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『Deus ex machinaな日々』とは何か

2015年度が始まってバタバタしております.
そんなこともあってか,(最近なぜか閲覧数が増えた)■危ない大学におけるバスの思ひ出に登場したX氏から「ブログ更新してないね」と言われました.
バタバタしていて記事を書くことに頭がいってなかったんです.

2009年より始めたこのブログですが,あっという間に7年の歳月が経ちました.昔の記事を読むと懐かしいです.

ところで,たまに知り合いからも聞かれることがあるのですが,このブログの名称である,
『Deus ex machinaな日々』ってなに? どういう意味?
というもの.
開設当時は,
「まぁ,なんとなく・・」
と答えていたのですが,最近になってその意味が自分でも分かってくるようになりました.
えぇ,そうです.実は当初は自分でも言葉にできなかったので.





Deus ex machina(デウス・エクス・マキナ)というのは,「機械仕掛けの神」という意味です.
Wikipediaの説明ではこんな感じ↓
デウス・エクス・マキナ(Wikipedia)
由来はギリシア語の ἀπό μηχανῆς θεός (apo mekhanes theos) からのラテン語訳で、古代ギリシアの演劇において、劇の内容が錯綜してもつれた糸のように解決困難な局面に陥った時、絶対的な力を持つ存在(神)が現れ、混乱した状況に一石を投じて解決に導き、物語を収束させるという手法を指した.
(Wikipedia:2015年4月17日現在)
ということで,そんな日々という意味です.つまりその,
「私の身近,そして最近の日本を見ていると,なんだかそんな毎日な気がする・・・」
という,厭世的と言いましょうか,脳みそにまとわりつく言い知れぬ不快感をブログの名称として選んだわけですよ.敢えて.

もうちょっと詳しく説明しますと,Wikipediaの解説文を引用すれば・・,
世の中のことって普通は,錯綜してもつれた糸のようなもので,解決困難なことが多いものです.ところがそれを,「簡単に解決してしまおう」とか,「単純なものを投じることで一挙に収束することができるはずだ」と見做す風潮が強いなぁと感じておりまして.
いわゆる「分かりやすい」が正義とされる思想ですよ.

あと,東日本大震災と同時に起きた福島第一原発事故の時が典型ですが,メディアや世論に「何か絶対的な力を持つ存在がどこかにいて,それがなんとか解決してくれる」と構える姿勢が見え隠れしていたように感じるのです.
そんな存在は在り得ないと頭では分かっていても,です.

それが結局,「実は簡単に解決できる方法がどこかにあるのでは?」とか,「実は単純な手段で一挙に収束できるのでは?」という無意識的な妄想/確信的な主張へとつながり・・.
「なんで物事はこんなに(私にとって都合の良いように)上手くいっていないんだ!」
という声となって広がってゆく.

そうしたものを「なんかそれって違うんじゃね?」という想いを胸に綴り始めて7年経ったわけですね.

これについては最近,佐藤健志先生がその著書『震災ゴジラ』などで,
「戦後日本はシステム不全に陥っているから,これを正すためにも一回この国は破壊されなければならないと考える風潮がある.“戦後は破局へと回帰する”」
という主張を展開したのですが,それに私はもの凄く共感するんです.

他にも似たようなものに「ショック・ドクトリン」とか「グレートリセット」とか.いろいろと『Deus ex machinaな日々』が2009年開設以降も登場しましたね.

理性的,合理的,計画的・・,つまり「機械仕掛け」のようにこの「世界」を説明できる,解釈できる.
そして,たとえそれを壊してしまったとしても,我々人間は「直す」ことができる.
そんな考え方が大手を振って歩くようになったわけですけども.

この世界が機械仕掛けで済まされてなるものか.
そう思いながらこれからも書き綴ろうと思います.