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20:2012年9月16日

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2012年9月16日(日)10時10分

 明日から後期授業が始まる。
 そんな夏季休業期間の最後の日曜日は、ウェルフェアプロデュース学科が主催するイベントが用意されていた。

 用意といっても、青葉大学やウェルフェアプロデュース学科はほとんど運営に関与していない。
 場所と施設の貸与、そして簡単な当日の雑務を担当している。
 元サッカー日本代表のフォワード、南原岳人(なんばらたけひと)をゲストに迎えて、地域のジュニアサッカー選手を対象にしたサッカー教室を開催するというもので、運営は南原選手が所属する地元チームである、FC越ヶ浦の広報チームが担当している。
 聞くところによると、田之浦理事長がFC越ヶ浦の理事と知り合いとのことで、今回のイベントが企画されたのだという。

 イベントの開始は午前10時30分。
 今から20分後だ。

 午前中は南原選手の講演が用意されている。
 4号館大講堂を利用する。
 ジュニア選手と保護者、および地域住民を参加費無料で招いており、約45分間のトークセッションを予定している。
 その後、11時30分から南原選手とジュニア選手とのアイスブレイクセッションがあり、そのまま昼食を一緒にとるという時間が用意されている。
 そして、午後1時からグラウンドでサッカー教室が開催される運びだ。

 FC越ヶ浦の広報チームが忙しく動いているなか、橿原一如はのんびりと事態を眺めていた。
 学内イベントとなれば、橿原が実働部隊として切り盛りすることも多く、こんなに気を休めていられるのは珍しい。
 他のウェルフェアプロデュース学科の教員も、当日業務を言いつけられている者はいないため、まだ会場に顔を見せていない。
 一応、全教員出席参加は義務付けられているが、仕事がないということでゆっくりだ。
 学科長の藤堂道雄はもちろん、永山義春や穂積里香の姿も見当たらない。

 橿原が大講堂の客席最後列に座って、前の席の背もたれを使って頬杖をついていると、そこに地域交流課の伊達明子(だてあきこ)が後ろから声をかけてくる。20代後半のスポーティーな女性だ。

「あの、橿原先生。お疲れ様です。あのですね、ちょっと良いですか?」
 そう言って伊達は、遠慮がちな手招きをしながら、橿原を大講堂の外に誘導する。

 伊達は、客席出入口を出たところの脇に橿原を導くと、そこにFC越ヶ浦のイベント運営者と思しき40歳くらいの男性が立っていたので、簡単に紹介する。
 名刺交換などしない程度の、簡単なものだ。
 その運営者は申し訳なさそうな顔で橿原に言う。
「すみません先生、あのですね、急なお願いになって申し訳ないんですけど、今から始まるトークセッションの司会を、先生にお願いできないでしょうか?」

「へっ!?」
 橿原は素直に驚いた。

「いやー、すみません、本当に申し訳ございません。いろいろと考えたんですけど、我々のスタッフが司会をするよりも、こちらの大学の先生にお願いした方がいいかなぁと思いまして。実のところ、後ろの方で記録用のカメラを回しているんですけど、我々の企画イベントとして、今後広報する上でも、開催場所の方にお願いしたほうが、なにかと都合が良いというのが正直なところでございまして。こちらの不手際で本当申し訳ないのですが、先生にお願いできますでしょうか?」

「いやぁ、いいんですけど。でも、せっかくなら学科長にお願いしたらどうですかねぇ」

 そこで伊達が答える。
「私達も、藤堂先生を探しているんですけど、全然つかまらなくて。もうあと15分後なので、ウェルフェアプロデュース学科の先生でどなたかと思いまして。私が今見つけたのが、橿原先生です」

「あー、そうですねぇ。時間無いですよねぇ」と言って腕時計を見る。
 実際に時間は確認していない、動作だけのものだ。
「分かりました。でも、司会って言っても、どんなことするんですか?」

 運営の男性は体の前で手を広げて振りながら、「いや、もう、一番最初に、南原に講演をするためのフリをしていただければOKです。そのあとは南原がやります。南原としても、そのあたりのことは分かってるはずです。まあ、その、なんと言いますか、普通に、普通にですね、まあ、難しいかもしれないんですけど、いけますかね?」

「あ、そういう感じですね。了解しました。大丈夫だと思いますよ。ですけど・・・」と言って橿原は腕時計を見る。
 これは時間を確認するためだ。
「あともうちょっとだけ時間ありますよね。どうでしょうか、開演前に、南原選手に一声かけてもいいですかね? 司会やりますってことで」

「あぁっ、お引き受けいただけますか。ありがとうございます。全然大丈夫です。ステージの控室にいますので、どうぞっ、こちらです」

 そう言って男性はステージ脇の控室に橿原を誘導した。
 少し小走りで移動した。



 南原と会った時は、開演12分前だった。
 運営の男性は南原を指す。
「先生、こちらが南原です。宜しくお願いします」
 そして南原に向って言う。
「岳人、こちら、今から司会やってくれる先生、橿原先生」

 南原は遠慮がちな笑顔を見せながら、「あぁっ、どうも、ありがとうございます。司会ですか。宜しくお願いします」と言って、椅子から立ち上がってお辞儀をする。
 南原はチームのユニフォームを着ているが、髪の毛はヘアジェルで整髪していた。

 南原と橿原はお互いの簡単な自己紹介をする。
 そして橿原が少し急ぎ気味に言う。
「あの、私が司会ということなんですが、実はさっき言われまして」と笑ってみせる。「突然なものですから、あまり気の利いた南原選手の紹介ですとか、このイベントの趣旨を話すことは難しいかと思います。すみませんが、本当に簡単なもので済ましてしまうかと思いますが、ご容赦ください」

 南原はそれにペコペコと頭を下げながら口を開いた。
「いやぁ、僕もさっき司会のこと言われまして。てっきりそんな講演だと思っていなかったものですから。会場も、ここ、凄く立派で広いですよね。いやもうマジで聞いてないよって感じなんすよ。メッチャクチャ緊張してきました。うわぁー、ヤバい」
 そう言って笑う。
「もう、てっきり、前にもやったことがあるサッカー教室みたいなのを、大学でやるもんだと思ってたら、なんかトークをするっていう話が出てきて、もうすぐ僕も引退するっていうことになってるんで、トークをどうだって言われまして、はい」

 現在、南原岳人はFC越ヶ浦に所属しているサッカー選手だが、年齢も34歳とベテランの域になり、このシーズンの前に今季を限りに引退することを表明している。
 元日本代表のメンバーということであるが、代表選手としての出場試合数は2試合で、2008年から2009年までの1年間のみの招集だった。
 南原本人は、とてもじゃないが元代表メンバーですと自慢できるほどではないと謙遜している。

「いやぁ、大学の先生が司会をしていただくっていうから、どんな人かなって思ってたんですけど、先生、私より若いんじゃないですか? 僕、34ですけど」

 橿原は、南原の気さくな性格に安心感を得ながら答える。
「はい、僕は29ですから、南原さんが先輩になりますね」

「えっ、20代なんすね。あぁー、そうですか。なんか、いや、別に悪い意味じゃないんですけど、なんかちょっと気が楽になってきました」
 南原は顔をくしゃくしゃにして笑う。

「うわぁ、あと7分後か。緊張するなぁ」
 南原はスポーツタイプの腕時計を見る。
「ところで、先生はサッカーをやるんですか?」

「部活動とかはやっていないんですけど、今は、放課後とかで事務員さんたちと一緒にフットサルをやってます。遊びです。大学のグラウンドの隅とか、あと体育館とか。教員ですから、そのあたりの融通はいろいろと利きます。たまに越ヶ浦市内のフットサルコートでやることもあります」

「おぉー、いいですね。フットサルですか。先生って、スポーツの学科の先生ですよね。やっぱり、スポーツの研究をしてるんですか?」

「そうですね。まあ、私の場合はいろいろ紆余曲折があるんですけど。私の指導教員が、それこそサッカーが専門で、南海大学の梨田先生っていうんですけど」

「エェッ!? 梨田先生ですか? 南海の。知ってますよ、お世話になりましたよ僕、ユースの時に。へぇーっ、梨田先生ですか。懐かしいなぁ」

「南原さん、梨田先生を知ってるんですか?」

「はい。僕が所属してたユースチームのコーチが、梨田先生と知り合いだったか何かで。よく梨田先生を招いて指導してくれていました。技術指導などはあんまりやってないんですけど、今で言う戦術指導ですかね。梨田先生の研究を使って、いろいろと当時のJリーグのデータとかを見せてもらいましたよ。20年近く前ですよ。Jリーグも出来て間もない時期ですね。なんか、歴史を感じます。あと、トレーニングの理論とか、今思えば、結構先進的でしたね。ヨーロッパのチームが取り組んでいる方法とか教えてもらいました。当時はネットとか無かったですからね。サッカーの雑誌とか本を見るくらいしか、情報を入手する方法がなかったですよねぇ。いやぁー、それにしても梨田先生のデータって凄く難しくて。でも、子供ながらに面白かったですよ。トレーニングとか、今になってみれば当たり前のことを言ってましたね。例えば持久力だと、ただただ一定のペースで走るランニングじゃ、サッカー用のスタミナはつかないから、ストップ・アンド・ゴーを繰り返せ、とかね。ダッシュして休んで、またダッシュ。あれ、キツかったなぁ。それに、当時はこういうトレーニングに懐疑的なコーチもいましたからね。今じゃ常識ですけど。だから、昔からサッカーの研究をガチでやってる人はいたんですよ、梨田先生みたいに。でも、それに振り向く人って少ないわけで。今、ようやく常識になってきてるんですよね。けど、今だって大学とかには、サッカーの研究をしている人もいるわけですから、そういう人がまた新しい常識を作るんでしょうね」
 そして南原は、橿原を凝視しながら言う。
「梨田先生のお弟子さんということは、梨田先生とご連絡がつきますか?」

「えぇ、もちろんです」

「あの、これ終わったら梨田先生の連絡先を教えてもらえませんかね。僕、引退したらジュニアのコーチを目指したいんですけど、大学院で勉強したいとも思ってるんです。うちのチームのOBにも大学院に行った人がいて、その人には今後の話とかも聞いてもらってます。大学院に行けなくても、梨田先生からはいろいろお話しを聞きたいなぁって」

「はい、ぜひ。梨田先生、喜ぶと思いますよ」

「よし」と言って南原は腕時計を見る。
「じゃあ、行きますか」




21:2012年9月17日