2013年6月27日木曜日

いじめ問題は解決できるものではないけれど,それでも.

前回は,「いじめ問題」に関する書籍の紹介と,私なりの「いじめ問題論」をとりあげました.
いじめ問題は解決できるものではない
結論としては,いじめ問題というのは,誰かが管理して解決・予防できるようなものではなく,恒常的に発生し続けるなかにあって,その「いじめ」という状況をいかにコントロールするかが問われるのではないか,というものです.

いじめ問題を教師の責任にするな,というのが私の主張なんですが...
抽象論ばかりなのもなんなんで,今回は私自身のエピソードをお話しようと思います.

ただですね,こういうのって,ちょっと自慢話めいたものになるので記事にすることに気が引けていたのですが,何かの拍子に皆様にとってポジティブな影響があれば幸いですので,ご参考にしてもらえればと思います.

私自身,「いじめを受けた」,または「いじめていた」という認識もありませんので(ただし,「いじめていた」という認識については誤認・誤解があって難しいのですが,この記事では割愛させてもらいます),これは「外野」としてのエピソードです.
でも,これまでの記事でも書いているように,いじめ問題というのは,この「外野」こそが重要なアクターとして振る舞うわけですから,こういう視点も大事かと思います.



高校時代のことです.
いじめられやすい生徒「A君」というのがおりました.
いじめられやすいというのは,彼の性格というか,もっている雰囲気というか,とにかくA君は少し変わっているのです.
私自身,“変わってる人” が多い大学界に身をおくようになった今でも思うのですが,やっぱり彼は変わっておりました.
そして,「いじめやすい」雰囲気も持っていました.というか,A君のようなタイプの人は,確実にどんなところでもいじめられるでしょう.

フォーマット化された表現をすれば,まじめで,人当たりがよく,明るくて,人に嫌な思いをさせない生徒.そして,先程は「変わってる人」と言いましたが,こういう人はどこにでも一定数はいる「普通の人」と言えなくもないわけでして.

でも,率直に言って「(周りが)見下しやすいタイプ」であり,知的水準も低そうで,場の空気を読めないところがあり,からかったり小突いたりしても歯向かってくる雰囲気もないというところで「いじめられやすい」という感じなのです.
私にしたって,A君のことをいじめたりはせずとも,見下していなかったと言われればウソになります.

きっと皆さんも,なんとも言えないけど「いじめられやすい」という人の存在,分かってくれるのではないでしょうか.
前回紹介した諏訪氏からすれば,最近はこういう「いじめられやすい生徒」以外のいじめが発生しているということですが,まぁ,とにかくこういう生徒は確実にいじめられるわけでして.
ご多分に漏れず,このA君も1年生の頃からいじめの対象になっておりました.

ちなみに,卒業してから後,あるルートで聞いたのですが,A君は中学校の頃にそれはそれは凄惨ないじめに会っていたとのことで,いじめ慣れしているところもあったのかもしれないです.

さて,私とA君は野球部に入部しました.
当然,変わってるA君は同級生や先輩からの「からかい」の対象になりました.どんな「からかい」かというと,「おい,今度はグローブ忘れんなよ」「お前,野球やってる場合じゃねぇだろ」とか,帽子を跳ね飛ばしたり小突いたりといった,文章にすれば極々普通の高校生の冗談交じりの会話や行動なんでしょうけど(私もその標的になったこともあるわけで).
だけど,彼を標的にした場合には「からかい」とはベクトルの違う,若干の「いじめ」のエッセンスが混じっている.そんな感じです(わかります?).
春から夏にかけては「からかい」で済んでいたのですが,事が起こったのは野球部の夏合宿.

いつも通り合宿中もからかわれていたA君.そうこうするうち,同級生のB君の「からかい」が少しずつエスカレートしていくのが気になりました.
B君というのは,私やA君と同級生でして,少しヤンキーの気が入っているけど,いわゆる悪い奴ではありません.ただ,ちょっと調子に乗り過ぎる部分があるという「どこにでもいる人」.

監督が用事があって宿舎を離れ,生徒だけになった時です.“いつも通りに” B君がA君を小突いていたのですけど,それがそのうち「小突き」ではなく「パンチ」に,そして「暴力」と捉えられるようなものになっていきます.

顔色が変わるA君.でも抵抗しない.抵抗しないA君をいいことに,強度を高めるB君.
「これは一線越えている」と私は思い,「おい.B.やめろ.そこまでやったら面白くねぇよ」と,間に入って制止.なんとなくB君への配慮みたいなニュアンスも込めておきました.
A君を守りもするけど,単純に注意しただけだとB君の立場が居心地悪いものになる.そんな感じがしたのです.
正義面した言葉をかけるのも照れくさい,というのもありました.
そして,「からかい」と「いじめ」の標的が,巡り巡ってA君から私へと変わるのではないか?という不安もあったのかもしれません.
そういった諸々の事情からはじき出された言葉が,上記のものでした.

でも,同じような事が後日もう一度起きます.今度は部員も何人かいる前で.しかも,先輩Cさんもそれに加わっています.
「だからやめろって」と,今度はB君の目を覗きながら言いました.「へへっ」と笑いながら,照れ隠しするようなB君.私としてはCさんには言えないので,代わりにB君だけ対処(Cさん怖いし).周りの部員たちも気不味くなって.そこで事は終了.

B君としても,ちょっと真剣に注意する私を見て,「ありゃ?オレ悪者じゃん」ということに気づいたんではないでしょうか.周りの部員たちも気不味い雰囲気をつくってくれたし.
B君のようなことをA君にしていたのは,他にもいるわけで.でもその時,少なくとも野球部ではA君への「からかい」に限界ラインが引かれました.

1年生の夏合宿以降,少なくとも私が見ている前ではA君に対する「いじめ」はありませんでした.変わってる人の宿命である「からかい」は続きましたけどね.

でもまぁ,きっと影でいろいろといじめられてたんだろうな.とは思いますよ.
この高校は全寮制です.なので「逃げ場所」が少ないという側面もあるんです.
時々,何かしらの暴力を受けた痕が見える時もありましたし...

そんなA君を少しは守ろうという,私なりの若い正義心がありまして.
3年間,私と寮が同室だった同級生にK君というのがいるのですけど,彼と一緒にできるだけA君と遊ぶようにしていました.なんだかA君を(今風にカッコよく言えば)孤立させたくなかったのです.
休日なんかはずっとTVゲームばかりやってるというので,頻繁に校外にキャンプへ連れ出したりなんかもしました.
※このキャンプのエピソードは,それはそれで我ら「3バカトリオ」が青春してて面白いのですが,ここでは割愛させてもらいます.
とは言え,例えば,
・暴風でテントが飛ばされちゃったでござるの巻
・えらく綺麗な山だなと思っていたら頭上をゴルフボールが飛び交っていたでござるの巻
・これ幸いと野営したところが暴走族の集会所だったでござるの巻
なんていうエピソードです.また機会を改めて...

これ言うと自慢になっているので痒いんですけど,野球部で体格も悪いわけでなく,ヤンキー系の生徒ともしゃべってるんだけど “ワル” ではなく,寮長や寮会長(通称・夜の生徒会長)をやってるような生徒が,A君のバックにいる.今にして思えばこれは,A君のようなタイプの生徒に対し,いじめっ子が手を出しづらい結構なファクターかと思えたり.

もちろんそれだけじゃないですよ.A君が全寮制の高校生活においても追い込まれて自殺ではないにしても「崩壊」しなかったのは,A君と寮が同室の人の存在,A君を理解する友達や野球部のみんなが作り出す「輪」がA君を支えていたのではないかと思うのです.
特にA君と寮が同室の人なんかは,いわゆる「逃げ場所」としての部屋をつくってくれたのは大きいはずです.

A君は元気に卒業していきました.
「A君,将来の進路はどうすんの?」
「ん?介護で働く」
「え!?(笑)A君が介護された方がいいんじゃね?(笑)」
と私も「からかい」ながら.
今はどうしてるでしょうか,そろそろ再会してみたいですねぇ.

A君のように,あからさまに「いじめてください」のオーラをまとっている生徒は,教師や学校,カウンセラーができることは限られています.まして,寮制の学校ではさらに難しいわけですが.

だからこそ,周りの生徒の言動にかかってくるはずです.
冒頭では周りの生徒のことを「外野」として表現しましたが,むしろ外野こそが当事者なのです.
「いじめ問題を教師や学校の責任にするな,周りの生徒こそが当事者だろ」ということなのです.

義を見てせざるは勇無きなり,が素直にまかり通る土壌が私達の高校にはありました.
そんなに強い勇が無くとも,それを後押ししてくれるものがありました.

今回の私のエピソードのようなことは特殊な事例ではなく,全国の学校で意識的にしろ無意識的にしろ展開されていることではないでしょうか.
だからこそ,統計上は「いじめ」による自殺は少ないわけで.

むしろ,「いじめ」は格好の教育材料なのです.
こうした「いじめ」の場の只中にあって,生徒がどのように振る舞うべきか,それこそを問う学校現場であってほしいものです.