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25:2012年11月9日

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2012年11月9日(金)17時20分

 社会福祉学科の学科会議。
 来月に予定されている、教育研究シンポジウムの話題になった。

「ええぇっと、東郷先生が担当になっていたかと思いますが、どうでしょうか?」
 会議の司会をやっている社会福祉学科長、鈴木利信(すずきとしのぶ)が、東郷洋二に話を振った。

 東郷は答える。
「はい。そうですねぇ~。特にまだ何かご報告するというような段階にはないです」
 東郷は無表情である。

 鈴木は少し困った顔を作って戻し、「そうですか。でも東郷先生、もう来月にせまっておりますので。例えば、実行委員会などで何が話されているか、そんなところだけでも。あとは講演者ですよね。誰に頼むか。テーマはぎりぎりになってもいいのでしょうけど、講演者だけでも先に決めておかないと、もう11月ですからねぇ」と言う。

 東郷はまだ無表情だ。
「はい、と言われましても。まだ委員会を立ち上げておりませんので。はい」
 東郷は手元の資料に目を落としたままで答える。

「そうですか。でも、もう1ヶ月に迫っていますからねぇ。せめて、講演者の方は先に予約といいますか、確保しておかないと」

 東郷の向かいの席に座っていた教員、清水明史(しみずあきふみ)が、肘から先だけで手を挙げながら口をはさむ。
「もうここで講演者の方を。その候補くらいだけでも決めてしまってはどうでしょうか? その調整を東郷先生にお願いするような形で」

 そうだ、それがいい、というような反応が無言で会議に広がる。

 清水は社会福祉学科の教授。
 青葉大学に勤続30年で、60歳のベテラン教員である。
 本人には悪気はないようだが、歯に衣着せぬ手厳しい意見をいうことで学内でも知られている。
 清水を苦手とする学生、そして教職員も多い。
 この発言にしても、かなり不満げな口調であるため、聞く人によっては攻撃されているように感じただろう。

 東郷は清水の方に振り向き、こう言った。
「大丈夫です。また講演者については近いうちにご報告できるようにします」
 東郷も負けじと不満げな顔を向けたようにも見えるが、そんな意識は東郷にはないのかもしれない。

 司会の鈴木が間をあけずに言う。
「先生、シンポジウムまでに学科会議はあと2回しかないので。まぁ、臨時会議を開いてもいいのでしょうが。あとはメールでのやり取りや回覧でしょうか、それでも構わないかもしれませんが、やはり講演者の決定となりますと、そんなに簡単には決められませんからねぇ」一瞬だけ下を向き、「そうですねぇ。何か具体的な構想などはありますか? 例年ですと、2、3名の講演者の方をお招きして、あとはウチの学科から誰か先生をあげて、そこでシンポジウムをしますよね。例年通りということでいいでしょうか?」

 東郷は、演技ではないかと思うほど眉間にシワを寄せた。
 たまにこういう表情をする。

「ん~・・。これまでとは違うことをしたいとは思ってるんですよ。今までのシンポジウムですと、なかなか人が来ないでしょう。学生もつまらなそうだ」
 最後は少し笑う。

 鈴木もつられて少し笑うが、これは困惑した笑いだ。
「いやね、先生、これまでのシンポジウムと同じであればですね、最悪、今から動いても出来るんですよ。これまでと違うことをするとなると、いろいろと構想を練らないといけませんしね。そういう意味で、まだ実行委員会なども立ち上げていないとなると。ええ、かなり窮屈なスケジュールですからね。なにか、先生のほうで構想があるんですか?」

「いえ、さっきも言いましたけど、まだ実行委員会を立ち上げていないですから。ですから、まだご報告できる段階にはないんですよ。まだ立ち上げていないんですから」

「ですからね。そうなってくると、もう例年通りということで、講演者だけでも決めてしまって、その方とどんなことを話してもらうか、シンポジウムですからね、事前に摺り合わせと言いますか、そんな事を打ち合せて、それに合わせてテーマを決めていく。そんな流れでやっていってもらえると良いかな、と。そんなふうに考えているんですけどね」
 鈴木は、かなり抑制したしゃべり方になるよう気をつけているようだ。

「鈴木先生はそんなように考えているかもしれませんけど、やっぱり今年は少し変えていきたいんですよ」

 清水がここに口を挟んだ。
 発音のはっきりとした張りのある声だ。
「東郷先生、講演者にどんなことを話してもらうか決めておかないと、シンポジウムとしては難しいと思うんですね。ただたんに講演者に講演をいただくだけであれば、それこそ3週間前くらいでも滑り込みができるんですが、今回のようなシンポジウムですと、鈴木先生がおっしゃるように、テーマを何にするか、講演者を誰にするか、事前に打ち合せが必要になります。それに、本学の教育研究シンポジウムは、最後のほうで何人か学生を登壇させて、演者と討論させるのが恒例でしょ。あれも事前にテーマとか講演者を決めていおいてからでないと大変ですし、それも講演者の方々にお願いしてやってることですから。学生にいきなりやれと言っても難しいので、その準備も大変ですからね」

 清水はそこで少し口を休めたが、続けて話しだす。
「今までとやり方を変えるといった場合、どんなふうに変えるのか、という点にもよるんでしょうが、変えるにしても学科内でコンセンサスを取りながらやっていく必要もありますし、やっぱり時間が厳しいと思いますよ。すでに実行委員会を作っていてですね、そういうことを濃密に詰めているというのであれば、そういうものが今ここに叩き台としてあるというならいいのですが、それが無い以上、東郷先生のご提案と言いましょうか、そういうことは来年度にするというのが現実的なことになるのかと思うんですよ。呼ばれる講演者の方にしても、1ヶ月前にもなって呼ばれるとなると、なんだか軽く扱われているようで気分も悪いでしょう。失礼にもなりますから」

 いかにも清水らしく、かなりキツい口調ではあったが、その場の皆がそれに納得するだけの説得力があった。

 東郷はしばらく右斜め上を見上げていたが、それに答える。
「まぁ、そうですけどねぇ。でも、今年は私のやり方をやってみようと思ってるんです」

 あからさまに頭を前に倒し、溜息をつく教員もいる。

 鈴木がすぐに話しだす。
「東郷先生、わかりました。ではですね、また2週間後に学科会議が予定されていますから。それまでに実行委員会を立ち上げてですね、どのようなやり方にするかご報告お願いできますか? すみません。はい、すみませんがよろしくお願いします」
 鈴木は、にこやかな表情を努力して作っているようだ。

 ここでやはり清水が話しだす。
「いえ、鈴木先生。やっぱり、あまりにも時間が無さ過ぎですよ。実行委員会ですけど、もうここで作りましょう」

 会議の場の総評はどうだか計り知れないが、少なくとも司会の鈴木として、清水の提案に嬉しそうな反応をした。

 例年であれば、このシンポジウムの実行委員会は、教員2名と事務員2名で作られる。

「そうですね。清水先生からも今そういう話が出ましたが、どうでしょうか東郷先生」

 東郷は今度は右斜め下を向いていたが、顔を上げて答える。
「大丈夫です。私がすべて自分でやります」

 鈴木は即答する。
「先生、教員はあと1名用意するのが常ですから。誰かを。えぇーっと・・・」
 鈴木は会議室を見渡しながら言う。
「先生方の中で、誰かシンポジウムの委員になってもらえる方はいませんか?」
 鈴木は会議参加者に呼びかける。
 悲痛な叫びのように見える。

 誰も東郷と一緒に仕事するのは御免だ。
 だが、誰かが犠牲にならなければ、総体としての被害がもっと広がる可能性だってある。
 まるでゲーム理論である。

 清水が手を挙げた。
「では、私がやりましょうか。東郷先生、いいですか?」

 鈴木は困惑の表情だ。
 あまり快い状態とは思っていないようである。
「えぇと、清水先生はですね。だいぶベテランの先生ですからねぇ。このシンポジウムをベテランの先生同士でやるというのもねぇ。そうですね。あの、ええ、すみません。そうですねぇ・・・。ええぇっと・・・。誰か若手の先生の中でおられませんかね。せっかくですから、こういう裏方ですとか、実行委員といったお仕事を、若手の先生にですね、経験していただきたいんですよ」
 鈴木は集まった参加者を見渡す。

 鈴木の斜め向かいに座っていた、助教の笠谷真司(かさたにしんじ)が視界に入った。
 笠谷は、鈴木と目が合ったことに気がついたらしく、「私が手を挙げましょうか?」といったアイコンタクトをしてみせる。
 鈴木はすぐさま、笠谷のそれを静かに否定する目配せをした。

 笠谷は、昨年から赴任している30代半ばの助教だが、既にさまざまな仕事をかけもっている。
 これにまたシンポジウムの仕事を、それも東郷と一緒にやらせるのは酷である。
 というか、この学科の事務仕事のほとんどを、笠谷がやっていると言っても過言ではないのだ。
 幼児教育が専門の笠谷は、いつも「保育士時代の激務に比べれば大丈夫ですよ」と言って、鈴木をはじめとするベテラン教員の要望を聞いてくれる。
 他の専任教員が雑務を極度に嫌うという、この学科の特徴でもあったが、あまりにバランスを欠いている。
 しかし、鈴木としては「困った時の笠谷」ということで、これまでにも無理を強いていた自覚もあった。
 それだけに、今回のシンポジウムだけでも、笠谷は外してやりたい。

「えーと、そうですねぇ。山崎先生・・・」
 鈴木は若手の山崎祥子(やまさきしょうこ)を指した。
「先生、どうでしょうか?」

 山崎は「私ですか?」というような表情をする。
 自分の顔を指さしながら、両隣の教員と顔を見合わせている。
 授業などで、学生を指した時にするリアクションと一緒だ。

 山崎は、笠谷より2、3歳年齢が上だと思われる女性の教員である。
 なるべく雑務や仕事をしたくない、が取り柄のような教員で、それを隠せばいいのに、あからさまに態度に出してしまうところが理解に苦しむ。

 鈴木としては、そんな山崎に罰を与えるような気持ちが無かったわけではない。
 それに、「山崎祥子」という生贄であれば、この場の誰もが納得して捧げるだろうと考えたからである。

 案の定、誰も何も言わない。

「いいですかね?」
 鈴木はトドメをさすつもりで口にする。

 山崎は、まさに渋々という表情で頷いた。
 最後に口をへの字に曲げ、顎に不快なシワをつくった。

 鈴木は東郷のほうを向く。
「では、東郷先生も」

 東郷は黙って小刻みに頷いた。

 よかった。すんなりと決まった。

 鈴木は落ち着いた笑顔になって、「では、あとは事務の方を誰か2名ほど入れてもらって、それで委員会をお願いします。では、山崎先生も、ね、お願いします」と言った。




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