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元プロ選手とか元オリンピアンとかが書いた論文の査読

今,オリンピックが開催されています.
コロナ禍での開催ということで,かなり異様です.

オリンピックというイベントそのものに興味がない私としては,どっちかって言うと大谷翔平のホームラン争いの方が関心事です.
本塁打王になれるかどうかもさることながら,50本の大台に乗るかとか,ピッチャーとして二桁勝利できるかも気になるところです.


さて,オリンピックに出場している選手やプロスポーツ選手ですが,現役引退後のセカンドキャリアがけっこう大変です.
一昔前なら,スポーツ選手のセカンドキャリア支援が充実しておらず,プロスポーツよりも実業団(例えば,プロ野球に対する社会人野球とか)の方が,引退後の仕事探しが楽だという話もあったようです.
実業団であれば,そのままその会社で雇ってくれるところが多かったからです.

もっと言えば,プロ野球において「読売ジャイアンツ」に入団したがる選手が多いのは,人気球団ということもさることながら,充実したセカンドキャリア(球団業務とかコーチ業,野球解説者などに声がかかりやすい)が魅力的だからとされていました.

それまでまともに「普通の社会人生活」を経験できずに社会人になっている人が多いのがスポーツ選手.
かなり名の知れた選手であっても,引退後には,それまでと全く異なる職業に就いて,もったいない生活や,反社会的な生活に身を落とす人たちもいます.

これまた,特にそれが目立つのが「プロ野球」であり,あとは「大相撲」なんかも多いでしょうかね.
何も出来ることがないからと,体力勝負の日雇い業務をはしごしている人も多いらしい.
それはまだ良い方で,やれ,「薬物に手を出した」とか「詐欺まがいのことをしていた」とか「ヤクザ・半グレ組織に入っていた」とか.

現在では,多くのプロスポーツ組織において,選手の引退後の進路を支援する動きが活発になっています.


そんななかでも,
「スポーツ選手は,せっかくスポーツ競技の専門家と言える立場なのだから,それをさらに学術的にも磨きをかけてはどうか?」
ということで,大学院進学をする人も少なくありません.

もちろん,不安定なスポーツ競技関連から「大学教員」という安定した仕事を目指しているところもあるのですけど.
2000年頃までなら,大学のクラブ活動をメインにできる立場もあったのですが,現在ではそんな都合のいいポストは極めて少ないのが現状です.
いざ大学教員になってみたものの,通常授業や大学運営業務が忙しくて,クラブ活動に手が回らない,そのくせクラブの成績をシビアに評価されてしまう,という事態に陥っている人も多いのです.

あと,最近の大学では「ちゃんとした研究活動をする教員」も求められています.
っていうか,それが普通なんですけどね.
でも,クラブ活動をメインにしたい「元スポーツ選手教員」にとっては,結構な負担になっています.

「元オリンピアンという立場を考慮して・・・」
などという甘言に誘われて奉職してみたものの,その後に,
「ちゃんと学位を取得する」
というプレッシャーをかけられて困っている人もたくさんいます.


そんな立場の,元トップアスリートを助けたことがあります.
「論文査読」という機会で.

私の知り合いの先生が,ある研究論文雑誌の編集を担当していたんです.
こういう仕事は,エディターって呼ばれてたりします.

で,その先生の出身大学に「元アスリートの院生」が在籍していてですね.
いろいろな人間関係を経て,その先生のもとにその院生の論文が届いたんです.

で,その大学院では,博士論文の審査条件に,「査読付き論文に1本以上アクセプトされていること」というのがあるらしいんです.

言語は問わないということなので,比較的緩めの条件ではあるものの,「元アスリートの院生」という人には,これがかなりハードルが高い場合が多くてですね.

しかも,その元アスリート院生の指導教員が,これまたあんまり「指導しないタイプ」の人らしくて.

はい,みなさんが研究者の方々なら,ここまで話したら事情は分かってもらえたかと思います.
これ以上詳しく話すと,いろいろ問題があるのでぼかしつつ行きますね.


で,そのエディターの先生には,出身大学から指令が出ていてですね.
「彼の論文を,なんとかその雑誌にアクセプトさせてくれ」
っていうわけ.

まあ,今どき,結構難しい指令なんですね.
実際,適当な論文を掲載したら,雑誌としてのクオリティが落ちるし,エディターの経歴にも傷がつくし,研究倫理的にもよろしくない.

で,困ったそのエディターの先生は考え,論文査読がとても「親切」であることに定評がある私に依頼してきたんです.
「そういう事情なんで,なんとかしてください」
って.

いつもお世話になっていたということもあり,これを承諾した私は,査読者用の雑誌サイトにアップロードされていたPDFの論文を読んでみました.
これがまた,何書いてるのかワケ解んないのね.

絵に描いたように困りながら,額に手を当てて目を細めつつ論文を読む私.

そして,まずはエディターの先生に問い合わせました.
「原著論文(Original articleというやつ)じゃなくて,実践研究とか短報とかにできないですか?」
と.

ダメでした.
どうやらその大学院では,原著論文じゃないと審査条件にならないとのこと.

仕方ないので,ここは一つ私も気合を入れて「査読」という名の「添削作業」をすることにしたのです.

しかし,チャンスは2回しかありません.
つまり,その雑誌の査読では,査読者と著者のやり取りは2回しかできないルールなんです.

出来る限り論文を細部まで読み込み,どういう研究をやっているのか把握します.

誤字脱字が多く,文章力も低い.背景も弱いし,結論も結果と整合性がとれていない.
いわゆる,「指導しない教員」の研究室に所属している院生が提出する典型的な論文でした.

そうした文章,センテンスをまるまる削っては,「代わりに,以下のような文章を入れてはどうか?」などと,それらしく指示を出していきます.

この雑誌の査読では,ワードファイルで査読内容を返すことになっていたのですが,容量に制限はありませんでしたので,これを利用してたくさんの指示を入れました.
図も乗せることが出来るから,グラフの作り方とかも入れてます.

我々の分野ですと,一般的な査読ではA4サイズ相当で,5〜6ページくらいのものになるでしょうか.
そこを私は,この査読では30ページくらい書いてしまいました.
もはや,新しい論文に書き直すくらいの勢いで.

もちろん,査読結果には,
「以下の点に適切な回答があれば掲載可」
というものにして.

査読結果をアップしときましたよ,って連絡したら,エディターの先生,笑ってました.
「どんだけ~」って.


ちなみに,通常,研究雑誌の査読者は1名ではありません.
2〜3名で行われます.
この雑誌では2名でした.

なので,ちょっと気がかりだったんです.
もうひとりの査読者が,どんな指示を出してくるのか.

だって,私の指示を聞き入れちゃったら,まるっきり文章が変わっちゃうじゃないかと.
で,もうひとりの査読者が怒り出したらどうしよう,と.

まあ,大丈夫でした.
あんまり神経質な査読者じゃなかったらしい,っていうか,エディターの先生も,大丈夫な人を選んでるんでしょうし.

あと,この論文は無事に掲載されました.
元アスリート院生も,無事に学位を取れたらしい.


実は私自身,ある雑誌で論文査読を受けた時に,こういう査読者に出会ったことがあったのです.
とても親切に,ここはこうした方が良い,こういう文章のほうが良い,こういう解釈のほうが適切ではないか,などという査読結果が丁寧にありました.

こんなの受け取ったら,やっぱり感動しますよ.
実際,その査読者のおかげで,論文の書き方とかポイントを勉強させてもらったし,研究のアイデアや自分に足りないところを知ることもできました.

逆に,バッサリと「評価する段階に至らない」などと突き返してくる人もいますけどね.

私としては,どれだけ稚拙な論文であっても,むしろ,稚拙な論文を書いてきた著者ほど,「掲載できる論文にするための共同作業」となる査読が重要だと思うんです.
そういった「教育的な査読」という役割を担う研究雑誌を用意しておくことは,その分野の発展に貢献するはずです.
一方で現在は,インパクトファクターとか,雑誌の格調っていう話に傾倒しちゃってると思います.
雑誌の格調を上げる前に,まずは自分たちの分野にどんな雑誌があるのか確認するところから始める必要があるのかもしれません.



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