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危ない大学に奉職してしまったとき「厄介な教員対策」

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前回ご紹介した和田慎市先生の著書の中にも関連する部分があるのですが,大学においても,この 「厄介な教員・周囲に害を及ぼす教員への対策」 というのは非常に重要になってきます.     これについて学校教育における対策は和田先生の 『すばらしきかな、教師人生 先生が元気になる本』 を読んでもらうと良いのですが,この記事では「 大学における厄介な教員・周囲に害を与える教員との付き合い方」 について,この本を参考にしながらご紹介してみようという企画です. 最近,無能な教員や気に入らない教員を切っている大学に在籍している先生とお話をする機会がありました. 「気に入らない教員を切る」とはなんぞや?というところかもしれません. 切られる教員とは,大学運営に積極的でなかったり,積極的であったとしても何かズレてたり,おまけに学生からの評判も偏っていたり授業評価も高くない教員のことです. こうした「厄介な教員」を「この大学には不要だ」と切り捨てたり干したりする大学が徐々に増えてきているのだそうですが・・. 「無能な教員を切るのは良いことじゃないか」と言いたい人もいましょうが,たとえ周囲に害を与える教員であっても,簡単に切り捨ててしまう大学は危ない大学と見做してよいと思います. 厄介な教員であっても,ある程度は共存していくのが大学という場所です.だから今回の記事の趣旨も「厄介な教員との付き合い方」なのです. ところが, 危ない大学というのは経営や運営に余裕がありませんから,なんとかして教職員を一手に統率しようと目論むもの です.そんな中にあっては,学内で評判が良くない教員は切り捨ててしまった方が何かと安全で効率的と考えるのです. その一方で・・・, 悲しいことに,危ない大学に奉職している教員というのは「危ない大学エキス」を浴びることによって,周りの人間の足を引っ張ってでも生き残ろうとするようになるので,結果的に「周囲に害を及ぼす教員」へと変身することがあります. もしくは,もともと周囲に害を及ぼす教員が,この危ない大学から滲み出している「危ない大学エキス」を吸いたいがために,カブトムシやアリのように寄って来やすいという現象が見られます(なんでかって言うと,自分に能が無くても周りの足を引っ張れば生き残れる大学でもあるからです). というわけで,不

先生が元気になる本

「先生が元気になる本」と題して,このブログでも以前ご紹介したことのある和田先生がご著書を出されました. 和田慎市 著『すばらしきかな、教師人生 先生が元気になる本』 です. 以下にリンクを貼っておりますので,興味のある方はそちらからどうぞ. 年々と風当たりが強くなっていく教育現場において,疲弊していく教師に元気を出してもらおうという趣旨でお書きになったとのこと. そして,「教育関係者」という世間に反論・抵抗しにくい立場を突いた学校・教師バッシングに堂々と正論で対向する必要があるとも説きます. 和田先生が著書の中で指摘されている文を引かせてもらいます.これでどのような本なのか分かっていただけると思いますし,学校の先生なら「あぁ,やっぱりそうだよな」と教師として働く者の琴線に触れるのではないでしょうか. 教師はまさに学校の閉鎖的な空間と人間関係の中に置かれていますから,世間知らずであるのは当たり前です.仮に事務処理能力が高く,合理的に職務をこなす優秀な民間企業の方が教師になったとしても,何年か働くうちに,やはりこの「教師の特性」が現れるようになるのは自明の理なのです.つまりこれらは個人の資質ではなく,教師の仕事上身につく後天的なものですから,皆さんは気にせず,教師として堂々と職務に励めばよいのです. 私はこれに付け加えて「世間知らずだからこそ教師ができるのである.世間擦れした者は教師になってはいけない」と言っても良いのではないかと思うほどです. そして和田先生は,世間知らずであっても堂々とできるはずの立場である「教師」という人間だからこそ,堂々と人間としての理想の在り方を子供に示せる存在であることを訴えます. おそらく私達は子供の時,人生経験の長い先生の生き方を無意識のうちに記憶し,自分の生きる糧としてきたのではないでしょうか.つまり「先生自身の生き様(軌跡)が,児童生徒への何よりの教えである」と私は思うのです. マスコミや世論,クレーマーに怯えなければならなくなったのが昨今の教育現場です. そこでは,事なかれ主義な教師が増えてしまうことは火を見るより明らかです. それは児童生徒を本当の意味で教育していることになるのでしょうか. そうした中にあっては,子供は教師から「事なかれな生き方」を学ぶことになるでしょう. ですが考えてもみて

「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」の愚

タイトルの事ですが, 以前から目についてイライラすることがあるので,私のブログでも本テーマについて取り上げてみることにしました. 『ニコニコ動画』とかで政治系の動画を見ておりますと,たまに目にするコメントが, 「じゃあ,代わりは誰かいるのか?」 「じゃあ,誰だったらいいんですか?」 「代わりの人が誰なのか言えないのに,批判だけなら楽ですよ」 なんていうものです. Yahooニュースのコメントでもたまに見ることがあります. こういうのって,今ならほぼ100%現総理大臣・安倍晋三についてのやり取りにおけるものなんですけど. なかには, 「この人がダメだったら『はい,次の人』.これもダメだったら「はい,次の人』.今度もダメだったら『はい,次の人』という空気・メンタリティが日本の政治をダメにする」 なんていう,一見もっともらしい深みの有りそうな評論を耳にすることもあります. が,この手の評論は聞いててウンザリするんです. どう考えても間違っているからです. あまりにもバカ過ぎるんで,これまでは頭抱えて失笑していたのですけど,この「じゃあ,代わりは誰だったらいいのか?」が幅を利かせて久しい上に, 「いやいや,その発想自体がおかしいんですけど」 っていうコメントが少ないなぁと感じますので,ここでその一つとして述べさせてもらおうかと思いキーボードを叩いている次第です. 代わりは誰かいるのか? えぇ,いるでしょ山のように. 同じ党(現時点では自民党)にいっぱいいるじゃないですか.誰に代わっても大丈夫なように党を組んでいるわけで,そのための「政党」なんですから. 「いや!ア◯ちゃんしかいない!他の奴ではダメだ!」 って叫ぶ人もいるかもしれませんが・・,そういう人に聞きたいのは, では,現総理大臣が事故や病気,トラブルなどで急死したり政治家をやれない状態になったらどうするんですか? この国は終るのでしょうか? そんなことは無いですよ. 次を担当する総理大臣が粛々と引き継ぐだけです. 良きにつけ悪しきにつけ,この国の政治を民主主義で執り行っている以上,一般国民の意見が時の政治に反映されることになります. つまり,現政権が行っている政治とは,現在の一般国民の多数派の意見が取り入れられているということです. もっと言

危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策への対策」

前回の, ■ 危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」 では,タイトル通り「本気の高校訪問」とはどのようなものか解説しました. しかし,この「本気の高校訪問」というのは,実は考えものでして. もしこの国の大多数を占めている「高校訪問が必要ない大学」ですら本気の高校訪問をしてしまうと,現時点で本気の高校訪問が必要な大学が高校訪問をしても学生が来なくなるという現象が起こるからです. ですから,我が国の大学が採らねばならない方略としては,互いになんとか示し合わせて「学生募集」なる活動をしないことです. そもそも学生募集なんかするから,学生が来なくなる大学が出てくるんです. 我が国の大学運営者がやるべきことはパイを奪い合う競争などではなく,国民の所得を上げる提言をしたり学費を抑えたり奨学金を充実させるロビー活動をするなどして,文字通りの「大学全入時代」をしっかり実現させることが「楽な道」なのではありませんか? でも,それをしない. という現実を見れば,そこには何か裏があると見るべきです. どんな裏があるのかって?実は裏でもなんでもなくて,そりゃ「勝ち組大学」としては,こういう競争状態を維持したほうが自分たちにとって都合が良いからに決まっています. 自分たちは一切の競争努力をしなくても,学生募集の心配は全くありません. 周りが学生募集に必死になればなるほど,自身は安泰になるのです. もっと言うと,学生募集を必死にやらねばならないような国内状態を作り出すことが,自身の大学経営が安泰になる方略だということなのです. なので,いわゆる「勝ち組大学」の経営陣や先生方こそ社会の競争原理や自己責任の原則,弱肉強食の世界を好みます. そうした世の中になるように政治・メディア向けの提言をしますし,学生に指導します. なぜかって,そうした方が自身や所属する大学が安泰になるからです. 必ず勝てるゲームを前にしているのですから,そのゲームのルールや状況を変えようとするわけないじゃないですか. 間違っても 「どのような大学に入学しようと,学ぶべきことはモノの考え方であり,学術的な思考力と道徳倫理観を身につけることが優先されるのです」 などと言って, 「ですから,よほどの理由がない限り,その学生が通学するのに都合の良い大学に進学しさ

危ない大学に奉職してしまったとき「本気の高校訪問対策」

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以前の記事 ■ 危ない大学に奉職してしまったとき「高校訪問対策」 では,多くの大学ではそもそも高校訪問に行く価値なんかないんだから,という観点から, 1)どうやってサボるか 2)どうやって楽しむか というところをご紹介しました. ですが昨今の日本を見ておりますと,景気回復の見込みは無いなかで例の2018年を迎えることになりそうですので,本気の高校訪問対策が必要な大学が増えそうな予感です. 今回は,そんな背に腹は代えられない経営難になった大学に奉職している教職員に向けた記事です. 生き残りをかけた学生募集のためには,多くの大学が取り組んでいる甘っちょろい高校訪問ではなく,ガチの高校訪問が必要になってきますので,いよいよ「本気の高校訪問」をしなきゃいけなくなった大学は参考にしてください. 知ったかぶった人が示すような方法ではなく,ちゃんと学生募集の効果が確認された高校訪問とそのコツをご紹介したいと思います. ◎コンセプト 「他の大学よりこんなところが優れていますよアピール」は,ガチの高校訪問が必要な大学にとっては無意味です. 残念ながら,あなたの大学が他の大学より劣っていることは周知されておりますので. ですから, 1)進学希望はあるが学力に難がある生徒をピンポイント攻撃 2)手取り足取り指導を徹底していることを印象づける 3)学術性ではなく,社会的な評価を受ける学生が多いことを印象づける 4)「生徒を送ってやるんだから,責任持って結果を出せよ」に応える信頼関係づくり といったことを,いかに実現できるかが重要になってきます. ようするに, 学力が低くて進路指導で手の焼ける生徒を普通の大学に通わせてもダメなことは,高校の先生が一番良く知っていますから,そこを上手に突くことによって,持ちつ持たれつの関係を築く作業が高校訪問の本質 と言っていいでしょう. ◎準備編 まずは高校訪問に向かうにあたっての事前準備です. 実のところ,ここで全てが決まると言っても過言ではありません. 常識中の常識も挙げていますが,再確認するつもりで読んでください. (1)高校の偏差値を確認する 進学校に高校訪問したって意味はありません.高校訪問しなきゃ潰れるような大学に,進学校から生徒が来るわけないので. できるだけ偏差

井戸端スポーツ会議 part 14「スポーツと資本論」

先日,大学院の後輩である一人と池袋で蕎麦を啜りながら昨今の政治経済について議論しておりましたら, 「資本主義を否定するんですか?◯◯さんは共産主義者ですか!?」 と言われました. いえ.私は共産党員でもないし共産主義者ではありません. 例えばニコニコ動画の「志位和夫チャンネル」を,再生数が全く伸びない頃(今もだけど)から見てあげている一人ではありますし,共産党員やその支持者に知り合いが多いんですが,私は支持しておりません. でも,どうやら私の話や主張は共産主義に聞こえるようです. どんな内容なのかというと, 1)競争社会は大事だが行き過ぎると弊害があるため,競争状態にしたらそれでOKとはならない 2)社会が安定するには,貧富の格差が広がらない方が良い 3)一旦強者と弱者の関係(格差)が出来ると,これを自然に挽回することは非常に困難であるため,そのギャップを緩やかにする意図的なコントロールが必要 というものです. 資本主義を否定していないし共産主義でもありません. 極めて常識的な発想に基づく政策を我が国も素直にやった方がいいのではないかと申したわけです. で,その時に同時に話したのが,このブログでも度々お話ししている ■ 人間はスポーツする存在である というもの. 人間が行なっている多くの文化・営みは,実は「遊び」によって発展したものであり,そして近代社会は「遊び」を通り過ごして「スポーツ化」が過ぎているのではないか?というものです. 今回は,その蕎麦屋では頭が回らず話せなかったことをここに記します. あと, この話は「体育」という教科が存在する理由の一つでもあると思いますので,そういう視点でも読んでもらえると幸いです. まず,スポーツとは一言で言えば, 「なにかしらのルールを作って相手よりもスコアを稼ごうとする競争であり,できれば自分と相手のベースラインは同レベルであるほうが好ましい」 という考え方とそれに基づく活動です. この要素を徹底的に濃縮させたものが,皆さんがよく知る野球やサッカーといった「近代スポーツ」 であり,より広くみれば囲碁将棋やトランプもそうだと言われています. 他にも,例えばフェアプレー精神やスポーツマンシップという美徳は,この考え方から生まれたものです. でも,この点取り合戦はなにも「近代

「学生用」あなたの大学は “危ない” のかもしれない

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これまでに教職員用として, ■ 「教職員用」危ない大学とはこういうところだ ■ 「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の二 ■ 「教職員用」危ない大学とはこういうところだ 其の三 を書いてきましたが,もうちょっと学生目線で,もしかすると高校生のためにもなる視点で危ない大学の特徴を紹介してみることにしました. 以下で紹介する事項への適合度が高いほど,危ない大学である可能性も高くなります. 真っ当な大学,有名大学に通っている学生だったら「そんなこと考えられない」「ウソだ.信じられない」という事項でしょうけど,危ない大学ですと有り得る話なんです. てっきり普通の大学だと思って通っている学生諸君,以下をチェックしてみてください. (1)運営している寮の家賃が周りの相場と一緒 大学が運営・経営している「寮」というのがあります. その大学の学生のためを思って用意しているはずの寮ですが, その家賃とサービスが周りのアパートの相場と一緒である場合,そこは危ない大学である可能性が高くなります. ※もちろん,相応の事情があることもあるので,全てに当てはまるわけじゃないですよ. 普通,家賃が高くてもセキュリティがしっかりしているとか食事が出るとか,あとはボロボロだけど激しく家賃が安いとか,そんな感じなのが「学生寮」なんですけど・・. その地域の相場とほとんど違いが見られない,という場合は普通に寮で儲けようとしている証拠です. 寮経営でも一儲けを企んでいる,もっと言えば,寮からでも収入を期待したいほど苦しい大学であることを示しています. 大学に近くて,管理人もいて,知り合い友達に囲まれるから,っていう理由で学生寮を選ぶ人も多いんでしょうけど,そもそも大学受験に先立って, 「その大学が運営・経営している寮を,周りの相場と比較してみる」 ことをオススメします. その他の事項と複合的に考慮することで,危ない大学が炙り出せる可能性があります. (2)「掃除の時間」がある 「んなアホな」と思う学生が多数派かと思いますが,危ない大学では校内で「掃除の時間」みたいなイベントが催されます. 定期的な「掃除の時間」だと当番グループを決めてたり,時には年末大掃除だとかリフレッシュなんちゃらとか言って,学生たちを巻き込んでの清掃業務が繰り

井戸端スポーツ会議 part 13「私が嫌いなら見なければいい」

明けましておめでとうございます. 新年一発目,皆様の関心が高いスポーツニュースはなんでしょね?と思いながらYahoo!ニュースを覗いてみましたら,箱根駅伝とかラグビーよりもアクセス数を稼いでいる記事がありました.それがこれ↓ 安藤美姫 3ショット公開への批判に反論「嫌いなら見なければいい」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150102-00000002-spnannex-spo フィギュアスケートの元日本代表・安藤美姫選手の身辺についてのニュースでした. 何かと世間を騒がせる安藤選手ですが,この度は自分の娘と交際中の男性の3ショットをネットに自身のSNSへ掲載.それがいろいろと反響を呼んでいるとのことです. 今回の写真掲載についてネットでは 賛否両論 だということだそうですが,なにをどう賛えたり否んだりして論じる必要があるのか私にはサッパリわかりません. これについては彼女の気持ちも分からんでもないですがね. ですが,澄ました顔をする者を叩いて,自分のレベルまで引っ張りたいのが世間の大多数を占める大衆というものです. 安藤選手もそれが分かっていないわけではないでしょうに,それを承知のうえで掲載するというのもまた,その判断には疑問符がついてしまいます. その安藤選手は世間の反応に対して,こんなコメントをつけています. 「こんな風にコメントするという事は、どこかで気になっているから。そしてあなたが何か幸せではないからだと思います。“HateとLove”って実は同じ」 そりゃそうなんですけど,それを当事者である本人が言ってはいけないでしょう.図星である相手の気分を逆撫でするだけです. どうでもいい存在だったら,たかが一女性のプライベートな話題にこんなにも騒がれることはありませんから.やっぱり皆さん,彼女のことが気になって気になってしょうがないのですよ.それが「好き」「Love」だというのは実際のところ本当なんだと思いますね. でも,これをズバリ指摘された方は楽しくありません. まあ,それで「だったら見てやんねぇーよ!」ってことになったら,お互いに楽になるのでしょうけどね.そうはならないですよね,やっぱり. だからといって私は安藤選手の言動に強いシン