2015年5月22日金曜日

そんなに大事じゃない,大学教員が言うこんな指導

「大学でこういうことを学ぼう」ということで,
これが身につけば大学卒業
こういうのも大学教員に教えてもらった方がいい
みたいなものをご紹介しました.

逆に,こういうことはそんなに大事じゃない,けど,うっかり大学教員が口走ってしまいそうになるものを挙げてみます.
どこの誰に向けた記事なのか分かりませんが,とりあえず学生向けのつもりで書いていきます.

今日思いついたのは以下のものです.

(1)新聞を読め
どれだけ新聞を読んだところで大学で身に付けること,すなわち学術性とは結びつかないことは,当の大学教員がよく知っているはずなのですが,一般社会で通用している事を利用した方が説得力が出てくるので思わず言ってしまいがちです.
実際,そういうことを学生や教職員を前にスピーチしている人もいます.「最近の学生は新聞を読まない.君たち学生は新聞を読んで社会の出来事に関心を持ちなさい」と.

しかし,新聞の記事イコール社会の出来事ではないことは当然のことです.
新聞社の記者やデスクが興味を持っていること,これがすなわち社会的に重要な事だということでもありません.

「新聞を読め」という指導をする大学教員は少なくありませんが,その一方で,新聞をほとんど読まない人種が多いのもまた大学教員です.
「どうせ新聞なんか大衆迎合商売の権化だろ.僕には関係ない」というスタンスです.
しかもそれで困ることはありません.

社会人の多くが「新聞を読まなければ」と思っているのは,その記事を知っていることが仕事で有用だからです(と私の友人が言っていました).
相手と話を合わせられるとか,話のネタになるとか.つまり,社会人は新聞の記事から学んでいるつもりはないようです.
そりゃそうですよね.必要なものしか読まないということは,その必要性を理解しているという時点で訓練にも啓発にもなっていないのですから.

その一方で,大学での勉強というのは,(新聞に限らず)得られた情報の価値を見出す能力を身につけることです.
毎日熱心に新聞を読んでいるのに「ナントカ都構想」に賛成する人もいれば,まったく新聞を読まなくても「ナントカ都構想」の危険性を察知できる人もます.

ようするに,新聞を読んで社会に関心を寄せておくことが大事なのではなくて,目の前にした課題の中身をどのように吟味し,いかに振る舞えるかが大事なのです.
毎日新聞を読もうが,一生に一度新聞を読もうが,その意味するところは変わりません.
大学生には,ぜひこの違いを分かっておいてほしいんです.そんなに難しい話ではありませんが,実際にそのように振る舞うのは難しいものです.

ところで,「テレビをしっかり見なさい」と指導をする人は少ないですね.本質的には同じもののはずなのですが.

もちろん,新聞やテレビが悪いと言いたいわけではないのです.いずれにせよデータや情報をどのように処理するか,そこが大事なのであり,大学ではその力を鍛えているのですから.

この記事を書いた理由はなんだろう? なぜこの視点で論じるんだろう? そういう読み方ができないまま毎日新聞を読んでも,馬鹿の考え休むに似たりです.


続きはまた次回.