注目の投稿

STAP細胞研究の件について

STAP細胞にまつわる論文と理化学研究所の騒動について.

「まだ論ずるべき材料が揃っていないから」ということで避けていた話題です.
未だに論ずるべき材料は揃っていないんですが,せっかくですから現時点での「感想」を述べておこうと思います.

それは何かというと,
何も論じられない話なのに皆して大騒ぎした,“それ” が本件で最も興味深いということです.

今回の感想をまとめておきます.以下のようなものです.
門外漢の人は,本件を見る上での参考の一つにしてください.

STAP細胞があるか否か?について
これが最も重要な点です.でも,これこそまだ何も分かりません.な~んにも.
何も分からないのだからSTAP細胞が出来るか否かの結論が出るまで待てばいいものを,何をトチ狂ったのか,この点をメディアや世論(ネットコメント)はつつき回しました.
研究リーダーの記者会見までやりました.ネットでライブ中継までしてましたよね.
そしてその場で「STAP細胞は存在するか?」なんて無意味な質問をしてました.きっと物事を論理的に考えられない人です.それは確認できました.

もっと言えば理化学研究所もそうです.
何も分かっていないのに当該論文を「不正」とか「捏造」と決めて取り下げようとしました.
ですから私を始めとして多くの「研究者」としては,「“確実に” 理研が何か隠している」とみるわけです.
もしくは,単に彼らも想像を絶するバカだった.そんなところです.でも,理化学研究のプロ集団ですから,そんなことは無いはず・・.
ただ,こういうマスコミ対応,世間との対応が苦手でピヨって慌てた可能性も無きにしもあらず.かもしれないです.そう信じたい.

本件の肝でもあるのですが,この「STAP細胞が存在するか?」と「論文に不正があったか?」は別の話です
「論文に不正があるからSTAP細胞も存在しない」ということにはなりません.落ち着いて考えたら小学生でも分かる話です.
でもなんだかそんな論調で騒いでいたように感じます.今もそうかもしれません.

あの研究リーダーの記者会見ですけど.
そんな記者会見を見て,「彼女を信じようと思った」なんて言い出すトンチンカンも現れましたが,それ以上に末期症状だと思い知らされたのが,
「結局,説得力のある証拠は示されなかった」
などと言う人です.
何を出せば「説得力のある証拠」なのか?と自分で考えたことはあるのでしょうか.
記者会見なんかで証拠が示せるわけないのに.

私としては事あるごとに書いていますが,「理解できないんなら口出すな」ということです.
おそらく,記者会見の場に居合わせた人のほとんどが「STAP細胞があるか否かを,彼女から聞き出そう」という態度だったことかと思います.
そんなわけで,彼女とすれば「あります」としか答えられないのですから,あのような問答になります(無いのに「ある」って言ったのならウソつきだけど).
私としては彼女が言いたいことは理解できたつもりですが,あとは事実確認が終るのを待つだけです.

論文に不正があったか?捏造だったのか?
これが本件で争点となっていることです.
「不正」なのか「捏造」なのか「ミス」なのか.それが争われています.
大事な争点なのですから,最近,渦中の研究リーダーは「不正」「捏造」「改竄」といった言葉の解釈を明確にするよう質問状を出しているようです.そりゃそうですよね.

もちろん,これはSTAP細胞があるか否かで意味が大きく変わってきます.
そんなこと言うと,「やっぱり論文の不正とSTAP細胞の存在は同じものだ」と言い出す人もいるでしょうけど,別問題です.
ここの解釈が一般の人には難しいのでしょうか.

例えば・・・,
東京都立大学を卒業して三菱商事に就職している人がいるとします.
その人が「履歴書」の学歴に東京大学卒業,職歴に三菱商事と書いていたとします.
これを見て「東京大学卒業じゃないじゃないか.きっと三菱商事も捏造に違いない」っていう指摘に対し,
「すみません,書き間違いです.まさかそこを略しちゃいけないとは知らなかったんです.でも,最終的に三菱商事にいることは事実なんです」
と言っているという状況です.
そんなとこ略したら大問題になることを知らなかったことは社会人として恥ずべきことであるし,これは立派な「捏造」と言えなくもない.
けど,だからと言って三菱商事に就職していることも捏造だということではないわけで.
だからその「捏造」とか「改竄」といった言葉の解釈を質問状にしているのでしょうね.

私としては,
1)STAP細胞が無いのに「ある」という論文を書いていたら「捏造」です.
2)STAP細胞はあるが,その結果を意図的に改竄して書いていたら,強い「不正」です.
3)STAP細胞があって,その結果をカッコよく見せようと操作しても,科学論文としては「不正」です.
4)単純に間違えて写真や文章を採用していたのなら「ミス」です.

あと,5つ目の可能性として「何か別の現象で発生したものを,STAP現象だと勘違いしていた」というもの.可能性は低いけど.

彼女の話を聞いていると,3番目の「カッコよく見せようとした事が,結果的に不正だった」という可能性が読み取れます.
が,それもこれも今後の調査次第です.現時点では全く何も分からない話ですから.

だからやっぱり全ては「STAP細胞があるか否か?」になるわけです.
勘違いしてほしくないのですが,STAP細胞があったとしても彼女がやらかした事の調査は進めてもらわなければいけません.
どうやらこの分野では本件のような切り貼りコラージュを論文に掲載することは「不正」のようですので(私は当該分野じゃないから詳細は知らない).

あと,この件について,いろいろな「科学者」の方々がコメントを出されました.
皆,至極当然な事をおっしゃられています.
何を言っているのかというと,
「論文の書き方に不正がある疑義が極めて濃厚で,研究の仕方が杜撰」
ということです.
今後,彼女はこの点を気をつけなければいけませんよ.っていう話なのですが,これがどえらいニュースになっているのです.

ネットのコメントなんぞを見ておりますと,「科学論文はミスですら許されることはない」と言う人もいますが.
こういう人って,ちゃんと科学論文を書いたことが無い人だと思われます.もしくは “言い過ぎ”.
いえ,ミスしてもOKだなんて言ってるわけじゃないのです.ミスはダメですよミスは.
もちろん不正も捏造も.
“意気込み” としては「ミスは許されない」のですが.
けどね,例えば今回の件であればSTAP現象が起きることが分かって(真実だったとして),それをNatureに投稿して掲載されたんなら,もうそれでいいじゃないかとも思うんです.査読も通ってるんだし.

んで,その後ミスだか不正だか知りませんが,それが今回見つかった.
だから筆頭著者以下,関係者が信用をなくしてしまった.
写真を切り貼りしちゃいけないの知らなかったの?ダメだよそれは!
って,それだけの話なのでは?科学界を揺るがすような事件ではありません.
何をそんなにしつこく大騒ぎしているのか意味不明なんです.ちょっと騒ぎ過ぎですよ.
(しつこく但書ですが,私は彼女やこの研究チームを養護してるわけじゃない!)

いやいや,他の理研や早稲田大の関係者も同じく「不正」が横行していたらしい.
という話も出てきたのですけど・・・.
さて,
ここから先は,本件で科学研究をやっている人たちの多くがおそらく感じたであろう「あくまでファンタジー」としてお読みください.
決して私自身が研究を杜撰にやっているわけではないです!

まず,この分野では論文用の写真は切り貼りすることが “影では” 主流になっているのではないか?ということ.
えぇ,そのままです.その可能性が考えられます.あくまでファンタジーですよ.
私は論文中にこの手の写真を使う分野ではないので,何がどう「不正」になるのか,そのルールを明確には知りませんから,当事者の感想にはならないのですが.
この手の写真を扱う分野にいる友人から聞いたところ,「論文や発表用のベストショットが撮れるまで頑張る」んだそうです.

ベストショットが撮れるまで頑張るのがシンドい実験データの場合ですと,
「どうせ結果は変わらないのだから・・,えぇい,綺麗に見えるようにやってしまえ」
という人がいても不思議ではないということです.
だから,次から次へと切り貼りコラージュが指摘される研究者がいたのではないでしょうか.

私は切り貼りしても良い.と言ってるんじゃありません.ダメだとは思います.
でも,ことさら取り上げて吊るし上げる必要もないのではないかと言ってるんです.

あと,研究ノート(実験ノート)が5冊(?だったか)は「少ない」のか?という話題.
これこそ分野によるのでしょうけど.研究してるからって,研究者は研究ノートをたくさん持っていると思ってもらっても困ります.
研究ノートというのは,その研究で必要なことを具体的に書き残していくものです.
何が必要なことで,どこまで具体的に書くのか,それは研究者によります.
場合によっては法的効力を持つこともあるので,なるべく細かく書いたほうが良いとされています.
が,それは現実的ではありません.

最近はパソコン上で作業をして,それをプリントアウトする人がたくさんいます.
キャンパスノートみたいなのに全部丁寧に書いてる人の方が少ないというのが実感です.
研究分野によってはノートなんてつけてられない,という場合もあります(多量のデジタルデータを扱うとか.そういう人が私の同僚にいる).

あと,5冊よりも10冊,100冊よりも200冊のノートを持っている人が良い研究をしているというわけではありません.
そもそも,研究ノートを一切つけていない研究者だって大量におります.

今回の一件で,「研究ノートをちゃんとつけるよう,研究者に義務化させよう.全国一律の書式をつくろう」
なんて話になろうものなら,余計な手間を増やすだけの愚策になることは確実です.
そんなこと提案するの,絶対やめてくださいね.