2017年10月29日日曜日

体育学的映画論「ブレードランナー2049」

この週末はあっちこっち飛び回って結構忙しいのですが,ちょっと無理してドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ブレードランナー2049』を見てきました.

これは10月27日(金)に公開された映画.
仕事が一段落してからとも思ったのですけど,リドリー・スコット監督『ブレードランナー』(1982年)のファンの一人としては居ても立ってもいられず,スケジュールにねじ込んだところです.

以降,ネタバレは最小限にしますが,関係が深い話が出てきます.ご注意ください.
でも,ブレードランナーのことをあまり知らない人にとっては,むしろ以下を知った上で見たほうが良いかもしれません.ご参考まで.

さて,前評判では賛否両論でしたけど,私としてはかなり楽しめました.
さまざまなところで論じられていることですが,この『ブレードランナー2049』は前作を含めて万人受けする映画ではありません.
今でこそ1982年の『ブレードランナー』はSF映画の最高峰として有名になっているようですけど,公開当時はアメリカでも難解なクソ映画として酷評されていたとのこと.
生命科学や哲学の論考を好む人達に好かれるタイプの映画であり,家族で楽しむエンターテイメントでもなければ,デートで気軽に鑑賞して話題にすることもできません.

かくいう私も,子供の頃にテレビで放送されていた『ブレードランナー』を見た時はイマイチ話がわからず楽しめなかったんです.でも,何度か見ているうちに,どうして人造人間たちが反乱を起こしているのか?とか,なんで人造人間は最後にデッカードを助けたのか? なぜデッカードは寿命が尽きるはずのレイチェルと共に逃亡したのか? その際に玄関に落ちていた折り紙がなぜユニコーンなのか? とか,大人になるにつれていろいろ解釈できるようになってきます.
つまり,見る度に魅力が増してくるのがブレードランナーという映画の特徴なんですね.
大学生以降では1年に何回か見る映画になっていたので,その都度借りたりネット上で探すのが面倒になって,7年くらい前についにDVDを購入しました.
私がDVDを購入するのは極めて珍しいことです.

今回の『ブレードランナー2049』は,前作の世界観をそのまま引き継いでいます.
ブレードランナーって「陰鬱なゴミゴミした街に汚い雨が降っている」という世界が象徴的ですよね.この世界観がその後のSF作品に及ぼした影響は大きいとされています.
この風景のモデルは日本・新宿歌舞伎町とのこと.
今回のブレードランナー2049は東京の映画館で見たのですが,見終わって映画館を出てみますと,台風の影響を受けて薄暗いなか雨が降っているんですね.それが完全にブレードランナーの世界と一緒.思わず鳥肌が立ちました.

テーマについても前作と同様,人間とは何か? を問い続けています.
シンプルなアクション映画だと思って見ると面食らうので注意が必要です.
今作の捜査官(ブレードランナー)である主人公のKは,新型の人造人間(レプリカント)であり,周囲からは「人間もどき」と侮蔑され,同じレプリカントからは憎まれています.さらに,そのKの恋人は人工知能という設定.

実は前作の「ブレードランナー」においても,主人公のデッカードは新型レプリカントであるという解釈があります.デッカードの目が赤く光るシーンがあること.ユニコーンの夢を見て,そのユニコーンの折り紙を見つけて頷くシーンが入っていること.原作がフィリップ・K・ディック「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という点からです.
※詳細はウィキペディアを御覧ください.■ブレードランナー(wikipedia)

この点を「ブレードランナー2049」におけるヴィルヌーヴ監督は “きっとファンのために” きちんと回収しており,前作の主人公デッカードが,
「自分のことを人間だと思っていたけど,実はレプリカントだったのか!?」
というものに対し,今作の主人公Kでは,
「自分のことをレプリカントだと思っていたけど,実は人間だったのか!?」
というストーリーに仕立てられています.
その結論は映画を見てのお楽しみ・・・,ですし,さらにファンとしては嬉しいことに,この点も実は「結局のところ謎なのではないか?」として曖昧になっているのが,さすが「ブレードランナー」です.
「Kは何者なのか?」は,見る人の妄想を掻き立てられるようになっている.

あと,「ブレードランナー2049」の重要なストーリー設定が,「妊娠できるレプリカントがいる」というものです.
レプリカントが妊娠できるとなると,では「人間」とは一体どういう存在になるのか? 何を持ってレプリカントと人間を分かつのか?
これが今作における重要なテーマになっています.

もちろんお察しの通り,「妊娠できるレプリカント」とは前作のレイチェルであり,その父親がハリソン・フォード演じるデッカードなんですが,ではその子供は人間なのか?人造人間なのか?
こうしたテーマが,今作の主人公であるKの存在や,その恋人が人工知能のホログラムである「女性」であることと鮮やかに対比されています.

今回の「ブレードランナー2049」には前日談が用意されていて,この世界ではデッカードとレイチェルが逃亡した2019年のあと,2022年にアメリカ中を「大停電」が襲っているとのこと.
それによりあらゆる電子媒体での情報が消えてしまい,その復旧に膨大な時間がかかっており,未だに完全な情報としては残っていないという設定があるんです.
その事件の経緯がユーチューブでアニメ作品として公開されています.
ブレードランナー ブラックアウト 2022(youtube)

前作の2019年に反乱事件を起こしたレプリカントは「ネクサス6型」なのですが,この型には寿命が4年という設定がありました.
次に生産されたのが寿命に制限のない「ネクサス8型」であり,このネクサス8型が大停電のテロ事件を引き起こします.
ちなみに,2049年において活躍しているのは「ネクサス9型」で,主人公のKもこの形式です.

ところで,「じゃあ,ネクサス7型はどこいった?」と思われるでしょうけど,そのネクサス7型というのが繁殖能力を付与されたレプリカント「レイチェル」(そして,もしかするとデッカードも)だったという設定なのが「ブレードランナー2049」なんです.

で,ここで先ほどの「大停電」という事件の重大性が頭を擡げてきます.
結論から言えば,「ネクサス7型はレイチェル(とデッカード)だけだったのか?」ということです.
「大停電による全米の電子データの消失」により,天然の「人間」と,人造の「人間」の区別が,役所や製造元に記録されていた「登録データ」からは判別できなくなっているんですね.
もしかするとネクサス7型は既に何体も製造されていて,しかもレイチェル(とデッカード)と同じように,自分がレプリカントだと知らずに生きている可能性は高く,彼らネクサス7型の子供やハーフが何人も生まれているのではないか? そして,大停電からの復旧に際し,「妊娠して誕生しているのだから」ということで,登録データを「レプリカント」ではなく「人間」として記録されている人がたくさんいるのではないかということです.
こうして,いろいろ妄想できるのもブレードランナーの魅力ですし,その余地を残して「2049」を作っているヴィルヌーヴ監督も憎い配慮をする人です.
DVDやネット配信されるようになったら,何度か見直してやろうと思います.

そう言えば,繁殖能力をもった人造人間の誕生について取り扱ったものに,先日発行された森博嗣 著『ペガサスの解は虚栄か?』があります.
今回のブレードランナー2049は,人造人間と人工知能が,遠い将来に「人間」としてどのように関わっていくかが描かれているとも言えます.
これと同じことが森博嗣氏の小説Wシリーズと百年シリーズで扱われており,ブレードランナーのパラレルワールドとして楽しむことも出来ますので,それだけにタイムリーなストーリーだったなと思います.

その「ペガサスの解は虚栄か?」の最後の方に,こんなセリフが出てくるんです.
「このままでは,人類は滅亡する.それさえも望んでいるのかもしれない.我々の子孫は,人工知能とウォーカロン(人造人間)だ.あとは,彼らに任せよう,といったところかな」

人造人間との間に生まれた子供は何者なのだろうか?
人工知能との間に「愛」は生まれるのか?
ということをウダウダ考えるよりも,そうしたことを当然の前提とした上で,彼らこそが人類の子孫だと捉えて解釈していく物語が刺激的.こちらの小説もオススメです.


関連書籍
  


2017年10月27日金曜日

体育学的映画論「関ヶ原」

どうしても映画館で見ておきたかったので,先週末の台風が近づく雨の中見てきました.
別に動画配信になってからでも良かったような気もするのですが,やっぱり日本を代表する合戦「関ヶ原の戦い」はスクリーンで見ておくべきだと思ったのです.

結果,残念な思いをしたところです.

そうは言いましても,昨年一番の残念な思いをした映画,
でも述べたように,監督や役者さん,スタッフの皆さんがせっかく作ってくれた映画ですから,こき下ろすような批評はしたくありません.

どうしてこんな出来になってしまったのか?
どうして(少なくとも私の)心に響かない作品なのか?
といった点をしっかり考察することによって,(少なくとも私の)今後の映画鑑賞の足しになればと思います.

以下,この記事を読んだ皆様の参考になれば幸いです.
以降より映画のネタバレを含みますが,史実に基づく関ヶ原の戦いがテーマなので,ネタはももともとバレてるだろうとも言えます.

今回の「関ヶ原」は,ここ最近の(って言い出して久しいのだろうけど)日本映画にありがちな,「どうしてこうなった?」が満載の映画です.
むしろ,その点を考察することで日本映画の質の向上,そして、今後の展望が見えてくるとも言えます.

まず,とにかく中途半端ですよね.
この一言に尽きると言っても過言ではない.
徹底して中途半端な作品です.
中途半端であることにかけては他の追随を許さない.そんなところを目指した作品だと言われてもおかしくありません.

本作はテーマがてんこ盛りです.
・原作・司馬遼太郎による解説と語りを基にした展開
・関ヶ原に至るまでの経緯を猛スピードで追うスタイル
・石田三成と女忍者との恋愛模様
・各武将の生き様の紹介
・エキストラを大量動員した壮大な合戦
・よく分からない素性の登場人物(朝鮮人兵士とか医療班とか)
史実と違うとか,余計な色恋沙汰を入れるなとか,そんな批判もありますが,私としてはどれもそれらはそれらで魅力的だと思いました.
でも,いかんせん全てが中途半端だった.

私的には,どうせなら石田三成と女忍者の恋愛模様にフォーカスを当てた方が良かったのではないかと思います.それこそ,莫大な予算がかかったであろう合戦シーンなんかは,適当なCGやNHK大河ドラマ並みの濃霧(煙)で誤魔化してしまえばいい.むしろカットでいい.

実際,女忍者役の有村架純さんは気合いの入った演技をしていました.ヘラヘラしておらず,かなり自然にくノ一を演じられていたと思います.アクションシーンも迫力があって及第点です.もっと彼女に焦点を当てれば良かったのに.

ただ,前言を撤回するようですが,戦国武将とくノ一の色恋もいいんですけど,やっぱり「関ヶ原の戦い」の映画でそれはないよね.
結局,どんな映画にしたいのか決めきれずに作り出したのが原因ではないかと邪推しています.だから中途半端になってしまった.

どうして古今東西の映画監督って,この手の戦争スペクタクル映画に辻褄の合わないショボい色恋沙汰を入れたがるんでしょうね.
もしかすると,「人気俳優・女優のからみを入れておけば,OLとか主婦層を取り込めるのではないか」などというプロデューサーやらスポンサーからの圧力があるのでしょうか.
そんなもの見せられても全然つまらないし,映画の質は絶対に下ります.それで成功した映画がない以上,もうそろそろ気づけよと思うんですけど.
たぶん,「マーケティング」とか「アンケート調査」の弊害です.不安なんでしょうね.
昨今の大学経営と似たような感じですな.

大きなテーマを扱う手前,あれもこれもと思いつき,「全部のせ」の「ごった煮」になってしまう.
我々の業界で言えば,抽象的なテーマで依頼された研究発表や,ピンポイントの授業とかオープンキャンパス用のスライドとかでよくある失敗です.
今作の「関ヶ原」では,それと同じものを見せられた気がします.

実際,ウィキペディアにはそれを匂わす経緯が紹介されているんです.
関ヶ原(映画)(wikipedia)
監督の原田眞人は1991年から映画化の構想を抱いており、当初は島左近を主役に考え、1998年には主役を小早川秀秋に変更していた。2003年に『ラストサムライ』に出演した際に目にした合戦シーンに触発されて「日本発の世界戦略時代劇」を作りたいと考えるようになり、主役を島津義弘に変更したが、最終的には小説と同じ石田三成を主役にすることになった。
言われてみれば,映画の構成がたしかに『ラストサムライ』っぽい.
けど,「日本発の世界戦略時代劇」というのであれば尚の事,島津義弘を主役にして,関ヶ原の合戦における壮絶な「リアル・スリーハンドレッド」を撮れば,関ヶ原マニアにはたまらない作品になったのに.
それこそ世界に向けて,「300人が撤退するために数万の敵本隊に向かって突進」という謎の作戦や,薩人マシーンによる『敵将のみロックオン戦法(捨て奸)』を見せてあげれば,
「Oh! カミカゼ・アタックの起源はココにあったのデスネ!」
って話題になること間違いない.
ハリウッドの「ラストサムライ」のサムライ達は敵中突破できませんでしたが,例の一族ならやってのけます.事実なんだから仕方ない.
朝鮮人兵士による自爆テロを見せられても,日本発の世界戦略時代劇にはならないと思うよ.

せっかく「関ヶ原の戦い」という極上サーロイン肉があるんです.
小洒落た創作料理なんかにせず,普通にステーキで食べさせてくれればそれでいい.それが私の希望です.
具体的には,2017年現在において最も史実に近しいと考えられる関ヶ原の戦いの戦況推移を描いてくれた方が嬉しかった.

つまり,「この映画を見れば日本のサムライの戦い方が全てわかる!」という映像資料も兼ねた映画です.
その方が,ことあるごとに世界中の教育機関で中世日本の「サムライの戦い」の映像資料として使ってもらえるので価値が出るんじゃないかと思うんですよ.
例えば,大学の「中世日本の歴史」なんかの講義があったとして,そこで学生に見せる教材としても便利でしょう.
興行的には歴史マニア以外は鑑賞しないでしょうから収入の面では厳しいでしょうけど,それ以上の意義があると考えられます.

現在,時代考証が考慮された中世日本における質の高い合戦シーンを撮った映画って無いですよね.
これってお金はかかるけど日本映画界の「仕事」としては重要だと思うんですよ.ハリウッドとか外国じゃやってくれないから.
どうやら日本の合戦シーンを撮る技術も失われてきているらしいので,その技術の維持と発展のためにも大切ではないかと思います.


2017年10月23日月曜日

選挙結果の話

選挙結果が出ましたね.
自民圧勝というのか,現状維持というのか,評価はいろいろでしょうけど.

先日お話ししたように,私は選挙・投票には滅多に行きません.今回も行きませんでした.
選挙結果にも関心がないとも言いましたが,全く目を通していないわけではありません.
それなりに国情は分析しています.

「投票しなかった奴は政治に口出しするな」と言い出す人もいますが,投票した奴だからと言って口出しできる道理もありません.
選挙なんて所詮は人選びです.裁判員制度とかみたいに抽選で決めたっていいくらいだと思います.

そもそも,「我こそは選挙で投票した者であるぞ!」ってドヤ顔したところで,その選挙結果にあれこれ言っても無駄ですよね.もう結果は出ているんだから.
これはちょうど,我々の業界で言うところの「オープンキャンパスの来場者数」とか「入試志願者数」に対する講釈と似たところがあります.
そんな話を以前したこともある.
オープンキャンパスの来場者数を想う
実のところ,選挙と大学のオープンキャンパスや志願者数争奪戦はよく似ています.

「政治家と国民」「大学と学生」,いずれも始まってからの取り組みの方が大事なのに,その入口に立ったところがゴールと思ってしまっている.
これは日本人の特性なのかもしれませんね.もしかすると,学校や大学教育の取り組み方を改善することで,半世紀くらいすれば選挙や政治への視座も変わってくるのかもしれません.

いずれにせよ,選挙で投票することが国民の政治的主張の表明であるという勘違いは早急に是正されるべきです.取り返しのつかないところまで行く前に.

ところで,私の地元の選挙区・高知2区では,「保守王国・高知」を示す結果が出ておりました.
無所属の広田一氏が,元農水大臣であった自民党・山本有二氏を破って当選したのです.
山本前農相が比例復活 高知2区は無所属候補勝利(西日本新聞2017.10.22)
もちろん,山本有二氏は農水大臣であった昨年にTPPを強行採決する旨の発言が物議を醸しており,これが響いたことは間違いありません.
ですが,高知県は農林水産業で成り立っている地域です.そんな地域出身である山本氏が農水大臣をやっているのに,政府のTPPの方針にホイホイついて行くような姿は地元民にどのように映ったか.

というか,もともと,高知2区での山本有二氏への信頼は薄かったんです.
昨年の記事である■山本有二:鳥無き島の蝙蝠にノミネートでも書きましたが,私の両親を始めとして,地元民の方々の評判はすこぶる悪い.
昨年の農水大臣での所業を見た高知県民は,ついに山本氏を見限ったと言えます.

先ほど高知は保守王国だと言いましたが,本当に保守的なんです.もともと,昨今の自民党中枢部が掲げているような左翼思想には反発する気質があります.
2005年の郵政選挙の時も,高知では自民党議員を当選させる一方で,根強く郵政民営化反対の嘆願がありました.
さらに言えば,高知は保守王国である一方で,共産党王国でもあります.
2013年参議院選挙日本共産党得票率
2012年衆議院選書日本共産党得票率
つまり,右翼と左翼の両翼が強いという,とても特徴的な地域なんです.
「保守=自民」「保守=反共産」と考えているニワカ者には分からないでしょうけど,この感覚は大事です.

別に難しい話ではありません.これが本当の意味での保守的な地域なんです.
右翼が強くなったら左翼に移り,左翼が強くなったら右翼に移る.
そうやってバランスをとるのが保守です.

かつての高知県知事である橋本大二郎氏は,高知の県民性をこのように評価したとされます.
※私の父から伝え聞いた話ですので,間違っていたらごめんなさい.
「高知県の人は議論を好む.あれをすればいい,これをすればいいと,いろいろ面白い提案をしてくれるのだが,問題なのは,いざそれを始めるとなった時にまとまりがない」
えぇ,分かります.
何か一つのことで一致団結することはありません.天邪鬼気質っていうのでしょうか,必ず対立構造を作りながら進めるんです.傍から見たら面倒くさいのでしょうけど.
畢竟,トップダウンが嫌いなんでしょうね.現場でアレヤコレヤと話し合いながらやるのが好き.だから保守気質も維持される.

そう言えば,2014年に文科省が企画した「スーパーグローバル大学構想」ですが,それに応募した高知大学のプロジェクト構想名がこれ↓
「スーパーグローカルな高知大学の形成」
平成26年度スーパーグローバル大学等事業申請状況(文部科学省:PDFページ)
構想名からして企画の趣旨を真っ向否定.さすがトップダウンが嫌いなだけはある.
もちろん不採択でした.

今回当選した無所属の広田一氏も,以前は民主党からの推薦を受けていたこともあります.
今回の選挙では民進党の成れの果てである「希望の党」からのオファーがあったそうですが,これを断り,完全な無所属で「反安倍政権」による選挙活動を展開しています.
つまり「反自民」を掲げているわけで,今回の選挙結果は高知が反体制・反中央を示したと言えます.
ようするに,安倍政権に擦り寄るような奴をここから出したくない,ということ.世が中央になびく時代になったから,その反対の道を選んだということです.

冒頭にお話しした,「選挙とオープンキャンパスは似たところがある」ということについてですけど,それを一言で表せば,
「獲得数(入場者数)は選挙(オープンキャンパス)が始まる前に決まっている」
ということです.
これはオープンキャンパスではなく入試志願者数にしても一緒.
さらに付け加えるならば,
「その獲得数(入場者数)を増やそうと躍起になることで,本来の政治(教育)ができなくなる」
と言えます.
だから程々にしなければいけません.難しいのでしょうけど.

大学がその年にどんなに広告を頑張ったところで,入試志願者数が増えたりすることはありません.
志願者数とは,大学がそれまでの過去5年,10年の間にやってきたことの結果です.
これは選挙結果も一緒ですね.というか,そうであるべきです.

例えば沖縄県では,その他の地方の情勢とは裏腹に,自民党が負けました.
沖縄、自民に逆風強く 3選挙区敗北
こういうことに対し,「沖縄は左翼が強いから」と批判めいたことを言う人達もいますが,そもそも,沖縄で左翼勢力が強くなってしまった経緯や,左翼に頼ろうとする状況に目を向けなければいけません.

私も必ず毎年1〜2回は仕事で沖縄に行きますし,ゼミの学生にも沖縄出身の人がいるのですけど,ここ数年,いろいろ話を聞いてみても,この地では反基地の機運が高まっているのを確かに感じます.
それは,「沖縄県民の多くは,本当は基地を望んでいる」とか「反基地運動は本土から来た活動家がやっていること」などというレベルではなく,ようするに中央政府のやり口に辟易している住民は多いんです.
ですから,今回の沖縄の選挙結果は真摯に受け止め,基地問題について沖縄県民の要望はしっかり耳を傾けるべきです.

それに対し,「沖縄では反基地が勝ったかもしれないが,全国では自民が大勝している」と言い,その挙句,「だから沖縄は,日本政府における基地政策を聞き入れろ」と言い出す人もいます.
やばいですね.日本各地で選挙をして,そこから議員を選出している意義が分かっていないんでしょう.
2010年の民主党・鳩山政権の時にも同じこと言えばよかったのに.「“最低でも県外” は日本政府における基地政策なんだから,国民は聞き入れろ」って.

結局,これまでに沖縄県民の顔を札束ではたくような政策を続けてきたつけが,今になって噴出してきているんです.
そのつけは国民全体で考えなければいけないし,丁寧に向き合わなければならない事です.
その他,沖縄基地問題に関する話は過去記事にもありますので,ご参考まで.
沖縄基地問題を諦める
続・沖縄基地問題を諦める:私と同じ認識を示した某女性歌手への保守系論者の反応

他にも,「どうしてこんな奴が当選したんだ!」と憤りたくなる選挙結果はあるものです.
でも,彼ら/彼女らが当選したからにはそれなりの理由があるはずです.
その候補者に政治家になってもらおうという人々の要望はあったはずで,それがどういう性質のものかを考えなければいけません.
そこに善悪や正誤を見出すかどうかは別としても,これらをしっかり分析し,次の時代に備える.
こうした飽くなき取り組みが,政治の質を維持するためには大事だと想うのです.


2017年10月22日日曜日

今日は選挙ですね.お疲れ様です

今日は選挙ですね.
昨年の参議院選挙の時もそんな記事を書きました.
今日は参議院選挙

その時にも話したことですが,私は選挙には関心がありません.
選挙結果を動かすことになる部分での情報や話題の提供をすることにしています.その方が私一人投票に行くよりも有効だからです.私が1票投ずるよりも,私の考え方に動かされた誰か2名が投票してくれる方が,世のため私のためになるのですから.
方法としてはこのブログはもちろん,大学での授業とか井戸端会議などがあげられます.
それが私なりの政治参加と言えるでしょう.

ちょうどいい機会なのでここで告白しておくと,私自身が選挙に行くことは滅多にありません.
投票日に暇で時間を持て余している時には行ったことがあります.
たまに興味本位で行けば気分転換にもなりますし.
でも,今日みたいに雨が降っている日は絶対に行かない.
細かい話は上記記事で書いているので繰り返しませんけど.

でも,こういうこと言うと怒り出す人がいます.
「投票しなかった奴は政治に口出しする資格はない」とか,果ては「選挙で決まった結果が気に入らないなら日本から出て行け」などと言い出す人です.
こういった人が人間社会には一定数いるのは仕方がないことです.
もしかすると,いつもあまり時間がとれずに,選挙とか政治のことを深く考えられない人もいるかと思いますので,そのためかもしれません.

でも,心の底から本気で「投票しなかった奴は政治に口出しできない」と考えている人っているものです.けどこれは,「選挙と政治」について丁寧に考えてくれれば間違っていることはすぐに分かります.

よく,「きちんと筋道立てて考えれば誰でも分かることだ」と言う人がいます.
私も授業とか論文指導でも同じことを学生に言いますし,このブログでも使うことがありますけど,実はこれは嘘です.
どんなに丁寧に時間をかけて考えても,分からない奴はずっと分かりません.
私が授業やブログでこれを言うのは,ちょっと煽って聞き手の思考への動機を促すためです.本心からではありません.手遅れな奴には無意味です.
世の中の人全てに叡智を授けられるような教育方法はないのが現状なのです.

例えば,「投票しなかった奴は・・・」などと熱り立っている人に,選挙で投票することが政治参加することになっていないこと丁寧に語っても,そもそもこの人物に話を聞く準備(レディネス)ができていないから理解しません.

極稀に大学生にもそんな人がいますね.
「俺が考えていることが絶対に正しいのだから,この考えを受け入れてもらうために頑張ることがレベルの高い大学生の在り方なんだ」みたいな感じ.
最近では,むしろそんな骨のある学生が減ってきて面白くなくなった,と仰る先生方もいますけど.

そんな学生と向き合い学術的な思考法を教えることによって,かえってこういう学生の方がアカデミックな領域に興味を見出すことがあります.それまでの反動でしょうか.
自分が信じて疑わなかったものが壊される快感,唯一絶対の解など無いことを知り,だからこそ唯一絶対のものを探したくなる好奇心.

結局のところ,大学教育というのは「何が正しいのか」ではなくて,「何が間違っているのか」を研究するところのように思います.そのほうがしっくりくる.
何が正しいのかを研究するのは,大学教育を受けた先のことです.

そんなこと言っていると,「四の五の言う前に,『投票しなかった奴でも政治に口出しできる』その根拠を言えよ」と言い出す人もいるかもしれません.
もしあなたが本当にそのように考えているのであれば,こう考えてみてははどうでしょう.
「投票しなかった奴は政治に口出しできない状態」をつくるとどうなるか,ということ.
これでは政治が成り立たないことが容易に分かるかと思います.投票しなかったことが理由で政治に口出しできないとか,どんな酔っぱらい国家だよ,と.

さらには,政治に口出しするとはどういうことか? なにをもって口出しなのか?
そもそも,政治とは何を指しているのか?
逆に言えば,投票した奴が政治に口出しできるという根拠はどこにあるのか? 投票という行為によって「口出し」できるようになる理屈はなんなのか?
投票しなかった奴が政治に口出しできない理由はなにか?

考える時間がなくて感情的に「投票しなかった奴は・・」と言っていた人であれば,すぐにこの主張のバカバカしさを察知できると思います.
でも,分からない人もいますよね.はい,いるんです,どうしても一定数は.

別に思考能力に障害を抱えているわけじゃない.自分の今の状態や考え方が絶対的に正しいと居直っているのです.
その理由はきっと,人生のどこかで「選挙で投票することが国民の政治参加」だとでも教えられたのでしょう.
本人は至って「正しいこと」をしているつもり.だからその「正しいこと」とは反対のことをしているのは「間違っている」と.典型的なバカですね.

選挙と食事はよく似ています.先日,選挙期間ということもあって私の外食事情を記事にしましたが,これは私なりの選挙論です.気になる人はこちらも合わせて読んで下さい.
最近の自宅周辺の外食事情
私は馴染みの寿司屋と中華料理屋では,注文しなくても料理や酒が出てきます.
それを見て「あの人,注文せずに料理を食べているのはおかしい」とは言いませんよね.
「注文」という手続きを踏むことは正しいことです.でも.そうでない道があることも知るべきです.
注文したからって美味い料理が食べられるわけでもないし,その逆もまた然り.
だから,気に入らなければ「今日のこれ,あんまり美味しくないですね」って言えばいいことです.注文してないからって批評してはいけない理由はない.むしろ,注文していなからこそ店の側には響くとも言える.
もちろん,それで店に行くのを辞めるわけじゃない.これからも足繁く通うんです.でも,批評はする.それでいいじゃないですか.
ココらへんのことが分かってくれれば,選挙も同じことだと察してくれるでしょう.

結局,「投票しなかった奴は・・」などと言っている人は,選挙や政治に対する捉え方が幼稚なんです.誤解を恐れずに言えば,選挙での投票を義務付けている国・社会もやっぱり政治として幼稚なんですよ.国家としての連帯の危うさを漂わせていることの裏返しと言えます.要するに学校の「部活」みたいなもの.
幼稚っていうのは言いすぎでしょうけど,こんなことを義務みたいに考える社会は恥ずべきものです.実際,投票を義務にしている国なんてほとんどありませんし,あってもそれなりの事情が垣間見えます.
義務投票制(wikipedia)

いえ,別に私はこういう人達を否定したいわけではありません.こういうような人達であっても,我々日本国民であることに変わりはありません.
国が安定してくれればそれでいい.そのために選挙が機能してくれればいいんですよ.
選挙とは,「我々国民の意見を聞け〜!」っていう人を黙らせるシステムと言えます.
投票させてあげることで「私は今,政治参加しているぞ!」という気分になってくれるのであれば,それでOKなんです.

でも最近は,衆議院と参議院を一緒にして「一院制」にしようとか,国民が首相を選挙で直接選ぶ「首相公選制」にしようといった話が持ち上がっています.
これこそが最も危ない.
注文することに正義感と義務感を見出した者は,その欲望に取り憑かれます.
つまり,「投票した者こそが政治に口出しできる」というところを通り過ぎ,「投票によって政治に口出しできる」ところまで来てしまった.

こういう話は選挙結果や,投票に行った/行かなかったでどうにかなるものではありません.
選挙とか投票率とは関係がないことです.世論に訴えなければならない話ですから.

料理屋に来たからには,どうしても自分の気に入ったものを食べたいと考え「注文」する人は多いでしょう.
でも,注文しようとしまいと,旨い料理を食べることとは関係がないことを知るべきです.むしろ,メニューを選りに選って,結局まずいものを注文することだってある.
それに,注文の数にこだわり「人気メニュー」など分析していたら,料理人もそれに翻弄され,本当に旨い料理が食べられなくなるかもしれません.

2017年10月19日木曜日

体育学的映画論「ダンケルク」

先月から公開されているクリストファー・ノーラン監督作品『ダンケルク』(2017年)を,先日ようやく見ることができました.
公開前からかなり期待していたのですが,その期待を裏切らない迫力ある映画でした.

ネット配信されるようになったらもう一度見てみようとは思いますが,これは映画館で見ることをオススメします.
「追い詰められた軍隊」について,戦地での緊迫感や絶望感を追体験できる映画です.
特に,映画冒頭にある「最初の弾丸」からの銃撃戦で「生き残るために逃げている」側にいることを意識付けられ,没入感は最高.

そう言えば,三谷幸喜監督の映画に『ラヂオの時間』(1997年)というのがあるのですが,そこで「頭にマシンガンの音が必要なんだ.そこで惹きつけておかないと客が食いつかない」とマシンガンの効果音に拘る場面があります.なんだかそれを思い出させられました.
あとは終始,ハンス・ジマーによる不安を煽る重低音の音楽が(いい意味で)ダラダラと流れつづけており,気分が滅入ります.

予告映像にもありますが,浜辺にて帰国用の船を待つ兵隊の行列.
爆撃や機銃掃射を受けても,彼らは行列を崩さない.東京人もびっくりの「行列のできる浜辺」です.
私が過去記事で言いたかったことを「戦争」を通して間接的に表現しているとも言えます.その意味でもとても興味深い.
整列乗車はマナーではない

陸・海・空それぞれのシーンで異なる時間軸により話が進んで行き,最後に3つが統合されるという手法をとっているのですが,これも小説を読んでいるようで面白かった.

とりあえず,英国ジジイがカッコよすぎる映画です.

映画評なんかを見てみますと,ストーリーがないので退屈だとか,「ダンケルクの戦い」を事前に知っていないと意味がわからないなどというコメントが散見されます.
たしかに,ただひたすらダンケルク港からの撤退作業を見させられているのは事実です.
でも,私としては「こういう戦争映画が見たかった」と感じさせられたのも事実でして.
戦争映画の描き方の転機となる作品になるのではないかと思うんですよ.

それはもしかすると,近代以降における「戦争」を考えるテーマにもなるかもしれません.
つまり,「近代戦争とは,そもそも『ストーリーがない』のではないか?」という問題提起.
現代においては尚の事,顔の見えない,物語のない戦争が展開されている.
以前,そんなことを記事にしたこともありました.
人間は『身体』を通して理解する「ガンダムW編」

いえ,戦争にストーリーがないのは近現代に限らず,人類の歴史すべてにおいて言えるのかもしれません.
しかし,かつてはストーリーにすることができたのです.人の姿形が見えていたからです.

スピットファイアと小舟が,戦争において「人の姿形」を見せるための最後の依代だ.
『ダンケルク』において感じるのは,そうした戦争と身体の臨界点のように思えます.

2017年10月16日月曜日

最近の自宅周辺の外食事情

関東に移住してしばらくは味付けの違いに辟易しており,仕方なく自炊することも多かったのですが,ここ数年は自分好みの料理を出してくれるお店を見つけて安定しております.
自宅周辺と勤務先の間にある,うどん,寿司,ラーメン,中華をローテしているところです.
安定するまで2年かかりました.

もともと,外食に限らず同じ店に繰り返し足を運ぶタチではあります.
理髪店もずっと馴染みのお店ですし,衣服もずっと自宅近くのAOKI.毎朝・毎晩通うコンビニも,自宅前のセブンイレブンです.

同じ店を使い続けると,当たり前ですけど「常連客」になります.
常連客って楽なんですよ.きっと店側もそうです.
そういう関係がなにかと楽だし,楽だから「楽しい」.

理髪店なら「いつもの感じで」で済ませられるし,ちょっとした追加注文するにしても話が通りやすい.床屋談義は月に一度の楽しみになります.
服を買うにしても,いつもの店なら馴染みの店員が対応してくれるので,最近のファッション事情なんかをいろいろ教えてくれます.私は服選びで悩みたくないので,その店員に任せることにしています.そこらへんの詳細は,過去記事にしたことがあります.
若手研究者用:スーツの上手な買い方・着方

さて,外食の話ですけど,私は30歳を越えてから寿司屋に足を運ぶようになりました.
もちろん回転していない店です.独身貴族ならではの楽しみだと思っています.
私が通っている店はそんなに高級なところではなく,安くあげれば3000円くらいで満腹になります.
けど,腕は確かなようでして,いつも繁盛していて予約無しで入ることは難しいですね.

私はいつも予約して行っています.一人なので席を取るのは簡単です.
何回か通っているうちに私を覚えてくれて,注文もスムーズになりました.
そのうちこっちが何も言わなくても「次,玉子握りますね」とか「お味噌汁を出していいですか?」,最後は「お茶を出してもいいですか?」ってなります.

いつも混んでいる店ですが,たまにポッカリと空いている時があるものです.
私は普段口をきかないのですけど,こういう時だけですね,大将と話しをするのは.
私も高知の港町出身ですから,それなりに魚の話題では盛り上がれます.魚料理や寿司屋について,いろいろ話が聞けるのは楽しいものです.
混んでいる時は,脂ギッシュなオッサン達が次から次へと「ヘイッ大将!」ってな感じで喋りたがるので,私みたいな若輩者が口を出すのは控えているんです.
大将としても,混んでいる時は私とは二言三言話して,あとは一人にしてくれます.あくまで私が「夕飯を食べに来ている」ということを尊重してくれるんです.夕飯用のものを握ってくれるし.

あと,寿司屋が暇な時にはよくあることなんでしょうけど,本来なら出さないネタを握って出してくれたりします.
先日は熟成マグロを出してくれました.なんでも,大将が最も好きなネタなんだそうです.
私,マグロって好きな魚じゃないんです.関東の人は好んで食べますけどね.ブリとかカツオのほうが美味しいのにって思っていました.
でも今回,熟成マグロを食べさせてもらって,マグロをみなおしました.あれはたしかに旨い.
こういうところが常連客になるいいところですね.

その寿司屋から200mほどのところに,行列のできる不味いラーメン屋があります.
どうして行列ができるのか不思議でならないのですけど,そのラーメン屋の向かいに中華料理屋があります.
ここがメチャクチャ美味い.

中国人のオッサンが料理やってて,店員も中国の女の子.客にも中国人が多いんです.
案の定,エビチリが不味い.けど,その他のメニューはすこぶる旨い.
ここも足繁く通っているうちに店員に覚えてもらえました.
この1年くらいはずっと「ピーマンと牛肉の細切り炒め」か「ナスと豚肉の甘味噌炒め」を基本とする定食しか注文しなくなっているので,注文を取りに来た女の子が「キョーはナスが無くなったデスヨォ」って親切に教えてくれることがあります.
実は「キクラゲと玉子の炒め物」もかなり美味しいんですけど,そこは一つ「じゃあ,ピーマンで」って.もしかしたら厨房のオッサンも既にピーマンを炒め始めてるかもしれないし.
こういうところが常連客のいいところですね.

この中華料理屋から100mほどのところに,行列ができない旨いラーメン屋があります.
行列ができないというだけで私のポイントは高い.極めて優秀な経営をされています.
麺,スープ,具,どれをとっても非常にオーソドックスなものを出してくれる店で,「私は今,普通にラーメンを食べているぞ」という気分にさせてくれるところです.

ひたすら黙々とラーメンを作り続けるオヤジ.無駄なことは一切しない.
私も昨年までは「麺は硬めで」と追加注文していましたが,最近は何も言わなくなりました.
「えぇっと,ラーメン」
「はいよ」
・・・
「はいお待ち」
それだけ.
こちらも食ったらすぐ帰る.
滞在時間およそ10分.
これぞラーメン屋.


2017年10月15日日曜日

パイナップルの食べ方

どうでもいい話ですけど,高知つながりでもう一つ.
毎年,実家からパイナップルが送られてきます.しかも,年に何回か.

母の園芸の趣味が発展してゆき,15年くらい前から実家ではパイナップルが栽培されているんです.

過去記事の■“日本一”の故郷を撮るでも紹介しましたが,こんな感じです↓

先日も「今年最後だから」などと言いながらパイナップルが3個送られてきました.
実際,これを処理するのが大変です.
大学院生だった頃は,院生室の皆で分け合って食べていたのですけど,今となっては「パイナップルを分け合う」ような環境にもなく.
私が家族持ちなら楽しく食べるイベントになるのでしょうけど,そうではないので「処理」という言葉がぴったりなのが哀しいですね.

パイナップルは新聞紙にくるまれて送られてきます.
高知からなので高知新聞にくるまれています.


冒頭の写真や見慣れたパイナップルと比べると果実が強いオレンジ色ですが,これが完熟したパイナップルの証拠です.
ここではキッチンの電球の色の影響もありますが,普通に売られているものと比較すると真っ赤です.

これを切っていきます.
まずは実の上下を切り落とします.


次に,側面の皮を削ぎ落とします.
遠慮なく大胆に切り落として構いません.「処理」なので.
「もったいない」からと細かく削っていたら面倒くさいことこの上ないですし.
あと,新聞紙の上で切れば,あとの片付けが楽です.


皮を削ぎ落としたら,次は「芯」の周りにある果肉を削っていきます.
これも大胆に切り落としていく感じです.
ここまでくると部屋中にパイナップル臭が充満し,トロピカルな雰囲気を漂わせます.
一旦部屋を出た後,また帰ってきた時の匂いが凄いです.


芯だけになりました.


普通はこの「芯」は捨ててしまうのですが,実はこの芯の周りにある果肉こそがパイナップルで最も美味しいところです.
さしずめ「マグロのなかおち」「ヒラメのエンガワ」みたいなもの.
なので,以下のように削っていきます.


一般に売られているパイナップルでは「芯」の周りは美味しくないかもしれません.
繊維質ばかりで食べられたものではないかと思います.
ここが美味しく食べられるのは,ちゃんと完熟したパイナップルだけです.
パイナップル独特の刺激性がなく,程よい上品な甘さが絶妙なところなんですよ.

皿に盛り付ければ完成.

気分はすっかり南国ハワイ,ではなく,南国土佐の実家の庭です.
これが実家の庭園↓


2017年10月14日土曜日

高知と映画(全体とは部分の総和以上のなにかである)

どうして高知の映画の話題なのかと言うと,私が高知出身だからです.
知らない人がいたらと思い,念のため.

先日,こんなニュースがありました.
「0.5ミリ」の安藤桃子監督が高知に映画館オープン(映画.com 2017.10.7)
安藤サクラ主演の「0.5ミリ」などで知られる映画監督の安藤桃子氏が企画・運営する映画館「ウィークエンドキネマM」が10月7日、高知市内でオープン。父で映画監督、俳優の奥田瑛二、エッセイストの安藤和津ら奥田ファミリーも応援に駆けつけた。(中略)安藤監督は外観、内装から、作品選び、配給まで全面プロデュース。映画館前の通りには出店で賑わう中、呼び込み、チケットのもぎり、上映前には作品紹介の“前説”も。「ザ・トライブ」の上映の際には、通りかかった10代の若者グループに丁寧に説明し、勧誘に成功。「目標は高知の映画人口を増やすこと。映画をきっかけに町が賑わいを取り戻せたら」と言葉に力を込めた。今後は、トークショーやイベントなども企画しているという。
映画そのものの凋落もありますが,過疎化が進む高知では映画館が軒並み潰れているのが現状でした.
なぜ安藤監督が高知で映画館を始めたのか? というと,以下のような理由なのだそうです.
安藤監督は13年、「0.5ミリ」を高知で撮影したことがきっかけで移住。その際、04年に廃館になった高知東映の存在を知り、復館できないものかとの思いを強くした。
なんと,高知に移住されていたんですね.
父、奥田は07年11月から約4年間、山口県下関市で自身のミニシアター「シアターゼロ」を運営しており、奥田ファミリーで映画館を経営するのは2館目となる。「シアターゼロ」の立ち上げも手伝った安藤監督は「父が下関の映画館で苦労する姿、喜ぶ姿を見てきた。独立プロで映画を作ってきた人間としては、映画の入り口から出口までやってみたいとの思いが最初からありました」と話した。
奥田は「僕は映画人として、監督をやって、興行もやり、全てを経験したけども、奇しくも親子で、新たに映画のシステム全体を経験する人が生まれることはうれしい。僕が下関でやってきたことを受け継いでくれたかなと思うと、感無量です」と喜んでいた。
お父様である奥田瑛二氏も,山口県で同じことをやっていたのだそうです.
私は体育・スポーツ科学の研究者・教育者・指導者をやっていますけど,安藤氏が語る「入り口から出口までやってみたいとの思い」というのは分かる気がします.
部分部分を突き詰めていくのも良いですし,今時,効率よく生きていくにはどうしても「部分」を扱わざるをえないという現実がありますけど,やっぱり「全体」を扱う楽しみはあるものです.研究は研究,教育は教育,指導は指導という具合いに分断させて活動している同業者は多いものですが,これらを連結させることは魅力的です.

高知新聞にはこんな記事も載っていました.
高知市街に10/7に映画館が開業 安藤桃子さん運営(高知新聞2017.9.21)
「街中に映画館を再興したい」との4年越しの情熱を実らせた。「何かが起きる劇場にしたい」と思いを膨らませている。(中略)桃子さんが代表を務める会社が運営し、上映本数は月6~8本が目標。東京からゲストを呼んだり、奥田瑛二さんが活弁士を務める無声映画を上映したりする構想もある。
「高知のお客さんが求める作品を探りながら、これぞという作品があれば上映したい」と桃子さん。「少々アバンギャルドな作品も挑戦します」と、いたずらっぽく笑った。
「何かが起きる企画にしたい」というのは,見通しの甘さからくる失敗フラグとも言えますし,一昔前の私なら「こりゃダメだな」と思っていたことです.
でも,大人になってからはそんな取り組みも有りかなと考えるようになりました.
この安藤監督ですが,年齢も私と違わない人ですし,いろいろと注目しておきたい人です.

ところで,安藤監督は「少々アバンギャルドな作品も挑戦します」とのことですが,高知ではアバンギャルドな作品を好む下地はあるようですので,挑戦のし甲斐はあると思われます.
実は今夏,高知で珍しい映画の取り組みがありました.
「神様メール」で知られるベルギー映画界の鬼才ジャコ・ヴァン・ドルマン監督が手がける『キス&クライ』を,日本で唯一公開したのが高知県立美術館だったんです.

「キス&クライ」はただの映画ではありません.舞台でもあるのです.いえ,映画を舞台にしているとも言える・・・.と言っても難しいですね.
どういうことかというと,今まさにそこで舞台をしつつ,それを映画として上映するという奇妙奇天烈な作品だからです.つまり,観客は舞台を見ながら,同時にその舞台を映画として見ることができる.しかも,作品時間は90分間と非常に長い.

詳細は以下をどうぞ.
ホール事業:「キス&クライ」-KISS CRY-(ベルギー)(高知県立美術館)
全篇90分にも及ぶ長篇映画を創り出せるのは、計算し尽くされた緻密な動きの構成と、ドルマル監督率いる最高の映画スタッフの布陣の賜物。ミシェル・アンヌが考案した手の踊り“ナノ・ダンス”は、見えない主人公の視線や気配を感じさせ、優しく語りかけるナレーションが相まって、直感的な解釈を際立たせてくれます。メディアに“記録”して再生可能にする「映画」に対し、限られた時間に劇場へ足を運ぶ観客の“記憶”にのみ共有される「舞台」。相反した手法が見事に融合した珠玉のスペクタクルは、観劇する者のみに贈られる至上の時間となるでしょう。
こういうの,私は好きですよ.見れてないけど.
「舞台を映画にしてしまえ」っていう企画を本気出してしまった結果ですね.

この「舞台と映画の融合」の似た取り組みに,監督・三谷幸喜,主演・竹内結子の『大空港2013』というのがあります.
約100分の映画ですが,それを全てノンストップのワンカットで撮りきっているんです.これも非常に面白い.
最近話題になったものとしては,ドイツの『ヴィクトリア』っていう映画があります.

これらはどちらかと言うと「映画で舞台をやった」という趣旨ですが,前述のキス&クライは「映画を舞台でやった」というところ.
いずれも作品としては映画ではありますが,舞台の魅力も併せ持っているわけです.

舞台では視点や焦点,視野・画角といったものは観客に委ねられます.「見るところ」は見る側が決めているんです.一方,映画ではカメラに頼ることになります.カメラが撮っているところが「見るところ」なんです.
その点,「映画で舞台」をやったり,「映画を舞台」でやることによって,舞台や映画において前提となっている「見るところ」が観客の前で解体されてしまう.そこに,こういう手法の魅力があるのだと思います.


2017年10月8日日曜日

体育学的映画論「鬼龍院花子の生涯」

ちょっと前の話ですが,本学の野球部の数名が不祥事を起こしました.
当事者間での示談で済んだので表沙汰にはならなかったのですが,週刊誌あたりが嗅ぎ付けるとそれなりに危ない事件ではあったんです.

最近の大学では,初年次教育で担当しているクラス(主に「基礎演習」などと呼称される)を,学校で言うところの「ホームルーム担任」のように扱っているところが少なくありません.
学生生活の相談事や,今回のような学生の不祥事があったら,その担任の教員が対応するという次第です.
うちの大学もそうでして,私もその担任をやっています.

不祥事を起こした野球部の一人が私が担任をしていたクラスの学生でしたので,担任である私も呼ばれて「面談指導」をやることになりました.
知らない人は驚かれるのですが,今の大学はこういうことをやるんです.「学生課」とか「教務課」あたりが処理するわけじゃありません.

学科長と,当該学生たちの担任である私ともう一人の先生が面談を担当しました.
事の次第を聞き取り,彼らの反省の弁を聞くということだったのですが,私にはそのうちの一人がどうも反省しているように見えなかったんですね.
「はいはい,反省してるって言えばいいんでしょ」みたいな態度でふんぞり返って,薄ら笑いを浮かべる場面もあったりで.

さすがの私も,それにキレてしまったようなんです.
私と面識のある人は知っているかと思いますが,私はとても優しく心穏やかな人物です.私が怒るところはもちろんのこと,機嫌が悪いところも見たこと無いはずです.パワフルプロ野球なら「安定感」と「ピンチ◯」が必ずついているでしょう.

だから「キレた」と言っても,結構穏やかにキレたはずなんです.怒鳴り散らすようなことはしていません.
「君たちがやったことは,とても大変なことなんだよ.そんな態度でいると,今に取り返しのつかないことになってしまうよ.なめてかかってはいけませんよ」という趣旨のことを言ったと思います.

あんなに優しく朗らかな私がブチ切れたのですから,これが学生(だけでなく他の先生も)には衝撃的だったらしく,泣き出しそうな奴もいました.
以後,彼らは反省したようで,授業でも大人しくなったようですし,野球部内での素行の悪さもおさまったと聞いています.
中高生とは違い,さすがに大学生になったら聞き分けがありますね.

面談が終わって,同席していた学科長が言うんです.
「先生が高知出身だということを,あらためて知った気がします」って.
どういうことですか?って聞いたら,
「昔の映画にありましたよね.夏目雅子の『なめたらいかんぜよ!』っていうの.あれを間近でネイティブから聞けて嬉しかったです.やっぱり土佐弁は迫力がありますね」なんて言うんですよ.
どうやら上述した学生に諭した言葉を,私は高ぶる感情のなか「土佐弁(厳密には幡多弁)」でしゃべっていたんです.
東京の人たちには刺激が強かったかもしれません.

かつて,「なめたらいかんぜよ」というセリフが流行したらしいんですね.実際,私が高知出身だというと,これを話題にする人がたまにいます.
でも,それがどういう映画の誰のセリフなのか知らないままでいたんですが,この度,動画配信サイトで『鬼龍院花子の生涯』(1982年)を見たので「あぁ〜,これかぁ!」ってなりました.
「なめたらいかんぜよ」は,以下のユーチューブ動画で見ることができます.
夏目雅子「なめたらいかんぜよ」(youtube)
ちなみに,それまではなんとなく「スケバン刑事」あたりのセリフかなって思ってました.スケバン刑事も見たことないですけど.

「鬼龍院・・」なんてところから察せられるように,これはヤクザ映画,任侠映画です.
実は1984年にテレビドラマ化され,また最近になって観月ありさ主演(2010年)でテレビドラマにもなったらしいんですね.全部知りませんけど.

ヤクザ映画の面白さがずっと分からなかったのですが,ここ数年見るようになりました.
決して誉められた生き方ではないけれど,それだけに,だからこそ「自分の人生」として納得できるものにするため,必死に藻掻く人間の姿を描いているものが多いですね.

「鬼龍院花子の生涯」はその典型で,主人公の松恵の境遇がヤクザ映画の本質を見せているように思うのです.
主人公・松恵は鬼龍院家の実娘ではなく,望んでヤクザの家の娘になったわけでもないし,大人になってからも小学校の先生として生きようとしています.
とにかくヤクザの世界から逃げ出そうとしているのですが,それでも運命は彼女に味方せず,本人も結局は鬼龍院の娘であることを受け入れる.
例の「なめたらいかんぜよ」というセリフは,それを象徴するシーンで発せられます.

そんな松恵の視点から見ることによって,鬼龍院の実娘である花子への哀れみは格別のものとなります.
小説や映画のタイトルが『鬼龍院花子の生涯』となっていますが,一見,鬼龍院花子のエピソードやシーンは少なく,主人公であり語り部である人物も,その姉である松恵です.
でも,そんな境遇の松恵の視点から見るからこそ,ヤクザ者の世界の虚しさと,その中で必死に「良い生き方」を模索する人々の,なかでも「極道の女」である花子の生涯が際立つのでしょう.

ちなみに「極道のオンナ」と言えば,主人公・松恵の義理母であり鬼龍院政五郎の妻である歌役をした岩下志麻さんは,この映画で初めて極道の妻を演じたそうです.それまで岩下志麻さんは清楚で可憐な役柄で売っていたそうなので,そこから180度方向転換した体当り出演ということなります.
しかしこれが「岩下志麻=極道の妻」誕生の瞬間となりました.
私達の世代にとっては,岩下志麻さんと言えば,高そうな着物着てマシンガン撃ってるイメージしかありませんからね.


2017年10月6日金曜日

大学現場の凄惨さがネット記事になっている

こんなネット記事がありました.
日本のアカデミズムは危機にあるのか――ノーベル賞受賞者も警鐘(ヤフー・ニュース2017.10.5)

「危機にあるのか?」とか言ってる場合じゃなくて,もう既に危機を通り過ぎて「手遅れ」になっているんだ,ということを,このブログでは5〜6年前から指摘してきたところです.
ようやく,こういう人目につくニュース・サイトでも大学教育の危機感を煽るようになってきましたね.
でも,そういう段階になっている時点で,先ほど申したように既に「手遅れ」なんです.
一般大衆ですら「気になる」ようなレベルになった時点で,もう打つ手はなくなっています.

私がこのブログを始めるよりもずっと以前から,大学教育のことを本気で心配していた諸先生方は「このままじゃヤバい」とさんざん指摘していました.
しかし,こういう指摘は当時,「象牙の塔にはびこる保守的な態度」と言われたり,「大学教員なんて所詮は社会不適合者の集まりだから,もっと外部の風を取り込まなければならない」などと嘲笑されていたのです.

上記のネット記事のアウトラインを並べてみました.
・地方から失われていく、科学研究の基礎体力
・世界における「科学エリート」の地位を失いつつある
・「就職できないから」東京大学でも大学院生が減少
・問題を抱える「任期付きポスト」
・科学技術への投資なくして日本に未来はない
どれも過去記事で取り上げてきたことですけど,私のブログよりも丁寧に取材されていますので,気になる人はぜひご確認ください.

その記事の中から,話題を一つを挙げておきます.
こうした傾向に、深い懸念を抱いている研究者は多い。
その一人が2015年に「ニュートリノ振動の発見」でノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章・東京大学宇宙線研究所所長だ。
(中略)
梶田氏は、この20年ほどで普及してきた「選択と集中」という言葉に、基礎研究の立場から違和感を覚えるという。
「『選択と集中』は盛んに言われてきた言葉ですが、その結果、大学がどうなったか。東大はいいかもしれないですけど、地方の国立大学では衰退が激しくなった。学問の多様性を急激に失わせている気がして、将来の芽が出る前に根こそぎなくしているような感じがするのです。むしろ、重要なのは多様性です。科学には多様な可能性があるので、きちんとサポートしていかないといけない。それは、つまり、無駄になる研究もあるかもしれないということ。それでも、そうした部分に目をつむるという感覚も必要なのだと思います」
同じことを私も繰り返し過去記事で書いてきましたが,どこの馬の骨か知れない奴の言葉と違って,東京大学ノーベル賞受賞者の言葉には説得力がありますね.

梶田先生の言葉に付け加えるとすれば,そもそも「選択と集中」によって何を求めていたのかが問題だったのです.
多くの人々は,選択と集中によって大学教育や研究が活発化するものと思っていたのです.バカですね.どうしてそうなるのか意味不明です.
「選択」して「集中」するのだから,当然のことながら一方では「選択されず」に「放置」される領域が出てくることを意味します.それでどうして活性化すると思ったのか.

当たり前のことですが,「選択と集中」というのは,限られた資源をどこかの部分に集中的に配分して,その領域だけを生き残らせようという手法のことです.
当然のことながら,選択して集中させるわけですから,そこでは「競争」がなくなることを意味します.複数のグループが切磋琢磨して競い合う,ということを避ける方法としては優秀なので.

ところが,世の中の多くの人々は「選択」するための領域やグループを「競争」させることによって,その結果当該領域が「活性化」するのではないかと考えていたフシがあります.科学研究費補助金なんかが典型です.
どう考えても無理筋なのですが,この浅はかな思考が反省されることはありません.

「反省されることがない」
これが最大の問題点でしょう.
ですから,この「大学教育の危機」というのは既に手遅れなのです.

今後ですが,堕ちるところまで堕ちたら,その原因や経緯を当たり障りのない別の何かで誤魔化しつつ,何事もなかったかのように「大学教育」に似た何かを改めて始めるものと思われます.

関連記事

2017年10月5日木曜日

t検定:対応のある/なしの違いは何か

統計学を専門にされている人にとっては常識であっても,
その他の人たちにとっては意外とスルーして,
且つ,手軽にエクセルや統計解析ソフトが使えるようになった現在,
今更そんな基礎的なことを確認するのも面倒だと思いつつも,
統計処理をする上ではやっぱり知っておいた方がいいことは確かだという認識はある.

実験や調査データを扱う人たちにとって,こういう話は多いものです.

これまで本ブログではニッチなネタを取り上げてきましたが,せっかく閲覧者数も多いので,もっと基本的なところを扱ってみたいと思います.

今回は研究論文でも非常にお世話になる統計手法の一つ,「t検定」について,「対応のある」「対応のない」の違いはどこにあるのかお話します.
なまじエクセルやSPSSなどを使っていると,たんに「対応のある」「対応のない」を使い分けるだけで,その計算方法の違いが分からないままです.
計算方法を知らなくても有意差の有無を判別することができるようになった時代だからこそ,その計算方法の違いを知っておく必要があります.

例題となるデータを以下に示します.
左側は対応のあるデータ,右側は対応のないデータ.両者とも比較対象となる測定値は同じです.
そして,それぞれ対応のあるt検定と対応のないt検定でp値を算出済みです.

対応のあるデータでは5%水準で有意差あり,対応のないデータは有意差なしになっています.
上記のように,同じ値の2群であっても,対応のある/なしでp値は変わってきます.
それは計算方法が異なるからなのですが,冒頭お話したように,具体的にどのように異なっているのかは案外知られていません.

両者の違いはエクセルの関数や統計パッケージを使っているとスルー出来てしまえるのですが,今回,あえて計算式をエクセル上に展開してみます.
そこから両者の違いを明確に知ることができます.

まず,対応のあるt検定は,2群間における個々の差を算出します.
一方の対応のないt検定では,両者の分散(もしくは標準偏差)さえ分かっていれば算出できるのです.
以下を御覧ください.


対応のあるt検定では,2群間における個々の差を算出し,それらを使って標本分散を算出します.エクセル関数では「VARP」を使って算出できます.
一方,対応のないt検定では,各群の分散もしくは標準偏差を算出します.エクセル関数では分散は「VAR」,標準偏差は「STDEV」で算出できます.

その後はt値の算出になります.
対応のあるt検定であれば,以下のような式から求められます.

すなわち,両群間の平均値の差(差の平均値)を,両群間における差の標本分散を使って計算しているのです.
※なお,「5−1」というのは「n−1」のことです.例のデータではn数は5なので.

一方の,対応のないt検定は以下の通り.

こちらは,両群間の平均値の差を,各群の分散(もしくは標準偏差の2乗)を使って算出しています.
※なお,こちらの式の中にある「5」というのもn数のことです.

両群とも平均値の差を検定していることは同じなのですが,そのなかでも対応のあるt検定は2群間に現れた差のバラツキ具合いを検定しているのに対し,対応のないt検定では両群の測定値のバラツキ具合いを検定しているんです.

ですから,対応のないt検定では両群のn数が異なっていても算出できます.
一方の,対応のあるt検定ではn数が違っていたり,データを並べる順番を間違うと算出できなくなる理由は明白ですね.両群の個々の差を算出し,そのデータを使っているからです.

私が学生の頃の話です.
報告書みたいなものに有意差検定がされていないデータが載っていまして,「このデータに有意差はあるのかなぁ.でも,統計処理されていないし」なんて話をしていたんですね.
そしたら先生が「平均値と標準偏差とn数が分かっているんだから,早く有意性の有無を算出しなさい」って言うんです.
その頃はてっきりt検定は個々の全データがなければ算出できないと思っていました.実際,エクセルやSPSSでは個々のデータを全て入力しなければ自動算出してくれませんから.
「これだけじゃ出来ませんよ(だって,ここには生のデータが無いんだもん)」って思っていたのですが,実は対応のないt検定なら計算できるんですよね.
標準偏差は2乗すれば分散になるのですから,電卓さえあれば苦もなく算出できるのです.
っていうか,論文などに掲載する研究データとして「平均値」「標準偏差」「n数」を載せるのは,そのためだったりします.
パソコンや統計パッケージを使うことが当たり前になってくると,そんな基本的なところをすっ飛ばしてしまうようになります.注意が必要です.

では最後に,得られたt値から「TDIST」というエクセル関数を使ってp値を出しましょう.
対応のあるt検定では以下のようになります.

t値を選んだあとは,自由度のところに「n−1(5−1)」である「4」を.
尾部には両側検定である「2」を入力します.

対応のないt検定はこちら.

こちらは,t値のあとの自由度は「全n−2」になりますので,「10−2」である「8」を.
尾部は同じく両側検定の「2」を入力します.

以下のように,エクセル関数で算出したものと比較しても,同じp値であることが確認できます.



関連記事
Excelで多重比較まとめ
ExcelでTukey法による多重比較
ノンパラメトリック検定で多重比較したいとき
ノンパラメトリック版Tukey法による多重比較「Steel-Dwass法」
エクセルExcelでの簡単統計(対応のあるt検定と多重比較)

ちょっとした統計処理上のエクセル小技はこちら
エクセルで相関係数のp値を出す
エクセル散布図で相関関係・相関係数を確認する便利な方法
エクセルで大量のデータを等分割して統計処理したいとき
エクセルで大量のデータを処理したいとき
エクセルだけで統計処理する卒論・ゼミ論用アンケート調査のオススメ方法 part1
点数・得点を段階評価するためのエクセルシートの作成

その他,こういう怪しいブログ記事よりも,ちゃんと勉強になる書籍もご紹介しておきます.
詳しくは,
独学で統計処理作業をスキルアップさせるための本
を御覧ください.


2017年10月2日月曜日

ラスベガスで起きた銃乱射事件について

被害者の方々にはお悔やみを申し上げるとしても,アメリカでこういう事件が起きてもあまり驚きが無いのが正直なところですね.
つくづくヤバい国だと思わされます.

ただこれ,人類の長い歴史の中で,どこかで誰かがやりかねない事件ですよね.
かつて,やろうと思った人はたくさんいたはずですし.
今回の犯人は,たまたま銃や弾をたくさん買える経済力と,射撃の腕前が優秀だったからこれだけの被害が出たと考えられなくもない.

YouTubeで現場の映像を見ましたが,マシンガンをフルオートで撃ってますよね.しかも夜に.
普通なら当たりにくいはずなのですが,これには高いところから人の密集地に向かって撃つという,とても合理的な方法で対処しています.冷酷なほど頭がいいですね.
案の定,犯人は自殺していたそうです.ある種の自爆テロ.

「アメリカは銃社会だから」というコメントも散見されますが,こうした事件とはあまり関係ないと思います.
日本でも昨年,神奈川県相模原市で銃も使わず20人近く殺害された事件がありました.その前は,オタクの聖地で暴れた人もいます.
日本では刃物を持って無差別殺人するのが主流なんですね.もしかすると海外では,やっぱり「日本はサムライ社会だから」と言われているのかもしれません.

本人が死ぬ気でいるなら,東京の満員電車にガソリンタンク背負って火を付ければ,50人くらいは余裕で殺せます.
別に死ぬ気がなくても,ジワジワと拡散する毒ガスを車内にバラ撒けば何十人も被害が・・・って,それは既に経験済みですね.
電車内でのガソリン着火にしても,2年前に東海道新幹線で死傷者を出しています.この時は,車内が混み合ってなくてよかったですね.

こういう事件が起こったのですから,これに喚起されて類似した「自暴自棄による大量殺人事件」が発生しないことを祈るばかりです.
著名人の自殺とか,未成年の自殺などが取り上げられると,それに呼応するように自殺者数が増加するという現象がありますよね.ウェルテル効果というやつです.
ウェルテル効果(wikipedia)
有名なものだと,「盗んだバイクで走り出す」の尾崎豊の自殺への追従自殺とか,最近は子供のいじめ自殺なんかがウェルテル効果ではないかと考えられています.

つまり,自暴自棄による大量殺人というのは,ある意味で「自殺の演出」の一つとも考えられるため,今回の事件を受けて「どうせ自殺するなら,ラスベガスの銃乱射事件のように派手に行こうぜ!」という着想に至る人が増える可能性があります.

実のところ,一般人による大量殺人は,やろうと思えば結構容易にできてしまうんです.
大量殺人を計画している時点で,一般人ではないのかもしれませんけど.
逆に言えば,思いつきでの大量殺人は難しいということでもあります.

ですから,大量に人を殺そうと計画するような段階に至らせないことが大事ということになります.

ところで,コンサートも大変でしょうけど,オリンピックは大丈夫なんでしょうかね.
ひとまず韓国の冬季大会を様子見としましょう.
東京大会は厳重な警備体制が求められます.

2017年10月1日日曜日

新型トラックボールの使い心地

私はいわゆる「マウス」をほとんど使っていません.
「トラックボール」というタイプのポインティングデバイスを使っています.

トラックボールというのは以下のようなものです.
このLogicoolのトラックボール・シリーズを,有線タイプだった頃から,からかれこれ10年以上使っています.


親指でボールを動かしてポインタを操作する方式です.
人差し指と中指はマウスと同じように使います.
腕を動かさないので,私としては疲れにくい気がします.
でも,この「疲れにくさ」は人によると思います.人によっては親指ばかり動かすことが疲れるという人もいますので.

ちなみに,マウスを全く使わないわけではないんです.
トラックボールをはじめとし,タッチパッド(トラックパッド)やマウスは作業によって使い分けています.
それぞれ得手不得手な作業がありますので.

トラックボールはエクセル作業や,我々が使う学術的な専門性の高い分析ソフトの作業に強いんです.ボールを動かさない限りポインタがブレないので,確実性の高いポインティングができます.手を離してもポインタがズレたりしません.

一方,ワードやパワポにはマウスが強い.指ではなく,腕や肩を使って操作しているので,ポインタを自在に動かす感覚が高い方が文書作成や図表作成のためには作業がしやすいんです.

タッチパッドは,トラックボールやマウスの補助として使っています.
左側に置いといて,右手でキーボードを入力している時などに左手でポインタを動かしたい時に使うのです.
以前は,マウスやトラックボールにならって「タッチパッドはキーボードの右に置くもの」という既成概念が私にはあったのですが,たまたまキーボードの左側に置いて仕事をした時に,思いの外便利だったので,以来,高速作業が求められる場合にはこのスタイルにしています.よくよく考えてみれば,ノートパソコンではキーボードの手前に配置されていますよね.
Appleのトラックパッドは指の繊細な動きに追随してくれるので,エクセル作業やパワポでのスライド作成などでも,ワンポイントの細かな作業をしたい時に重宝します.

ところで,トラックボールの最大の強みは,作業場所が狭くても大丈夫な点です.
実際,腕は全く動かさないまま作業できますので,手元に資料や他のデバイスを並べて作業する場合には強力です.
私としては手元にいろいろな物を用意して仕事したいタイプですので,トラックボールに出会った時は感動モノでした.

最近,Logicoolのトラックボールに新商品が出ました.
それがこちら↓


どうしてこんなに高価なのか?
という疑問はさておき,トラックボール・ユーザーの私としては即買い.
さっそく使ってみましたよ.

その使い心地ですが,「非常に良い」です.

以前のモデルと大きく違っているのは,傾斜角がついていること.
以下を御覧ください.右が旧モデル.左が新モデルです.


実は私自身,旧モデルを使っていて腕が疲れてきたら,机とトラックボールの間に5mm程度の厚さのものを挟んで親指側を浮かせていました.
今回のモデルでは,最初から親指側が浮かせられるんです.かゆいところに手が届くとはこのこと.

あと,
「長いスクロールなどを素早くできる“スピードモード"、より精緻にトラックできる"プレシジョンモード"の2つをすぐに切り替えることができます。」(商品紹介ページより)
という機能がついているのも私好みです.

私としては現段階では恩恵を感じていないのですが,
「 Easy-SwitchとFLOW機能により、2台のコンピュータ間でテキスト、画像、ファイルをコピー・ペーストするなど、シームレスな作業が可能。」(商品紹介ページより)
という機能もついています.慣れてきたら便利に感じられるのかも.

そうそう,トラックボール最大の魅力は,「寝てても作業ができること」です.
椅子にゆったり座ったままでも,布団に入ったままでも,手元でポインタを動かすことで,かなりの作業ができます.

マウス操作が煩わしいと感じている人がいましたら,まずは安めのトラックボールから試してみてはどうでしょうか.