進んでいきますし,そこで語られる事には有益な示唆が含まれています.

興味深かったのは,「最近の高校生や大学生は,なぜ夢が無いのか?」ということについての “手紙屋(著者)” の考え.
「夢が無いのではなく,夢が語れない」のだというのです.

自分の持っている夢が実現できないことを知るのが高校生や大学生の時期であり,将来のために必要な時期でもあるのだとします.
子供の頃は誰でも夢を語ります.
多くの場合,それは「自分のためだけの夢」であることが多いのです.
・カッコ良くみえる
・お金がたくさんもらえる
・好きなことだから
・成功しているとみられたいから
こうした理由で持っていた自分の夢のほとんどが実現できないことで,非常に困難な道であることを知るのです.

というわけで,この時期の人に
「夢は?」
と聞いてみると
「まだ決まっていない」
というステレオタイプな回答が返ってきます.

でも,こうした人も再び夢を語るようになるのです.
それは,社会人になり,仕事を始めて暫く経ったときです.

居酒屋では中年サラリーマンは愚痴と自慢話を語っていますが,20代サラリーマンは夢を語っています.
かくゆう私もそうです.
この本を読んでいて,私たちの世代について見透かされているようでビックリしました.

社会人になってから語る夢は,子供の頃の夢とは違います.
「現実的になった」のではなく,
「社会的になった」のです.

それはつまり,自分が社会にとってどんな貢献ができるか?という夢が芽生えるのです.
自分の立ち位置が見えてくれば,そこから動き始める「夢」があるものです.

今の私の夢は,過去の私の夢とは大きく違います.
「〜〜のような凄い人になりたい」というものから,「日本にとって重要な人材を排出していきたい」というものになっています.
気がつけば,周りからの自分の評価を気にすることは小さくなっています.
以前は「凄い人になりたい」というだけあって,その評価を大事にしていたのでしょうけど.

評価を全く気にしないわけじゃないんですけど,立場を危うくしない程度に適当に調整しといて,それよりも大事なことを成し遂げたいという気持ちの方が,自分にとって「夢」の部分なのです.

学生時代に考えていたことを思い出すと,今の私の「夢」は想像もつかない不思議なものです.
人は変わらないとも言いますが,変わっているものも確かにあるのです.