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井戸端スポーツ会議 part 26「もう少し敗戦国・日本をスポーツから見る」

フランスで大変なことが起きていますね.
だからというわけではないのですが,引き続き戦争・紛争にまつわる話をしてみたいと思います.

さて,前回の記事,
井戸端スポーツ会議 part 25「戦争に負けた国(日本)がとるべき態度」
で言いたかったことを一言にしてしまえば,
敗者が敗因をゴチャゴチャ言うな.ましてや「俺達は本当は凄かったんだ」なんて,みっともない.そんな事言っても誰も(世界は)同情なんかしてくれないよ.
ということであり,そしてそれは,戦争を一つの「スポーツ」として捉えると理解しやすくなるのではないか,というものでした.
なぜならそもそも戦争とは,人が利を求めて起こす集団的・組織的な暴力行動を「スポーツ(遊び)」にしたものだからです.
ゆえに戦争で求められる振る舞いは,スポーツでのそれと同じになると考えられます.

その上で今回は,少しくらいは愛国右翼的な人達が癒やされそうな話をしてみたいと思います.
第二次大戦における日本とは何だったのか?という点です.

私自身,ちょっとは第二次大戦のことを勉強したつもりではありますが,やっぱり専門的に,かつ,特定のイデオロギーのフィルタをかけて熱心に勉強したわけではない者でして.
この手の話はブログでも敬遠してきたところでもあります.

だからこそと言うか,比較的右翼でも左翼でもない考え方を持っているのかもしれないというところから「あの戦争における日本」について述べてみようというものです.

まず,教育現場にいる立場からの感想としては,こうした第二次世界大戦についての話題というのはとても配慮が必要である一方で(そしてここが重要なポイントになるかと思うのですが),多くの学生にとっては特に関心がある話題ではないということです.

今年の夏に話題になった某学生団体なんてのは極めて例外的な若者たちで,あのような活動を通じて「戦争」のことを積極的に論じようとする者は非常に少ないでしょう.
これは最近の学生に限った話ではなく,戦争のことについて深く考え込む人が多数だとは考えられない,というのが実感です.

まして第二次世界大戦のことなんて,はっきり言ってどうでもいい.戦争に負けたとか,その戦争の正義がどちらにあったかとか,あの戦争によって日本がどのような立場に立たされたのか,なんてことには関心がないわけです.

正直に言えば私もそうした若者の一人ですし,どうしてこんなにメディアや言論人が必死こいて,いきり立って,病的な振る舞いを見せつつ論戦を重ねているのか,どうしても理解しきれないところがある,というのが本音なのです.

だいたいおかしいではありませんか.今から半世紀以上前の戦争について,こんなにもクローズアップして取り上げようとするなんて.
いっそのこと同じような意気込みで,第一次世界大戦や日露戦争,関ヶ原の合戦や湊川の戦いも取り上げてもらいたいところです.
ようするにここで言いたいのは,もう第二次世界大戦は「歴史」として扱い始めても良いのではないか? ということです.

こんなこと言うと,
「いや,先の大戦の影響は今でも続いているんだ.敗戦国根性のままでいてはダメだから,誇りを取り戻すためにも先の大戦での日本の偉業に焦点を当てることも大事なんだ」
とか,その一方では,
「日本が二度と戦争をしないためにも,戦争がどれほど残虐非道なものか知る必要があるんだ.そのためにも,先の大戦での日本のネガティブな部分に焦点を当てることは大事なんだ」
などと言い出す人がいるかもしれません.

たしかにあの戦争について興味関心が高い人からすれば,そういった気持ちになるでしょう.
しかしこれは,どうしても「第二次世界大戦という話題が好きな人」だけに通じる気持ちというところを免れないんです.「関ヶ原の合戦という話題が好きな人」とか「ポエニ戦争という話題が好きな人」と同じものとして捉えられてしまいます.

考えてもみてください.関ヶ原の合戦において石田三成にどれだけ義があったか,西軍が本当は勝てるはずだった,なんてことを熱心に,そして感情的に語られても,「ハハハ,そうだねぇ(うわっ,えらい変わった人やなぁ〜)」ってなるでしょ.それと一緒です.

※だからこそ前回の記事は,直近の戦争における敗戦国である日本はどのような立ち居振る舞いをすれば良いのか,スポーツの観点から論じてみたわけです.

現実的に考えてみますと,やっぱり人って半世紀以上前のことをいつまでも引きずることはできませんよ.
ましてや現在の若者(大学生以下)は,第二次世界大戦を経験したことがある者がまったくゼロの家庭で育ってきています.あの戦争のことを意識しろってのが無茶な話です.

もちろん,先の大戦における敗戦国であることの影響は今でも続いているのでしょう.なので日本が国際的なニシアチブをとれるようにすることは望ましいことです.
もちろん,先の大戦と同じ過ちを日本が繰り返さないようにするべきでしょう.なので,できるだけ日本が戦争に巻き込まれることは避けたいですね.

でも,それはそれ.
先の大戦がどうだったのか,敗戦したとか,悲惨な思いをしたとか,犠牲がどれだけあったのか,なんてこととは無関係に「現在の安全保障」は考えなければいけないことなのです.

むしろ,もうそろそろ先の大戦の話題を,今現在の日本に直結させようとすることを諦めてはどうか? ということを言いたいのです.
こういう意見に対しては,「過去の戦争があって今の社会があるんだ.歴史を重んじない者に未来はない」なんてことを言い出す人もいるでしょう.
ですが,そんなこと言い出したら「先の大戦」だけが今の日本につながっているわけではありません.第一次世界大戦だって,西南戦争だって,関ヶ原の合戦だって,全部つながっているのです.

別に歴史や過去の戦争を無視しろと言いたいわけではないのです.第二次世界大戦を偏重して扱う必要はないでしょ,ってことです.
あれは日本の歴史の1ページ.
昔からこの極東の地で何度か繰り返されてきた,天下分け目の戦いの一つです.

だからあえて言いましょう.
例えば特攻隊.
なんも政治的・イデオロギー的なフィルタを通さずに,普通に聞いてみれば,こんな劇的で英雄的な話はありませんよ.
何を隠そう,私が初めて神風特攻の話を聞いた時(小学生くらい)は,「へぇ〜,そんな作り話みたいな作戦があったのかぁ」って感心しましたから.
その後ですよ.やれ「悲惨」だの「無謀」だのというイデオロギーが入ったのは.
だけど,一般的な子供が「自爆攻撃」って聞けば,ちょっとヒロイックな話だと思うもんでしょう.

だから,特に愛国右翼的な皆さんは安心してください.あと100年もしたら,日本の特攻隊は人類史上におけるレジェンドになるはずです.
きっと「スリーハンドレッド」みたいな歴史アクション映画の題材になったりするはずですから(その頃には「映画」が存在しないかもしれないけど).

関ヶ原の合戦での「島津の退き口」をご存知でしょうか.その際の捨てがまり戦法にしたって,「なんて男気溢れる決死の作戦なんだろう」などと悠長なことを言ってられないくらいの非人道的な作戦でしょ.
でも,時が経てばファンタジックな話になるのです.本当は嫌々戦っていた者もいたとか,捨てがまりの同調圧力から免れなかった,なんてことは語られなくなるものです.

もしかしたら,9.11ワールドトレードセンタービルに突っ込んだ連中も,あと200年くらいしたら英雄視されているかもしれません.
そんなもんだと思っています.