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19:2012年9月5日

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2012年9月5日(水)12時15分

「この前のオープンキャンパスの時にも言ったけどさぁ、本気で高校生にアピールしたいなら、こんなことしてたらダメだよ。ホント、この大学はやることなすこと中途半端だよ」
 永山義春は、配布された資料をめくりながら、隣に座っている橿原一如につぶやいた。

 青葉大学の1号館2階大会議室で、高校訪問の事前打ち合わせが行われている。
 入試広報課は、先週末のオープンキャンパスへ出勤した教職員に労いの言葉をかけながら、今また、さらなる協力のお願いを丁寧過ぎるほど繰り返していた。

 その協力というのが、この青葉大学としての高校訪問の強化である。
 高校訪問とは、大学の教職員が高校に直接出向いて、学生募集のための広報活動をすることだ。
 主に、当該高校における進路指導担当の教員と対面し、大学を売り込むことが多い。

 今年から理事長命令により、入試広報課の人員と権限が増強されている。

 以前までは6人だった課員が、今年から11人になり、さらに入試広報課付けの担当教員が1人だったものが3人になっている。
 具体的な変化としては、オープンキャンパスの日程が2倍になり、マスコットキャラクターの着ぐるみが製作されたことと、さらに高校訪問の日程を3倍にして、そのための教員一人あたり10日間の出張が計上されている。

 そして、入試広報課が考案・立案したことは、教授会を経ずに理事長命令として発令される手順になっていた。
 これは昨年末の教授会でも度々議題になったことであるが、最終的には当時の学長・副学長、および理事長派閥の教員が中心となり、数で押し切る形で決定している。
 その一方で、この決定に賛同したのは、中立派の教員も少なくない。
 その理由としては、ここ5年間、青葉大学における定員割れが常態化しており、財務状況が芳しくないことがあげられる。
 やはり、学生募集を重点的に強化しなければいけない、という危機感は学内に漂っているのだ。

 入学生の多くが近隣都道府県である青葉大学としては、周辺の都道府県の高校に訪問して大学を広報することで、入学生を増やそうという考えである。
 しかし、慢性的な経営難に陥っていた前任校で、年中、高校訪問をしていた永山としては、青葉大学における「高校訪問ごっこ」が歯がゆくて仕方がない。

 永山は持ち込んでいた缶コーヒーを口にした。
「ま、それでも、まだ職員さんが教員を顎で使うような状況じゃないからマシだけどね。前にいた大学では、職員が問答無用で教員にいろいろと指図してたからね。歯向かおうものなら、即、理事長の耳に入って粛清されるから」

 会議室の司会席に座っていた入試広報課課長の坂本康次郎(さかもとこうじろう)が、高校訪問時の留意点を説明していく。
 それぞれ部門別に解説をする入試広報課の担当職員がおり、彼らに一人ずつ話を振りながら進行している。
 大企業または大規模省庁における、御前会議を意識しているようにも見えた。
 坂本に指名された職員は起立し、高校敷地内での注意点や、雑談テクニックの事例、高校の教師から聞き出して欲しい点などを解説していた。

 永山はそうした解説を横目に、橿原に話す。
「分かりやすいダメなポイントとしてはさ、中途半端な財政難の大学ほど、カッコつけたがるんよ。俺たちのところには、他大学にはない魅力がある。高偏差値大学よりも優れたところがある、って言いたがる。これがまずダメ。高校の先生も暇じゃないんよ。わざわざ大学教員が出向いてきて、そこで何を聞かされるのかなと構えているところに行くわけよ。そんなところでさ、うちの大学はこんなところが優れていますなんて言っても、屁とも思わないよ。むしろ邪魔だよ。今どきの学校の先生はクソ忙しいんだよ。どんどん忙しくなってる。迷惑でしかないじゃん。そもそも、優れた大学は高校訪問なんかしないから」

 橿原は、永山の言葉で静かに笑顔を作り、周囲の教職員に聞こえないように返した。
「たしかにそうですよね。僕の大学時代の友達に教師をやってるのが何人かいるんですけど、そいつらからも同じこと聞きますね。大学の高校訪問やめてくれって。あれ、対応するの凄く面倒らしいんです。自分とこの生徒が進学するかもしれない大学だし、無下に追い返すわけにもいかないから、嫌々対応してるらしいですよ。スグに帰りますからって入ってきたのに、長時間宣伝文句を語ってくる奴と遭遇すると、マジで殺意が湧くとか。こっちは授業準備とか学生対応を切り上げてきてるのに、そっちの営業に付き合ってるキャパなんてないからって。実際のところ、高校訪問に来るような大学は生徒に勧めないようですよ」

「そらそうだよ。そもそもどうして、いの一番に忌憚なく意見を聞ける高校の先生から調査しないんだろうね。完全なるバカだよ。なぜかそんなところでしっかり、素人じみたマーケティングの精神を発揮したがるんだよね。広く普遍的な意見を調査しましたって。そんなことしても、大学に忖度した意見しか出てこないのは、分かりきってるでしょ」


 会議室から帰ってきた永山と橿原は、永山の研究室でコーヒーを飲んでいる。
 永山はサイフォン式でコーヒーを淹れた。
 淹れるのに手間がかかり、メンテナンスがやや面倒であるが、ギミックが気に入っていて、時々こうして嗜むことにしている。
 逆に、いつもは事務室前にある自動販売機で缶コーヒーを買っていた。

「永山さん、僕が使っているようなペーパードリップも置けばいいのに。サイフォンと缶コーヒーっていうのも、かなり落差がありますよね」

「いや、その落差がいいんだよ。自分への戒めというか。富士本さんみたいな凄い研究者もいれば、藤堂みたいな酷い奴もいる。その両方を見ておくことで、世の中をバランスよく眺めることができると思うよ」

「富士本さん元気にしてますかね。七輪で焼肉してたのが懐かしいです。っていうか、それにしても、入試広報課は大々的に高校訪問を展開する割には、『とりあえず行って来い』みたいな、雑なところが凄いですね」

「こういうのってさ、入試広報課とか大学経営部なんかがいつも感じている『危機感』みたいなのを共有したいんだろうね。俺達がこんなに苦しんでいるのに、お前らが呑気にしているのはズルい。だからこのストレスをお前らにも感じさせてやる、っていう」

橿原が両手を広げて言う。「『この想い。皆に届け!』って感じですかね」

「そうそう、それそれ。それでも、本気で学生募集につながるような計画を立てるのはしんどいから、適当に手を抜いちゃうわけ。あくまでも、やったふり。だってさぁ、彼らの仕事ってなんとでも言い訳ができるんだよ。これをやって学生募集が少しでも増えれば自分たちの手柄。変わらなかったり、減ったりしたら、営業実務に不慣れな教員が悪い、っていうこと。あれだけビジネススキルだとか経営理論とか振り回すくせに、見本や目標設定、PDCAサイクルらしきものすら用いてないでしょ。おかしいよね。だったらさ、誠に誠に僭越ながらだけどさ、学生募集をガチでやってきた俺みたいな奴から教えを請うのが筋ってもんじゃないの? あの人達が言ってること、明らかに素人だもん」

「そう言えば、永山さんはどんな高校訪問をやっていたんですか?」

 永山はコーヒーを一口飲んでから話し始めた。
「まず、人数がおかしい。2人ペアになって回ろうとしてるでしょ。こんなの予算の無駄だよ。一人で十分。しかも、営業トークができない人を参加させるのも無駄。素質がある人やトレーニングを積んだ人を選抜して、その人に回らせないと意味がない。じゃないと、立て板に水の営業トークや、進学状況の世間話をして終わる、だけならまだしも、さっき言ったように、仕事の邪魔をされたというネガティブな評価がつくだけだよ。この資料を見ると、移動も豪華だよね。レンタカーを使って、しかもホテルに泊まってる。あり得ないよ。寝袋を使って車中泊がデフォ。ノルマも1日5〜7校って、これじゃただの小旅行じゃん。公用車でもレンタカーでもいいんだけど、1日あたり10〜15校にしておいて、とにかくひっきりなしに回るんだよ。入試広報課の人たちは、その訪問員のためのバックアップをしっかりすること。ありがちなのが、学校の入口がどこか分からず何十分も行ったり来たりというのは致命傷だから、そういう点を調べ上げておく。あと、各エリアのスピード違反取締状況とか凄く大事。効果的な休憩場所の情報もあるといいね。車中泊がしやすいシャワー設備のあるパーキングエリアとか、道の駅の情報を仕入れて訪問員に教えてあげること」

「事前の準備や体制づくりが勝負なんですね」

「あとね、さっきの打ち合わせで、大学案内とパンフレットを充実させました。予算とってDVDも作りました、ってことで渡されたけどさ、普通に考えてみなよ。青葉大学のパンフレットとかDVDなんか誰が見るの? 見ないよね。絶対に見ない。こんなもんより、お土産が大事だよ。できるだけ効果的なワンフレーズが入った、クリアファイルとかメモ帳とかボールペン。例えばそうだなぁ・・・」

橿原も考えて口に出してみた。「『意外と凄い青葉大学!』みたいな?」

「あぁ、そういうのはダメだね。さっきの会議室でも言ったけど、青葉大学みたいなところは、生徒や保護者が入学を希望するような大学ではないんだよ。意外も何も、凄いと思う要素は無いことがデフォルトとして認識されている。『公務員になるなら青葉』とか『あなたの夢を叶える人がいます』とか、そういう怪しい自己啓発ビジネスの用語を使うべきだね。そういうのを、学校の先生がふと目にしたり、進路に悩んだ生徒が目にする文房具関係、それは例えば、クリアファイルとかメモ帳を大量にお土産にするんだよ。皆で使ってくださいって言って渡しとくわけ」

「営業トークってどんなことを展開するんですか? 一応、僕も来週から高校訪問に回るんで、ぜひ永山さんの手法を教えて下さい」

「去年にもちょっと言ったけどさ、基本的に『The・営業トーク』ってのは全くの無意味。それが上手いと思って得意げにしている教職員もいるけど、あんなの話にならない。俺、去年に入試広報担当でもあるマルチメディア学科の木田(きだ)先生と一緒に回ったんだけどさ。あの人、饒舌な営業トークができることを自覚してるみたいで、それで気分良くなってたけど、相手のウンザリした様子を見るだけの能力はないんだよね。当たり前じゃん。どこの誰が青葉大学の魅力とか卒業生の活躍を聞きたいわけ? お前らなんてアウトオブ眼中だから、さっさと帰れよ、って露骨に態度で示してる人もいるくらいだから。だから我々の側に必要なのは、『青葉大学にしか入れなさそうな生徒がいることを、当該進路指導担当に気づかせる』というオペレーションになるんだよ」

「いやぁ、結構難しそうな話になってきましたね。っていうか、さすが百戦錬磨の人は違いますね」

「そりゃそうだよ、これでメシを食ってた時期があるんだから」

「その、『青葉大学にしか入れなさそうな生徒がいることを、当該進路指導担当に気づかせる』っていうのは、具体的にどんなことをするんですか?」

「つまりね、高校の先生、わけてもその学校の進路指導を担当している先生っていうのは、高校訪問に来た我々みたいな奴から、進路に関する問いかけをされたら、絶対に警戒するし、なにより必ず背伸びした自己評価をしたくなるんだよ。そりゃそうだよね。自分たちが指導している生徒は、なるべく高偏差値の大学に進学しているってことが、彼らにとってのステータスでもあるんだから。バカで低能な、本気では生徒たちのことを考えてない、プライドだけ高い無能教師ほどその傾向が強い。ようするに、俺たちは彼らに対して『あなたが教育した生徒さんの知的レベルはどれくらいですか?』って聞いてるようなものなの。そしたら当然、彼らからの直接的な反応は『うちの学校のレベルは、お前ら青葉大学なんか眼中に無いからね』っていうものになるんだよ。ここがまずスタートラインだという認識が必要。したがって、こちらが採るべき戦略としては、『そんなハイレベルな貴校様にも、青葉大学にしか入れそうにない生徒がいるでしょ?』ってことを気づかせることになる」

「なるほど、そういうことですか」

「じゃあさ、試しにロールプレイをしてみようか。橿原君が進路指導の先生、俺が訪問員ね。なるべく実際の高校の先生になりきってリアクションしてみてね。できれば、マウントをとりたがる厭味ったらしいバカ教師っぽく」

「了解です」

 永山は、簡単な挨拶を踏まえた上で話題をふった。
「では、こちらの生徒さんは、どのような大学に行っているのですか?」

「そうですねぇ。東都大学や文久大学なんかに行きますかねぇ」

「ほぉー、それはかなり良いところですねぇ。そうなると。なかなか我々のような大学は、先生のところの生徒さんからしたら候補には入らないですかねぇ。これは失礼しました」と行って永山は営業笑いをする。

「いやいや・・ハハハ」と橿原も笑ってみる。

「ところで、先生のところは、最低でも生徒さんたちは皆そういう大学に行くんですね」

「あっ、いえ、うーん・・。いえ、中にはそういった大学に進学するのが難しい子もいますけどね」

「そんな生徒さんはどういう大学に行くんでしょうか? 今どきの高校生の滑り止め事情ってどのようなものなのか、今後の私の勉強のために教えて貰えると助かるんですが」

「まぁ、そうですねぇ。本人と相談しながら、滑り止めを考えるんですが。例えば、帝政大学ですとかぁ、あとは美徳大学だったり」
 橿原はとりあえず適当な理由や大学を並べておいた。

「あぁ、なるほど。やっぱり就職先の志望傾向が同じなんでしょうかねぇ・・。でも先生、例えばですね、本学では、先ほど挙がっていた帝政大学の教員養成過程と同じような資格がとれるようになっていますし、実は内部事情としては希望職への就職率というのは、どの大学もさほど変わらないんですよ。最近はそんな情報も進路指導の先生方の耳に入っているかも知れませんけども。あぁいうのって、誤魔化しだよなぁと大学間の入試広報同士で話すこともあるんですよ。それでですね、本学は規模が小さい分、マンモス大学である帝政大よりもキメ細かい指導ができております。大きい大学になりますと、やっぱり放任になりますから。帝政大がちょっと難しいかなぁっていう生徒さんには、本学を勧めてもらえると、実は結構喜ばれると思いますが・・・。っていう調子で話を勧めていくんだよ」

「なるほど。たしかにそれだと、『あっ、そう言えばB組の子にそんなのがいたなぁ。B組の担任の先生に紹介してみようか』って流れになるかもしれませんね」

「そうそう、とにかく、ぼんやりと大学の魅力を売り込むのはダメ。うちの大学にしか入れそうにない生徒を、進路指導担当である、教師本人にピックアップさせるよう誘導するのがポイント。なんとなくではなく、明確に『あの生徒だったら紹介してもいいかな』って思わせないとけいない。第一志望は無理だろうけど、滑り止めにさせることを狙うのがパターンの一つだね」

「え? それ以外にもあるんですか?」

「いやぁ、こういうのは何十パターンと用意しておくんだよ。今の戦略は、やや高偏差値の高校の場合。低偏差値の高校の場合は、もっと大胆にいくよ」

「他に戦略ってあるんですか?」

「戦略上凄く大事なのは、この高校訪問には、特定の人物が繰り返し行くっていうこと。ここの入試広報課が目指しているような、人海戦術でやるのはダメだね。どうしてかっていうと、同じ人物が何度も同じ高校を訪問して営業していれば、その学校の先生たちと仲が良くなってコネクションができるんだよ。だから、大人数で寄ってたかって高校訪問してもマイナスにしかならない。先生たちと仲良くなっていけば、『今年は永山さんの大学の入試に、5人ほど送っておきましたよ』っていう感じの先生が現れてくるんだよ。不思議なもんでさ、学校の先生も『馴染みの大学』『馴染の大学の先生』っていうのを欲しがるメンタリティがあるんだよ。これはちょうど、馴染みの寿司屋、馴染みの床屋みたいな感じだね。それがもっと進行してくれば、高校の方から『どこにも進学できそうにない奴らが5人いるんだけど、全部そっちで引き取ってくれるか?』とか、『10人を入試にやるから、受験料のいくらかをバックしてくれ』っていう話ができるようになるんだよね」

「そこまでくると、まるで人身売買ですね」

「そうだよ。それくらいの覚悟がなきゃ、高校訪問なんてやっちゃダメなんだから。ここの入試広報課はさ、高校訪問をなめてるんだよ」
 永山は大きく溜息をついて、コーヒーを一口飲んだ。
 少し苦い顔をして言う。
「とは言えね、底辺大学においては、最近こういう戦術が使えなくなってきているらしんだよね」

「え? どういうことですか?」

「つまり、あまりに底辺過ぎる大学で、しかも18歳人口の減少が厳しい状況下においては、底辺大学よりもやや格上のところにも定員の空きが出てくるでしょ。今まで難しかった大学に入りやすくなってくる。すると、高校生や保護者、高校教員としては、ちょっとでも格上の大学に行きたい行かせたいという力学が働くから、底辺大学とレッテルが貼られているところで、どんなに学生募集を頑張っても限界が出てくるんだよね。だから、この流れを断ち切るためには、回り回って、橿原君がいつもボヤいていることにつながってくるんだよ」

 橿原は思い出しながら言う。
「研究に基づく学術教育をする真っ当な大学ですね」

「そう、それ。今の青葉大学って、その瀬戸際、分水嶺にいると思うよ。完全な底辺大学化するか、一角のある大学になるか。今はまだ経営難になっていない格上の大学も、あと5年10年もすると、ケツに火がついてくるはず。そうなると、どうせ経営難でもないくせに、学生募集に注力するはずだよ。で、底辺過ぎる大学がその煽りを食らって潰れると。その代わりに、新たな底辺大学が誕生するっていう流れ。これがずっと続くわけさ。逆にその時、青葉大学がしっかりした学術活動をしていて、卒業生もしっかり活躍してくれていれば、望みはあるよ」

 橿原は笑う。
「でも、その5年10年が長いんですよね」

 永山は終始苦笑いだ。
「そうなんだよ。とにかく何もかも短期的な思考をするんだよね。学術投資も、教育投資も、経営スパンも、教員の待遇も、学生指導も、何もかも全部だよ。ここまで来たらさ、文部科学省が悪いとか言ってる場合じゃない。明らかに大学としての倫理や覚悟の問題だよ」




20:2012年9月16日