2011年11月27日日曜日

議事録

昨日は大学院の後輩たちと久しぶりに梅田周辺でミーティング.
会場は餃子をメインにした居酒屋です.

教育系の大学院博士課程に進学する人がいるということで,彼を囲んで(といっても3人だが) 「教育」 と 「筋力トレーニング」 について熱く語り合った夜でした.

その議事録を以下に示します.


1.日本の諸悪の根源は「野球」
全会一致で採決された.
会の出席者全員が元球児であることが強い説得力を持つ.

日本社会の根底にはびこる 「パフォーマンスよりもプロセスだ!」 を重んじるくせに,「最終的にはパフォーマンスが大事なんだよね」という理不尽な空気をつくっている根源である.

特に「高校野球」がそれに加担している割合が非常に高いという意見が多かった.
誰も高校球児が「爽やか」で「一生懸命」で「ひたむき」だなんて思っていないくせに,なぜか “それ” を期待していること.
そして,高校球児たちもそれを “演じている” ことが痛々しい.

あの最終回での測ったような 「内野ゴロ,そしてファーストベースへのヘッドスライディング,アウト!」 は,ハリウッド映画における 「あれだけ銃を乱射してたくせに結局最後は殴り合いで決着がつく」 に匹敵するほどのお決まり演出である.


2.教育は本当に大事なのだろうか?を問う
「私の教育論」 を展開する人は多いが,そういった教育がそもそも必要かどうかを問う人は少ない.
大いにこれを博士課程で研究してくれ,との強い応援があった.

“教育は必要” なのだろうが,そのあり方や必要性は常に問い続けるべき.
現代社会とこれからの社会を切り開いていく者にとって “教え,育むべきもの” は何か?
勉強(読み書きソロバンのこと)と教育は別物(のはず)だが,この両者が同質のものとして議論されていることに強い違和感がある.

教育に携わる者たちは文部科学省からの通達をそのまま垂れ流すのではなく,プロとしての自覚を持って,自ら「教育」を考えるべき.
「ゆとり教育」 の崩壊は,文部科学省からの “お言葉を頂戴する” という姿勢の学校教員が招いたものである.
自律(自立)した教員の育成が先にあり,そのあとに「ゆとり教育」を実施すべきであった.

※かなりの酩酊状態で実施された議論であったため支離滅裂に終わる.


3.守・破・離―日本の教育は守ってばかり
守破離が教育に必要.
小・中学校(高校もかな)では 「守」 の教育.
高等教育機関に進んでいる段階では「破・離」の教育ができることが理想,との意見が出された.
大学にまで来て 「授業を聴く」 だけではダメである.
学生同士,そして教員との議論・討論により学んでいくべきである.

帰り道,大阪駅に向かうまでの新御堂筋辺りで引き合いに出されたのは以下の名言,

平凡な教師は言って聞かせる
よい教師は説明する
優秀な教師はやってみせる
しかし最高の教師は子どもの心に火をつける
~ウィリアム・ウォード~

この言葉の意味することは,教師と教育の理想とは自律した子供を育てることにあり,「善い」とされるコンテンツを与えることではないという事である.との意見が出された.

やってみせ
言って聞かせて
させてみせ
褒めてやらねば人は動かじ
~山本五十六~

山本元帥の言葉は教師側からの言葉であるが,ウォードの言葉と比べ見事に反転しているところが興味深い.
やってみせて,言って聞かせた(学校教育)後は,演習,つまりゼミ(高等教育)が必要なのであろう.
演習・ゼミとは教員と一緒になって研究することであり,そうした中でその分野の深淵を覗き込むことができるのではないだろうか.

※シラフな状態で思い返すと,極めてステレオタイプな考えだと反省している.


4.ファンクショナルトレーニングは怪しい
エビデンスの薄いトレーニングを推しすぎるとシッペ返しがくるかもしれない.
ただし,お金儲けのためには仕方ない部分もある.
やっぱり素人相手に「バランス」「軸」「機能」というワードはウケが良い.
適度に利用しよう.


以上