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反・大学改革論3(学生はお客様じゃない)

引き続き,この大学改革の流れをラーメン屋で例えると,

1.お客さんが減ってきた

2.原因はメニューが悪いのだということになる

3.客にアンケートをとってみる

4.客は店のマンゴープリンが美味しいと回答

5.これからはマンゴープリンだと確信

6.でも本格マンゴープリンは簡単に手に入らない

7.とりあえず市販のマンゴープリンで間に合わせる

8.予算のない店はプッチンプリンで間に合わせてる ←今ここ

9.勘違いした店がプリンラーメンとかいうゲテモノを開発 ←近々これ

10.プリンラーメンで失敗した店に対し「正統な改革はマンゴーだ.マンゴーラーメンにするべきだ」と近所のオッサンがしゃしゃってくる


「いや,普通に醤油ラーメンの質を上げて勝負するとかさ,スープのとり方を変えるとか,そこが大事なんじゃないの?」
と考えたあなたは常識人です.

「結局,マンゴープリンはどうなったの?」
と考えたあなたは洞察力に優れています.

ラーメン屋なんだから,ちゃんとラーメンの開発に力を入れるべきなんですが,なんだか上記みたいなことになっているのが現在の大学改革なのです.


 
 

これはとにかく「学生からの満足度」を高め,「保護者からの要求」を解消しようという発想のもと邁進してきたことによります.

日本人は頑張り屋さんだし
「お客様は神様です」
の思想があるし,おまけに
「学生が喜ぶ顔を見たくないのか?」
という教育観は相当な“正義”として機能しているんですよね.

でも,この正義は疑ってかからなければなりません.


私見として,まずこの「学生はお客様」という考え方が根本的に間違いだと思っています.
アメリカ流の大学改革を推し進めるタイプの人に多い考え方です.


前々回の記事,■反・大学改革論 で,この「学生はお客様」という発想から生まれる「学生のため」の大学改革がダメだということを取り上げましたが,それをもう少し詳しくみていきましょう.


私が考える大学にとっての「客」というのは,しいて言えば「社会」です.
学生ではありません.
学生という商品を,社会に納入しているという発想です.
どうやら,アメリカ流大学を推す諸星氏(前々回の記事にリンク有)なんかは,この意見には賛同してくれないようです.

「学生を商品として扱うなんて,あなたは薄情者だ」
と言ってくる人がいるかもしれませんが,そんな人こそ私に言わせれば「商品」を金儲けの元として軽んじて捉えているドライな人です.


大量生産のようなシステマティックな商品ではなく,手作り木彫り人形のような商品.手塩にかけて彫り,磨き上げた商品.それが私の考える「卒業生という商品」です.

材料の木によって,彫り方や表情が変わってくるわけですし,それだけに作り手も商品に愛着があり,良いお客さんの手に渡って欲しいと願うものです.

あまりに良い出来だと,知り合いに譲ったり,自分の店に飾っておきたくなる.
それが「コネ入社」であり「研究室や大学に残す」ということだと思うんですよ.


大学が持っている社会的機能をいい加減に解釈したまま,企業と同じ経営論理で改革してしまったことが最大の間違いです.

2年前に,
アインシュタインにタイピングさせるな

という記事で少しだけ匂わせ,燻らせていましたが,今ならはっきり断言します.
企業経営と大学経営を一緒にしてはいけません.


何度も言いますが,大学というのは「王様は裸だ」と叫ぶ場所です.

社会や人間のあり方そのものを憂い,その社会や人間が幸せになるために活躍する人材を育てる場所です.

「裸の王様」の言葉に従って,マンゴープリンを作っていてはいけません.


「学生はお客様」
「顧客満足度第一主義」
というのは個人の利益を追求する思想です.
これに従えば,金になりやすい教育やアプローチが要求されます.

一般的に,こういう教育を目指した大学は「役に立つ知識」とか「夢を叶える」というキャッチフレーズを使いたがります.
注意しましょう.


一方,文学や哲学といった教養は,長い目で見れば社会や人類を幸せにしますが,明日のお金になりません.

大学生き残りのため,こうした教養教育がぶった切られているのが,現在の大学改革.

え?マジ?
って思った人.

マジです.

「学生はお客様」の論理でいくと,教養教育はつまらないし,満足度が高くなりにくい,切り捨てる.
しょうがない.
そういうことです.

こうした「顧客満足度第一主義」にかこつけて,「世の中銭や」の精神で大学改革を進めていくと,そこにいる教員の考え方をも蝕みます.


少し前に同じ大学の上司である教員と教育方針で喧嘩になりました.
この上司,とにかく「楽して儲ける術を授けたい(授けられる,ではない)」を絵に描いたような人で,短期的には学生も喜ぶんだけど(その学生たちも見る目ないわけで),1年以上付き合うと嫌われるという,バブリーな人.

そんな彼は,なにやら私を取り込もうと画策して「上司パワーで出世させてやるから,こーしろ,あーしろ,これやって」と言いたげで.

うんざりしてきたので私も,つい,
「お金のために大学教員やってるわけじゃないんでね」
って言ったら,その教員,思わず
「!?おまえ,金が欲しくないのか!?」
と口走ってました.

悪代官か越後屋くらいからしか聞いたことがないセリフ.
貴重な経験ができたと嬉しいくらいです.


かなり主観的ですが,こういう教員を重用しているのが大学改革の内部です.
純粋に学問と教育と研究をやる,ってのは,彼らにとっては“建前”であって,そんなものはこれからの大学教育に不要だとすら考えています.

就職支援と資格試験対策が大学の腕の見せ所.
社会人になるための即戦力と一般常識を教えるところ.
目を輝かせているから,かなり本気です.


でも,そんな彼らにしたって,たんに無知で,思慮が浅く,教養が無いわりに自己顕示欲が強いだけで,決して悪い人達ではないのです.
彼らなりに大学存続のためを思って血眼になっているわけで.

たとえ多くの大学が「大学ってのは・・・」と訴えても,「役に立つ知識」や「夢を叶える」と謳う大学が現れたら,そちらに学生は流れてしまう.


つまりこういうことです.

教育研究の質を下げないと,大学は淘汰されてしまう

凄い状況でしょ.


大学を改革するって言っても,実は誰もそんなことを望んでいなかったはずですよ.
ただ,
「あのどうしようもない授業をする教員をこらしめてやりたかった」
「小難しい話ばかりでなく,ほんの少し,学生の将来のことも気にしてほしかった」


するとどうでしょう.
そんなつもりで改革を始めたら,大学の社会的機能すら破壊してしまっている.

ダメ教員が生きづらい大学になりましたが,優れた教員も生きづらい大学になっちゃった.


大学は,というか日本は,教育における市場原理を甘く見ていたのです.
まさに,“産湯とともに赤子も捨てる” ようなことになっています.

あれ? どっかの国で似たような衆議院選挙があったような.たしか3年前だったか....

まぁ,
20代の教員がなんとかできるわけもなく,とにかく同じ轍を踏まないように,今は勉強するだけです.


続きはこちら■反・大学改革論4(喜んでる教員)

 

  


大学改革がダメな理由はこれを読めば分かります

 


大学改革をしたい人たちの理屈はこちら

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