2016年2月17日水曜日

大学のこれから(3)

これからの大学がまともな道を歩めるか否か,その違いを見分ける「ツボ」をご紹介するこのシリーズ.
大学のこれから(1)
大学のこれから(2)
の続きです.

こういう大学教員や組織がのさばるところに未来は無い.というのをじんわりと表すツボを説明しています.
今回のツボはこちら.
iPadが好き

iPadがあれば仕事が捗る.iPadを使えば授業が変わる.iPadでできることは他に何かないだろうか?
と,そんなことをいつも話題にしている教員が一定数存在する大学に将来はありません.
それこそこれは「学生目線で見ても」,iPadを信奉している教員に碌な奴はいない.そうでしょう?

おいおい,いくらなんでもそりゃ短絡的すぎじゃないか,と思われるかもしれません.
しかも私自身がiPadユーザーの一人というところでもあるのですけど,これはなにも “大学教員たるものiPadユーザーになってはいけない” などと言っているわけではないのです.
これには順次説明が必要です.

まず,iPadごときで大学の仕事が捗ったりなどしません.
大学での仕事というのは,iPadが得意とする “やりたい作業や得たい情報が,事前に一定程度分かっている” ような作業はそう多くないからです.

とは言え,iPadを使えば便利にはなる作業もあるでしょう.私も仕事で使っていますし,いろいろと使いドコロはあるものですが,これがないと仕事にならない,大学としての作業能率が落ちてしまう,なんてものではないのです.
しかし,それを「捗るぞぉ」などと大袈裟に騒いでいる時点で,まずそいつが大学教員として無能であることの証左となります.

ところがそんな自身の無能を恥じること無く,こうしたiPad好きの教員は「これからの大学はiPadが活用されるべきだ」などと吹聴します.

だけならまだしも,iPadによって授業方法に幅が出たとか,学生への満足度が高まる可能性があるとか,iPadの誕生は授業に革命を起こすなどと目を輝かせます.

他方で,「アンチiPad使い」なる教員もいて,じゃあ彼らはまともな事を言うのかと思いきや,その他のタブレット端末の優位性とかオリジナリティを説いているだけで,本質的にはiPad好きであることに違いはないのです.

こういうのってちょうど,プレイステーションとファイナルファンタジーⅦが発売された時に「TVゲームに革命が・・」などと似たような騒ぎがありましたが,それと同じようなものです.
プレイステーションの高い処理速度と映像が生み出す未知なるゲーム画面に,何やら全く別の世界が誕生したワクワク感があったからでしょう.
でもこれによって新しい何かが始まったわけではなく,ロールプレイングゲームの魅力を引き継いだだけで本質的な違いはなく,ロールプレイングゲームの面白さはファミコンであってもスーパーファミコンであっても変わらないわけです.
今になっては大画面のテレビじゃなく,携帯やスマホとか,それこそiPadでゲームが楽しまれているようですし.

目の前に呈示されたエンターテイメント性の高い現象に対し,それを素直に,誠に素直に楽しんでしまっていて,且つ,それが自身の仕事や生活の有り様を変えてくれるものだと捉えてしまう.
ようするに大衆なのです.バカとまでは言いませんが,こういうのは大学の教員ではない.大学に居るべき者とは対局にある思考スタイルです.

彼らはiPadのようなタブレット端末を使って,大学で他に何か良いことはできないかと野心を燃やしているように「見せます」が,実際やってることは既存の用途に従ってるだけだったりします.なんなら「Safari」と「メール」,たまに「ミュージック」くらいしか使ってなくて,挙句にはPDFの閲覧もままならない状況だったりします.

別に一般消費者で良いじゃないか,iPad好きくらいでゴタゴタ小言を言うな.
と思われるかもしれませんが,大学教員や大学という組織にとってはそうじゃないから「ツボ」なのですよ.

iPad好きのバカをのさばらせると碌なことになりません.自分のその嗜好と思考を,思う存分大学運営に投影しようとするからです.

世間で流行っている知的でちょっとラグジュアリーなもの,それが大学教育の延長線上にあるものだ.そんなふうに彼らは捉えています.
iPadを小脇に抱え,それで仕事をスマートにこなしていく姿に憧れているんです.

そんな奴らですから,iPad好きのバカは揃いも揃って大学構内に「オシャレなカフェ・エリア」を作ろうとします.オシャレなカフェでiPadを操作することに知的な魅力を感じているからです.
そしてオシャレなカフェでiPadを片手に,知的な話題で学生たちと談笑したい.などと妄想しています.それが理想的な自分たちのキャンパス・ライフだと,本気で考えているのです.

「一段上のインテリジェンスなステータスとは,こういうものさ」
それらが単なる企業の広告戦略であっても,それをそのままコピペして自分たちの大学作りで使おうとします.学生には「コピペのレポートはダメだぞぉ」って言ってるくせに,肝心な自分の思考力はコピペなんです.哀れですね.

でも,そんな哀れな大学経営方針に,我が国の多くの大学が足を突っ込み始めていて,それを止めることがどうにもできないでいる.
そんな我々自身も哀れなわけです.