2016年5月18日水曜日

大学教育を諦める

御察しの方もいるでしょうが,前回の■東京を諦めるは大学教育にも通じています.

一極集中,且つ,流動性が高いものは近いうちに黄昏を迎える.
東京がその典型だというお話しでしたが.
大学もそうなっているのです.

「安穏としている大学教育や大学経営にも,競争原理を働かせた方がいい」
などと言って始めた大学改革.
これにより,大学は取り返しのつかない状態になっています.

もうダメです.
諦めるしかありません.
これはちょうど,「風邪をひいて体調が悪い」と言っている人が,「体調が悪いのは体力がないからだ」ということで体力トレーニングをさせられているようなもの.これによって体調が良くなる可能性はゼロです.
トレーニングだと称して実際にはトレーニングしない人であれば回復の希望はあります.実はそんな大学もたまにあります.

競争原理に曝せば各大学が切磋琢磨するのではないかという理想論もありました.
それにより,それまで無名だった大学にスポットがあたり,改革に対し保守的な大学が落ちぶれるというストーリーが夢想されていたのです.

でも,その結果発生したのは元来の優良大学への一極集中化です.
しかも,改革に積極的な大学ほど,そこの教員が教育研究に割ける労力は減り,職員は病んでいます.
こんなに経営改革に尽力しているに,どうして上手い方向に転がらないんだろうって,その凋落原因が改革にあるとは思わないんですね.

それに,競争原理を働かせた方が,教育研究が活発になるというのも嘘であることが判明しました.
このことに警鐘を鳴らしていた大学の先生もいます.
あまりにも異常な日本の論文数のカーブ(「ある医療系大学長のつぼやき」内記事)
その関連記事→■Numbers of young scientists declining in Japan(nature誌)

さらに以下のネット記事にもあるように,日本の論文数は科学研究費助成事業(いわゆる科研費)が頼みの綱になっている上に,それでいて論文数は減少しているという凄惨な事態になっています.
日本の論文は科研費頼みの傾向へ、それでも世界に存在感を示せていない

でもこれは,素朴に考えれば当然の帰結です.
科研費による学術研究活動支援の根本思想は「選択と集中」です.選択と集中をしたら論文数が減るのは当たり前です.だって,「選択」して「集中」させているんだから,アウトプットは減る方向に向かいます.
何を今更というところですが,偉い先生方にとっては「異常事態」なのだそうです.

もっと言うなら,研究費助成のために選択と集中をしているのは日本国内です.世界中でやっているわけではありません.
選択され一極集中した一部の国内研究グループが発表するのですから,日本としての存在感を示せるわけがないでしょう.
むしろ,どうしてこれで活性化に向かうと考えたのか不思議でなりません.

そして,こういう「選択と集中」を目指す研究環境にあって,多くの大学教員が口にしているのは,
「優秀な学生が大学院に入学してくれなくなった」
というものです.

私は優秀な学生ではなかったので,むしろ棚ぼた的な形でそれを享受した者の一人ということになります.
たしかに,十数年くらい前から優秀な学生は大学院には行きたがらなくなっています.

でもこれも,何を今更というところです.
「選択と集中」が進む場に,優秀な人材が向かうわけがない.優秀な人ほど安定した仕事環境に行きたがるに決まっています.最近の公務員志向がそれを物語っています.
そんなこと,普通に考えたら分かりそうなものです.

ちょっとラリってる人は,「選択される就職先が公務員に集中しているということは,これは選択と集中によって良い人材が確保できているわけだ.だから選択と集中は活性化の起爆剤になるのでは?」などと言い出します.いや,ホントにいるんですよ,こういう人.
こういう手合は自分が何を言っているのか分かっていない人なので,生暖かい目で見てあげるに限ります.

今の大学・研究所を支えているのは,ブラック企業に勤める社員に類似した教員や研究員です.
一部の安定した役職に就けた人はいいでしょうが,その他大勢は来年の仕事も約束されていない状態になっています.

流動性の観点からしても,大学はここ十数年「任期制教員」の制度を厳密に運用するようになっています.以前は何年間か勤めれば自動的に任期を付さない教員に昇格することになっていましたが,最近はそれがなくなってきました.

これにより,以前にも増して同じ大学に勤め続ける教員が減っています
つまり,常に「来年はどこの大学・研究所に行けるかなぁ」と職探しをしている教員が山のようにいる状態なっています.
今は全体の半数,4割〜6割が常時職探し教員です.大学によっては8割くらいです.
ご存知でした?

こうした職場の状態を「プロスポーツ選手」と同じようなもので,そういう弱肉強食の環境下からより良い人材が育つんだ,などと言う人もいます.
大学に限らず,日本で「プロスポーツ選手」のような職場環境を求める力学が働いていることは容易に推察できます.
だから,「スポーツと社会の有り様は一致する」ということとも関連する話なのです.

でも,学生の身になって考えてもみてください.
自分の先生が常に職探しをしていて,来年,もしかすると後期(秋学期)から別の大学に移ろうとしている状態にあること.
就職活動の支援をしている教員や職員の方が,就職活動に苦戦しているという事情を知った時,彼らはそんな教職員をどのような目で見るのか.

そして,教員の身になって考えてもみてください.
来年は自分の学生ではない学生に対し,どのような教育ができるのか.単発の授業ならまだしも,進学や就職などの長期的視野を含む学生指導にどれだけ時間を割けるか.
自分の業績作りや職探しに全くプラスに働かないことをどれだけやれるか,かなり微妙な状況にありますよ.

これらの問題は,まだ顕在化していません.
学生も教員がそういう不安定な状態であることを知らないですし,教員もそこまでモラルハザードを起こしていません.

でも,近いうちにそうなります.
ある特異点を過ぎれば,一気に来るでしょう.
直感的には,2022年くらいでしょうかね.
乞うご期待.

その時,少なくない人が,
「今,大学教育が取り返しがつかないほど崩壊している.なぜなんだ!」
と憤ってみせるであろうことが容易に想像できます.

それは間違いです.
その時の「今」ではなく,現在,もう既に大学教育は取り返しのつかない状態にあります.
一般の皆様も認識できるほど顕在化するのに,あと5〜6年かかるでしょう,ということです.

大学教育を諦めようと思うに至ったのは3年くらい前ですが,なんとか突破口はないかと思案もしていました.
でも,どうやら無理だなと.そういう結論に達した今日此頃です.


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