2016年6月28日火曜日

大学の売り

もう4年前の記事になるのですね.以前,「学生は大学の『客』ではない」ということを書いたことがあります.
反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)
学生のことを「お客様」という発想で取り組む大学の経営陣に辟易していた,或る若手教員の愚痴でした.
そこから一部抜粋してきますと,
私が考える大学にとっての「客」というのは,しいて言えば「社会」です.学生ではありません.
学生という商品を,社会に納入しているという発想です.
(―中略―)
「学生を商品として扱うなんて,あなたは薄情者だ」と言ってくる人がいるかもしれませんが,そんな人こそ私に言わせれば「商品」を金儲けの元として軽んじて捉えているドライな人です.
大量生産のようなシステマティックな商品ではなく,手作り木彫り人形のような商品.手塩にかけて彫り,磨き上げた商品.それが私の考える「卒業生という商品」です.材料の木によって,彫り方や表情が変わってくるわけですし,それだけに作り手も商品に愛着があり,良いお客さんの手に渡って欲しいと願うものです.
あまりに良い出来だと,知り合いに譲ったり,自分の店に飾っておきたくなる.それが「コネ入社」であり「研究室や大学に残す」ということだと思うんですよ.
知り合いの大学の先生とお話したことがあるのですが,大学をサービス業の一つだと見做し,学生を「客」だと捉えるとどうなるのか.
相手は客なので,売り込むものがあることになります.
大学の売りってなんでしょう?
過去に
こんなホームページの大学は危ない
とか,
「教職員用」危ない大学とはこういうところだ
という記事を書いているのにカマトトぶってるのもなんなので結論から言います.
一言で言えば,
「コストパフォーマンスの良い学生生活」
です.

いろいろと手を変え品を変え誤魔化そうとしますが,ようするに「うちに来れば大変な思いをしなくても楽に就職できますよ」ということに収斂されます.
それが今の大学経営陣の主たる運営動機です.
本当です.終わってるんですよ.

「とは言え,そうじゃない先生も少しはいるんでしょ? お酒飲みがらゼミしたり,授業に出席しなくても全員に『優』を出したり,科目名とは全然関係ない話で授業の大半を過ごしたり.そういう人がちょっといれば大丈夫でしょ」
などと牧歌的な雰囲気が大学にまだ残っていることを期待する人もいます.

残念ながらそういう先生はほぼ駆逐されてきました.
ある一定量を過ぎると,その閾値を過ぎると一気に物事は一方向へと傾くものです.

まだ残っていますよ.たしかにまだそういう先生はいるんです.
ですが,絶滅危惧種と呼ぶほどの望みはありません.絶滅することが決まっている種です.
今どき,学生の事をまじめに相手にする教員は生き残っていけません.そんな余裕ないんです.

「コストパフォーマンスの良い大学生活」を売るのですから,当然のことながら何を「コスト」と捉え,何を「パフォーマンス」と呼ぶのかが問題になります.
言い換えれば,大学におけるコストとパフォーマンスが予め分かっているということになるのです.

変な話です.
大学での勉強や研究とは,こうした「コスト」や「パフォーマンス」が何なのかを模索するところなのに.

こういう状況を前に,
「やっぱり大学が多過ぎるんだよ.レベルの低い大学は淘汰すればいい」
などとトンチンカンなことを言い出す人がいます.
これは1割正解ですが,9割間違っています.

大学が多過ぎることはたしかですが,それと教育レベルとは関係ありません.大学経営が市場原理主義になってしまっているから,今は教育レベルを下げて対応しているのです.
市場原理ですから,コストパフォーマンスが良いことを売れば学生募集につながります.
よって,レベルの低い大学は淘汰すればいいというのは間違いだということが分かるでしょう.まずは教育レベルを上げても淘汰されないような状況にすることが求められるのです.

すると,「国が音頭をとって,大学を強制的に減らせばいい」と感情的になる人もいます.
そんなことしたら人類史上の笑いものです.大学教育をなんだと思っているのか.あっ,そうだった,「コストパフォーマンス」で測れると思っていたのですよね・・.
そんなわけで,もう十分に笑いものの民族かもしれませんけど.

だいたい,大学を増やして市場原理に曝せば,既存の有名大学も殿様商売できなくなって大学教育の質が上がるのではないか? という趣旨でやってきた経緯があります.
つまり,「大学を増やして既存の大学を困らせてやれ」ってのが国民や社会からの要望だったのです.
だから今更「大学を強制的に減らせ」というのは人道的・倫理的にも不可能なんですよ.

それに,そもそも大学が多過ぎるというのも考えてみれば意味不明です.
「多過ぎる」というのは何を基準にしているのでしょうか.
昔と比べて? 国際比較して?
で,そういう比較になんの意味があるのか,そこが問題です.
「大学全入時代」などとネガティブな意味で評されることもありますが,日本人の多くが大学教育を受けられるようになったことが悪いことなのでしょうか?
「大学の増加が止まらないのは利権構造があるからだ」と言われることがあります.ググればいっぱい出てきます.
でも,私に言わせれば,大学が増えてもらっては困る人たちがいるのではないか.まともな大学教育をさせないことに既得権益を得ている人々がいるのではないか.そんなふうに考えてしまうものです.

こうした大学にまつわる問題の根幹にあるのは,やっぱり「コストパフォーマンスの良い大学生活」を提供しなければならない状況にあると思えてなりません.

最後に,これも過去記事からですが,そこから引用します.
彼女に言ってやりたかったのは
でも,私が彼女に言ってやりたかったのは,自分が求めているものの価値が今はまだ分からない若さと,結局は分からないままで終わることが多い人間の性についてです.大学で自分にとって必要なものを得たいと彼女は言いました.でも,本当に必要なものというのは,えてしてその時には分からないものですし,求めるものが満たされるということもないわけで.逆に,大学で得られるものの中で必要無いものというのは何なのでしょうか.さらにもう一つ.自分にとって必要なものが何か本当に認識できるのであれば,大学という場所で学ぶ必要もないでしょう.
大学で何を学んでいるのか.
基本的なことですが,それを問うことが少なくなってきた今日に思えます.