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21:2012年9月17日

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2012年9月17日(月)8時20分

 今日から青葉大学は後期授業が始まる。
 学長である兵藤芳裕は、学長室のデスクに座って夏季休業期間中に考えていた大学改革案を手帖に整理していた。
 コクヨ社製の伝統的なタイプのメモ手帖だ。
 かれこれ40年近く使っている。
 かつては学術研究のメモにばかり利用していたが、この7年ほど、大学幹部や学長になってからは、改革案や経営方針などを整理することにしか使っていない。
「さもしいもんだね」と独り言をつぶやいた。

 南向きの日当たりが良い学長室は気温が上がりやすく、クーラーを入れなければ10月までは暑い。
 兵藤が学長室に入ってきたことを知った隣室の学長秘書・浜本希美(はまもときみ)がクーラーの電源をつけたのが5分前。
 ようやく涼しい風が巡回をはじめた。
 木目調の壁や厚めの絨毯、本皮のソファから発せられている気がする、格調高くも古い香気が巡っている。

 兵藤はこの学長室をあまり使わない。
 来客があったときに来るくらいだ。
 もともと、教員の一人である兵藤にも個人研究室が割り当てられているので、そちらで仕事をすることが多いのだ。
 今日は気分転換のためにここに来た。

浜本が秘書室から顔を覗かせて尋ねる。
「何かお飲み物をお持ちしましょうか?」

兵藤はアイスティーを所望した。

 学長就任以後、今春に活発に動いていた派閥づくりは、その活動状況が停滞中だ。
 水本誠二や藤堂道雄からは積極的に話を持ちかけられるが、田之浦理事長体制を崩せるような状況にはない。
 実際のところ、水本や藤堂も、アイデアや要求は口にしてくるが、行動に移すことはないし、移せることは言ってこないのだ。
 もっと具体的な成果を見せて欲しいのが正直なところだ。
 自分から動いて、味方を増やす方が効率的なのかもしれない。

 若手教員の永山義春、葛西雅子、橿原一如といった面々は任期付き教員だ。
 彼らは大学内でも評判が良く、事務処理や委員会活動を卒なくこなし、授業評価や学生ウケも良いが、大学内における立場は圧倒的に低い。
 というか、無いに等しい。

 職員として味方に引き込んでいる数人のメンバーも、理事長の方針に疑問を呈しているだけで、抵抗勢力と言えるほどでもない。
 そもそも、田之浦理事長体制になってから、教職員や教授会の発言力は大きく削られている。
 特に職員は奴隷の様相であり、むしろ理事長派閥に取り立ててもらおうと金魚のフンのようになっている。
 それに呼応するように、文部科学省からも「大学はトップダウン方式に切り替えるように」との注文が入っている。
 近々、文部科学省主動で大学経営方針の大幅改革が進むとの話も聞く。

 青葉大学において、学長はトップではない。
 理事長がその権限を持っている。

 トップダウンの推奨は良し悪しである。
 少なくとも、青葉大学においては教育ビジネスとしての色が強くなるだろう。
 それを世間では「市場淘汰が働いて改革が進む」と言うが、大学が淘汰されるまでの時間は長いし、その間の被害は考慮に入れないのだろうか?
 その被害は、学生や社会が負うのだ。
 そんなことを、これも若手の任期付き教員の穂積里香と話をした際に彼女が訴えていた。
 彼女は、理事長と半目気味であると水本たちから聞いているから、なんとかこちらに引き込もうとしているが、なかなか上手くいかない。
 どうやら一匹狼タイプの教員なのだろう。

 それを言い出したら、兵藤自身も青葉大学においては長年、一匹狼だった。
 教授会のことをそれほど気にしていなかったし、各教員がそれぞれの分野で活躍すれば、自然と大学のレベルは上がると考えていた。
 温泉合宿をした際、永山や橿原たちもそんなことを言っていた。

 しかしどうだ。
 学長となった兵藤が目にしたのは、この経営難においても安穏とした活動の教員が多過ぎることである。
 授業評価アンケートの結果には文句をつけたり、委員会活動もまじめに取り組まない。
 せめて格好だけでも取り繕えばいいものを、堂々と何もしない。
 教育にも運営にも熱心でないから、研究に打ち込んでいるのかと言えばそうではない。
 むしろ、それが最も酷い有様だ。

 永山たち若者が言いたいことも、分からんではない。
 かつての兵藤もそのように考えていたからだ。
 しかし、大学全体を俯瞰し、経営する身になってみて初めて痛感することもある。
 大学教員の多くは、自分たちが載っている船がどれほど脆い泥舟かを知らないし、知ろうともしない。
 プライドだけはいっちょ前に高いが、その実力が外部から見れば鼻クソのようなものであり、大学経営の利益に貢献している者などほとんどいないのだ。

 5年前から現理事長体制がはじまったが、兵藤としても評価している取り組みがある。
 教員評価を得点・スコアにして明示するシステムである。
 学生からのアンケート結果、各種委員会活動、課外活動指導、研究活動、著書・論文、学会活動、地域貢献活動などを提出させ、その数やレベルに応じて点数をつけるものだ。
 こうして点数化しないと、人間はやる気を出さないものだ。
 自分が青葉大学内でどれほどのスコアなのか具体的に列記して明らかにさせることで、文句をつけてくる教員も徐々に減ってきた。

 もちろん、このシステムにクレームがないわけではない。
 むしろ大いに不評だろう。
 しかし、大学教員を給料分しっかり働かせるためには、鞭となる道具が必要なのである。
 テニュアの教員で約800万円から1000万円以上の給料を支払っている。
 一方、任期付き教員には300万円から多くても500万円だ。
 仕事量と負担はそっちの方が大きいのにも関わらず。

「どうぞ、アイスティーです」
 秘書の浜本が大きめのグラスに氷入りのアイスティーを持ってきた。
 兵藤は礼を言う。


12時40分。
 橿原一如は内線で永山義春と話している。
 橿原の手元には、本日付で全教員に配布・通知された「教員評価得点票」がある。

「永山さん、僕は81点でしたよ。これってどうしてこの時期に公表なんですかね。書いて提出したのは年度末なのに」

「いろいろと訳ありな得点調整があるんじゃないの? 知らんけど。なんか、通信簿とか成績表を受け取ってるみたいで、ちょっとドキドキするよね。っていうか、橿原君、なんでそんなに高いの? まあ、81点が高いかどうかってのも分からんけどね」

「ここに、最大105点満点って書いてますからね。だいたい、「優」か「A」あたりじゃないですかね。でも、こんな点数が高くてもなんにも影響ないですよね。給料が上がるわけでも、研究費がもらえるわけでもないし」

「え? 研究費は貰えるんじゃないの? だって橿原君、今年はなんかそんなのを貰ってたでしょ?」

「特別教育研究費っていうやつですよね。いえ、あれは授業評価アンケートの結果だけで判断されてるものです。これとは関係ないです。しかもあれ、面倒なことに研究費の費目が、教育関係費でしか使えないんですよ。だから、授業とかゼミとかにかかる予算です。まあ、授業で使うって言って、研究機器の消耗品を買ったんですけどね。授業評価アンケートが毎年高い葛西先生は常連で貰ってますよね。やっぱり1位だと金額は多くなるんですかねぇ?」

「たしか一律だったと思うよ。でもいいなぁ、10万円とはいえ、一応余裕は出るよね。こんなの藤堂とかに渡したら、ジュース代とか小麦粉・卵に消えるんだろうね」

「でもまぁ、青葉大学としては、それが本来の使い方なんじゃないですか。学生に還元されてるわけだし。けど、永山さんは科研を2回連続でもらってますよね。それで十分凄いじゃないですか。僕はそっちの方を早く当てたい」

「けどさぁ、やっぱりこういう成績票みたいなものって気になるよ。所属大学から通知されるものだしね。この点数がそのまま大学上層部による評価ってことでしょ? 怖いよね、恐ろしいよ」

「いやぁ、大学上層部って実は見てないんじゃないですかねぇ。僕、ここの大学に来て3年ですが、つくづく思うんですけど、人材を見るっていうことに、かなり杜撰なところがありますよね。結局、こういう評価システムをつくったとしても、それを基にして何かコントロールするものがあるわけじゃないんですよ。たんなる脅しであり、カカシみたいなもんです」

「そうかなぁ、少なくとも俺には効果的に機能してるよ。ビビってちゃんと仕事しなきゃって思ってるもの。お願いです理事長、私を見捨てないでぇ、って」と言って永山は笑い声を出す。

「でも、永山さんはこんな通知を受け取らなくても、ちゃんと仕事するじゃないですか。そのツールが効果を示すことと、必要であることは同義じゃないですよ。大学に限らず、教育関係の仕事って、こういう評価システムにそぐわないと思いますけどね。まず、評価基準が恣意的なものにならざるを得ないですし」

「けどさぁ、経営者側に立ってみてご覧よ。やっぱり彼らにしても怖いわけだよ、労働者がちゃんと仕事してくれるかどうかが。そんな時は、飴をぶら下げるよりも、鞭で叩いた方が安心できるはずだよ。自分の権威を見せることにもつながるしね。私の評価基準に従うものを重用するよ、っていうメッセージを含ませるものであれば、自分にとって都合のいい労働力が確保できるんじゃないかと期待できるしね」

「大学って、そもそも『王様は裸だ』って叫ぶ人を育てるところだし、叫んでる人を置いとく場所だと思うんですよ。全裸で越ヶ浦駅前を闊歩してる奴を見て、良いお召し物ですね、って言ってるような環境で、健全な大学教育は期待できないと思いますけどね」

 永山は軽く笑い終えて言う。
「まあね。だけどさ、今、僕らはこういうのを大学教育の事として話してるけど、それを言い出したら、現在の世の中全体がそんな方向に流れてるような気がするんだよね。王様は裸だ、って言ってはいけない。王様は裸のように見えるけど、裸に近しい攻めたファッションをしているとか、そもそも人は裸ではいけないのだろうか、裸であったとしても許されるべきではないのか、って調子で知的な基軸が崩壊していってる気がするんだよ」

橿原はそれに大きく頷きながら言う。
「そうそう、そうです。で、そういうのを新基軸、つまりイノベーションって呼んでたりするんですよ。文化的退廃とイノベーションをごっちゃにしているところに、この時代の問題があるように思いますね。彼らが言ってるイノベーションっていうのは、所詮、これまでの常識や文化を犠牲、破壊して、自らが都合よく稼げる環境を用意することを指してるだけなんです。これは何かを生み出してるわけじゃなくて、たんにフレームをずらしただけなんですよ。より良い人生を歩むとか、豊かな生活を営むとか、社会に貢献できる製品を作るだとか、各大学のホームページを探せば、建学の理念というところにそんなことを書いてるはずです。紛いなりにもそういった人間を卒業生として輩出させることを目指しているのが大学なのであれば、これは捨ててはいけない大切なことのはずです」

 永山もこれに続ける。
「そう、その通り。だから、大学改革って粋がってる奴らも同じで、改革って称していながら、ただぶっ壊してるだけなんだよ。ホント、ただ破壊してるだけ。大学としての機能とか存在意義を、ただただドブに捨てたり切り売りしてるだけ。だからだよ、大学改革を推し進めてる奴らって、本当にレベルが低いんだよ。逆に言えば、レベルが低い奴らが、大学改革というところに自分の居場所を見つけたんだと思う。まともに教育も研究もしなくても、大学改革って言っとけば仕事してる気になるから。仕事してると思ってもらえるから。私は大学に対する、社会の要望を聞き入れています! って大見得切っているだけで、自分のポジションを作ることに成功したわけ。でも、さっき橿原君が言ったように、そもそも大学にそんなポジションがあること自体がおかしいんだよ。だいたいさ、社会的要望を受け入れる大学って気味が悪いよ。どんな教育組織だよそれって。そのうち、顧客満足度第一とか言い出すんじゃないかって不安でしょうがないよね」

 橿原は笑いながらそれに応える。
「学生はお客様です。つまり、お客様は神様ですって」

「そう、そうやってお客様からの声を大事にする大学を始めると思う。そうなったら終わりだよ。そりゃ、はじめてから数年間はいいと思うよ。だけど、それが徐々に大学全体を蝕んで、気がついたら取り返しのつかないほど腐敗してるって状態になると思う」

「むしろ僕は、そんな事態になっても、『これは腐敗ではない。発酵してるんだ、熟成しているんだ』って言ってそうで仕方がないですけどね」と橿原。

「そうかもしれんね。熟成っていうのは言いそうだな。それはつまりこういうのだと思うよ。『大学に求められている役割が多様化しており、さまざまな視点から学生を育てなければいけない時代になった』とか。でも、結局のところ自分たちが出来る範囲のことだけやって、大学としてやらなければならないことを捨て去るための言い訳でしかないんだよ」

「その時はきっと、『学生の喜ぶ顔が見たくないのか』って言ってるんでしょうね」
 橿原はそう言って、さらに続けた。
「顧客満足度第一主義の最大の問題点は、学生が、大学から提供されるものを商品と見做すようになることだと思うんです。学生がお客様、大学がお店という図式になるのですから。そうなると、学生は大学が提供する商品を、できるだけ安く、そして利益回収率を高くしようとするに決まっています。できるだけ安く商品、つまり卒業単位を入手した者が賢い消費者だって言い出す世界。それを容認する時代になるんですよ。すると学生は、授業の課題や学習誘導を、極力無視するようになります。当たり前ですよね。出来るだけ安く、つまり、自分の学習労力をかけずに単位を取ることが、彼らにとっての賢い行動、勝ち組の行動なんですから」

 永山は強い相づちを打った後、話し始めた。
「うん、もう既にそうなってきているよね。例えば、今日から後期の授業が始まったけどさ、授業後に俺のところに来て、『先生、この授業って何回までなら休めますか?』って聞いてきた学生がいるからね。たしかに昔もそんな奴がいたけどさ、それって例外中の例外でさ。俺らが学生の頃には考えられない質問だよ。そりゃ学生なら考えそうなことだけどさ、教員にそれを面と向かって聞けるほど一般的ではなかったよね。今は普通にいるもん。挙げ句、予めそんなことをアナウンスする教員もいるらしいよ。それが賢い授業の受け方とばかりに。もうさ、完全に授業の単位を購入する感覚なんだよね。で、橿原君が言うように、できるだけ安く買い叩ければ勝ちって感じなんよ。まさに、それが『学生の喜ぶ顔』なわけ。言い換えれば、その教員は、学生が喜ぶことをしっかり把握できていることの裏返しでもあるんだよ。学生は、学習労力を最小限にして単位取得することを喜ぶはず。だからそのためのサービスを提供するのは、お店や店員として当然のことだ、って感じ」

「やっぱりそうですよね。さらに言えば、授業や単位を商品だと捉えるようになることは、授業を受けることの受益者は、学生本人ということを意味するんですよ。これが大間違いだと思います」

「そうそう、最近の大学改革が間違っている、最大のポイントだね」

「大学っていうのは、さっきも言ったように『王様は裸だ』って叫ぶ人を育てたり、叫んでる人を置いとく場所です。それによって誰が利益を得ているのかというと、この人間社会、日本社会なんですよ。放っておくと凝り固まってしまう、社会の教養力や知的体力を維持するためのものです。これはもう、永山さんとは何度も繰り返し話してることではありますけど、この大原則を捨てることは、大学とそれに準ずる教育組織の存在意義を、人類史から外すくらいの大問題です。そんな人類史上例をみない破壊活動を、たかが極東の島国の奴らが、思い付きで取り組んだところで失敗するに決まっています。尤も、この破壊活動が成功したらこの国はお終いですから、心配するだけ無駄かもしれませんが」

「人類史上例を見ないというのは言い過ぎだよ。たぶん、そんな破壊活動をした国や民族は、ことごとく滅亡してるからね。まあ、歴史として残っていないのだから、同じことかなぁ・・・」
 永山はそう言ったかと思うと、突然、笑い出した。
「いや、橿原君、ちょっとこれ。ちょっとこれ見て。今、メールが入ったやつ。そっちでも見れる?」

 橿原は目の前のデスクトップパソコンを操作し、メールソフトを立ち上げた。
 発信元が田之浦理事長として、1通のメールが全教職員宛に送られてきている。

「見れますよ。見れますけど、この理事長からのメールですか?」

「そう、そのメールを開いてみてよ。まず、タイトルが凄いよ」

「はい、えーっと、はい、えぇと、ん? 『ドラッカーに学ぶ青葉大学経営指針』ですか?」

「そう、添付ファイルがついてるでしょ。それ開いてみて。開いてみて。マジでヤバいから」

「はい、えーっと、ん? 『ボリューム1、青葉大学の顧客は誰かを考える』」

 橿原は添付文書を斜め読みする。
「・・・って、ちょっっとぉー! これ、さっきまで話してたやつを根こそぎ全部持っていってる感じじゃないですかぁ!」
 そう言って橿原は笑いながら怒った。

 永山は笑い死にそうな声を出す。
「凄いよね。マジで凄いよね。タイミング的にもだけどさ、この大学、完全に顧客満足度第一主義に舵を切ったってことだよね。さっき話してた事の真逆が、ここの経営方針らしいよ」


青葉大学理事長の田之浦順通から送られてきたメール本文にはこう記してあった。

近年、組織マネジメントの権威であるピーター・F・ドラッカーが著した書籍が流行しています。しかし、ドラッカーが示したマネジメント論は、実際に活用してこそ真価を発揮するものです。大学という場所は、ややもすれば議論のための議論、机上の理論、論文業績にするための作業ばかりに明け暮れて、現実世界で役に立つ議論、現実世界を舞台にした議論を避けたがるものです。
ドラッカーのマネジメント論もご多分に漏れず、一時の流行にまかせて実際の組織マネジメントに活用されることは少なく、ましてや大学組織において利用しようという動きはほとんどみられません。威勢よく大学経営に持ち込んでみた例もなくはないのですが、あくまでも消極的な採用にとどまっているところです。これは、大学組織が学者の集まりであり、実践的な取り組みを忌み嫌う風潮があることに起因しています。
そこで私は、理事長という立場から大学という組織を経営するにあたって、ドラッカーのマネジメント論を活用することにしました。しかし、理事長の私だけがドラッカーのマネジメント論を振り回したところで、効果は限定的なものになるでしょう。そこで、私がピーター・F・ドラッカーの著作から学び取ったマネジメント論を、連載方式で全ての教職員が共有できればと考えています。幸い、現在の青葉大学にはメーリングリストで一斉周知をするシステムがあり、昔と比べて情報処理と共有のためのインフラが非常に優秀なものとなっています。ぜひ、教職員の皆様には、青葉大学の経営者の一人であるという自覚を持ちながら、この難局の打破に向けてご尽力頂けることを期待しております。
まずは、Vol.1として「青葉大学の顧客」について論じました。添付ファイルの文書を熟読してください。今後、隔週でドラッカーのマネジメント論を配信できればと考えております。
もちろん、私は経営者であると同時に学者の一人です。マネジメント論を専門とする者ではありませんので、間違った解釈や議論を深めなければいけない点などがあることでしょう。その際は、皆様からの忌憚ないご意見ご指摘を賜りたいと存じます。より良い大学経営について、ドラッカーのマネジメント論から皆様と共に学べる時間になればと思います。
添付ファイル:青葉大学の顧客は誰かを考える.doc




22:2012年10月1日