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続・大学の売り

前回の記事では,大学教育における市場原理主義について再考してみました.
大学の売り
今回は,これについて再々考してみようと思います.

「大学の売り」とは何でしょうか.
前回の結論からすれば,
「そんなことを考えること自体が無意味」
というところに行き着くのでしょうけど.

それでも,可哀想なことに「本学の売りはなんだろうか? 我々の強みとは何か?」と必死に考えることを仕事としている人はいるものです.
経営戦略会議とか特別運営者会議などといった名称をつけて,たいてい,嫌々やっています.場合によっては適当に集められた若手教員などが考えにふけっています.ご苦労さまです.
そんな中,たまに自ら喜んでやっている人もいます.これもある種の可哀想な人です.

大学の売りについて考えている人はまだいい.
なかには,大学を売ることを考えている人がいます.
図書館機能を削減しようとか,由緒ある建物や門を「維持管理費が高いから」と売っぱらおうとします.
こういう連中は売国奴ならぬ「売学奴」と言ってもいいでしょう.

それを言い出したら,「日本の売り」を考えている人もいるようですね.
クールジャパン/クリエイティブ産業(経済産業省)
私に言わせれば,これもある種の売国奴です.

今日はそんな話をしたいわけではありません.話を戻します.

「大学の売り」
よくよく考えてみれば,我々としても考えておくべきことの一つなのかもしれません.
古典的な物言いで率直に言えば,「それぞれの教員がやりたいこと」が売りです.
それじゃダメだからと言われて,最近は「もっとクールな売りをアピールしろ」って言われています.
この大学に入学すれば,他とは違うこんな良い事があるぞってアピールしなさいと.

大学にシラバスっていうのがあります.最近の大学はこの「シラバス」を充実させるようにお達しがきています.
その理由ですが,「この大学に入学すれば,こんな良い事がある」ってアピールしたからには,その通りになるように保証しろということです.
十数年前に大学を卒業した人からすると信じられないかもしれませんが,最近のシラバスは,「第1週:◯◯についての概略,第2週:◯◯と◯◯の関係・・・・」といった調子で,毎週の授業内容を逐一書かねばらないのです.
もちろん完璧にその通りに進めなくてもいいのですが,それを逸脱することは憚られます.

そんなんじゃ授業の途中で脱線したり,授業中に思いついたことを展開できないじゃないか,って思うかもしれませんが,そもそもそういうことをしちゃいけないことになっているのです.
大学での学びとは,予定表のように記述することが出来て,それを伝達することが可能である.というのであればそれでも良いかもしれません.
しかし,それなら授業じゃなくても読書や自習で十分ですよね.

過去記事でも繰り返していることですが,大学で学生が学んでいることは「モノの考え方」です.
はっきり言って,授業でやっている内容なんかどうだっていい.
その授業を担当している教員は,その分野のエキスパートということになっています.そのエキスパートから,その授業科目である分野に対する「考え方」を学ぶわけです.
学生は専門的に学ぶ分野・領域を選ぶことになります.しかし,さまざまな授業を通して学生は,モノの考え方・モノを見る力という共通の能力を養っているのです
それは文学であっても,体育であっても,経済学であっても共通です.

それ故,「本学の売りはこれです」という表現はそぐわないことになります.
どの大学であっても,結局は同じことを目指しているからです.
究極的な理想を言えば,「どの大学がいいかなぁ」というのではなく,どの大学であっても同じものが得られることになっているはずなのです.

ところが,それじゃダメだと言われます.
差別化しなきゃいけない.自分たちのオリジナリティ,強みをアピールしなければいけない,と.
素朴な質問としては,「どうして?」というものでしょう.

どうして差別化したり強みをアピールしなければいけないのか?
それは,大学で学んだことが,社会でどれだけ役立っているか定量化しなければいけないからです.
より具体的に言えば,学費・学習時間という支出に対する収入がどれほどあるのか? ということです.
ここでいう収入とは,まさに卒業後の収入と同義です.

そして,この「収入」をたくさん得られるところが「良い大学」ということになっています.収入を得るために大学は存在すると考える人もいます.
この方針で進む限り,確実に大学は社会から葬られますよ.これはどこまで沈んでも底のないヘドロの沼です.
事実,そうした「収入」が分からない「文学系学部」は大学教育に不要,という動きがあるのはご承知のことかと思います.

簡単な話です.A大学とB大学があったとします.どちらに入学すればいいのか分からない人は,いろいろな理由をつけて差別化しようとします.差別化したいのです.
現状,それが「卒業後の収入」なんです.揃いも揃って皆そうです.
その基準でいけば,大学に高い教育レベルは不要です.
結果,大学としての存在意義や使命とは真逆の方向を向いた活動を展開することになります.
その詳細は前回お話ししました.

ようするに,学生の就職活動や大学の外部資金獲得に役立つ領域が「優れた領域」だという認識がはびこっているのです.
支払った費用に対する収益がどれほどあるか,という思考で教育を考えてしまった時,その社会は死に至る病にかかったと言えるでしょう.