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教育現場,結局,ドラッカーはどうなった?

一昔前,ピーター・F・ドラッカーの『マネジメント』がブームになったことがあります.
『もしドラ』とかいう書籍と,その類似企画も流行ってましたね.

ドラッカーがその主著である『マネジメント』で提唱した考え方を,いろいろな企業や組織が取り入れようと盛んに息巻いておりました.

それは教育現場である学校や大学も例外ではなかったことを覚えておいででしょうか.

ところが,ここでイタいというか残念というか,困ったことにドラッカーが「企業」を対象に提言していたマネジメントの思想を,公的機関である学校・大学の組織の長や幹部が参考にしていた,という話を見聞きすることがありました.

なかには,当時のドラッカー・ブームに乗っかって「うちもマネジメントに力をいれなきゃいけない」とか「これからの教育現場もドラッカーが言うように・・・」などと触れ回っていた関係者がいたことを思い出します.

そうした「上」の方々を,生ぬるい目で見ていた私がいたことも懐かしい想い出です.


ドラッカーがどう云おうが,大学は大学の大学らしい経営管理を貫けばいい,と考えていた私としましては,なんだか彼らのチャラい振る舞いに嫌悪感すら抱いておりました.

「あなた方,それでも本当に学者かよ?」という生意気な態度があの時滲み出ていたであろうことを自覚するようになった現在,今さらながら「若いって怖い」と思うところであります.

少なくない大学関係者が,
「教育現場にも企業や民間の感覚を!」
などと叫んでおりました(いまだに叫んでいる人達もいます).

そういう人の中には,
「そのようにドラッカーが述べている」
と言う人もおりましたし,けっこうな数の大学関係者が,大学における「顧客を創る」とか「利益とはなにか」とか「新しい満足を生み出す」などとのたまわっていました.
私もこれにはちょっと頭を抱えてしまいました.

当時,あまりにドラッカー・ブームとマネジメント・ブームが喧しかったもんですから,私もその時『もしドラ』とか『マネジメント』を読んでみたんです.
そしたら,『マネジメント』にこんな一文がありました.
まず公的機関は,企業と同じようにマネジメントすれば成果をあげられると,くどいほど言われてきた.これはまちがいである.
彼らが本当にドラッカーの考え方を勉強していたのか,今となっては謎ですが,多分いい加減だった可能性は高いです.
もしくは,大学のことを公的機関,教育機関だとは見做していない可能性もあります.


ドラッカーは公的機関成功の条件として,以下の6つを挙げています.

(1)自らの事業の定義
(2)明確な目標
(3)活動の優先順位
(4)成果の尺度
(5)成果のフィードバック
(6)成果の監査

読めば読むほど,やっぱり大学らしい経営をやらなきゃいけないという気分にさせられます.チャラいことをしてはならないという戒めに思えます.

さらにドラッカーは言います.
公的機関は企業と違い,成果に対して支払いを受けるのではなく,計画と活動に対して支払いを受けるものである.
公的機関が生み出すものは欲求の充足ではなく,必要の充足.誰もが持つべきもの,持たなければならないものを供給することである,と.

現在の大学の残念な傾向は,成果に対して支払いを受けようとしているという点です.
そんなこと出来ないのにも関わらず,です.
学生や保護者からの欲求を充足させようと企み,卒業生として必要なものを充足させることを蔑ろにする傾向もあります.
それが大学としての存在意義の否定であるにも関わらず,です.


彼らが信奉していたドラッカーが言うように,公的機関である大学は「自らに特有の使命,目的,機能について徹底的に検討しなければならない」のではないでしょうか.