2017年8月9日水曜日

学校教育対談(4回目)

和田先生とお酒を酌み交わしながらの対談を,今夏も開催しました.
早いもので,これで4回目となります.
※過去の様子はこちら
学校教育対談(2回目)
学校教育対談(3回目)

この懇親会ですが,回を追うごとに参加人数が増えていきます.
現場で働いている先生方が参加してくれているのが良いですね.
今回新規参加してくれた人は,なんと私が勤務している大学の卒業生です.
比較的大きな大学ですし学部が違っていたので,在学中には私との接点がなかったのですが,意外なところに関係者が現れるものです.世間は狭い.

和田先生は,現場で働いている教師の皆さんに自身の経験を役立ててほしいとの願いを込めて書籍も出版されています.

『実録 高校生事件ファイル』
『すばらしきかな、教師人生 先生が元気になる本』
 

現場の先生方にこそ聞いてほしい言葉が,たくさん散りばめられた書籍.オススメです.
高校で発生する事件・トラブルに,現場の教師がどのように向き合えばよいか理解が進みます.

今回の懇親会の参加者で読者の一人が言うには,「学者の理想論やスーパー教師の成功体験自慢は役に立たない.僕達が直面しているのは,もっと地味で泥臭いこと.いろいろなトラブルや事件の事例集が欲しかったから手にしたんです」とのこと.

和田先生はこうした情報を役立ててもらうため,ホームページを作ってそれを相談窓口にされています.
そのホームページはこちら↓
先生が元気になる部屋(和田慎市ホームページ)
これまでにも,全国各地の学校や教育関連研修などでたくさん講演をされています.

私も本当なら和田先生をお呼びして教師志望者に向けた講演会を開きたいのですが,いかんせん立場が・・・.
もう少し偉くなってからにしましょう.

さて,今回の懇談会の様子ですが,私以上に同席してくれた東京都の先生方が和田先生にいろいろと聞きたいことがあったようで,それで話が弾みました.
この先生方も「若手」ながら熱意と行動力がある人達ですから,上からどんどん仕事を任されるようになっており,教育現場を仕切っていく立場になることで,新たに和田先生にたくさん相談があったそうです.

いずれの先生も,いわゆる “教育困難校” を「任される」ようになってしまった教師です.
実はある側面において,公立の「教育困難校」に配属される教師は「指導力不足教員」や「不祥事を起こした教員」がまわされるという見解があります.
教育するのが困難な高校なのですから,そりゃ誰も好んで行くことを希望しませんから.
しかし,教育困難校なのですから,問題を起こしやすい生徒が集まっているわけで.そこに指導力不足教員ばかりが集まってしまうと,更なる大問題を起こしかねません.なので,教育困難校の生徒を相手にできる資質と能力のある教師もまわされることになるのです.
彼らはこれまでに,そんな教育困難校での「実績」ができてしまっていて,コイツらならなんとかしてくれる,と思われているらしい.

今回も,いろいろ興味深い話を聞きました.
私の後輩でもある教師は,学園祭に向けた準備を何もしないクラスと生徒に対し,「何もしない」という指導をしたそうです.
それって指導じゃないのでは? と思われるかもしれませんが,それこそが「普通の学校」で子供時代を過ごした人の発想です.

学園祭や運動会などが典型ですが,近年の教師はそういうイベントにおいて,
「生徒がやらないこと・できないことを教師が先にやってしまう」
という傾向にあるそうです.
なぜかというと,このようなイベントではクラスやグループが「一致団結して上手くいく」というストーリーが予め要求されており,そうならなかったクラスやグループがあると,そこを担当した教師の力量がなかったと見做されるからです.
しかも,そうしたイベントを「成功裏に済ます」ことに教育的効果があると考えています.
つまり,教師側にはクラスやグループが「無様な状況」になることを,「自分自身の評価」のためにも避けたい心理が働いているのです.

ところが,彼はそうは思わなかった.学園祭とは,生徒が自分たちで催し物を企画し,自分たちで準備を進めることができるよう教育する「機会」「場」であると考えます.
そりゃ普通の高校であれば,「何をやりたいですか?」とクラスに問えば,あれやこれやと意見が出て,「じゃあそのためにはどうしますか?」と聞けば,あーだこーだと準備すべきことが決まっていきます.
これは,あたかも教師が提案しているように見えますが,実は生徒側からのアクションを引き出しているから成り立っているわけです.
ところが,教育困難校で同じアプローチをしても,そうはならない.
「先生ぇ・・,ウチら,かったりぃから」とだけ言って,何もしようとしない.
学園祭では各クラス何か催し物をするものだ.という前提条件は共有されているものの,「どうせ先生が用意してくれるんだろ?」という甘えがそこにはあります.

いよいよ学園祭間近となった時期にも,どうやらウチの子が所属するクラスでは何もしないつもりでいるらしい.ということが保護者にも伝わります.
で,クレームが舞い込みます.なぜウチの子のクラスは何もしないのか? それでも学校か,教育なのか.担任を出せ!

「生徒がやりたくないと言っているのでね」
そうやって,頑として突っぱねるメンタルが彼にはありました.あと,管理職にも.
彼がやることだから,まぁ,なんとかなるんじゃないのっていう.

「やばい,ホントにあと少しで学園祭じゃん!」
という状況になって,そのクラスの生徒達は学園祭の企画立案と準備に一生懸命取り組んだそうです.
もちろん付け焼き刃のような催し物になってしまうし,学園ドラマのように「最後に一致団結して,怒涛の準備で結果的に上手くいった」なんてことにはならない.
しかし,ここで生徒たちが学んだことが大事なのです.
すなわち,「自分たちが協力して主体的に動かないと,マジで本当に状況は動かない」.
その後,このクラスの雰囲気は落ち着いて,生徒同士が協力的になったとのこと.

さらに言えば,彼はこのクラスの生徒が「掃除の時間」に何もしないからって,教師自らが教室を掃除することはしなかったそうです.
結果,年度の途中までに恐ろしく汚い教室になったとのこと.
ところが,やっぱりそのうち「自分たちでやらないと,マジで本当に掃除されない」ということに気がついた生徒たちは,きちんと掃除するようになります.むしろ,学内で最もきれいに掃除するクラスになったそうですよ.
しかも,問題になりそうなのでブログでは書けませんが,彼は「或ること」をしてワザと教室を汚くしたそうなんです.さすがにそれはヤバイだろ,という手法を使って.
でも,結局それが生徒のための「教育」になったのなら,それでいいじゃないか.そういうことです.

こうした教育困難校に勤めている先生方が口を揃えて言うのは,
「学力がどうであれ,一端の社会人として通用する人間になるための勉強をしているのが高校だと思う」
ということです.
学力が高い生徒は,その特徴を活かした将来を考えればいいのだし,学力が低い生徒だからといって,高校に通う価値がないわけではない.勉強ができない者なりに,この社会における役割を探すための研鑽を「高校」という場で積めばいいのです.

日本全体を俯瞰してみれば,「最近の若者」が総じて学力優秀で犯罪に手を染めることが少ないのも,こうした先生方が「教育困難校」において努力されていることの結果とも考えられます.
極端な例かもしれませんが,かつてなら中学卒業後に犯罪者予備軍として社会に出ていた者が,「学力向上」にはつながらなくとも高校生活を送ることによって,「学力」で測られるものとは別の,まっとうな社会人としてのスキルを身につけている可能性があります.

それと同じことが,これからの大学教育にも求められるのかもしれない.
「多過ぎる大学」「全入時代」が叫ばれ,いずれは「大学の高校化」が危惧されている今日.
研究者を養成するだけが大学ではないと言われる一方,優れたビジネスマンを輩出することも大学の機能ではありません.
普遍的な表現をとれば,「アカデミックな考え方や視点を持った人間を育てる」ということになるのですが.
これについての醜い妥協をせず,方向性も間違わないならば,やりようによっては「大学の高校化」も悪くないのではないか.そんなことを考えさせられました.

2017年8月7日月曜日

続・子供の「自殺」について落ち着いて考えよう

前回の続きです.
子供の「自殺」について落ち着いて考えよう

前回記事によると,やっぱり子供の自殺の原因の多くは「学校問題」でした.
では,「学校」でできることは何なのか? それについて今回は考えてみます.

警察庁の統計によれば,「学校問題」の中でも原因として圧倒的に多いのが「進路の悩み」,次いで「家庭問題」や「健康問題」です.
ここをなんとかしないといけない.そう思う教育者の一人でもある私ですが,進路の悩みに対する世間の目は意外と冷たくってですね,ネットやメディアを中心に関心が高いのは「いじめ」なんです.
でも,「いじめ」による自殺は年間数件ほどで,毎年550件発生している子供の自殺のごく僅かでしかない.

そうした事実に対し,こんな声があります.
「自殺の原因は,判明しているデータの裏で『不明』として片付けられているものがたくさんある.そこには「いじめ」で自殺した子供がたくさん含まれているのではないか」
というもの.

たしかに発表されている自殺の原因は,当たり前ですがその原因が判明しているもののみです.
例えば2017年発表データでは,以下のようになります.
警察庁「原因・動機別自殺者数」(2017)
現在では,約25%の人が原因・動機が不明として計上されています.

経年推移を見てみます.
以下のグラフでは,自殺の原因や動機不明のものが最上段の部分です.
警察庁「自殺の原因の割合」(2017)
子供(未成年)の自殺に絞った原因・動機の不特定者の割合は,年齢が下がるにつれて大きくなります.子供の場合,警察としても自殺原因を特定できないことが多いのですね.
特に,中学生以下の自殺が「不明であることが多い」とされるので,勢い,「そのほとんどが『いじめ』ではないか」と言われるのです.
「自殺原因・動機に関する判断資料なしの比率」内閣府(2015)
未成年の自殺者は約550人前後で推移しているのですから,その内訳からして全体では約150〜200人くらいが原因不明ということになります.

なお,「いじめによって自殺した子供が多いのではないか」と言われることの多い,原因・動機の不特定者の比率が大きい中学生以下(15歳以下)の自殺数は,年によって大きな変化はなく,だいたい80名ほどです.つまり,中学生以下については,毎年約30名くらいが原因不明の自殺ということになります.

参考に,前回ご紹介した「学校問題」における内訳をお示ししておきます.
ちなみに,中学生の「学業不振や進路の悩み」による自殺者数も,例年20〜30件あります.
「動機・原因不明の自殺の全てを,いじめを苦にした自殺ということにしよう」という極端な想定をして,ようやく「学業や進路の悩み」の自殺者と並ぶのです.

いえ,そんな話をしたいのではない.私が言いたいのは,いじめによる自殺も,進路の悩みによる自殺も,同等に「学校問題における自殺」として問題視すべきだろうということです.
しかも,進路の悩みは警察が発表する統計上圧倒的に多数です.

いじめ問題を軽く扱っても良いと言ってるわけじゃありません.
これを交通事故対策に例えれば,死亡事故の比率で「自動車事故」が圧倒的多数にも関わらず,バイクや自転車の対策に労力を注ぐようなもの.
不幸な事故を減らすために,まずは自動車の安全対策を進めることが先決であるのと同様,子供の自殺については学業や進路の悩みについて取り上げることが大事だろうということです.
(もっとも,これについては日本人の多くが「勉強できない子供は生きる資格がない」と考えているフシもありますから,あまり共感されないかもしれません)

そもそも,「学校問題」を長期的にみたらどういう状況なのでしょうか?
まずはグラフをご覧ください.1978年〜2016年までの傾向です.
「学校問題での自殺者数」警察庁データ(2007年および2017年)から作成
「学校問題」なのですから,そのほとんどが「22歳以下」であると考えられます.
統計によると,学校問題による自殺者は徐々に減少していることが分かりますね.1978年には350人以上だったのが,現在は約150人ほどです.半減しています.

実は,図中にも示しているように,2007年から「自殺の動機・原因の集計方法」が変更されています.
前回もお話しましたが,大事なことなのでもう一度確認しておきます.

集計している警察庁では,自殺の原因を6つに分類しています.
1)家庭問題:親子・夫婦・親類との不仲や,介護疲れなど
2)健康問題:不治の病や身体障害,うつ病や精神疾患など
3)経済・生活問題:事業不振や就職失敗,借金など
4)勤務問題:仕事の失敗,職場の人間関係,仕事疲れなど
5)男女問題:結婚をめぐるトラブル,失恋,不倫など
6)学校問題:進路や学業不振,いじめなど
これらのうち,遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を自殺者一人につき3つまで計上したものを集計しているのです.ですから,一人の自殺者で複数件該当する場合もあります.
例えば,「経済的に困窮し,しかも身体に障害があってお先真っ暗だ・・・」という遺書が残っていれば,2番と3番にポイントがつくんです.

一方,2006年までは「遺書」に書かれてあったことから代表的な動機を1つ選んで集計していました.また,遺書がなければ「遺書なし」ということで集計していました.なので,2006年までは遺書がなければ動機や原因が不明ということになっていたんです.
でも,自殺者の周囲の人々への聞き込みや,あからさまな「遺書」がなくても自殺原因は特定できます.さらに,自殺原因が特定の1つであるなんてことは考えにくいので,2007年以降は複数の原因を考慮するようになったとのことです.

その上でもう一度グラフを見ても,「学校問題」は2007年以降増加せず,むしろ減っているくらいです.
逆に,「家庭問題」は2007年以降に増加しています.
「家庭問題での自殺者数」警察庁データ(2007年および2017年)から作成
ということは,生活に困窮しているとか,学校での成績が悪いなどといった理由にプラスして,家庭での不和が自殺の要因の一つとしてカウントされやすくなっていることが分かります.

話を戻します.
「学校問題」での自殺者の推移を見る限り減少していることが読み取れますが,では,そもそも未成年の自殺者数の全体像についても気になってきます.
前回記事では2007年以降の自殺者数しか検討しませんでしたが,ここで昭和からの自殺者数を見てみましょう.

警察もこの70年間で集計の仕方がちょっとずつ変わっていますが,まずは1947年からの統計データです.
以下は,5歳〜14歳の自殺者数.小学生から中学生に相当する年代です.
厚生労働省報告書(2016年)を元に作成
人数が少ないことと,年によって幅があるもの,この約70年間で大きな変化はないことが分かります.

次に,15歳〜24歳の自殺者数.高校生から大学生に相当する年代です.
厚生労働省報告書(2016年)を元に作成
1950年〜1960年あたりの約10年間が凄いですね.
そう言えば,これと似たグラフを以前作ったことがあります.
子供の自殺についてより
1950年〜1960年くらいの日本では,そこで青少年が生きるためには「犯罪を犯す」か,でなければ「自殺する」かの状態だったことが推察されます.
子供(若者)の犯罪や自殺は社会の不安定さと強く関係することが分かる統計です.
実際,近年では1998年の不況突入から再度増加する点もピッタリと符合します.

最後に,1978年から集計されている19歳以下の自殺者数データです.
厚生労働省報告書(2016年)を元に作成
1980年から急激に減少し,その後は年によって幅があるものの,今日まで減少傾向にあります.

ちなみに,この間の統計データを「学生・生徒」というカテゴリで示された厚生労働省のデータがあります.
厚生労働省報告書(2016年)より
1998年で一度大きく増えて,その後2011年まで徐々に増加し,以後は減少傾向にあるとされていますが,こうした増減は「学生・生徒」の中でも自殺者数の割合が大きい「大学生」の動きに引っ張られているであろうことが推察されます.
その割合を示したグラフはこちら.


つまり,「学生・生徒等の自殺」というのは,概ね大学生の自殺の動きを捉えていることになるのです.
逆に言えば,「学生・生徒等の自殺」からは小中高生の自殺を読み取ることはできません.
学生・生徒等の自殺が2007年に激減したのは,ちょうどその頃に大学新卒者の求人倍率が好転したからと見えなくもない.

もっと言えば,未成年自殺者と一括りにされるデータのほとんどが18歳〜19歳であると考えられます.
例えば,2016年における未成年自殺者は554人.そのうち小学生は9人,中学生は91人,高校生は213人(合計:313人)です.日本人の98%が高校に進学しており,そのうち90%以上が18歳で卒業するとされますので,残る40%の自殺者241人の大部分が高校卒業後の18歳〜19歳であると推定できます.

前回の記事も含めてまとめると,つまりはこういうこと.
1)小学生・中学生・高校生の合計自殺者は,未成年の自殺の中では約60%です.
2)残りの約40%のほとんどが18歳〜19歳ということになります.
3)「学生・生徒」として計上される自殺者の約50%が「20歳以上の大学生」の自殺と推察されます.
4)中学・高校生の主な自殺原因は「学業不振」と「進路の悩み」です.
5)大学生に特徴的な自殺原因は,「就職失敗」「学業不振」「進路の悩み」です.

そこから考えられるのは,最も自殺対策を講じたほうがいい教育機関とは,小学校でも中学校でもなく,私が勤めているような「大学」,そして,そこに入学しようと頑張っている生徒の多い「高校」と,浪人生を抱えた「予備校」ということになります.


以上,子供の自殺についてデータを多角的に検証してきました.
ここからようやく「自殺対策」の話になりますが,これまでの統計データを見る限り,効果的な対策は「学力競争させない」「学歴社会を緩和する」ということになります.もっと「ゆとり」をもった方がいい.
そうです.本当の意味での「ゆとり教育」こそが子供の自殺対策になります.

残念ながら自殺原因の集計は1978年からなのでそれ以前のデータが不足していますが,「学校問題」によって自殺する子供(未成年)は1980年から激減しています(前半で示した図).
では,1980年以降の教育界で何があったのでしょうか?
はい,ご案内の通り,「ゆとり教育の開始」です.この時期から教育界では学力競争が比較的弱まりました.

さらに,ここ30年ほどかけて徐々に減ってきた子供の自殺者数ですが,それと連動するように発生していたのが「大学入試倍率の低下」です.
血眼になって勉強しなくても,そこそこ納得できる大学に通えるようになったのではないでしょうか.

競争的な教育の必要性を説く威勢のいい皆さんには面白くない話かもしれませんが,過去のデータから推察する限り,子供を自殺に追い込まないようにするためには,いじめ問題に取り組むよりも「学歴社会の緩和」の方が効果的である可能性が高い.

そうしたことを考える上で,非常に参考になる知見を展開している書籍があります.
岡檀 著『生き心地の良い町』では,自殺率が極めて低い地域「徳島県 海部町」に焦点を当て,その地域社会は他と何が違っているのか分析しています.そこから,自殺が少ない集団の特徴を調べることによって「自殺予防因子」を探ろうと試みています.

岡氏によると,自殺率が低い地域に特徴的なことは,
1)コミュニティにゆるやかな紐帯がある(強い共同体意識や「絆」が弱い)
2)身内意識が弱い
3)援助希求への抵抗が小さい(恥ずかしがらずにサポートを求める)
4)他者への評価は人物本位である(肩書や学歴を気にしない)
5)政治参加に積極的
の5因子とのこと.
逆に,高い自殺率を持つ地域はこれとは逆の特徴があるそうです.

これを「子供の自殺」や大学生までの若者を含めた自殺対策として考えた場合,特に教育機関として提言できそうなことは,
1)仲間意識,クラスメイト意識をゆるやかに持つ
2)偏った人間関係を作らない
3)カウンセリングや相談窓口へのハードルを低くする
4)学歴や進路による優劣を弱める
5)主体的に社会と関わる機会を設ける
といったことが考えられます.

よく,「クラスによって運営されている日本の学校は閉塞性が高い」などと言われますが,実はそういう仲間意識やクラスメイト意識は自殺予防として重要である可能性があります.
逆に,限られた人間関係で構成される集団では自殺率が高くなるようです.おそらく,「好きな者同士」とか「離れられない者同士」で過ごすことで,考え方が凝り固まってしまうのでしょうね.
つまり,学校教育においてよく言われる「幅広い人間関係を構築する」というのは,自殺予防になる可能性が高いのです.
そうは言っても,同じクラスで1年間続けるよりも,学期ごとにクラス替えをするのは良いことかもしれません.

上記のことは,「学歴」や「進路」の評価とも関係します.
子供の自殺原因の特徴である「学業不振」と「進路の悩み」であることが物語っているように,子供が自殺しようと思うほどのこととは,どの高校や大学に進んだか?という「学歴」であり,どういう将来像を持っているか?という「進路」に関することなのです.

別に学歴や進路のことをいい加減に考えても良いと言っているのではありません.
それ以外の価値観もあるということを,子供に示してあげることが大事なのです.
どの大学に入学できたかでその後の将来が決まるというプレッシャーが,子供の自殺を促している可能性は高い.
実際,日本以上に学歴競争が激しい韓国は,日本以上の自殺大国なんです.

しかしこれは,学校や大学の当事者だけで対処できる話ではありません.
やはり教育に関する政治的配慮が求められるところです.

提案できる方向性としては,このブログでも他記事で主張している,
1)大学の格付けをやめる
2)どの大学でも同じことが学べるシステムにする
3)「学閥」を弱める
4)大学入試は足切り程度にし,卒業のハードルを高くする
といったことでしょうか.

急に変えろとは言いません.
20年30年かけて,ちょっとずつ上記のような大学の在り方にしていくべきではないかと考えています.

現在,日本では「大学が多過ぎる」と批判されています.
どうして大学が多過ぎることが問題なのでしょうか?
これを,「多くの国民が大学教育を受けられる環境が整った」と捉えれば,見方も変わります.

私は大学の偏差値が下がることに危惧も心配もありません.
偏差値が異なるいろいろな大学を見てきた結果,学生の「モノの考え方」は偏差値とは関係ないということを実感しています.
学力の高いバカはいるし,得てしてそんなバカが社会のリーダーになったりする.
社会に害をなすような奴が「高学歴」だからって重用される仕組みの方が,なんぼか問題です.

なるべく多くの人が大学教育を受けることによって,学校教育とは違う学術生を身に着けてほしいものです.
そのためには,限られた高学力者だけでなく,まんべんなく大学教育を受けてもらうことが大事だと思います.
大学教育によって適切なデータ解釈ができる人が増えれば,子供の自殺の主因が「いじめ」だと勘違いするような人は減るかもしれません.

岡氏の研究によれば,自殺予防のためには「多様性を認める」ことが大事だとされます.
世の中にはいろいろ人がいて良いんだ,ということを教育することが現在の学校や大学で求められていることです.


PS
そう言えば,「多様性を認める」というのは,私の恩師が「大学で学ぶべき最重要のこと」と述べていたことです.
大学で勉強していることは,唯一絶対の解などではなく,答えを導き出すための道なのだ,と.
多様性が認められなければ,学術的な思索はできませんから.


PPS
余談ですが,意外とバカにできないのが高校生と大学生における自殺の動機として「男女問題」が結構大きいことです.
2016年の自殺原因をみてみますと,
高校生
進路の悩み:31件
学業不振:21件
男女問題:22件

大学生
進路の悩み:50件
学業不振:67件
就職失敗:27件
男女問題:25件

中学校でも,毎年男女問題で何名か,なかでも失恋で1〜3人自殺しています.
これは「いじめ」による自殺を大きく上回る頻度です.
まじめな話,いじめ対策をするくらいなら,失恋対策もした方がいい.むしろそっちの方が自殺者数を減らすには貢献します.
いじめ対策をしている横で,その何倍もの数の学生・生徒が失恋によって自殺に追い込まれているのは,なんだかシュールですね.


おすすめ書籍



関連記事
子供の「自殺」について落ち着いて考えよう

2017年8月6日日曜日

子供の「自殺」について落ち着いて考えよう

「落ち着いてられるか!」とお叱りを受けるかもしれませんが,まぁまぁ落ち着いて.
このブログでは何度か取り上げている子供の自殺についてです.

子供の自殺に関するニュースが一段落しているので,この機会に現状確認をしておきましょう.

まずは自殺について,全体を俯瞰してみます.
厚生労働省作成
ここで押さえておきたいことは,自殺は「総数」として観察しても急激な増減が起こりうるものだということです.あと,男女差も非常に大きい.
グラフを見て一目瞭然ですが,1998年に急増しています.この原因はデフレ不況へ突入したことにあるとされていますし,2004年の急増については「派遣法改正」により製造業への派遣労働が解禁され,低所得層にトドメを刺したたとみる向きがあります.
その後,2008年頃から緩やかに減少.おそらく,心理的・精神的に不況慣れしてきたことと,(これは不謹慎な言い方にはなってしまいますが)経済状態が不安定だった人が,98年〜08年までの10年程であらかた死に尽くしたというところでしょうか.
つまり,自殺というのは社会状況や心理的な影響を多分に受けるものなのです.

では,次に子供の自殺の全体像です.
ネットで入手できる2007年以降の警察庁が発表しているデータを用いて私が作成しました.
元データにあたりたい人はこちら→■自殺者数(警察庁Webサイト)
まずは年代別比較.
前述したように,ここ10年ほどは自殺者数は減少しております.
子供の自殺については,当然といえば当然ですが,非常に少ないことがわかります.変動も少なく,ずっと横ばいです.

これを子供(未成年)の自殺者数のみピックアップしたのが以下のグラフです.
よく,「いじめ問題」とセットで「子供の自殺」が問題視されますが,人数としては少なく,変動も小さいのが特徴です.

子供といっても属性はさまざまです.小中高生,専門学校生に大学生と多様ですね.
それらの属性ごとに推移をまとめたのが以下です.
※年齢で切っているわけではないので,高校生以上の中には20歳以上の人もいる可能性があります.
上の総数で見たとおり,それぞれ横ばいです.
それにしても大学生死にすぎ・・・.
大学生と専修学校生の自殺が低下傾向にあるのは,成人と類似していると言えます.2008年〜2010年までの自殺者急増は,就職活動中の学生にリーマン・ショックの影響があったものと考えられます.

では,こうした子供の自殺の原因はなんでしょうか?
警察庁では,自殺の原因を大きく6つに分類しています.
1)家庭問題:親子・夫婦・親類との不仲や,介護疲れなど
2)健康問題:不治の病や身体障害,うつ病や精神疾患など
3)経済・生活問題:事業不振や就職失敗,借金など
4)勤務問題:仕事の失敗,職場の人間関係,仕事疲れなど
5)男女問題:結婚をめぐるトラブル,失恋,不倫など
6)学校問題:進路や学業不振,いじめなど
これらのうち,遺書等の自殺を裏付ける資料により明らかに推定できる原因・動機を自殺者一人につき3つまで計上したものを集計しています.
※上記のような集計であるため,一人の自殺者で複数件該当する場合もある.
やはり子供の自殺原因は,主に「学校問題」であることがわかります.
その数は年によって上下幅が大きいものの,約170人で,プラスマイナス20人くらいで推移していると言っていいでしょう.
一方,減少傾向にあるのが「健康問題」で,やや増加傾向にあるのが「家庭問題」です.
健康問題を原因とする自殺が減っているのは,医療技術の発達や学校現場でのメンタルヘルス活動の影響があるのかもしれません.あと,学校保健により身体障害や精神障害への理解が進んでいることも考えられます.

さて,学校問題を原因とする自殺ですが,その内訳が気になるところです.
3年前の記事である■子供の自殺原因「いじめ」は2%,という記事への反応への反応でも書きましたが,世間の関心は「いじめ」によって子供がどれだけ自殺しているのかに関心が向けられています.
ご覧のように,子供の「学校問題」における自殺原因は学業や入試に関することなんです.
よく,「報道されている実態と違う!」という指摘があります.
そんなわけで,こんなネット記事もあります.
いじめ自殺を年間3件と報告、実態とかけ離れすぎた内閣府データ(mag2news)
別に「いじめ」によって自殺している子供が少ないから問題ないと言っているわけではありません.ただ,事実に則して対応しないと後々大問題になると心配しているのです.
報道されているのは「いじめと “疑われる” 自殺の事件」です.そして,その報道は年間何件ですか? 数件でしょ? 
警察が捜査を進めていくうち,「いじめ問題も考えられたが,結局これは健康問題による自殺だな」となる場合だってあります.だからこの数値が「実態」なんです.

そんなことより,全体の傾向を俯瞰し直してください.
自殺の原因と強力な関係性がありそうなことはなんでしょうか.
それは,社会の不安定さです.

1998年に日本が不況に突入した途端,自殺者が約2万5千人から約3万人へと激増したのです.これは大学生や専門学校生にも影響を大きく影響を与えています.
つまり,将来の展望が見えなくなった時,人は自殺を考えてしまう可能性が極めて高い.

子供の自殺の原因をみても,その主因は「将来への不安」と読み取ることができます.
子供にとって学業不振や進路の悩みとは,比較的遠い将来のことを映し出すものだからです.社会人となった今では客観視できるけど,子供の時分は「学校の成績」と「進路決定」が人生の全てであったという大人は多いのではないでしょうか.
健康問題にしても「将来への不安」を惹起するという意味で,結局はそれが引き金になっている可能性は高い.

ひとまず現状把握はこのへんで終了.
次回は学校でできそうな自殺対策はなにか?について考えていきたいと思います.
それは「いじめ対策」にも直結する可能性があります.

こうしたことにヒントを与えてくれそうな研究が紹介されている書籍があります.
岡檀 著『生き心地の良い町』


自殺問題に関心がある方にオススメします.
もっと言えば,「いじめ自殺問題」に怒髪天を衝く想いで「加害者を許すな」「教師を吊るし上げろ」と怒鳴り散らしている人にこそ読んでほしい.

「子供を自殺に追い込んでいるのは,むしろ貴方のような考え方ですよ」と後頭部をハンマーで殴られるような衝撃を受けること間違いなし.

著者は,自殺の原因を調べてそれを取り除くという考え方ではなく,自殺を「社会」という相互関係の中から発生する現象と捉え,自殺が少ない集団の特徴を調べることによって「自殺予防因子」を探ろうという試みです.
自殺率が極めて低い地域「徳島県 海部町」に焦点を当て,その地域社会は他と何が違っているのか分析しています.

その研究結果を見た私は,「やっぱりね」と膝を打ちました.
主観的感覚からの推察でしかなかったものに,科学的データの裏付けがあり嬉しく思います.
と同時に,いじめ問題に対してこんなに大炎上して「いじめ防止対策推進法」なんぞ作ってしまう我が国は,「自殺大国・日本」の称号がお似合いである気もします.

詳細はまた後日記事にします.

※そして記事にしました.
続・子供の「自殺」について落ち着いて考えよう


2017年8月5日土曜日

性教育についての考察

この時期は教員採用試験をがんばっている学生と面談することが多いんですけど,その中の何人かは保健体育科の教育実習で「性教育」を担当させられたそうです.
教育実習生に性教育を任せる学校は少なく,私自身は教育実習では受け持ちませんでした.でも,前期(5〜7月)の教育実習はちょうど性教育をする時期と重なっていることが多いんです.

性教育で何を教えているのか知らない人はいないかと思いますが,一応ウィキペディアから概要を引いておきます.
性教育(wikipedia)
日本の学校では、保健科や家庭科の時間を中心に行われ、体や心の変化(第一次性徴及び第二次性徴)、妊娠と出産、男女の相互理解と男女共同参画社会、性別にとらわれない自分らしさを求めること、性感染症の予防や避妊などの内容が扱われている。
上述しているように,本来,性教育とは生物的・社会的「性」に関する諸問題を扱うものなのですが,主な関心はどうしても性交渉と性感染症に集まります

さらに,ウィキペディアでは性教育についての変遷もまとめられています.
性教育は,受けた年代によってどんな内容だったか記憶がバラバラな科目として有名です.
90年代初頭までは,女子だけに行われることが多かったそうです.突然男子が教室から所払いをくらった,という経験がある人は40代以上の人たちでしょう.
その後,男子も対象に行われるようになります.私は小中高で普通に受けている世代です.
現在は性暴力や児童性犯罪を扱うことも多くなっているとのこと.
いわゆる「行き過ぎた性教育」とか「特定の思想に偏った性教育」として保護者やメディアから批判を受けることも多く,この授業を腫れ物のように扱っている教師は少なくありません.

そんな授業を教育実習生にやらせる学校は,なかなか気合が入っているなと思うのですが,学生たちとしても「現場の先生としても,実習生にやらせることで気が楽になるのでは?」と推察しています.本学の学生は心優しい奴が多いですね.

毎年学生とそんな面談をするなかで,そして,私も一応は保健体育科の教師であるからして,この性教育について考えるところはたくさんあるんです.

まず,「保健体育科」としてジェンダーとか性交渉,初経や精通の話をそのままズバリ扱う必要はないと思います.
はっきり言って,生徒からバカにされている授業なんですよ.道徳教育と一緒で,わざわざ学校でやることじゃない.
テストをして点取れなかったら成績に響くわけでもないし,大学入試や就活に役立つわけでもありません.あくまでこれは「知る機会」としての位置づけです.

なにも,性教育が不要だと言っているわけじゃありません.
セックスに関することは,ほっといても勝手に知りたがるものです.ジェンダーの意味は生きて社会生活をしてりゃ嫌でも知ります.

性教育を受けていないからセックスの仕方を知らないとか,社会における男女の役割が分からない,なんて人はごく僅かです.そのごく僅かのために,性器の形状や機能,マスターベーションやセックスの捉え方を教えるなんてどうかしてる.

その一方で,「日本は性教育が遅れている.不十分だ」という声もよく耳にします.
理由は,日本では性感染症と人工妊娠中絶が非常に多いことです.
実は増えている!? 日本の「性感染症」事情(マイナビニュース2017.6.12)
日本での人工妊娠中絶の現状 世界での認識はどうなっているか(たまGoo!2017.2.16)
実際,避妊や性感染症に関する誤った知識を持っている日本人は多いのだとか.

こんなニュースもあります.
タブー視される日本の性教育 今のままで良いか?(ヤフー・ニュース2017.5.24)
そこでインタビューを受けている元小学校教頭だった人がこう述べています.
「日本の場合、保健体育のおしべとめしべじゃないけど、部分的なところを切り取って教えている。そこだけ突出して。ただ、矛盾かもしれないけれど、性交渉のことをあけすけに説明しても、それで性の問題が分かるかというと、そうではありません。性と愛は微妙なものじゃないですか? センシティブなテーマだし。ただ、人間を考えていくと、必ず出てくるテーマなんだ、性と愛の問題は」
そうなんです.日本の性教育は断片的なんです.
対比するように,上記のニュース記事には他国の性教育も紹介されています.
フランスの高校には、「科学」の生物領域に「女性と男性」という単元がある。「女性と男性にとって必要な全てのことが教科書に載っています。体の仕組み、妊娠、出産。そうした基本的な事柄に加え、中学校では多様な避妊方法を具体的に教える。高校では不妊原因と不妊治療について最新の科学的知見も紹介している。
(中略)
フィンランドの場合は、フランスのように科学ではなく、「人間生物学」という領域に「人間」という単元を設けた。中学・高校の教科書は「人間の性と生殖」について生理学的に記述しており、例えば、母親の年齢と染色体異常の出現率、高年齢と妊娠の低下、不妊治療なども具体的に取り上げる。
うちの学生との面談でも出てきたんですけど,性教育は「生物」「理科」の授業としてやればいいのにね,って.
セックスとかジェンダーとか言い出すから,教える側も堅苦しくなったり恥ずかしくなって負のスパイラルに入ります.
純粋に「生理医学」の話として扱えばいい.
そして,なんなら大学入試の試験科目として必須領域にすればいいじゃないですか.
これに着手すれば,私はいくらかその政治家を見直します.

日本の性教育が遅れていると言われるのは,この「医療」としての側面が弱いことによります.
性感染症による危険性とか言われても,成績に反映されないのなら覚えないのが人間です.厚生労働省や医師会を説得して,保健体育科でも医療情報を教えられるようにするべきです.

日本の若者の性感染症と中絶が問題視される一方で,それと矛盾するように日本の若者のセックスレスも問題視されています.
セックスレスな日本の若者たち それはなぜ(BBC 2017.7.6)
国立社会保障・人口問題研究所が昨年9月に発表した2015年調査によると、性経験がないと答えた18歳~34歳の未婚男性の割合は42%、未婚女性の割合は44.2%だった。2000年以降、増加傾向にあるという。
その理由が不明なので,いろいろな憶測が飛び交っていますが,私はこれは日本の性教育の効果だと思います.
お気づきの方もいるでしょうが,この調査の対象者となっている年代の人たちは,男女とも「性感染症」のリクスについて性教育を受けている世代です.
私達も小中学生の頃,狂ったようにエイズとか梅毒とかクラミジアの話題が学校やテレビで取り沙汰されていたのを覚えています.

セックスレスの理由はいろいろ検討されています.
面倒くさいとか,自己肯定感が弱いとか,他に楽しみが増えたとか.
でも,これらは表面上に現れ,自覚・認識しやすい理由でしかありません.
どうして「面倒くさい」のか? どうして「他の楽しみ」に移るのか?
私は,その行動を後押しする深層心理のようなものとして「性交渉による危険性」という知識が影響していると考えています.

これと同じことが「喫煙」とか「飲酒」にも言えると思います.
「タバコ離れ」「飲酒離れ」といったことも,現在の若者の特徴ですよね.
現在の若者は,保健体育科の授業の影響を受け,順調に健康的になっているだけなのです.
喫煙率および飲酒率の推移(内閣府)
成人喫煙率(JT全国喫煙者率調査)
酒レポート(国税庁 PDFページ)
淫らにセックスするな,タバコや飲酒は健康を害する,と教えられているのですから,そりゃそうなるに決まっています.

もちろん表向きは「面倒くさい」「お金がもったいない」「他に楽しいものがある」などと理由をつけていますが,そもそもこれらにネガティブなイメージを植え付けられて育っているのが現在の若者です.

それに,「増加している!」と危惧されている日本の性感染症や中絶ですが,今さらながら,実はこれは統計的には「減少している」というのが正しい理解です.
例えば厚生労働省のデータによると,
性感染症報告数(厚生労働省HP)
■性器クラミジア感染症
平成15年(2003年):41,945
平成20年(2008年):28,398
平成25年(2013年):25,606
平成28年(2016年):24,396

■淋菌感染症
平成15年(2003年):20,697
平成20年(2008年):10,218
平成25年(2013年):9,488
平成28年(2016年):8,298

ね? 減ってるでしょ.
一方,気になるのがニュースにもなっている「梅毒」で,
■梅毒
平成15年(2003年):121
平成20年(2008年):212
平成25年(2013年):235
平成28年(2016年):1,385

と,このように激増しているのです.
ただ,この梅毒については増加の仕方が不自然すぎるので,「性感染症への関心の低さ」では説明がつかないのではないかとも言われています(増加したと言っても絶対数は少なく,その原因としては梅毒患者が多い中国人の急激な流入増加にあるのではないかと言われています).

またHIV感染者の報告数についても,エイズについての情報が氾濫した90年代から激増しますが,10年前(2007年)以降は「20代〜30代」からの報告数は減少または横ばいと見て取れます.
日本におけるHIV流行の現状(AIDS/STI related database Japan)

さらに言えば,人工妊娠中絶についても同様に,減少の一途です.
データは■人工妊娠中絶(Wikipedia)からです.
1965年:約84万件
1980年:約60万件
1990年:約46万件
2000年:約34万件
2013年:約18万件

以上,冒頭よりお話ししてきたことは全て筋が通ります(私の頭のなかでは).
まとめると,こういうこと↓

日本の学校では,以前から女子を中心に性教育をしてきました.それにより,望まぬ妊娠は減ってきています.
そして,90年代後半からは男女ともに「性交渉による危険性」という趣旨での性教育をしてきました.
その結果として,性感染症は減少しました.
しかし,その減少は「セックスは危険」という強迫観念を植え付け,性交渉の機会そのものを減少させたことによるものだったと推察されます.
このため,興味や楽しみを「健康」や「命」との天秤にかけた時,「面倒くさい」「他に楽しみがある」という理由のセックスレスの傾向が現れている.

もちろんテレビや雑誌等のメディアの影響も大きいでしょう.労働環境の過酷さがセックスレスと強い相関があるとも言われています.
しかし,学校での性教育はこの流れを主導したはずです.

これまで学校で行われてきた性教育を悪く言うつもりは毛頭ありません.
むしろ,性感染症や人工妊娠中絶を減らしてきている側面は十分に認められます.
ただ,問題は現場の先生方の負担です.

こっ恥ずかしいテーマで学生と気まずい空気を漂わせるより,もっと生理医学的な授業を展開した方がいい.そのための教科書と教材に特化したほうが,先生も気が楽です.
「射精したことがある人は手を挙げて」とか「愛のある性交渉が大事です」などと言うよりも,性感染症の恐怖と中絶や高齢出産の危険性を淡々と伝えることで目的は果たせます.
どうしても性行為についてやりたいのであれば,問題の本丸である「ポルノ・メディアによる誤った性知識の改善」に焦点を当てたほうがいいでしょう.

人間の「愛」とか「ジェンダー」についての勉強は,保健体育よりも「文学」や「国語」の方が適切です.


2017年8月4日金曜日

井戸端スポーツ会議 part 48「サングラスはかけた方がいいよ」

子供のスポーツ現場における「サングラス」がニュースになっていました.

"サングラス"を禁止する甲子園の時代錯誤(ヤフー・ニュース2017.8.4)
世界保健機構(WHO)は「子どもは紫外線による健康被害を受けやすい」として、帽子や日焼け止め、サングラスの使用を呼びかけている。特に学校には「子どもを紫外線から守るうえで学校が担う役割は決定的に重要」と警鐘を鳴らす。では日本の「部活動」の現状はどうだろうか。「子どもはサングラスなんかでカッコつけるな」と思っているとすれば、それは時代錯誤でしかない
私なんかは,主に大学のスポーツ現場しか見ていないものですから,学生たちがサングラスをかけて部活動をする姿に
「最近はサングラスをかけられるようになったんだなぁ」
と羨ましく思っていたのですが,どうやら小中高の学校教育現場では普及していないようです.

私が学生だった15年くらい前から,既に大学の先生方が「これからは子供のスポーツ現場にサングラスが必要だ」と問いていらっしゃったので,このニュースは意外でした.
今では大学だけでなく,学校でも普及しているものだと思っていたんです.

スポーツを専門にしている身ですが,意外と「一般的な」子供のスポーツ現場を目で見ることがありません.
上記の記事で槍玉に挙がっている甲子園にしても,学生の頃から見なくなりましたし.

一方,私は仕事柄,子供のスポーツ現場だと地域トップレベルの選手やチームを見ることが多いんです.そうなると,種目によっては小中学生でもサングラスをかけてプレーしている姿が散見されます.
なので,大学生はもちろん,小さい子供のスポーツ現場でもサングラスは普及していると思っていました.

これはつまり,トップレベルの選手を扱うコーチは,サングラスに対する理解が高いのでしょう.
例えばイチロー選手をはじめ,多くの一流野球選手が守備に入る時にサングラスをかけているのを見れば,サングラスはスポーツのパフォーマンスを支える便利なグッズなんだな,と考えるのが普通の感覚です.

限られた情報源からの推測でしかないんですが,甲子園に出場する強豪校にしても,試合ではかけていなくても,練習ではかけている可能性は高いですよ.
じゃあ,なんで試合ではかけないのか?
そりゃ世間様が「高校球児がサングラスなんかかけるな!」と言い出すからです.

結局,子供のスポーツ現場における「サングラス」への無理解というのは,
1)世間様のサングラスに対する無理解
2)指導意欲が低いくせに世間様を気にする指導者
3)世間様の反応を商売とする主催者によるスポーツ大会運営
によるものだと考えられます.

これに対して上記記事では,大学教員に取材してこんなこと述べています.
「原因は『オシャレ』ではないか」とみている。日焼け止めは一種の化粧品であり、サングラスはファッションであるから、教育の場にはふさわしくない――こんなロジックがあるというのだ。同氏によれば、部活動で日焼け止めを禁止している学校もあるという。
たしかに「オシャレ」は「理由」ではありますが,「原因」ではありません.
原因は何かと言うと,子供のスポーツ指導現場において「ストイックさ」が求められているからです.ストイックさが求められる中にあって,
「お互いを尊重し合って真剣勝負することが求められるスポーツ活動において,パフォーマンスに直結しないものは不要.相手に失礼だから」
という理由が成り立ちます.
ようするに,サングラスや日焼け止めは,スポーツのパフォーマンスを高めないだろ?ということ.

続けて記事を書いた記者はこんなことを言う.
(高校野球において)とりあえずサングラスを全面解禁してみたらどうだろうか。長髪と派手なユニフォームを制限しているからサングラスだけ解禁するわけにいかない?
ならばいっその事、髪型とユニフォームも完全自由化すればいい。
夏の甲子園でオシャレが全面解禁になればインパクトは絶大だ。日本全国の部活動にも影響が及び、オシャレだからという理由で紫外線対策がないがしろにされるような状況は改まるかもしれない。
子どもの健康が第一なのであれば、オシャレくらい認めてもいいのではないか。自由にオシャレさせることで子どもの個性が伸びるならば一石二鳥だ。
こりゃいくらなんでも暴論です.
たかがスポーツだと思って,調子に乗ってこんなこと言い出す人がたくさんいます.困ったものです.
じゃあ,同じことをテニス・ウィンブルドン大会や水泳,大相撲に対しても言ってみればいい.

もっと言えば,子供のスポーツ現場に口出しする前に,大人から率先して変えるべきです.待ち行く人々に「サラリーマンのユニフォームであるスーツをやめて,サングラスや髪型も自由にしてオシャレになろう」と問いて回るのが先ではないでしょうか.
自分にはそのつもりがないのに,子供とその指導者に要求するのは人間のクズですよ.

とは言え,子供のスポーツ現場にサングラスが普及していないという事態は問題です.
ですが私は,「オシャレ」という理由でダメなものを,「オシャレでもいいじゃないか」という反論で迎え撃っても碌なことにならないと言いたいだけです.

そもそも,サングラスを「オシャレ」とする認識がおかしい.
なので,「サングラスをかける」ことがオシャレなどではなく,ストイックさを求めた結果であることを認識させる必要があります.もともと,日本の(に限らず)スポーツ教育とはそういうものだからです.

つまり,「サングラスをかけたらパフォーマンスが向上するよ」ということを訴えるべきなんです.言い換えれば,「サングラスをかけてプレーするくらい競技に打ち込んでいる」と捉えてもらうようになることが理想です.
スキー競技などでゴーグルをつけずに滑っていたら「あいつフザけてんのか?」ってなりますよね.それの夏バージョンということ.

ちなみに,サングラスとスポーツ・パフォーマンスの関係を調査した研究は,国内外問わず意外と少ないんです.いつか私が実験してみたいと思っているのですが,片手間にしても面倒なので取り組めていません.誰か研究してくれないですかね.まあ,金無し暇無しの昨今の大学教員では難しい話です.

そうは言いましても,強い日差しや雪面などで光が乱反射する環境下において,サングラスやゴーグルをかけることで視覚認識能力の低下が抑制されることは火を見るより明らかですから,きっと多くの屋外スポーツのパフォーマンスに好影響があると考えられます.

そう言えば,私が高校野球をやっていた頃から「打者用手袋(バッティンググローブ)」が解禁になりました.
バッティンググローブってご存知ですか? 以下のようなものです.
それまではサングラスと同様,ケガを保護するなどの理由がない限り使用は禁止されていたんです.
指導現場においても「バッティングの感覚は素手で身につけるもの」とか「オシャレ目的でつけているんじゃないのか」などという批判がありました.当事者だったのでよく覚えています.

でも,バッティンググローブを装着することはメリットしかないんです.明らかにバッティング性能は上がります.
事実,プロ選手は皆使っています.だから私も「だったら使わない手はないだろ」と思って使っていました.
それに,かつては「猛練習の証」だとされた手マメを作ることもないし,全力でスイングできるようになるので本当の意味での練習の質は上がります.当然,競技力も高まりやすい.
だから理解ある指導者はすぐに取り入れていたと思います.
「オシャレだから」などとしょうもない理由で禁止していた指導者も,周囲が「パフォーマンスアップに効果的」と言い出すようになったら認めます.

サングラスにしても,そういうロジックで普及させればいいんです.
「目を守る」などと軟弱な理由をつけて普及させようとするから蹴り返されます.
スポーツは「勇ましさと豪快さ」を象徴する活動です.「保護」を優先するようなものは嫌われる.これは仕方ないことです.
だから「パフォーマンスアップ」との抱き合わせで進める必要があります.


ところで,私は昨シーズンからスキーのゴーグルを新調したのですが,店員に勧められて「偏光レンズ」のものにしました.
そのもの商品ではないのですけど,こういうの↓です.

新しく売り出されているゴーグルは,くもり止めがしっかりしていることに驚きます.
それに,いちいち日焼け止めを塗るのが面倒になってきた昨今,私はバラクラバをかぶって滑るようになりました.
バラクラバっていうのはこういうの↓です.

このバラクラバを使うと息が拡散してしまい,ゴーグルを曇らせちゃうんですね.
でも,くもり止め対策がしっかりした現在のゴーグルとバラクラバだと(ちょっと値が張るけど),そういう心配がまったく無いんです.企業の商品開発努力に感謝.

くもり止めも凄いんですが,偏光レンズがとても快適.
店内でつけてみた感じはそうでもなかったんですけど,ゲレンデだとその違いを実感します.
普通のレンズよりも雪面の凹凸が分かりやすいし,なにより滑っていて楽.目が疲れません.
ネットでも「偏光レンズが良い」という情報は出回っていますが,やっぱり実感してみないといけませんね.

実は以前,「偏光レンズ」とされる安物(2000円)のサングラスを使ったことがありますが,普通のサングラスとの違いが解らなかったんです.それに,かけ心地が悪くて30分くらいしたら外したくなるようなものでした.たぶん私の顔の形との相性もあったんでしょうけど,内部で反射してチラつくんです.視線を止めているぶんにはいいのですが,歩いたり走ったりすると,目の前で反射像がチラチラ,チラチラ.これが強烈にストレス.

スキーのゴーグルを購入する時もそれで少し躊躇したのですが,人の良さそうな店員がオススメするし,メーカーである「スワンズ」は信頼できるというし,良い製品の偏光レンズならば快適なのだろうと思って購入したら正解でした.

だからこの際,サングラスも偏光レンズのものにしました.
もともとオークリーの「レーダロック」で2種類のレンズを交換しながら使っていたので,偏光レンズだけを購入する手段にしています.
 

お値段が高いです.2万円以上します.
でも,新しくフレームごと買うより,今使っているレンズ形状で問題ないんだから,そのレンズの性質だけ替えるようにしたかったんです.以前のような失敗はしたくなかったので.どんなに安くても,使い物にならないんじゃ意味がない.

値段に見合った効果があるかと言われると,ちょっと首をかしげてしまうかもしれません.「オークリー」というブランドの値段が上乗せされている可能性大.
まあ,そこまで劇的な効果を期待しているわけではありませんし.でも,とても満足していますよ.
やっぱり普通のレンズと比べると視界は段違いです.眩しいところで見えやすいし,目が楽.

サングラスを買うのであれば,偏光レンズはオススメです.
ただ,レンズの「性質」よりもフレームやレンズの「形状」のほうが重要だと思います.
特にスポーツの場面で使う上では,ただ止まって見るだけではありませんから.首を動かし,飛んだり跳ねたり動き回る中での視界が大事になってきます.

※本記事は,スワンズやオークリーの商品紹介ではありませんし,私もこれらのメーカーの回し者ではありません.


2017年8月1日火曜日

美人の評価基準は時代とともに変わっているのか?

7月後半は醜い話が続いたので,ここでちょっと美について考えてみたいと思います.
美人の基準についてです.

ふと考えることがあるんですけど,今私達が使っている日本語は,江戸時代や平安時代でも通用するのでしょうか?
日本に限らず,タイムスリップを描いたSF作品などでは,現代人が中世や古代の人々と普通にしゃべっています.これは本当に可能なのか?ということ.

いろいろ調べてみんですが,皆様ご案内の通り「書き言葉(文語)」は全く違いますが,「話し言葉(口語)」については類似点が多いということです.

標準語で「いいね!」という表現は,古文では「いとをかし」と書かれますが,あくまでこれは文語であり,当時の人々は口では「いとをかし」とは言わずに,実際には「いいね」と口にしていたであろうというのです.

それでも,発音の仕方は違っていたとされ,ウィキペディアあたりで調べたらこんなのが出てきます.
中世日本語(wikipedia)
ただ,本当にそんな発音をしていたのかどうかは,録音テープがあるわけじゃないので不明です.

これと同様,現代と比べたら「きっと違っているんだろうけど・・」というものに美の基準があります.
それも人に対する基準,典型的なのが「美人」の基準です.

これもネットで調べてみたら,わんさかヒットします.
例えば,平安時代の美人の基準はこういうものだと紹介されることが多いですね.
1)ふくよかで柔らかい頬
2)長い黒髪
3)小さな口
4)切れ長な目
5)鼻筋が通っている

これらに加え,平安絵巻に描かれる女性の姿がこんな感じなものだから↓
紫式部(土佐光起 筆)
平安時代は「ぽっちゃりおデブさんが美人だった」という評価をされることがあります.

時代はさらに下って江戸時代であっても,「美人画」として描かれる女性はこんな感じ↓
寛政三美人(喜多川歌麿 作)
これをもって,江戸時代の美人の条件が語られることがあります.
1)ふっくらとした白い肌
2)面長
3)小さな口
4)切れ長の目
5)鼻筋が通っている

おや? 平安時代とそんなに変わらないではありませんか.
1000年くらい経っても,少なくとも日本の美人の条件は大きく変わるものではないようです.

ここでまた考えさせられたんです.
でも,これは「『絵』だ」と.
しょせん,女性を描いたイラストだろうと.

冒頭で述べた「文語」と「口語」の違いのように,絵で表現される美人と実際の美人には違いがあるのではないか.
さらに言えば,絵で表現される美人は時代とともに変化するものの,実物の美人の評価は時代の影響を受けにくいのではないか.

つまり,上で示した平安時代の紫式部も,江戸時代の寛政三美人も,日本人が考える「美人」を象徴的に描いたものであって,美人としての実像をそこに描いているわけではないのではないか? ということです.

実際,現代における「イラスト」として日本人が美人を描いたらこんな感じになります.
基準がよくわからないので,こういうウェブサイトを参考に,私も知ってるキャラクタを以下に示しました.
美人アニメキャラ図鑑【完全保存版】(NAVERまとめ)
新世紀エヴァンゲリオンより
風の谷のナウシカより
たしかに「美人」っぽいけど,これがそのまま現実の世界に現れても困ります.
これらは「美人」という象徴としては了解できますが,「美人ではない」のです.

というわけで,実物をそのまま写し出す文明の利器,「写真」を用いて検証してみましょう.
ネットを調べればたくさん出てきます.
江戸時代から明治にかけて「美人」として評価されているのが,例えば以下のような人たちです.

まず,徳川幕府最後の将軍,徳川慶喜の正室「一条美賀子」.
美人として有名だったこの奥方様.
絵ではこんな感じ↓
徳川慶喜公御簾中(月岡芳年 作)
写真ではこうなります↓
一条美賀子 写真
普通に現代の女優にいそうな雰囲気がありますね.
どっかのドラマか映画で見たことがある女優に似ている気がするのですが,いかんせん芸能人に疎い私は思い出せません.

もう一人徳川家に嫁いだ人を示しましょう.
仁孝天皇第八皇女であり徳川家茂の正室「和宮親子内親王」.
絵ではこんな感じ↓
和宮親子内親王(永嶋孟斎 作)
写真ではこうなります↓
和宮親子内親王 写真
しゃ,しゃ,お写真の写りが悪いようで・・・.

そうなると,「美人」についてこう考えることもできます.
この人たちは徳川家に嫁いだ女性ですよね.だとすれば,
「和宮様のこと,美人だと思いますか?」
と聞かれたら,
「・・・,はい! び,美人! 美人です! 美人にしか見えませぇん!」
と答えるのが臣下というものではないか.

しかも,いろいろなネット記事を調べてみたら,昔の美人の条件には「教養がある」とか「歌や舞踊ができる」なども含まれるんだそうです.
つまり,純粋に「顔」や物理的形状だけを評価しているわけではないようです.

では,男(に限らず女も)が建前なしに自然と「美人」を要求する存在の写真を見れば,そこに時代による違いが現れるのではないかと思います.
そんな存在は一つしかありません.
「芸者」や「舞妓」です.
現代で言うところの「キャバ嬢」とか「コンパニオン」みたいなものですね.
ミスコンみたいなものも信頼できます.

こういう仕事をしている女性は,純粋に「物理的形状としての美人」が求められるのだろうし,そこで人気を博したとされる女性は文句なしの美人だと考えられます.

芸者といえば,こんなイメージがありますが・・・.
江戸の花 娘浄瑠璃(喜多川歌麿 作)
写真ではこうなります↓
写真元:http://corobuzz.com/archives/41618
鼓を打つ芸姑(玉村康三郎 撮影)
写真元:https://bakumatsu.org/blog/2012/04/bijin-ranking.html/2
江良加代:京都祇園を代表する名物芸者
写真元:https://plaza.rakuten.co.jp/greatest29/diary/201305180000/
芸者(不明)

写真元:http://mag.japaaan.com/archives/20120
江戸時代の芸者(フェリーチェ・ベアト 撮影)
芸者さんだけではなく,ミスコン出場者も確認してみましょう.
明治時代にあったミスコンみたいなものに出場している女性の写真が残っています.
それがこちら.

写真元:http://corobuzz.com/archives/41618

青井テイコ(ミスコン(みたないもの)の出場者)



写真元:http://corobuzz.com/archives/41618
西村志可子(ミスコン(みたないもの)の出場者)
今と全く変わりません.
現代のアイドルや女優となんら変わらない顔立ちです.
たしかなのは,仮に江戸時代や明治時代のミスコンに石原さとみさんや天海祐希さんが出場しても,評判が良いであろうことです.

結局,「美人」としてもてはやされる基準は微妙に変化しているのでしょうけど,根本的な部分は時代が変わっても違わないのではないかと思わされます.