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2月, 2017の投稿を表示しています

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築地市場土壌汚染問題今更何故報道

タイトルを16字熟語にしてみました. 文字化けでも中国語でもないですよ. どうやら築地市場の土壌はかなり汚染されているようだ,というニュースです. ■ 築地も土壌汚染の恐れ 8工事で義務付け履歴調査怠る…他8市場20件前後の工事でも (産経新聞) 豊洲市場(東京都江東区)の移転問題をめぐり、築地市場(中央区)の敷地が土壌汚染されている可能性があるとの報告を都がまとめていたことが28日、都への取材で分かった。報告では、築地の敷地に戦後、ドライクリーニング工場が建てられ、有害物質を含む有機溶剤を大量に使ったとみられるため、土壌汚染の可能性があると指摘。都は今後、築地の土壌汚染の有無を調べるが、小池百合子都知事の移転判断にも影響を与えそうだ。 噂では,「既に昨年9月の時点でこのことは分かっていた.小池都知事が豊洲移転問題を政局に利用したいから伏せていた」なんてのもありますが,それはこの際放っておくことにします. 私が驚いているのは,このことが主要メディアでニュースになったことです. 先日も「自民党の息がかかっている教育機関」がニュースになりましたよね.これにもビックリしていたところです. ■ こんなウヨクの教育は万事休すだ こういったことは豊洲移転問題のほとぼりが冷めてから出てくるもんだと思っていましたので,東京も案外侮れませんね. 私もかなり以前から「そもそも築地市場が汚染されているんだから,豊洲に移転したところで問題ない.むしろ,データからしても “穢れ”思想からしても清潔なのは豊洲でしょ」ということを述べてきました. ■ 豊洲移転問題みたいな問題を考える なんと言っても,築地市場ってあの「原爆マグロ」が埋められてる場所として(私のなかでは)有名だったので. (これって中学か高校の社会の教科書とかに載ってませんでしたっけ? なんとなくそんな覚えがあるんですけど) それを知った当時から,なんでそんな処理地の上にわざわざ魚市場を建てたのか疑問でした. 私なりの解釈はこうです. 原爆マグロという “穢れ” を,ある種の “ 鎮魂としての生贄 ” といった禊的価値観から,その埋め立て処理地の上に,敢えて「魚市場」を建設したのではないかと. 漁業関係者たちの心意気といいますか,表現が難しいですけど,この感覚,なんとなくですが理解

体育学的映画論「プラダを着た悪魔」

先日からファッション関連の記事を続けたので,せっかくですからもう一つ. 『 プラダを着た悪魔 』は,私が「ファッション」について考えるきっかけになった映画です.研究室の助手をやっている頃(26歳くらい)に見たのが初めてでした. とは言え,先日来述べているように,私はオシャレやファッションにこだわっているわけではありません.むしろ,その逆の行動をとってきたと言ってもいいくらいです. この映画を見るまでは「ファッションなんかに関心を持つ人生は避けていきたい」と思っていたほどでしたが,いやいやなんで,ファッションとは奥が深いものだと気付かされました. 今回は,ストーリーに関わる話をしたいわけではありません. この映画で語られているテーマについて,別の角度から眺めてみたいと思います. 先日は,スポーツと体育から「ファッション」を考えてみたのですが,この際,もうちょっと勉強してみようと 鷲田清一 著『ちぐはぐな身体』 と『 ひとはなぜ服を着るのか 』を読んでみました.   新しい考え方が得られてとても勉強になりましたし,ファッションに関する問題意識については私が過去記事で書いたことと類似点も多い.「身体」について興味がある人にはオススメです. と同時に,こうした考え方をおさえておくと,映画『 プラダを着た悪魔 』も一味違った見方をすることができるようになります. 以前の記事で私はこんなことを書きました. 過去記事→■ 井戸端スポーツ会議 part 41「スポーツで考えるファッション」 体毛が極端に少ない動物であるヒトは,衣服を纏うことで生き延びてきました. 古来,衣服はヒトにとって「身体」だったはずです. だとすれば,こう言えるはずです.身体である衣服を使って「遊ぶ」,そしてその在り方を文化的に高めようとする営み.ファッションとは,まさしく「スポーツ」ではないでしょうか. ということは, 人間にとってスポーツの在り方がファッションに及ぼす影響は大きい と考えられます. 論じる上で大事なことなので,冗長ですが過去記事からもう少し引用しておきます. スポーツが「近代スポーツ」へと “衣替え” したことは,まさにファッションの変化をも促進しました. ルールの統一と条件の平等を徹底した上で,「より速く,より高く,より強く」をモットーに

こんなウヨクの教育は万事休すだ

先週書いた記事に, ■ こんな大学は万事休すだ というのがあります. あんな状態や,こんな状況にある大学は「危ない」とか言ってられず,もう既に「万事休す」だというネタです. その最初の方に,こんなネタを入れておいたのですが,覚えてますか? (未読の方は知らないでしょう.ご了承ください) 「よく理事が逮捕される」 「自民党の息がかかっている」 いえね,この手の話って大学に限らず 教育業界全般に言える ことではあるんですけど,なかなか一般の方々の前に提示されることってないわけで. だからマジで深刻な問題になってきてからニュースにでもなるのかなぁ,って思ってたら,いきなり今週になってニュースが飛び込んできました. かなりタイムリーだったので,自分でもびっくりですね. ■ 「安倍晋三記念」名で寄付集め、首相が抗議 森友学園に (朝日新聞) 安倍晋三首相は24日の衆院予算委員会で、大阪府豊中市内の国有地が近隣国有地の約1割で学校法人「森友学園」に小学校用地として売却された問題に絡み、同学園が「安倍晋三記念小学校」の文言で寄付金を集めていたことについて、「何回も断っているにもかかわらず、寄付金集めに名前を使われたことは本当に遺憾だ」として、同学園に抗議したことを明らかにした。 ■ 森友学園と安倍首相の深い因縁 名誉校長・昭恵夫人が認めた「晋三記念小学校」 (JCASTニュース) 安倍首相は、小学校に自らの名前を冠することは「お断りをしている」と国会で答弁していた。だが、昭恵夫人は過去の講演で、冠は「総理大臣を辞めてから」ならば構わないともとれる発言をしていたことがテレビ東京の報道で明らかになった。安倍首相は小学校の認可や国有地売却との関連も否定しており、昭恵夫人も含めて関与が明らかになった場合は「総理大臣も国会議員も辞める」と明言している。昭恵夫人の講演での発言をきっかけに、認可や土地の売却問題との関連についても、答弁の信ぴょう性が問われることになった。 別にこういう話が出た事にびっくりしているわけじゃありません. こういう話がニュースになったことに驚いています. 先日の記事で笑いのネタにしたのも,どうせ認知度は低いだろうと思ってのことですし. でもこれは氷山の一角です. この学園だけの話ではないのです. 自

井戸端スポーツ会議 part 41「スポーツで考えるファッション」

先日,柄にもなく服装・ファッションについて記事にしました. ■ 若手研究者用:スーツの上手な買い方・着方 そこではスーツの買い方と着方を主軸に述べていますが,ここに通底しているのは, 「環境と身の丈に合った服装が望ましい」 という,ただそれだけのことです. 結局のところ,本人固有の雰囲気や,着用する状況・条件に合わせて「ファッション」は決まるのだと思います. もっと言えば,ここにも「スポーツ」が入ってくる. スポーツでファッションを考えることができると思うんです. 今回はそんなお話. そもそも,「服装」とは何か. アスリートは,練習やトレーニングによって「技能」を得ます.すなわち,そのスポーツ種目において最大のパフォーマンスを発揮すべく,最適化された「身体」を獲得しようとするわけです. 別にアスリートでなくても,スポーツ活動をしていれば,人はそのスポーツに適した身体へと適応します.大きな筋肉が必要なスポーツ,細い筋肉が必要なスポーツ,適度な脂肪や骨の量,適正な血液特性,神経反応等々,様々な適応現象が身体に発生しますが,そこには決して 「あらゆるスポーツに万能な身体」 というのは現れません. さらに言えば,スポーツ種目だけでなく,個々人の体型やプレースタイルによって最適な身体は異なります. これと同じことこがファッションにも言えます. 服装とは,言わばスポーツにおける「パフォーマンス」であり,より良いファッションの在り方を模索することとは,身体のトレーニングに相当するものではないか. 体毛が極端に少ない動物であるヒトは,衣服を纏うことで生き延びてきました. 古来,衣服はヒトにとって「身体」だったはずです. だとすれば,こう言えるはずです.身体である衣服を使って「遊ぶ」,そしてその在り方を文化的に高めようとする営み.ファッションとは,まさしく「スポーツ」ではないでしょうか. むしろ逆かもしれない.ファッションは,人類がスポーツに先駆けて作り出したものであり,身体遊戯であるファッションの延長線上にあるものがスポーツ(身体競技)である.そう考えることもできますが,ここではその点については割愛します. ここで指摘しておきたいのは, 人はファッションによって時代と環境と社会に適した「身体」を作り出してきた ということです.

保育所問題はここまで来た

最も危ない保育の議論が始まりました. やっぱりダメです.もうダメです. 保育所が足りないから公園に作ろう と言い出す. 保育所問題はここまで来ました. 保育所問題については1年前に既に諦めていた私ですが, ■ 保育所問題を諦める ここ最近のニュースを眺めていると,つい口を挟みたくなります. そう言えば,「保育園落ちた日本死ね」というのが昨年の流行語大賞でした. その影響だからでしょうか.待機児童と保育所問題のニュースが連日続きます. てっきり,すぐに世間の注目をなくす話題だと思っていたのですが,なかなかしぶとい. どうやら来年度も待機児童ゼロにできないみたいだとか,男性保育士が女児を扱うなとか,いろいろあります. 流行語大賞をとって話題を振りまく効果はあったようです.良かったですね. ただ,やっぱり世論の方向がおかしいんです. こんなネットニュースがあるんです. ■ 公園内に保育所設置,どう思う? (Yahoo!意識調査) 国土交通省は、保育所の待機児童対策の一環として、公園内に保育所を設置できるようにする方針です。あなたはこの方針に賛成ですか? 反対ですか? で,アンケート結果をみたら賛成多数(約70%)です. 以前,保育士養成課程のある大学・学科で仕事していた私としましても,公園内に保育所なんかつくってる場合じゃねぇだろ思うのですが,世間ではどうやら「背に腹は代えられない」,すなわち,早く待機児童を解消するためには保育所を拡充することが重要だというんです. 世も末です. 細かい話は上述した■ 保育所問題を諦める を読んで下さい.そっちに話は譲ります. それより興味深いのは,こっちのニュースです. ■ 国歌・国旗、保育所で「親しむ」厚労省が指針改正案 (朝日新聞) 保育指針は10年に一度改訂されており、現行の指針には国歌や国旗に関する記述はない。改正案では「伝統的な行事、国歌、唱歌、わらべうたや伝統的な遊びに親しんだり、異なる文化に触れる活動に親しんだりする」などと記載されている。 別に保育所で国歌・国旗に親しむなと言ってるんじゃありません. ちょっと頭がイカれてるんじゃないかと思われる可能性があるので,早めに諫言しておいたほうがいいんではないでしょうか,という

若手研究者用:スーツの上手な買い方・着方

見た目は若いと言われますが,どうせお世辞だろうし,もうそろそろ「若者用」とされるファッションから外れていくであろう年齢になってきました. 今回は,薄給・無給でありながら忙しく動き回ることの多い「若手研究者」のための,スーツその他に関する記事です. これらについて,徐々に先輩になってきた私からのアドバイスをと思っております. 「学会のときくらいで,普段スーツなんて着ない」という人が多いでしょうし,着る機会が多いとしてもアレコレ考えるのも面倒だというのが若手研究者というものです. それでも,一応それなりの格好をしないといけないと思いつつネット検索してみるも,巷に流れているのは一般ビジネスマンを対象とした「おしゃれなスーツの着こなし術」とか「最近の流行スーツ」です. 挙句,10万円以上のスーツ,1万円以上の革靴,5千円を越えるネクタイがオススメ商品とか,俺にそんな余裕ねぇからというのが実情でしょう.できるだけ学会出張費とか書籍,研修費などに回したいですよね. この記事ではそんな若手研究者,もしくは薄給ビジネスマンを対象とします. (1)前提 まず,スーツ購入・着用を云々する前に大事なことがあります. 何事もそうかと思いますが,「ファッション」も,その人の姿勢や態度,考え方や行動パターン,職場や生活スタイルに馴染んでいるかどうかが大事です. どんなにカッコ良いスーツを着ていても,姿勢や動作と釣り合っていなかったら台無しになります. この記事では安物スーツの着こなしを紹介しますが,そもそも, 20代の若造が高額で豪華なスーツを着ていても,ホストクラブの兄ちゃんか詐欺師にしか見えません. 20代の若造にはそれなりのスーツが必要です. 間違ってもらっては困るのは, これは「20代の若造は何十万もするスーツや靴を買ってはいけない」と言っているのではありません. 何十万もするスーツであっても,そんなふうに見えないスーツを選ぶことが「20代のスーツ選び」には大事だということです. これについて俗物根性のある人は「どうせ高額なスーツを買うんだったら,安物と同じような見た目のものを選んじゃダメだろ」などと言いますが,こんな人とはできるだけ付き合いたくないですね.「値段相応の見た目」こそが大事だと思ってるんですから. そんな奴に限って,スーツは豪華な質

こんな大学は万事休すだ

まじめな話も飽きてきたので,久しぶりに「 こんな大学はダメだ 」シリーズを書きたいと思います. ネタはもう出尽くした感がありますが,重箱の隅をつついてみましょう. さまざまなネットワークを使って情報収集しました. その2017年最新版をお届けします. 早いもので,ネタ記事については1年以上書いていなかったんですね. ちなみに,過去記事はこちら↓ ■ こんなホームページの大学は危ない ■ こんな挙動の教員がいる大学は危ない ■ こんなパンフレットの大学は危ない ■ こんな大学の教員は危ない part 1 以下のような大学は,もう既に「 危ない 」とかじゃなくて,「 万事休す 」です. 気をつけましょう. ※分かる人だけに分かる内容となっております.これらの「理由」や「解説」について詳しく知りたい方は,過去記事を参照ください. (1)休日に私しか出勤していない (2)よく理事が逮捕される (3)自民党の息がかかっている (4)初年次教育とかゼミのクラスでタコ焼きやクレープを焼くことが多い (5)学生募集対策の会議が日付変更線をまたぐ (6)学生募集対策の会議が週に2回ある (7)深夜,呼び出しがかかる (8)教員が学園バスを運転している (9)大型免許を取らないと教員を続けられない (10)学園祭に出席しないと叱責をうける (11)学園祭に出ることが評価(ポイント)になっている (12)自分たちの「強み」と「弱み」を見つめる話し合いをしている (13)卒業論文を廃止することにした (14)屋上からの眺めだけが自慢 (15)授業評価アンケートで高得点として発表されるのが体育実技 (16)授業評価アンケートで人事が決まる (17)いつも給料の支払いでもめる (18)かの国からの留学生が多い (19)図書館を縮小することを検討している (20)7月と12月に図書館がガラガラ (21)「断捨離」を好む (22)文部科学省からの通達と,その抜け道に詳しい (23)駐車場で儲けようとする (24)さほど強くもないのに3つ〜4つくらいの体育会クラブに学生が溢れている (25)理事長が真性のアホなのに,誰も諫言しない (26)理事長の権限で学長のク

一方の,日本の左翼と学校教育について

昨日は右翼(ウヨク)についてでした. ■ 日本の右翼が教育問題について軽薄である歴史的な理由 なので,今日はバランスをとって左翼(サヨク)についてです. 日本の戦後教育は左翼に牛耳られている,という表現をよく聞きます.たしかにそういう側面があるのは事実でしょう. 一時期一大勢力を誇った「日教組(日本教職員組合)」も,左翼的な組織でした. 日本の教育問題に左翼が深くコミットできるのには理由があります. それは,戦前教育への反動とか,GHQの陰謀とか,社会主義勢力の台頭とか.たしかにそれらも影響しているでしょうが,それだけではないと思います. 近代における学校教育とは,“現代日本” において「左翼的思想」と受け取られがちな考え方から誕生しているからです. 前回記事■ 日本の右翼が教育問題について軽薄である歴史的な理由 や,■ 「学校」が誕生した理由 の記事でもご紹介したように,近代において「学校」が誕生した理由は, 「大人社会のルール,大人の論理から子供を守るため」 という,ちょっと左翼じみた考え方によります. 近代化と富国強兵に邁進する日本のなかにあって,その犠牲となったのが子供でした. その他先進国と同様,近代化の最中にあっては,搾取されるのは安い賃金で働ける弱い立場の労働者.その代表が子供だったのです. ですから,先進国においては工業化に伴う子供の搾取を是正するため,一定期間子供を働かせないようにする労働法を整備しました. そうして働かなくてもよくなった子供を預かり教育するため,学校が誕生したわけです. 大人社会とは,放っといたら子供ですら搾取をはじめる.だから予め子供を社会から隔離・保護しておこうという仕組みが学校なんです. しかし,日本の事情は他国と少し異なります. 世界に遅れて近代化を始めた日本は,既に先進国で機能しているシステムを同時多発的に導入できました. これはちょうど,それまで「電話」すら配備されていなかった国に,いきなり「スマホ」が入るようなものです. 電気通信とは何か? ネットワークとは何か? 情報スキルやメディアリテラシーなどといったものが全く準備されていない人々は,それらの歴史的経緯・経験を経た人々とは異なる態度で通信端末を手にするはずです. これが,日本における「工業化」と「学校」にも

日本の右翼が教育問題について軽薄である歴史的な理由

先日書いた2つの記事, ■ 「学校」が誕生した理由 ■ 大学無償化が有する薬効と害毒 が,結構な閲覧数をいただいています. 各々いろいろ思われるところがあるかと思いますが,ひとまず,ありがたいことです. 先日,■ 「学校」が誕生した理由 について知り合いの先生とお話していた時,ふと,こんな考えに至りました. 「日本の右翼や保守派とされている教育論者が,あんなにも無責任でトンチンカンな事を言うのは,『学校』が誕生した理由をマジで知らない(もしくは,あえて無視している)からではないのか?」 ということ. そしてこれは,別に彼らが単に悪いってんじゃなく,そういう考え方に至るだけの理由があるから.すなわち, 「日本において『近代的学校』が登場した経緯が,欧米とは異なるからではないか?」 という考察です. 「近代的な学校がどのような理由で誕生したのか?」については,いろいろな書籍で紹介されています. 教科書的なものとしての参考文献は,例えば↓   近代において「学校」が誕生した理由,それは過去記事でも書いたように, 「大人社会のルール,大人の論理から子供を守るため」 です. 近代とは,弱者を巧妙に搾取する時代です.それを喝破したのが カール・マルクス著『資本論』 であることはよく知られています. ここでは別に資本主義を批判したいわけでも,マルクス主義を薦めたいわけでもありません.近代とはそういうものだということです. そうした近代において,欧米では「社会から子供を守らなければいけない」という気運が高まり,その結果として労働法が,そして学校が誕生しました. ところが日本はというと,欧米における, 1)産業革命・ 工業化 に伴う労働環境と子供の養育の劣悪化 2)それらに対する労働法と 学校 の整備 という流れを経験せず,いきなり「工業化と学校の整備」が同時に輸入されました. つまり,日本は近代化の過程においてそれぞれ発生する「状況」を経験せずに,近代のシステム(工業化と学校)を導入しているわけですね. これが「悪い」ことだったと言いたいのではありません.しかし,これによって日本人は「近代」がどのような顔をしているのか,「学校」がなぜ誕生したのか知らないまま近代化したことになります.もちろん,導入を検討した頭の良い

大学無償化が有する薬効と害毒

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初等教育から高等教育までを無償化,もしくは大型の補助金を施した方が良いという議論は以前からありました. 既に高校無償化には着手していますが,大学もようやくそれが実ることになったというニュースです. ■ 大学無償化へ「教育国債」…自民が検討方針 (読売新聞) 初等教育から高等教育までが一貫して無償である国はたくさんあります. 大学だけをみても,非常に高い水準でありながら,無償,もしくは極めて安価で高等教育を受けられる国があります.しかも外国人留学生を含めて. 有名なところでは,フィンランド,フランス,ドイツ,スペイン,スイス,スウェーデン,シンガポール,南アフリカ,メキシコなどでしょうか. というか話は逆で, 日本は教育費がめちゃくちゃ高い ことで有名です. ■ 日本は教育に掛ける予算が少な過ぎ―実は先進国の中で最低クラス !(マイナビニュース) しかも,国の教育予算もケチっているんです.なかでも大学,すなわち高等教育にかける国の予算が非常に低い. ■ 日本の子育て、教育予算 OECD最下位 国の怠慢は明らか その上で「学校や教員はもっと努力しろ」って根性論を説かれるのですから,鬼畜以外の何者でもありませんでした. ですから,教育関係者にとって「教育費の改善」は悲願でした. 大学無償化も,その願いの一つです. さて,この「大学無償化」,これまで小学校から中学校までだった義務教育の範囲を大学まで拡大し,日本国憲法から文言を引けば, すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。 を論拠として採用することになるのでしょう. 実際,現政府もそのような姿勢で臨んでいます. 1月20日の施政方針演説では「憲法が普通教育の無償化を定め、義務教育制度がスタートした。高等教育も全ての国民に真に開かれたものでなければならない」と述べた。(読売新聞) 高校や大学が「普通に受けさせた方がいい教育」であることは間違いありません. ですから,義務教育として扱って良いものと思われます. 「高校はまだしも,大学までもを義務教育と呼ぶのはいかがなものか」 と言う人もいましょうが,そういう人は教育のことを「社会に出て経済活動を営むための手法を学ぶこ

大学の上にある大学院

このようなブログですから,「大学院とは何か?」「大学院はかくあるべき」ということを論じるための意味深なタイトルかと思われるかもしれませんが,そうではありません. ふと思い出したことがあるんです. 私が大学4年生のとき,さて来年の進路はどうしようかと思い,就職する前に大学院に行って,もうちょっと研究活動をしてみたいということで,両親にその相談をしたんです. 母はその時代にしては珍しく短大に行っていますので(1960年代:女子の進学率は約5%),大学というものがどういうところなのか分かります. ところが,父は中学卒業なので大学と言われても本当に全く分かりません. 「大学院に行こうと思う」 という私の話に,父は, 「大学院というのはどういうところなんだ?」 と聞き返しました. 私は, 「今通っているのが大学というところなんだけど,さらにその上にあるのが大学院なんだよ」 っていう説明をしたんです.すると父が, 「おい,お前の行ってる大学はいったい何階建てなんだ?」 と言ったのは嘘ではありません. 父にしてみれば「大学院」という建築構造物としての興味関心があったのでしょうけど,私にしてみれば,「大学と大学院の違い」という問題提起はけっこう考えさせられたんです. 飲み会の席で恩師に聞いてみたこともあります.「大学と大学院の違いってなんでしょうか?」って. 先生はこう答えました. 「教科書を読むのが学校.教科書を疑うのが大学.教科書を書くのが大学院だ」 と. なかなか言い得て妙ですね. 以来,私もこれを使って説明することにしています.