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東京人と中国人はよく似ている
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先日,タイトルにあるような話を関西在住の先輩教員とフェイスタイムでしておりました.「東京人って中国人みたいですよね」って.
私自身,2年前から関東に移り住んできて,当初から感じていたことです.
以後,盆正月の帰省後や地方出張から帰ってくる度,東京(品川)駅や羽田に降りる度にいつも感じていることです.「あぁ,ここは中国に似ているなぁ」って.
東京人と中国人はよく似ている.もっと言うなら,東京という地域と中国はよく似ている,と思うんです.
現在の風潮からして,こんなこと言うと東京の人達の心証が悪くなってはいけないので,「別に東京人だけじゃないんですよ」ということでもうちょっと広げて言いますと,少なくとも「大阪市内の人たちと東京人は,中国人とよく似ている」というところでしょうか.
雑談・談笑ではありましたが,我々としてはかなり確信ある話でして,しかも,
昨今,中国を不自然に蔑視する風潮が強いことと,「日本らしさ」を 不自然に前面に出そうとする風潮が強いと感じておりましたので,
それに一石を投じる意味でブログ記事にしてみようと思った次第です.
別に中国擁護や関東批判を目的としているわけじゃないです.
で,せっかくなのでこのテーマについて論じられた(比較的まじめな)書籍はないかなぁ〜,と思って探してみたんです.
なんと,ありました.
與那覇潤 著『中国化する日本』.もしかすると移民とか領土,思想の侵略が進んで・・・,などという類の本じゃないかと心配していたのですが,どうやら我々の談笑のテーマと同じ方向性を持ったものだったので参考文献としてオススメしておきます.
(我々の居酒屋談義とはレベルの違う,きっちりした内容の本です)
その中国についてですが,私は何度か研修や引率などで中国に滞在した経験があります.今になって思い出してみると,学生の頃から中国人研究者と話していたり,中国との共同研究なんかもやってたなぁって,けっこう中国・中国人との接点は多いものです.
つい2年前までは,東京よりも中国の空気を吸っていた時間が圧倒的に長かったのです(幸いなことに呼吸器は無事です).
そんなこんなで,関東に移り住んできたのですが,そこで感じたのがこの地域の「中国濃度の高さ」です.
いえ,中国人の数が多いってことじゃないですよ.街の空気,人々が作り出す空気が中国のそれと同じだったんです.
なもんで,今回フェイスタイムでこの話をした先輩教員とも,2年前から「僕,この地域には馴染めないですよ.まんま中国ですもん」などと話しておりました.
そんなこと言うと東京人から怒られそうです.
「我々が中国人と似ているなんて,そんなわけねーだろ!」って.
ましてや保守・右派の人達だったら,その逆鱗に触れるかもしれませんね.
でも,やっぱり中国に似ているんですよ,この地域は.皆様には自覚が無いかもしれませんが,地方出身の日本人からすれば,東京人も中国人も同じです.
では東京と中国の何がどう一緒なのか? 地方出身者の居酒屋談義から導かれる「東京=中国理論」は以下のとおりです.
その前に,與那覇氏は著書で「中国的なものとは何か?」 について五大特徴として示しております.非常に参考になるのでどうぞ.
1)権威と権力の一致
例えば,会社で言えば社長や会長は名前だけの権威的存在であって,実際に権力を持って組織を動かしているのは部長や現場の技師長だというのが日本的ですが,中国的には権威を持っている人が権力を握ります.
2)政治と道徳の一体化
清水に魚棲まず.組織のトップや政治家はいろいろとオープンに出来ない話を持っているものだと考えるのが日本的ですが,中国的には聖人が政治をしなければいけないと考えます.
3)地位の一貫性の上昇
能力ある優れた人物だからと言って社会的地位も高くあるべきだとは考えないのが日本的ですが,中国的には能力が高いということは人格も倫理観も高いはずで,それゆえ社会的地位も高く高所得者になるべきだと考えます.
4)市場ベースの秩序
自由競争なんかしたらギスギスした商売敵ができるだけだから,談合・護送船団方式でやっていこうと考えるのが日本的ですが,中国的には市場原理主義こそが全てと考えます.
5)人間関係のネットワーク化
同じ会社や組織の関係,同じ地域住民との関係を重視するのが日本的ですが,中国的にはその仕事をする上で会社や組織を超えた個人的なコネクションを重視します.
これってまんま「グローバリズム」の特徴じゃないかと思うかもしれませんが,はい,その通りです.んで,東京人にはグローバリスト,すなわち中国人的な人が多いのです.
「あぁ,やっぱり東京人は中国人だ」と膝を打つ思いです(その根拠は直感と嗅覚です).
※なぜグローバリズムの一片が中国的なのか? その詳細は與那覇氏の書籍を御覧ください.
何か単一の尺度で物事の是非や優劣を測ろうとする/測れると思っている人.それが中国人であり,東京人なのです.
おまけに,何か単一の尺度が優れていれば,その他全ても優れているだろうと見做す人,それが中国人であり,東京人なのです.
彼らは選択と集中が正義です.集中させるためには「選択」しなければいけないのですが,その選択という作業を人間に可能だと考えているのです.
さらには「集中させるのは最大の効率性が得られる東京だろう」ということで,最初から答えありきの話をしようとします.
例えば,東京人はこんなことを言います.「地方は政治家と住民がズブズブで,もっと言えば土建屋や農家とも癒着していて,裏でいろいろな談合がされているから,もっとコンプライアンスを重視したクリーンでスマートな政治をするべきだ」とか.
まさに中国人みたいな発想です.
これについては,「いやいや,中国の政治こそ談合や癒着が横行していて・・」などと反論するかもしれませんが,そういうことではありません.これは建前の話です.
「政治には談合や癒着が横行するべきではないのだぁ〜」ってことを目指そうとすること.それこそが中国的なのです.
他にも,「我々は日本人だ!」っていう自覚は地方の人より高いくせに,その実,日本的な生活を一切かなぐり捨てて生きていることも共通しています.
つまり,一見,日本人(中国人)としてのアイデンティティは高そうなのですが,実は日本(中国)らしい人々ではない.ということです.
日本らしい/中国らしい,というよりも,日本とか中国といったモノが無い.つまり,そこで生活をしている「ヒト」でしかない方々が多いということです.
もちろん,なんちゃって「日本的生活」を取り入れている人達は多いものです.が,残念ながらそうしたものは,我々地方出身者の目には,その血肉となって馴染んでいるものには見えないのです.
さながら,建前のキャンバスに仮想の絵具で描かれたものに映ります.
これは保守・右派の方々(なのかなぁって見える人)ほど顕著で,とても痛く映ります.
つまり,「我々って日本人じゃん.だからこういう生活がいいじゃん」みたいなものです.
でも,普通に考えて「日本人だからこういう生活」をするのではなくて,「なんの意図も計画もない日常が,外から見たら日本的な生活になっている」という状態が馴染んでいる生活と言えるでしょう.
ところがそうではないんです,この関東という地域では.
普通に生活をしようとすると,日本的な生活ができない.
そんな中にあって,日本人らしく生きることなどできましょうか.
さらに哀しく滑稽なのが,「日本的な生活」が広報・売り物にされていることです.むしろこれは,日本的な生活がビジネスになるほど,この地域は「日本」ではないことの証左です
例えば正月.この地域では,住んでいるところの近くにある神社や道端の地蔵様に初詣として手を合わせに行くことはありません.
地方の者の感覚からすれば,初詣というのは家の近くにある社に手を合わせにいくのが筋です.
ところが,ここには莫大な数の人が住んでいるはずなのに,街角の小さな社を参拝する住民は極少数です.
代わりに何をしているのかというと,大きな神社・お寺に大挙して押し寄せるんです.
ディズニーランドかアイドルのコンサートみたいですね.
私はなにも明治神宮や浅草寺に行くなと言っているわけじゃありません.あなたが住んでるアパートの横にある社にまず手を合わせろ.それが日本的生活だ.そう申し述べているのです.
要するに,この地域の住民の多くには土着・分散その上での複合・統合という感覚は少ないわけです.
地方出身者が東京で「日本」を見つけることは困難でしょう.見つけたと思っても,作られた「日本的」であることが多いのです.
最後に,匂いです.比喩でなく本当に嗅覚です.
ずっと住み続けている人は感じることが出来ないことなんですが,匂いが中国とそっくりです.
「いや,私は東京人だけど,中国に行ったら酷い匂いだと感じたぞ」
という方もおられましょう.
ですが,それは悪臭漂うアパートの住民が,別の悪臭漂うアパートの友人のところに行って「おい,この部屋,臭いよ」って言うのと一緒です.
駅・電車内をはじめとして,人通りの多い整備されていない場所の匂いは中国を思い出させます(大阪市内も同様です.だから東京と大阪市内は一緒なんです).
もちろん,東京には匂いが少なく整備された場所もありますね.でも,それは中国も一緒ですよ.
中国に足を運んだことのある人はご存知でしょうけど,それなりに整備された場所もたくさんあります.日本よりもきれいなところも結構あるんです.保守・右派な人達からすると中国を貶したくなる気持ちが高すぎて,「中国はどこに行っても汚い」という話が大きくなる傾向にあるかと思いますが,落ち着いて眺めれば東京とどっこいどっこいです.
同じ匂いを吸い続けて生きていれば,そこに住む人々のキャラクターにも同様の影響があるのではないか.その匂いに適応できるということは,両者は同じ特徴を持つに至るのではないか.匂いと住民の質には相関があるのではないか.我々はそんな仮説を立ててみました.
というわけで,もっと言いたいことはあるのですがここまでにします.久しぶりの記事更新ということもあって長くなってしまいました.
ここまでずっと東京や東京人を貶してきた感じですが,別にこの地域が嫌いなわけではありません.途中でも述べましたが,大阪市内も同じですから.
もしかすると,人口過密になるとそこは中国的になるんじゃないかとも思っています.
要するにこの記事で言いたかったことというのは,この地域が(少なくとも私にとって)住み良い土地になってほしいなぁー,っていう期待を込めた記事なんです.多くの地方出身者が似たような感触を持っていると推察しているんですけど,どうでしょうか.
それに,文化的にも政治的にも大きな影響力を持っている地域であることは確かですから,ぜひともその他の地方に悪影響を及ぼさないよう気をつけてほしいと願う次第です.
私自身,2年前から関東に移り住んできて,当初から感じていたことです.
以後,盆正月の帰省後や地方出張から帰ってくる度,東京(品川)駅や羽田に降りる度にいつも感じていることです.「あぁ,ここは中国に似ているなぁ」って.
東京人と中国人はよく似ている.もっと言うなら,東京という地域と中国はよく似ている,と思うんです.
現在の風潮からして,こんなこと言うと東京の人達の心証が悪くなってはいけないので,「別に東京人だけじゃないんですよ」ということでもうちょっと広げて言いますと,少なくとも「大阪市内の人たちと東京人は,中国人とよく似ている」というところでしょうか.
雑談・談笑ではありましたが,我々としてはかなり確信ある話でして,しかも,
昨今,中国を不自然に蔑視する風潮が強いことと,「日本らしさ」を 不自然に前面に出そうとする風潮が強いと感じておりましたので,
それに一石を投じる意味でブログ記事にしてみようと思った次第です.
別に中国擁護や関東批判を目的としているわけじゃないです.
で,せっかくなのでこのテーマについて論じられた(比較的まじめな)書籍はないかなぁ〜,と思って探してみたんです.
なんと,ありました.
與那覇潤 著『中国化する日本』.もしかすると移民とか領土,思想の侵略が進んで・・・,などという類の本じゃないかと心配していたのですが,どうやら我々の談笑のテーマと同じ方向性を持ったものだったので参考文献としてオススメしておきます.
(我々の居酒屋談義とはレベルの違う,きっちりした内容の本です)
その中国についてですが,私は何度か研修や引率などで中国に滞在した経験があります.今になって思い出してみると,学生の頃から中国人研究者と話していたり,中国との共同研究なんかもやってたなぁって,けっこう中国・中国人との接点は多いものです.
つい2年前までは,東京よりも中国の空気を吸っていた時間が圧倒的に長かったのです(幸いなことに呼吸器は無事です).
そんなこんなで,関東に移り住んできたのですが,そこで感じたのがこの地域の「中国濃度の高さ」です.
いえ,中国人の数が多いってことじゃないですよ.街の空気,人々が作り出す空気が中国のそれと同じだったんです.
なもんで,今回フェイスタイムでこの話をした先輩教員とも,2年前から「僕,この地域には馴染めないですよ.まんま中国ですもん」などと話しておりました.
そんなこと言うと東京人から怒られそうです.
「我々が中国人と似ているなんて,そんなわけねーだろ!」って.
ましてや保守・右派の人達だったら,その逆鱗に触れるかもしれませんね.
でも,やっぱり中国に似ているんですよ,この地域は.皆様には自覚が無いかもしれませんが,地方出身の日本人からすれば,東京人も中国人も同じです.
では東京と中国の何がどう一緒なのか? 地方出身者の居酒屋談義から導かれる「東京=中国理論」は以下のとおりです.
その前に,與那覇氏は著書で「中国的なものとは何か?」 について五大特徴として示しております.非常に参考になるのでどうぞ.
1)権威と権力の一致
例えば,会社で言えば社長や会長は名前だけの権威的存在であって,実際に権力を持って組織を動かしているのは部長や現場の技師長だというのが日本的ですが,中国的には権威を持っている人が権力を握ります.
2)政治と道徳の一体化
清水に魚棲まず.組織のトップや政治家はいろいろとオープンに出来ない話を持っているものだと考えるのが日本的ですが,中国的には聖人が政治をしなければいけないと考えます.
3)地位の一貫性の上昇
能力ある優れた人物だからと言って社会的地位も高くあるべきだとは考えないのが日本的ですが,中国的には能力が高いということは人格も倫理観も高いはずで,それゆえ社会的地位も高く高所得者になるべきだと考えます.
4)市場ベースの秩序
自由競争なんかしたらギスギスした商売敵ができるだけだから,談合・護送船団方式でやっていこうと考えるのが日本的ですが,中国的には市場原理主義こそが全てと考えます.
5)人間関係のネットワーク化
同じ会社や組織の関係,同じ地域住民との関係を重視するのが日本的ですが,中国的にはその仕事をする上で会社や組織を超えた個人的なコネクションを重視します.
これってまんま「グローバリズム」の特徴じゃないかと思うかもしれませんが,はい,その通りです.んで,東京人にはグローバリスト,すなわち中国人的な人が多いのです.
「あぁ,やっぱり東京人は中国人だ」と膝を打つ思いです(その根拠は直感と嗅覚です).
※なぜグローバリズムの一片が中国的なのか? その詳細は與那覇氏の書籍を御覧ください.
何か単一の尺度で物事の是非や優劣を測ろうとする/測れると思っている人.それが中国人であり,東京人なのです.
おまけに,何か単一の尺度が優れていれば,その他全ても優れているだろうと見做す人,それが中国人であり,東京人なのです.
彼らは選択と集中が正義です.集中させるためには「選択」しなければいけないのですが,その選択という作業を人間に可能だと考えているのです.
さらには「集中させるのは最大の効率性が得られる東京だろう」ということで,最初から答えありきの話をしようとします.
例えば,東京人はこんなことを言います.「地方は政治家と住民がズブズブで,もっと言えば土建屋や農家とも癒着していて,裏でいろいろな談合がされているから,もっとコンプライアンスを重視したクリーンでスマートな政治をするべきだ」とか.
まさに中国人みたいな発想です.
これについては,「いやいや,中国の政治こそ談合や癒着が横行していて・・」などと反論するかもしれませんが,そういうことではありません.これは建前の話です.
「政治には談合や癒着が横行するべきではないのだぁ〜」ってことを目指そうとすること.それこそが中国的なのです.
他にも,「我々は日本人だ!」っていう自覚は地方の人より高いくせに,その実,日本的な生活を一切かなぐり捨てて生きていることも共通しています.
つまり,一見,日本人(中国人)としてのアイデンティティは高そうなのですが,実は日本(中国)らしい人々ではない.ということです.
日本らしい/中国らしい,というよりも,日本とか中国といったモノが無い.つまり,そこで生活をしている「ヒト」でしかない方々が多いということです.
もちろん,なんちゃって「日本的生活」を取り入れている人達は多いものです.が,残念ながらそうしたものは,我々地方出身者の目には,その血肉となって馴染んでいるものには見えないのです.
さながら,建前のキャンバスに仮想の絵具で描かれたものに映ります.
これは保守・右派の方々(なのかなぁって見える人)ほど顕著で,とても痛く映ります.
つまり,「我々って日本人じゃん.だからこういう生活がいいじゃん」みたいなものです.
でも,普通に考えて「日本人だからこういう生活」をするのではなくて,「なんの意図も計画もない日常が,外から見たら日本的な生活になっている」という状態が馴染んでいる生活と言えるでしょう.
ところがそうではないんです,この関東という地域では.
普通に生活をしようとすると,日本的な生活ができない.
そんな中にあって,日本人らしく生きることなどできましょうか.
さらに哀しく滑稽なのが,「日本的な生活」が広報・売り物にされていることです.むしろこれは,日本的な生活がビジネスになるほど,この地域は「日本」ではないことの証左です
例えば正月.この地域では,住んでいるところの近くにある神社や道端の地蔵様に初詣として手を合わせに行くことはありません.
地方の者の感覚からすれば,初詣というのは家の近くにある社に手を合わせにいくのが筋です.
ところが,ここには莫大な数の人が住んでいるはずなのに,街角の小さな社を参拝する住民は極少数です.
代わりに何をしているのかというと,大きな神社・お寺に大挙して押し寄せるんです.
ディズニーランドかアイドルのコンサートみたいですね.
私はなにも明治神宮や浅草寺に行くなと言っているわけじゃありません.あなたが住んでるアパートの横にある社にまず手を合わせろ.それが日本的生活だ.そう申し述べているのです.
要するに,この地域の住民の多くには土着・分散その上での複合・統合という感覚は少ないわけです.
地方出身者が東京で「日本」を見つけることは困難でしょう.見つけたと思っても,作られた「日本的」であることが多いのです.
最後に,匂いです.比喩でなく本当に嗅覚です.
ずっと住み続けている人は感じることが出来ないことなんですが,匂いが中国とそっくりです.
「いや,私は東京人だけど,中国に行ったら酷い匂いだと感じたぞ」
という方もおられましょう.
ですが,それは悪臭漂うアパートの住民が,別の悪臭漂うアパートの友人のところに行って「おい,この部屋,臭いよ」って言うのと一緒です.
駅・電車内をはじめとして,人通りの多い整備されていない場所の匂いは中国を思い出させます(大阪市内も同様です.だから東京と大阪市内は一緒なんです).
もちろん,東京には匂いが少なく整備された場所もありますね.でも,それは中国も一緒ですよ.
中国に足を運んだことのある人はご存知でしょうけど,それなりに整備された場所もたくさんあります.日本よりもきれいなところも結構あるんです.保守・右派な人達からすると中国を貶したくなる気持ちが高すぎて,「中国はどこに行っても汚い」という話が大きくなる傾向にあるかと思いますが,落ち着いて眺めれば東京とどっこいどっこいです.
同じ匂いを吸い続けて生きていれば,そこに住む人々のキャラクターにも同様の影響があるのではないか.その匂いに適応できるということは,両者は同じ特徴を持つに至るのではないか.匂いと住民の質には相関があるのではないか.我々はそんな仮説を立ててみました.
というわけで,もっと言いたいことはあるのですがここまでにします.久しぶりの記事更新ということもあって長くなってしまいました.
ここまでずっと東京や東京人を貶してきた感じですが,別にこの地域が嫌いなわけではありません.途中でも述べましたが,大阪市内も同じですから.
もしかすると,人口過密になるとそこは中国的になるんじゃないかとも思っています.
要するにこの記事で言いたかったことというのは,この地域が(少なくとも私にとって)住み良い土地になってほしいなぁー,っていう期待を込めた記事なんです.多くの地方出身者が似たような感触を持っていると推察しているんですけど,どうでしょうか.
それに,文化的にも政治的にも大きな影響力を持っている地域であることは確かですから,ぜひともその他の地方に悪影響を及ぼさないよう気をつけてほしいと願う次第です.
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