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23:2012年10月10日

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2012年10月10日(水)17時30分

 1号館2階大会議室。教授会。
 毎年年末12月最終週に学内で催される予定の、各学科主催のシンポジウム企画について議題になっている。

 毎年この時期の恒例企画であるが、そう言えば毎年いつもやってるな、と全員が思う程度の認知度しかないものだ。
  たいてい他大学の教員を何名か呼んで、大学生と地域住民を対象とした討論形式のシンポジウムをやるのが常だ。
 地域貢献という趣旨にしているが、学外からの参加者はいつも10人いるかいないかである。
 あとは9割以上が学内関係者になる。
つまり、そういう地域貢献イベントをしているんだぞ、という規定事実づくりといってよいだろう。

 その企画のテーマや講演者、事務作業の切り盛りをする担当教員を決めるという議題である。
 議長をしている河内寛が「今年は誰にしましょうか」と言い出す。
 誰にしましょうかなんて言っても、その場で分かりました私がやります、なんて候補者を募るわけがない。
 こういう事は、前もって誰かに打診しているものだ。

 やはり、「では私が・・」と申し合わせているかのように手が挙がった。

 河内がそれに気づく。
「あっ、東郷先生。ありがとうございます」

 東郷?

 教授会に参加している約半数の教員の目が、その驚きを隠そうという動きをしている。

 東郷洋二(とうごうようじ)は社会福祉学科の教授である。
 彼はお世辞にも事務能力が高いとはいえない。
 どちらかと言うと、こうしたイベント事には向かない。
 もっと言えば「お荷物」になるタイプの教員である。

 いつもボーっとしているように見えるが、見えるだけでなく実際にボーっとしている。
 それが影響してトラブルが起きる。
 そのトラブルを解決しようとするも、いつも火に油を注ぐ結果になる。
 本人は至って普通にやっているつもりなのだろうが、どうしても事務作業はできない。

 これは才能の問題ではないかと思える領域である。
 だが、こういう人間は社会に一定数いるものだ。
 青葉大学においては、東郷がこれに該当する。

 そのことについては彼自身も多少自覚があるようで、こういうイベントに積極的には参加したがらなかったはずである。
 ところが、そんな彼が手をあげた。

「では、東郷先生に今回、2012年12月22日土曜日、そこで開催されます、教育研究シンポジウム『学びの輪』の担当をお願いするということで、皆様、よろしいでしょうか?」
 河内は淡々と話した。

 文句を言うほどではないが、言えるのであれば言いたい。
 そんな空気が流れる。

「はいっ、では東郷先生。お願いします。委員会を立ち上げていただきまして、また随時、進捗状況の報告がありましたら教授会等でご報告お願いします」
 河内はそう言って次の議題に入った。


 この毎年恒例の教育研究シンポジウムは、たしかに認知度は低いかもしれない。
 規定事実づくりと言えるものだから仕方がない。
 しかし、外部から講師を何名か招いて行なう手前、そんなにいい加減ものにはできない。

 いや、普通の作業能力があれば、例えば22歳の新卒社会人であっても、全力で当たればこなせる仕事ではあるだろう。
 しかし、ここは変人が多い大学の世界だ。
 どうしようもない者がいる。
 よくもまぁ今まで生きてこれたな、という者がいる。

 その典型が東郷である。

 本当にシンポジウムが形になるのだろうか。
 不安である。
 だから、今回なぜ東郷が手をあげたのか? という点を気にする者は多かった。
 それが一番の謎である。

 そして、この謎を考えると、真っ先に問われるべきはここになる。


「誰が東郷先生に手を挙げさせたのか?」

午後7時15分。
 教授会が終わって学長室に戻ってきた兵藤芳裕は、来客用のソファに腰掛けながら声には出さなくとも自問した。

 議長の河内が驚いた形跡は無かった。
 そう見えた。
 だから河内はある程度知っていた。
 もっと言うなら、河内が東郷に依頼したのかもしれない。

「いや、河内は東郷と仲は良くない」
 兵藤は河内への疑惑をすぐに消した。

「それに・・・」
 この教育研究シンポジウムは当番制で、今年は社会福祉学科が担当することになっていた。
 社会福祉学科のなかで決まっていた話である可能性が高い。

「福祉の中でどんな話があったのか?」

 兵藤は学科が違うため、これ以上の推察ができない。
 兵藤は内線の受話器をとってダイヤルしていた。

 5回ほど呼び出し音を聞くと、「はい、鈴木です」という声が入ってくる。

「あ、鈴木先生? 私、兵藤です」

「あ、学長」

「えぇとね。今日の教授会で出てた話だけど。あれ、あのシンポジウムの件。あれって、なんで東郷先生なの?」

「いやぁー、私は分からないんです。学科会議でも議題に出してなかったですから。今回の教授会の議題にシンポジウムの事があって。そう言えばこれを決める時期だったなぁって、私も会議の議題を見て、そこで思い出しまして。前回の学科会議でこの話をしてなかったけど、大丈夫かな、なんて思ってたくらいですから」

「あぁ、そう。そうか。うーん・・、なんでよりによって東郷先生なの?」

「分からないです」

「誰か東郷先生にやるように話をしてたの? そんな様子あった?」

「いえ」

「うーん・・・、東郷先生が悪いってわけじゃないんだけど。いや、悪いよ。東郷先生じゃねぇ。誰か別の人に頼みたいくらいだよ。あぁー、困った。問題を起さんといてほしいんだがなぁ。でも教授会で決まったからねぇ。まぁ・・、よしっ、わかりました。ありがとうございます」
 兵藤は明るい声に変えていく。
「あ、そうそう、今週末の温泉旅行もよろしくお願いしますよ。えぇと、今回は水本先生と藤堂先生も一緒に行きますから」

「はい。ありがとうございます。越ヶ浦駅のロータリーに集合でしたね」

「そうです。楽しみにしときますよ。ではまた」
 兵藤は内線を終えた。




24:2012年10月11日